スパイラル
朝を迎え、朝の満員電車に揺られている。
結局、昨日は彼女からメールがくることはなかった。
特別な期待をしていた訳でもなかったが、やや寂しさがあるのは正直なところではあるが、むしろ安心した気持ちのほうが大きい。
これは今までも何度か経験している。旧友などと久々の再会を果たした際に、その後実際に連絡を交わす可能性が低かろうということはお互いに承知の上だが、別れ際には連絡先を交換する。一種の名刺交換のようなものだと僕は認識している。彼女のそれも、同じなんだということに僕は安堵しているのだ。
そもそも今更、彼女との再会なんて、ただただ迷惑なだけだ。ようやく彼女のことを意識せずに生活を送れるようになったというのに。
僕は十年間、彼女に苦しめられた。
中学生の恋愛というものは周りの友達の話を聞くうえでどんなものなのかは理解していたつもりだった。実際に想いを告げ、ふられたばかりだと思っていた友達が翌月には今度は「あの子のことが気になっているんだ」と聞かされることもあったので、自分も時間が経てば違う子を好きになるんだろうなと思っていた。
しかし、どんなに待っても僕にはそれが訪れることはなかった。
自分の中にはいつも赤平久実がいた。
焦りも多分にあり、高校生の頃は自分を好きだと言ってくれる女の子何人かとも付き合ってみたりはしたが、それは自分を苦しめることになった。どんなに相手のことを好きになろうと頑張ってみても自分の望む結果は得られず結局は相手を傷つけ、知らない間に自分を傷つけてしまうという悪循環におちいった。この頃、初めてのセックスを経験するが自分にとって周りの友達が言うように相手の息遣いすらまでをも覚えているというまでの思い出ではなく、あくまで初体験というだけである。それ以下でも以上でもない。
とはいえ、僕はある種の期待をしていた。何せ言葉は古いが契りを交わすという表現がある程の行為であるから、それまで自分が知らない神秘性とやらに感化され相手のことを劇的に想うことができるんじゃないかとせ思っていた。しかし、それは幻想であったことにすぐに気づかされた。
ちょうどこの直後からだろう。僕は異性に対し期待するのは辞めた。
大学生にもなると随分と割り切るのが上手になってきた。
僕に近づいてくる異性に対して気持ちがあるようには見せかけては「恋愛ごっこ」を楽しんだ。勿論、満たされることはなかったがそれでも誰かには近くに居て欲しいと思うようにもなっていた。
せめて体だけでも満たしてほしいとさえ思っていた。許されるわがままの範疇だとさせ感じていたくらいだった。
どんなに好きになってくれても、好きにさせてくれる女性はやはり居なかった。