緊急
三題噺もどき―ろっぴゃくさんじゅうさん。
時計の針の音が聞こえる。
規則正しい秒針の音は、1つの集中促進剤となっている気がする。
そこまで集中力が切れるようなタイプではないが、導入剤が必要な時だってある。
今がその時だ。
「……」
昨日、いつもよりも多めの仕事を終わらせて。
今日はゆっくりしようかと思っていた。仕事をするにしても簡単なモノだけにしようと思っていたのだが……起きて朝食を食べて、部屋に戻ったところで、連絡が来ていることに気が付いた。
「……」
折り目正しい時候の挨拶から始まり、きっちりかっちりとした文章が続くその連絡の内容。
読み進めていくうちに嫌な予感ばかりが募り……要約すると、緊急の仕事ができたので急遽明後日までに終わらせてくれというやつだった。添付されていたものを開くと、それなりの量があった。
「……」
たまにこういう無茶を振ってくるのが嫌なところだな。
やれと言われればやるが、無茶を言っていると言う自覚があるのかないのか……。あるからこんな丁寧な挨拶の言葉から始まっているんだろうけど。さっさと済ませてしまいたいところだが、どうにも気が乗らない。
「……」
とりあえずは、椅子に座る所から始めるとするか。
あぁ、しかしその前に飲み物を持ってこないといけない。机の上の飴もなくなっているし、一度キッチンに行こう。ちょっとした気分転換だ。
「……」
飴を入れる用のカゴを手に持ち、開けっ放しになっていた部屋のドアから、廊下へと出て行く。
そのまま部屋には戻りたくないくらいだったが、仕事はしなくてはいけない。今の世の中を生きていくためには必要なものだ。
「……なんて格好しているんですか」
キッチンへと向かう途中。
短い廊下で、そんなことを言いながらじっとりとみてくる目と合った。
洗濯を干して終わったところなのだろう。風呂場から浴室乾燥中に聞こえる低い音が聞こえる。
「……ん」
「ちゃんと服を着てください」
そういえば、今はアンダーシャツの上に、カーディガンを羽織るだけという格好をしていたのを忘れていた。さっきまではセーターを着ていたんだけど、家の中がそこまで寒くはなかったのでいいだろうと思ったのだが。
「着てたセーターはどこに置いたんですか」
「部屋」
外に出ない限り、あまり厚着をするのは好きではないのだ。
だから、先程部屋に戻ったときにセーターを脱いで、椅子に掛けてあったカーディガンを羽織ったのだ。そのタイミングで、パソコンの通知に気づいた。
脱いだのが間違いだったか。
「……何か忘れ物ですか」
「あぁ、飲み物と飴を」
呆れながらも、そう答えた私と共にキッチンへと向かう。
コイツも今から何か作るつもりだったのだろうか。
それとも、今日もどこかに出かけるつもりだったのか……昨日のは結局何だったのか教えてくれなかった。まぁ、問い詰めることをしなかったのだけど。好きにしてくれればいい。
「何を飲むんですか」
「コーヒーで良いかな」
電気ケトルのスイッチを入れ、お湯を沸かしながら準備を進めていく。
その間に、買い置きしてある飴の中から適当に取っていく。袋の中に手を突っ込み、つかんだ分をカゴの中に入れる。これくらいあればとりあえずは足りるだろう。
「……お仕事ですか」
「ん、あぁ、緊急のな」
今日はその予定はないと言ってはいたから、飴を持っていくのはおかしいと思ったのだろう。何か予定でもあったかな。基本的にはお互い好きに動くことが多いから……というか私が勝手に動いているだけなんだが……何かするつもりだっただろうか。
「……なら、少し買い物にいってきますね」
「なにか足りないものでもあったか?」
少し前に調味料なんかは買いに行ったから、足りないことはないと思うが。
それとも食材が心もとなくなってきたんだろうか。
最近は値段が上がってきたからな……必要以上に買わないようにしているから。
「あぁいえ、ちょっと試したいことがあるだけで」
「ふむ……そうか」
また何か菓子作りで思いついたんだろうか。チョコレート菓子からは最近ようやく抜け出したのだけど……そう言えば、来月はホワイトデーだと言うじゃないか。バレンタインのお返し。その内容によって意味があるとかないとか。私も何かお返しを考えた方がいいのだろうか……飴で良いか?
「……まぁ、買い物に行くなら気をつけてな」
「えぇ、はい」
丁度そのタイミングでお湯が沸き、コーヒーを淹れる。
まだ、あまり気力は湧かないが……さっさと仕事を済ませてしまおう。
それで、明日はゆっくりさせてもらおう。
「……」
「ご主人」
「……あぁ、帰ったのか」
「休憩しましょう」
「……うん?もうこんな時間なのか……?」
「何も、今日全部しなくてもいいのでは」
「明後日が締め切りなんだ……」
「まぁ、あまり無理をしないでくださいね」
「仕事にいってくれ……」
お題:挨拶・洗濯・アンダーシャツ