餓鬼獄
「んだら、おめぇら。なにしてるだが」
現れたのは丸々と太った灰色の巨人だ。
餓鬼獄の亡者とは正反対の体型のこいつが獄主かな?
昔、こいつに追いかけられたことがあったっけ。
あの時の僕はこれの何が恐ろしかったんだ?
大きさにしても、せいぜい大人が十人分程度。
たっぷりとした肉で横幅が広がっているだけで、何の圧も感じない。
だけど亡者達は歓喜して、餓鬼獄の獄主の登場を喜んでいる。
これが準神? 冗談でしょ?
でもアレイシアが冗談を言うとも思えないし、見かけによらず強いのかな?
「獄主様」
「これでお終いだ」
「出られねぇ」
「餓鬼になる」
短い言葉をひたすら繰り返した亡者達が切断された上半身のまま、獄主のところに集まる。
獄主からは支配者というほどの風格がない。
強者にすがりつく小さい亡者達を束ねたところで何の凄みがないというのが僕の感想だ。
タルタロスの亡者と比べたら、この亡者達の罪はあまりに軽い。
見た目もみすぼらしく、大罪を犯した亡者に比べたら情念が感じられなかった。
亡者が持つ情念、それはありきたりな言い方をすれば怨念の強さといってもいい。
罪の重さに恥じない醜悪な容姿、受ける苦痛。自らに与える罰。
タルタロスの亡者は亡者と呼ぶにはあまりにも大きかった。
言ってしまえば怨念の神だ。
今、ここにいる亡者達はきっとそこまで大きな罪を犯していないんだろう。
その証拠に自分達はいつか転生させてもらえると希望を抱いている。
あそこにいる巨人に媚びを売れば、もしかしたらと思えるだけの場所だ。
タルタロスの亡者は希望なんて抱いていない。
闇の瘴気に取り込まれた後は自らの心の闇を掘り起こされて、異形と成り果てる。
転生できるという希望なんてすぐに抱けなくなるのだから。
「この餓鬼どもがぁぁッ!」
「うぶぁぁ!」
「ぐびぃッ!」
獄主が手に持っている棍棒を振り下ろして、亡者達に叩きつけた。
原形をとどめないほどグシャグシャにされて、地面と棍棒に肉片と血がこべりついている。
目を見開いて鼻息を荒くする様はなんともみっともない。
「グダグダとォ! おめぇらァ! オラがなしじゃ、なーんもできねぇが! 死んでも役立たずで価値がねぇ! だがら人間獄から外されただがぁ!」
「ご、ごくしゅさまぁ」
「人間獄いかしてくだぜぇ……。ワシの息子がおるはずだ、どうか、どうか」
懇願する残った亡者達を獄主がまた叩き潰す。
何をあんなに怒っているのかさっぱり理解できない。
普通に考えて、あの亡者達じゃ僕をどうにかできるはずがないのはわかるはずだ。
それにどうしても遂行させたいなら、何度でもやらせるべきだ。
一度の失敗で怒り散らかすなんて気が短すぎる。
最低でもまずは百回以上かな。
それはそうと、息子が人間獄にいるという老人の亡者に近づいた。
亡者だけに潰された体は復元されつつあるけど、苦痛は受けるみたいだ。
涙を流しながら、手足をぴくぴくと動かしている。
「おじいさんは何をやってここに落とされたの?」
「ひ、人をだまして、商売で、稼いで……金のことばかり考えて……。生活費を、か、稼ぐためとはいえ……悪いことをした……せめて、息子は……息子は……」
「息子は死んだの? なんで?」
「ワシを、う、恨んだ連中の手によって、殺された……息子は悪くない、絶対に人間獄に……う、ううぅっ……」
なるほど、誰がどう見ても悪人だ。
ただタルタロスでやばい亡者を見てきているから、こんなのすらかわいいものと思えてしまう。
具体的にはわからないけど、この人に金を騙し取られて自死を選んだ人がいるかもしれない。
だとしたら、許されちゃいけない。
ただこの人の家族を思う気持ちだけは踏みにじる気になれなかった。
「人間獄にいったら確認してみるよ。息子の名前は?」
「トルソー……ぐぎゃぁッ!」
まだ話の途中なのに獄主がおじいさんを潰した。
僕はゆっくりと頭を上げる。
「んだが、グッダグッダとうっせぇだがぁぁーーーー!」
「人が話してるのにさぁ。うるさいのはどっちだよ、デブ。なんでこんなバカが獄主なんかやらせてもらえてるんだ」
「お、おめぇ、オラ、バカって、い、言ったなぁ……暴食神の、グラトニー様に向かって……」
「準神なんだっけ?」
「んがあァーーーー!」
グラトニーが僕に棍棒を振り下ろした。
思わず僕は自分の目を疑ってしまう。
棍棒が僕に直撃するまで、あまりに遅すぎたからだ。
なんだ、これ? そういう攻撃なのか?
何か特殊な効果でもあるのか?
そんなことを考えるうちに棍棒が僕に直撃。
頭にぶつかった棍棒に亀裂が入って、メキメキと音を立てて割れてしまった。
さすがに今のが攻撃なわけないか。
と、思いたいけどグラトニーの様子を見る限り、どうも攻撃みたいだ。
「あ、あ、な、なして……」
「叩き潰せるのは自分より弱い亡者だけ? さすがに今のは小手調べってところだとは思うけど……」
「んんんんダガガガガァーーーーー!」
訳の分からない奇声を発しながら、グラトニーは拳を連打した。
一発の威力で地震を引き起こすほどで、風圧だけで亡者達が集っていた建物の残骸が吹き飛ぶ。
痛めつけられた地面が円形の跡だらけになっていく。
この地震、なんだか覚えがあるな。
でもなんだろう。思い出せない。
それはそうと、これが準神か。
アレイシアには悪いけど、せいぜいタルタロスの亡者と比べても中堅というところだ。
餓鬼獄の支配を任されているはずなのに、タルタロスの亡者より弱いというのが腑に落ちない。
こうして考えている間も地面が破壊されていくけど、僕は防御すらしていなかった。
さっきから暴れまくってるけど、まさかこれで手の内が出尽くしたってこと?
「う、うううぁぁ……な、なんで、お、おめぇ、何者んだがぁ……!」
「僕を追いかけてきた時はそれはそれはもう恐ろしかったんだけどな……」
「……お、おめ、まさか……タ、タルタロスに落ちた……」
「おかげで鍛えられたよ」
そう言うとグラトニーは後ずさって尻餅をついた。
巨体のせいでずしんと大きな音が鳴る。
「タ、タタタ、タルタロスから、ひ、ひっ、ひいぃぃーーーーー! だ、だずげでぇ! やめてくれぇ!」
「えぇ?」
「め、冥王様ァーーー! 冥王様ァーーーー!」
「そんな大げさな……」
グラトニーが上を向いて叫ぶ。
あまりの豹変ぶりに演技かと思うほどだ。
だけど――
――グラトニー、グラトニーよ
「冥王様だぁ!」
空間全体に浸透しているかのような低く重い声が響く。
――悪戯に亡者を痛めつけることは餓鬼獄の本分ではない
「ひっ! ああ、すすす、すみませんんんーーーー!」
――準神といえど、所詮は堕ちた神。これ以上の過ちは罪とみなして、無限地獄へと堕ちてもらうことになる。
「いいい、いやだがぁーーーー! それだけはご勘弁をォォーーーー!」
――さて……そこの人間。
冥王の矛先が僕へと向いた。
重くのしかかるような声だけど、負けじと立つ。
――無間地獄での悠久の時を経て、凄まじき異体が誕生したものよ。何を望む?
「お前に代わって僕が冥王になる」
――何故そうする必要がある?
「お前に任せたくないからだよ」
僕の答えにどんな反応をするかと思ったけど、冥王は黙ってしまった。
まさか恐れているわけじゃないだろう。
強者が倫理や罪を決めるというのがこの世界の理なら、それに従うだけだ。
現に冥王といえど、強者という概念からは逃げられない。
グラトニーは冥王だから恐れているんじゃない。強者という概念に怯えているだけだ。
――ならば畜生獄、修羅獄を越えて余がいる人間獄へと来るがいい
それが挑戦状なのか、はたまた無謀な弱者への嘲りか。
いずれにせよそのつもりだ。
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