畜生獄
餓鬼獄の上にあるのが畜生獄。
ここは犬や猫といった動物や魔物のための層だと聞いている。
人間と動物や魔物では魂の位が違うらしく、死後は一緒の階層へ落ちることができない。
だからここにいるのはすべてが動物や魔物だ。
獣臭が充満するこの階層では動物や魔物同士が争っている。
小さい動物は大きい動物に、大きい動物はより大きい動物に。
動物は魔物に襲われて食べられる。
死んでも自然界の生態系の中に放り込まれるのはなんとも不憫だ。
例えばいい人間に育てられた動物なんかも、ここへ落とされることになる。
一面が森や川で埋め尽くされていて、遠くには大草原が見える。
人工物がまったく見当たらない。
そんな畜生獄を歩く僕を襲う動物や魔物はいなかった。
好戦的な動物や魔物は唸り声をあげつつ、最後には逃げてしまう。
動物や魔物は人間以上に何が恐ろしいのかを敏感に感じ取っているみたいだ。
ましてやここに落ちた時点で、死の恐怖を経験している。
魂だけとはいえ、もう一度死の恐怖を味わうというのはさすがに嫌みたい。
ここにいる魔物なんてタルタロスの亡者に比べたらかわいいものだ。
思わず撫でてしまいたくなる。
「きゃんきゃん!」
「かわいいですねぇ、よしよし」
「にゃぁーん……ゴロゴロゴロ……」
「よーしよしよしよしよし」
なぜか僕やアレイシアは動物になつかれている。
人間より動物のほうが本質を見抜いているみたいだ。
僕は動物をいじめたことはないし、どっちかというと好きなほうだからね。
「あんなにかわいい犬や猫と凶暴な魔物が一緒の階層なんてちょっとおかしいよなぁ」
「ルト様。これが死の世界ですわ。人間は死んだ後に安らぎが待っていると考えていますが、死の先にも終わりはありませんの」
「あの犬や猫が何をしたというんだ。人でもかみ殺したのかな? ここの獄主は何を考えているんだか」
「ここの獄主は犬神バンデーヌ、巨大な犬の姿をした怪物ですわ。バンデーヌに噛まれたり食べられた動物は来世で枷をつけられて生まれてしまうと言われてますの。バンデーヌは狩りが大好き……。ここの動物達は極悪なバンデーヌから逃げ回りながら、転生を待つのです……」
「枷ってつまり病気とか?」
「体の一部が不自由であったり、悲惨な境遇で生まれてしまいますわ」
グラトニー以上にどうしようもない奴みたいだ。
これも少し挨拶をしていく必要があるみたいだな。
「あ、あれは……」
「アレイシア、どうしたの?」
「あの黒い影のような魔獣……どこかで見たような……」
アレイシアが指した先にいたのは、黒く揺らめく影をまとった魔物だった。
襲いかかってくることもなく、こちらをジッと見つめている。
その傍らには魔獣の子どもがいた。子どもがよたよたと近づいてくる。
「クゥ~~~……」
「……あなたを知ってますわ」
「クゥ~~」
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
アレイシアが子どもを抱きしめた。大粒の涙をこぼしていつまでも。
親と思われる魔物はその間も動かない。
これはもしかしてアレイシアが――
「うぉーーーん!」
「わんわん!」
動物たちが突然、吠えて一斉に逃げ出した。あの魔物の親子ですら逃げてしまう。
辺りからすべての動物達がいなくなった時、遠くから巨大な何かがやってくる。
それは二足歩行の大きな犬だ。舌を出して、目つきは垂れ目でなんとなく嫌らしい。
グラトニーと同じくらいの大きさで、犬のくせに人間みたいな仕草で歩いてきた。
「ヘアッヘァッヘァッ! 今日も逃げろ逃げろォ! チクショウめ! オレ様から逃げ切ればい~い来世を送れるぞ!」
こいつが犬神バンデーヌか。
見た限りではグラトニーと本質は変わらないみたいだ。
自分より弱い相手に威張り散らすことしかできない支配者ごっこをしている畜生風情。
そんな感想しか出てこない。
「犬神バンデーヌ。どこかの国で生贄や呪いの儀式として捧げられた犬の怨念の集合体が実体化していつしか祟り神として恐れられるようになったものですわ」
「じゃあ、あいつも亡者と似たようなものじゃん。たまたま神に分類されているだけだよ」
僕達に気づいたバンデーヌが鼻をひくひくとさせて、わざとらしく顔を近づけてきた。
ニィっと笑って、いかにも自分が優位であることを疑わない様子だ。
「おやおやおやぁ? まーだ畜生化していないチクショウがいたなぁ? てめぇどんなチクショウな罪で落とされた?」
「そうか。元人間もいるんだっけ」
「そうだぞぉ! 例えば生前、人間を含めた狩りが趣味だった貴族のバカ人間は今やここで豚になって毎日が恐怖の連続さ! 自分が狩られる気分を存分に味わってるだろうよぉ! チクショウだよなぁ!」
「……そいつとタルタロスの亡者、何が違うんだか」
100人以上殺した連続殺人犯と狩りが趣味の貴族。
僕からすればどっちも同じだ。
だけど前者はタルタロスに落ちて、後者は姿形こそ変えられても自我を保ったまま逃げるという意思が持てる。
果たしてどっちがマシなんだろうな。
「くんくん……てめぇら、妙な匂いがしやがるなぁ? 生きている奴とも死んでる奴とも違う……はっ!? まさかてめぇらが冥王様が言ってたチクショウか!」
「犬らしく冥王の言いつけを守って僕達をどうにかする?」
「ヘァッヘァッヘァッ! こいつは運がいい! グラトニーの豚じゃ力不足だったみてぇだな! しょせんは格落ちの堕神! 冥王様! こいつらはこのバンデーヌが噛み殺してやりますぁ!」
「忠犬だね。お利口だ」
僕の挑発でバンデーヌが大口を開けて噛みにかかる。
回避すると地面ごと食われて歯形ができていた。
それでもバンデーヌは咀嚼して飲み込む。
「か、かわしやがっただとぉ!? チクショウめ!」
「グラトニーよりは速いけど、もしかしてお前の能力って噛むだけ?」
「だったらどうしたぁ!」
バンデーヌが噛む、噛む、噛む。
頭を器用に動かしてあらゆる角度で噛もうとしてくるけど、あくびが出る速さだ。
最低でもバルロイの剣速くらいはあるかと思ったけど、これが獄主の実力なのか。
「ばくんっ! んがっ! まーた外したかぁ! チクショウめ!」
「お前さ。グラトニーもそうなんだけど、普段から自分より弱い亡者をいじめているだけだから強くなれないんじゃないの?」
「んんんだとぉぉーーーー!?」
「お前がバカにしていた貴族と同じだよ。弱い相手を殺す分には気持ちよくなれるけど、強い相手と戦ったらこれだ」
危機がなければ自衛なんて必要ない。
攻撃手段や手数を増やす必要がない。
ちょっと当てられないからって、焦って余計に攻撃に無駄が生じている。
まだ始まって一分くらいなのに。
焦るのはせめて二日以上、ぶっ続けで戦ってからでも遅くはない。
「はっ……はっ……はっ……ク、クソォ……」
「飼い主の冥王の言いつけは守れそうにないね」
「食い殺す!」
バンデーヌが襲いかかった時、牙を掴んで止める。
大口を閉じられなくなったバンデーヌはようやく状況を認識したみたいだ。
後退して離れようにも、僕がガッチリと牙を掴んだせいで身動きが取れない。
「あが、あがががが……」
「噛めばなんとかなると思ったかもしれないけどさ。鍛えが足りてないよ」
「あがっ、が、がーへえじでくへぇ……」
「終の剣」
鋭く伸びた闇の刃がバンデーヌの口内をぶっ刺した。
串刺しになったバンデーヌは奇声を上げて、びくびくと痙攣する。
牙を離してやると転げまわった挙句、腹を見せてきた。
「いでぇぇ! こ、降参するよぉ! 勘弁してくれよぉ! くぅんくぅん!」
「すごい犬っぽい……」
「人間が憎かっただけなんだぁ! オレを殺して道具にしやがって! くぅーーん!」
「じゃあ、もう二度と狩りとかするなよ。動物にされて弱者の立場をわからせただけで十分な罰だからね」
「は、はいいぃぃ!」
終の剣は犬神の心すらもへし折った。
心の弱さを吐露したのがその証拠だ。
終の剣は物理的な威力よりも、こういう本質的な部分で気に入っている。
バンデーヌは大怪我を負いながらも、僕の足元に這いつくばって忠誠を示していた。
「それで冥王はこの先にいるんだよね?」
「はい! そりゃもう! 上の層は修羅獄! 戦神スサノオウとかいういけ好かねぇ野郎が支配している腐れたところですよ! そこを越えれば人間獄! 冥王のバカクソはそこでぬくぬくとしてますぜ!」
「変わり身すごくない?」
「ぼっちゃんの強さが身に染みてわかりましたからねぇ! ぼっちゃんに比べたら冥王なんてザコですよ!」
バンデーヌが尻尾を振って揉み手までしている。
そんな人間みたいな仕草をしてまで助かりたいのか。
元々殺すつもりはなかったけどさ。
それよりも冥王の悪口なんて言って大丈夫かな?
グラトニーの時は重い声を響かせていたのに今はおとなしい。
様子見ってところかもしれない。
何せ相手は死の世界を統治する最高神。
僕ごとき何の脅威とも思ってないだろう。
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