お釈迦様
部活の練習後、忘れ物に気付き、着替えを終えてから教室に戻った。
教室に入ると担任の梶原先生が掲示物の張替えをしていた。
「あら、どうしたの」
「ちょっと忘れ物しちゃって。それ取りに」彼女は教師になって二年目の新米教師で、10歳しか離れていない。そのうえ一年の時も担任教師だったせいか梶原先生とは親しく接していた。何よりも自らを「先生」と自称することがなかったので、僕はそれだけで彼女に対して好印象を抱いていた。
「義徳君が忘れ物なんて珍しいね」笑みをこぼしながらそう言い、手を休めた。
「たまには忘れ物くらいしますよ」僕は自分の机から数学の教科書を取り出し鞄にしまった。
「そうだ」先生は急に何かを閃いたかのような大きな声でそう言った。
「どうしたんですか?」
「私気付いちゃった」
「えっ。何を?」先生の不適な笑みを訝るように恐る恐る聞いた。
「義徳君さ赤平さんのこと好きでしょ」
「えっ」僕は一瞬、何を言われているのか理解できず頭が真っ白になってしまった。
「やっぱりね。分かるんだよ。教卓からはよく見えるんだから」その言葉とは裏腹に先生の表情には嫌らしさが微塵も感じられない。何か大きな存在に感じた。心の中まで覗きこまれているようなそんな印象だ。
「いつ気付いたんですか?」観念したかのように、先生の問いを認めつつ、僕のどこに落ち度があったのかを聞いた。
「そうね、確信を得たのは三学期が始まってすぐくらいかな」全くうそぶいている様子はない。『消しゴム作戦』を決行する前から気付かれていたことになる。
「そっか」
「義徳君てさ、今まで女の子に興味ないような感じだったから、だから余計に分かりやすかったのかも。だてに担任二年してるって訳じゃないんだよ」そう言うと、ちょっとだけ誇らしげに笑ってみせた。
「誰にも気付かれてないと思ってたんだけどな」正直な感想だ。
「もしかして初恋?」
「うん」既に鳥かごの中の鳥のような状態だ。
「そうなんだ。なんだか羨ましい」そう言った後だった、先生は僕の秘め事を見破ったことに対しての償いという訳ではなかったんだろうが、自身の中学時代の話をしてくれた。
先生は中学時代に同じクラスの男子を好きになったそうで、その彼とは元々親しかったらしい。もしかしたら彼も自分に好意を抱いてくれているのではないかと思っていたようで、バレンタインに意を決して直接チョコレートと手紙を渡し想いの全てを告げた。しかし、彼からは何の返事もなくその後、卒業するまで彼とは顔を合わせるのもなんだか気まずくなってしまったという失恋の話であった。
それでも先生は告白したことを全く後悔していないと言った。勿論、直後は大変ショックだったとも言っていたが中学時代のいい思い出と笑ってさえいた。
「告白していなかったら後悔していただろうな」そう言った先生の言葉が妙に耳に残った。
その日の帰宅後、僕は先生になぜ見破られてしまったのかを考えていた。自分の行動を逐一思い返してみても、そんなそぶりをみせていたとは到底思えない。『消しゴム作戦』で見破られたのならまだ理解できるのだけれど。どんなに理由を探ってみてもやはり分からない。先生は神様なのかというふうにさえ思い始めた頃、中学の入学式後の初めてのホームルームのことを思い出した。まず、はじめに先生の自己紹介があった。名前と年齢を言ったあと
「誕生日は4月8日です。実は今日が誕生日なんです。あの、お釈迦様と一緒なんですよ」とちょっとだけ冗談めいたように笑いながら言ってみせた。
そうか、先生はお釈迦様の生まれ変わりなのか。ならば分かられてしまっても仕方がない。そう理解することが一番納得できた。そう自分で結論付けると、先生の中学時代の話を思い出した。すると、あることに気付いた。来週はバレンタインデーがある。確かに最近になって彼女とは以前よりは自然に話せるようにはなってきてはいるものの、それもここ一週間程度のことだ。まさか、そんなことがあるわけがないとは自分を鎮めつつも、もしかしたら義理チョコくらいならという淡い期待が生まれてきた。僕からすればそれだけでも満足だ。そんなことに想像を膨らませ始めた。さっき点けたばかりのスピーカーから流れるFMラジオはすでに耳には入ってこない。