汝、冥王ルトなり
僕は冥王の土下座が終わるのを待った。その時間、七分。
僕が何も言わないでいると冥王が痺れを切らして頭を上げた。
うっすらと涙目だ。何がつらかったんだろう?
「こ、これだけ土下座してるのじゃ。声をかけてくれてもいいのじゃ……」
「別に数日くらいは待つよ?」
「数日!?」
「こちとら20000年も戦い続けてきたんだよ?」
もういいよと言ってほしかったのか。
それはそれでこっちのことも考えてほしい。
いざ冥王の座をかけて激闘が繰り広げられるかと思ったら、まさかの降参だ。
僕としては初見で勝てると思ってなかったし、様子見で100年は考えていた。
ところがこの冥王はたかが七分の土下座で止めてほしいときている。
死の世界の支配者がなんとも情けない。
「それで降参って本当なの? 僕としては戦ったほうがシロクロつけられていいと思うんだけど?」
「とーんでもねぇのじゃ! 最初は石ころ程度にしか思ってなかった奴が気がついたらとんでもない怪物になっていたとか誰が想像できようか!」
「なに? つまり最初は舐めてたけど気がついたら勝てない存在になったせいでどうしようかと思っていたってこと?」
「あのな、これは余が決してクソザコなわけではないのじゃ。よく聞け」
降参したくせにやたら尊大だな。
やっぱりシロクロつけたほうがいいんじゃないか?
というか現時点で僕が冥王の降参に従う理由なんてないんだからね。
それに今までの鬱憤や思うところがある。
今まで好き勝手に他人の死後の運命を決めていたくせに、保身となるとこれか。
ハッキリ言って失望している。
それも戦いもしないで諦めるなんてね。
勝てない相手でも最低は100年は見る。
初戦で勝てたらラッキー程度、逃走の手段は考えておく。
このくらいは覚悟して挑むべきだ。
「そなたはもはや神の領域を遥かに越えておる。そこのアレイシアは余でも手を焼くほどの亡者であり、正直に言って自分からタルタロスに向かってくれたのは幸運とすら思ったのじゃ」
「すごい情けないことを堂々と言ってる自覚ある?」
「なんとでも言うのじゃ。余は悠久の時を過ごして、様々な生と死を見続けてきた……だからこそわかる。余はそなたに勝てん」
「そう、だったら大人しく倒されてね」
「まぁぁーーーつのじゃ! そなた、冥王になりたいのであれば余を滅ぼすのは得策ではない!」
すごい必死に脂汗まで流して止めるほど重要な情報なのかもしれない。
だとしたらここで殺してしまうのはよくないな。
まさか冥王が僕より弱いなんて夢にも思わなかった。
そういえば餓鬼獄以来、冥王の声を聞かなくなったのも関係しているのかな?
まさかびびっていたり?
「そなたが冥王となれば、おそらく冥界で永遠に時を過ごすことになる。何せこの冥界には常に死者が流れ込むのじゃ。しかしそなたが現世に出てしまって魂を裁かなければ、どうなると思う?」
「……どうなる?」
「冥界から魂が溢れて、現世と冥界の境目が破壊される。つまり生と死の概念が消滅して、世界は概念崩壊を起こすのじゃ」
「概念崩壊?」
「存在を維持できなくなるということじゃ。考えてもみろ、どの生物も死なずに永遠に増え続けたらどうなる? 空間が生物で埋め尽くされて、世界という概念が維持できなくなるのじゃ」
よくわからないけど、要するに誰も死ななくなる世界になって大変なことになるってわけね。
それは確かに困る。考えてみれば僕の目的は冥界の維持じゃない。
そう考えると冥王になるというのは案外大変なことだ。
冥王の話は理にかなっているな。
ウソを言っているようにも思えない。
アレイシアをちらりと見たけど、疑っている様子がなかった。
冥王の話を肯定するかのように小さく何度も頷いている。
「ルト様。わたくしも薄々理解していたことでしたわ。どうにかなればそれに越したことはありませんでしたが、やっぱりこの問題は無視できませんの」
「確かにすべてが壊れるのは僕も本意じゃないな」
冥王を見ると少し勝ち誇ったような顔をしてニンマリしていた。
やっぱりシロクロつけるべきかな。
「そうじゃろ、そうじゃろ! だからそこで、じゃ! そなたにはひとまず冥承の儀を受けてもらう! 冥王の座を正式にそなたに譲ろう!」
「だけどそれをやったら僕は永遠に冥界から出られなくなるでしょ?」
「冥界での使命は引き続き余が行う。いわばそなたが冥王で余が助手のような形となるのじゃ。これならばそなたの自由は約束される」
「うーん、おいしい話。裏は?」
「しょんなものはないのじゃ!」
見事に噛んだよ。
そこまでして助かりたいのか、それとも別の狙いがあるのか。
仮にも死を司ってきたともあろうお方が、僕みたいな小僧にへりくだるものかな?
でも僕が何も知らないで冥王を殺していたら、それこそ大変なことになっていたかもしれない。
冥王に死の概念があるかはわからないけどさ。
そう考えると冥王は冷静かつ妥当な案を提案しているとも思える。
世界のことまで考えた上で、尚且つ自分が助かる方法としては違和感ない。
考えようによっては冥王は概念破壊を盾にして僕を脅すことだってできたはずだ。
だけど、そうしたところで僕がそれを信じるとは限らない。
勢い余って殺してしまったら終わりだ。
そうならないように、冥王は最善の策を講じたと捉えておこう。
「ルト様。わたくしは受けるべきだと思いますわ。もし不都合があれば始末してもいいかと……」
「そうだね。不都合があったらやり直せばいいか」
冥王が青ざめているけど気にせず、僕は冥承の儀を受けることにした。
案内されたのは冥道宮の最奥にある血の泉だ。
「さて、まずは服を脱げ」
「は?」
「め、冥承には必要なことなのじゃ! 余もそうしなければならないのじゃ!」
「僕はいいけど、アレイシアがすごい顔をしているよ」
「はっ!?」
アレイシアが顔を真っ赤にしながら、ぷるぷると震えている。
それはそうだ。女の子の前で男の僕が裸になるんだからね。
僕の裸なんか見たくもないだろう。
「ル、ルト様。ただちに冥王を仕留めるプランに変更しましょう?」
「落ち着いてよ。アレイシアはあっちを向いていいからさ」
「そこの冥王の皮を被った破廉恥娘を仕留めるプランに変更しましょう?」
「よくわからないけど落ち着いて」
アレイシアが怒ったら本気でやりかねない。
嫌なのはわかるけど、冥王になるために必要と言うならやるしかないんだ。
なんとかアレイシアをなだめた後、僕は服を脱いだ。
冥王も手際よく服を脱いだところで僕は目を逸らす。
相手は一応女の子だから、見ちゃダメだよね。
いや、それとも冥王だからセーフかな?
「ルト様ッ! 見てはいけませんわ!」
「う、うん」
とてつもない圧と声量で久しぶりにビックリした。
滅びの女神だった時を思い出すほどだ。
そうか、いくら見た目が女の子といえど相手は冥王だ。
視界に入れた途端に発動するタイプの呪いがかかるかもしれない。
さすがアレイシア、どんな時でも警戒心を失わないな。
「滅びの女神といえど、しょせんはまだまだ乙女……クククッ!」
「いいから早く始めてよ」
「そなたもそなたで肝が据わっておる。それに……まぁまぁといったところじゃな。将来性あり、と」
「何が?」
「いやいや、こちらの話じゃ。では始めるぞ」
僕は見ないようにしているけど、冥王がやたらとジロジロ見てくるのがわかった。
冥王が呪文を唱え始めると、血の泉が波立つ。
波が激しくなったところで、血の泉が沸騰したようにグツグツと煮え始めた。
「冥府の万象よ、我らが血の禊によって満ち足りよ。崇めよ。称えよ。冥王ハティスの名において命ずる……」
突如、僕の体を血が這いずるようにして包み込む。
血が少しずつ僕の体に浸透していき、泉が大渦を作った。
「ルト様!」
「大丈夫」
血が高速で這い上がってきては僕の体に浸透していった。
それが少しずつ収まってきたのは数分後のことだ。
血が大人しくなり、泉に凪が訪れる。
「汝、冥王ルトなり」
冥王が言い終えると、血の泉の色が変化していく。
泉は水のように透き通っていた。
さっきまで血の泉だったのが信じられないくらいだ。
「ルト、これでそなたが冥王だ。この泉は冥王が魂を裁くほど変化を見せる。血の泉は即ち断罪の証……余が冥王としての使命を果たしていた何よりの証拠だったのじゃ」
「つまり新しい冥王である僕はまだなにも果たしていない……だから透き通った水の泉ってこと?」
「その通り。この泉が再び血に染まるのを楽しみにしておるぞ。クククッ!」
「……ふーん」
冥王がクツクツと笑いながら服を着て立ち去っていった。
置き去りにされた僕は服を着ないまま、泉の水をすくってみる。
何の変哲もない水にしか見えない。
これが血に染まる、か。
「ル、ルト様。終わったのなら服を……」
「あ、ごめん」
泉から上がって僕は服を着た。
これで僕は晴れて冥王か。あの泉を血で染めるために魂を裁く。
「違う気がするけどな」
「え?」
「なんでもない」
冥王としての断罪の証? 都合のいい解釈だな。
裁くなんて大それたこと、神にだって許されない。
つまりこの泉は冥王の罪の証だ。
何かを裁くということは多くの血を流すに値する。
血は僕の中に入っていった。
そう、あの冥王の罪を僕が継承したんだ。
そしてこれから更に僕は冥王として罪を重ねる。
泉が血に染まるまで。
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