思い出の場所
僕がかつて住んでいた家は他と比べて明らかに老朽化が進んでいた。
餓鬼獄で亡者達が食事をしていた建物とほとんど変わらなくて、外観だけじゃ人が住んでいるようには見えない。
なつかしさに駆られて、僕はしばらく廃屋同然の家を眺めた。
僕が冥界に落ちてから一ヵ月ちょっとしか経ってないから、これはそのままの姿なんだろう。
ドアノブを回してもなかなか開かなくて、うっかりすると壊してしまいそうだ。
「そうだ。一度、押し込んでから回さないとダメなんだっけ」
「えぇ? 不可解な仕組みですわ」
「アハハ……ボロボロになりすぎて壊れたんだと思うよ。僕が生まれる前に両親が建ててから手入れもしてなかったからね」
「ルト様のご両親はいらっしゃ……いえ、なんでもありません」
アレイシアは咄嗟に口に手を当てる。
僕は両親について思い出そうとした。
頭の中で朧気ながら形作られる二人の姿、顔はハッキリと思い出せないけど取り立てて特徴がない容姿だったと思う。
特にかわいがられた記憶がない。
どんな人達だったのか。何を話したのか。その他の思い出を含めてまったく思い出せなかった。
エーリィの時とは明らかに違う。
断片的な言葉すら思い浮かんでこない。
何を言われたんだろう? 何も言われなかったかもしれない。
違うな。一つだけ思い出した。
「すぐ帰るからおとなしく待っているんだよ。最後の言葉だけはハッキリ思い出した。あの二人は僕を置いてどこかへ行ってしまったんだ」
「そ、それってご両親に……」
「こんな家に住んでいたくらいだからね。決して裕福じゃなかっただろうし、二人で逃げるくらいのお金はあったんだろうね」
「ひどいッ!」
アレイシアが大声を出した。
アレイシアも両親に売られたような形で離れ離れになってそれっきりだ。
いつか迎えにくるなんてウソを、幼いアレイシアは信じた。
僕と同じだな。両親が出ていった時は確かに信じていたはず。
ところが二日目、三日目と経過するうちにもしかしてという絶望が這いよる。
更に時間が経って食べ物すらなく、自分で調達するしかない。
残飯を漁っては大人達に追い回されて袋叩きに遭い、色々なところを訪ねて雇ってもらえるよう懇願する。
そうこうしているいちに行きついたのが冒険者だ。
明らかに向いてない冒険者を続けていたのはただ生きるためだけだった。
ブルやカークを始めとした冒険者達にバカにされる日々も今となってはなつかしい。
中に入るとわずかにあった私物が片づけられていた。
寝る時に使っていたボロボロの薄い布や錆びた調理用の包丁など、綺麗さっぱりなくなっている。
こんな家だから盗人くらい入ってもおかしくないけど、古びたものばかり持っていくものかな?
僕は家の真ん中に立って剣を握る真似をした。
「えいっ! とりゃ!」
「ル、ルト様。何をされているんですの? そんな不格好な動きまでされて……」
「これがほんの一ヵ月前の僕だよ。僕はここでエーリィに剣術を教わっていたんだ」
「エーリィ……。クライブが言っていた方ですの?」
すべて思い出した時、真っ先にここの風景が思い浮かんだ。
ここにエーリィがやってきて食べ物を恵んでくれて、色々な話をした。
僕があの境遇に耐えられたのは忍耐のおかげだけじゃない。
エーリィのおかげだ。
エーリィは僕が勇気をくれたと言っていたけど、僕はそれ以上に多くを貰っている。
結局なにも返せないままエーリィはいなくなってしまった。
「エーリィはクライブのことを一切僕に言わなかった。ひどい仕打ちを受けているというのに。僕を安心させるためにそうしたんだ」
「強い方ですね……」
「僕に才能がないなんてわかっていたはずだ。それなのに嫌な顔一つせずに剣術指導までしてくれた。本当に強いよ」
「そう……ですか」
アレイシアが少しだけ顔を逸らした。
変だなと思いつつ、僕はアレイシアとお喋りをしていたところに座る。
隙間風が冷たいからいつも真ん中のほうにいたな。
「寒い時はあのボロボロのシーツに二人でくるまっていたな」
「ルト様、その……エーリィ様のことは……」
「ん?」
「いえ、今はどうされているのでしょう……」
――何せあの女が次に結婚する相手は三大名家の一つ、ウィンザム家!
――この私ですら恐れ多くて近寄れん!
――バルダー公は徹底した教育を施すことで有名だからなぁ!
クライブが本当のことを言っていたなら、エーリィはウィンザム家に嫁いだ。
そこでエーリィが幸せに暮らしているなら僕が干渉することじゃない。
だけどもし、そうじゃないなら。
その時、ドアが大きな音を立てて壊れた。
そこにいたのは初老の男だ。
「このオンボロめ。ついに壊れおったなぁ……。ぬ? おい! お前ら、そこで何をしている!」
「ここに住んでいたルトだけど、君は?」
「ルトか!? お前、家賃も払わんで今までどこにいた! 先月はブルとカークが払ってくれたが、今月分はまだもらっていないぞ!」
「えっと、いくらだっけ? あー、そうだ。確か2000ゼルだったかな」
僕が2000ゼルの効果を初老の男に渡す。
思い出した。この人はこの廃屋の持ち主であるアルバーさんだ。
両親が家を出ていってからはずっと僕がこの人に家賃を払い続けていた。
思えば毎月、これに怯えて暮らしていたっけ。なつかしい。
「ふん、いつもは一週間ほど待ってくださいと泣きついてきたのに今回はやけにあっさりと払ったじゃないか」
「アルバーさん、この借家を売ってくれないかな?」
「なんだって? なんて言った?」
「だからこの借家を売ってほしいって言ってる」
「売って、ほしい、だとぉ? プッ! ワハハハハハハハッ!」
アルバーさんは大笑いした。
どこに面白い要素があったんだろう。
「何を言い出すかと思えば! ルト! 家賃の支払いが苦しいから買い取ってしまえばいいとでも思ったのか? なぁ、いくらで買い取るつもりだ? ちょっと言ってみ?」
「5000ゼルくらい?」
「バッカもんが! 家賃が2000ゼルなのに5000ゼルで買い取れるわけないだろうに! ワハハハハッ!」
「じゃあ、いくらなのさ」
「いくらだと思う?」
なんだ、これ。からかわれているんだろうな。
このアルバーさんはルトという人間を完全に舐めている。
そもそもこんな廃屋で家賃が2000ゼルってのもおかしい。
足元を見てバカにしているんだろう。
こんなものに付き合うつもりはない。
「そういえばルト、少し見ないうちにずいぶんとかわいい子を連れているな? そうだなぁ、その子がすこーしお付き合いしてくれるというなら……うぐっ!?」
「僕が穏やかなうちにとっとと金額を決めろ」
アルバーさんの胸倉を掴んで持ち上げた。
アルバーさんの足が床から浮いてバタバタと暴れている。
「な、なんだ、待て! ルト、お前はルトなのか!? お、落ち着け!」
「アルバー、二度も僕に言わせるな。とっとと金額を決めろ。どうしても売れないなら納得がいく理由をきちんと話せ」
「わ、わかった! 売ってやる! ご、50000ゼルでどうだ!」
「あ?」
「ひいぃーーー!」
ちょっと何を言ってるのか聞こえなかったから、アルバーを持ったまま外に出た。
こんな廃屋がそんなにするわけない。
これ以上、足元を見るなら少しだけ痛い目にあってもらうしかないかな。
「ここなら叩きつけても問題ないか」
「い、い、いくらならいいんだ!」
「お前が金額を聞いてきたんだぞ? なんで僕に決めさせるんだよ?」
「じゃあ……よん」
「ひいぃぃあああぁーーーー!」
アルバーを天高く放り投げてからしっかりとキャッチしてあげた。
お姫様抱っこみたいになってるけど、これは初老のおじさんだ。
「次はキャッチできる自信ないなぁ。それでいくらだっけ?」
「……です」
「なんだって?」
「無料でいいですぅ! 無料で差し上げますぅ!」
次の金額次第では命が危ういからね。
そりゃもっとも安全な無料を提示するしかない。
このアルバー、なかなか賢いというか命根性はある。
僕はアルバーを地面に下ろしてやった。
「あわわわわ! うああぁぁーーーー!」
アルバーが腰を抜かしながらも逃げていく。
口約束だけどこれでこの廃屋は正真正銘、僕のものだ。
改めて廃屋を眺めた。
「ルト様、よかったんですの? 家ならもっと他にあるのでは?」
「思い出の場所を手放すわけにはいかないからね」
「思い出……」
アレイシアが廃屋の壁を撫でた。
さっきからどうしたんだろう?
「あの、ルト様。わ、わたくしもこれから思い出を作っても……よろしいですか?」
「え? そりゃもちろんだよ。そのためにアレイシアを連れてきたんだからね」
「はいっ! たっくさん思い出を作りましょう! たっくさん!」
「う、うん」
アレイシアが子どもみたいにはしゃいでいる。
アレイシアは滅びの女神でも聖女でもない。
彼女がやりたいことを見つけてもらえたなら、今はそれでよかった。
これにて第一章終了です!
区切りということで一度完結とさせていただきました!
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