人間獄
修羅獄を抜けると暗闇の都市が広がっていた。
古めかしい雰囲気の街並みながら、多くの人でごった返している。
暗闇の中に所々ぼんやりとした灯りが点々としていて、上空から見ると幻想の世界に迷い込んだかと思うほどだ。
ここは本当に死者の世界なのか?
血みどろの戦いを繰り広げていたり、すべての罪人が動物にされていたり、無意味な食事を続けるわけでもない。
異形の姿に変えられて、自らの罪による罰を与えられているわけでもない。
長い間、見ていなかった笑顔というものがそこにあった。
行き交う人達の中に立ち止まって楽しそうに話している数人。
何かを売っているのか、道行く人に声をかけている商人らしき人。
生と死の違いってなんだ?
生命とは?
死者を見続けたはずの僕が今更、そんなことを考えるほどだ。
「アレイシア。ここは本当に冥界なの?」
「ここでは善行を積んだ人ほど幸福に暮らせますわ。あの大きい建物にはそうした人が住んでいますの」
「お金持ちが大きな家に住むんじゃなくて、いいことをした人が住むのか」
「多くの方々は現世とさほど変わらない暮らしをされているようですわ」
何より驚いたのは町を歩いても襲われることがない。
経験上、亡者は僕達が死んでいないとすぐにわかる。
この人達だって同じなはずなのに、まるで空気のように扱われていた。
とはいえ、ヒソヒソはされてるけどね。
なんだかすごくなつかしい。
僕も現世でこうされたことがあった気がした。
あれはどこだっけ?
武装した人達が集まる建物で、僕は笑われていた。
皆、僕より強かった。
――来たぜ、ゾンビ君
――ゴブリンキラーのご登場だ
――今日もゴブリンの討伐証明を引っ提げてやってきたってか?
あぁ、なつかしい。
あの頃の僕はあまりに弱かった。弱ければバカにされて蔑まれる。
僕はそういう場所に身を置いていたんだ。
この町はどうだろう?
誰かを蔑んだりするような人は住めないのかな?
「……ト様。ルト様?」
「え?」
「なんだかぼんやりとされてましたわ。どうかされましたか?」
「いや、ちょっと考え事をしていてさ。トルソーという人がどこにいるのか探そう。一応、餓鬼獄のおじいさんから名前を聞いちゃったからね」
気を取り直して、トルソーという人を探すことにした。
死者達に話しかけて聞いてみたけど、驚くほどフレンドリーでビックリする。
生前の人の良さもあるんだろうけど、ここの人達は焦らなくても確実に転生させてもらえるから余裕があるんだろうな。
僕が話しかけたおじさんは生前の行いがよかったおかげで、来世では生まれ先を選べるらしい。
そんなことを世間話の感覚で話してくれた。
他の層と違って人間獄は驚くほど優遇されている。
転生までの期間は人によって違うみたいで、次に話しかけた人は十年後らしい。
次はどんな人生がいいか。次こそは商売を成功させたい。
そんな話で花を咲かせているところを見ていると、僕がもし何もできずに死んだらどうなるんだろうと考える。
ゾンビと蔑まれたらしい僕は果たして善人かな?
それとも現状を打破できずに甘えた罪人とみなされるかな?
確かなのはもし僕が自暴自棄になって強盗でもやれば、確実に畜生獄行きだ。
「ルト様、トルソーという方の居場所がわかりましたわ」
「あ、あぁ、ありがとう」
僕が考え事をしているうちにアレイシアが交渉していたみたいだ。
トルソーは一部では有名な人で、悩みごと相談なんかにも乗っているらしい。
頼み事も断らず、率先して誰かの手助けをする。
その絵に描いたような善人はどこにでもいそうなごく普通の青年だ。
だけど住んでいる場所は集合住宅みたいな建物の一室だった。
善行を積んでいる人ほどいい家に住めるという話だけど、この人だけは少し事情が違うみたいだ。
軽く握手をしてからおじいさんのことを話すと、わかっていたかのようにため息をついた。
「昔から私にだけは苦労をかけないようにと、仕事に励んでいましたから……。しかしあの父が悪人なら私だってそうです」
「なぜそう思うの?」
「父が悪事に手を染めているのが薄々わかっていたからです。しかし当時の私は生活が苦しくて……父の金を当てにしていました。わかりますか? 汚れたお金で生かされたんですよ、私は……」
「それは確かにそうだね。トルソーさんが餓鬼獄や畜生獄に落とされないのはおかしな話だ」
「ル、ルト様。それは言いすぎでは……」
僕がハッキリそう言うと、アレイシアが止めてきた。
僕も少し言い過ぎたかなとは思う。
でもそれはトルソーさんが一番わかっていることだ。
だからこそこの人は死んでからも善行をやめなかった。
何かに言い訳するように、誰かに許されるように。
最期は何とも呆気ないものだったらしい。
久しぶりに父親がトルソーさんを訪ねたところで、親子もろとも殺された。
父親を恨んだ人達に尾行されていたみたいで、命乞いむなしく人生の幕を閉じたと話してくれる。
父親は最後までトルソーさんだけは見逃してくれと懇願して庇ったそうだ。
「冥王様にお願いして、今からでも畜生獄でも餓鬼獄でも行かせてほしいんです。ですが私ごときが接触できるようなお方ではありません……」
「あなたはそのままでいいよ」
「そういうわけにはいかないでしょう。私は父の悪事を知った上で生きていたんですから……」
「今のあなたを必要としている人がいるでしょ」
「でも……」
トルソーさんがグチグチと言い始めたから、僕は片手に終の剣を出現させた。
突然のことでトルソーさんが軽く悲鳴をあげる。
「僕があなたを許す」
「き、君はいったい……」
トルソーさんが椅子から立ち上がって後ずさりする。
僕はトルソーさんから目を離さない。
「そこまで考えて後悔して反省できる人間が、あんなところに落ちていいはずがない。だから今はここでやれることをやれ」
「……はい」
トルソーさんが床に膝をついた。
僕は終の剣を消してから、改めてトルソーさんの前でかがんで目線を合わせる。
次期冥王の僕が許すと言ってるんだ。
今の冥王を褒める点があるとすれば、この人を人間獄にとどめた点だ。
死んでも尚、後悔して涙を流せるほど人の心がある。
だから僕はトルソーさんを許した。
「あなたは報われるべき人だ。だけど今は泣いていい」
「すみません……父の分まで……来世も生きたいと思います……!」
トルソーさんが僕の手を握って、そう誓う。
それから嗚咽を漏らしていつまでも泣いていた。
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