救済の戦い
滅びの女神アレイシアは泣いていた。
ただしその涙がドス黒い。目から血を流すその少女は異形と呼べる風貌だった。
全身が茨や鎖に覆われていて髪や肌、目すら灰色。
背中から生えた天使の翼は片翼だ。
痛々しい見た目だけど、その強さは僕を凌駕する。
闇の魔法ごと打ち消されて、何度もタルタロスの遥か彼方に飛ばされた。
その度に僕は滅びの女神のところへ行く。
道中で亡者と戦い、強くなって女神の前に立つ。
だけど何度やっても結果は同じだ。
滅びの女神の力は少し強くなった程度の僕じゃまったく及ばない。
そうこうしているうちに気がつけば100年ほど経っていた。
「我は現世で奴に敗れてここにいる。その時の力は今の貴様以上だった」
魔神が丁寧に絶望的な事実を教えてくれる。
それを聞いて僕は落ち込むどころか、より奮起した。
実を言うと僕は少しだけ退屈していたんだ。
ゾンビと蔑まれた僕がたかが20000年修行したくらいで頂点に立てるタルタロスにガッカリしていた。
無間地獄はたかがゾンビが徘徊できるほど層は薄くない。
久しぶりに味わう無力感がなぜか活力に変換されるのを感じる。
これが忘れかけていた忍耐のスキルだ。
現世にいた僕が生き続けてこられたのは、無意識のうちに快感を得ていたからかもしれない。
どれだけ弱くても痛めつけられても、心の底では笑っていた。
20000年も経ったというのに、おぼろげながらそういうことは覚えている。
今よりずっと弱くてちっぽけだったのに生きることをやめない。
今も僕はそうしている。
それとアレイシアのことは皆から少しずつ聞いていった。
聖女としてあり続けた一方で、滅びの女神となってしまったアレイシア。
断片的な情報を繋ぎ合わせると、おおよその事情は見えてくる。
さすが皆、伊達に昔を生きていない。
最初は驚いたと同時にやっぱりなとも思った。
前に連合軍を率いていたアレイシアの幻影を見た時にはあまりに完璧すぎると思ったからだ。
気丈に振る舞って帝国を追い詰めて勝利をもたらす。
常に完璧であり続けるなんて出来るんだろうか?
そんなかすかな想いがあった。
だったらアレイシアが魔獣に魂を売ったという話のほうがまだ真実味がある。
実際は討伐しそこねたか、別の個体がいたと思っているけど。
そんなことを考えながら今回も敗北した。
「ルト様、もうお止めくだされ……あれは単純な力でどうこうできる存在ではありませんぞ」
「ありがとう、ギルバイン。でもやめたくないんだ」
皆が時々心配してくれるけど、やってることは今までと変わらない。
女神アレイシアに吹っ飛ばされること200年、段々と距離が縮まっているのを感じていた。
意外と早く戻ってきた僕にアレイシアがかすかに口元をぴくりとさせたのを見逃さない。
「……いつの間に」
「アレイシア、そろそろ手加減できなくなっているよ。わかるでしょ」
やろうと思えば僕をもっと凄惨な状態に追い込めたはずだ。
だけどアレイシアは近づくなとばかりに僕を吹っ飛ばすだけだった。
すべてを拒絶しているけど、傷つけるつもりはない。まるでそんな風に感じた。
この戦いも結局、最後は吹っ飛ばされて終わる。
それから500年が経過して、ついにアレイシアに僕の攻撃を回避させることに成功した。
亡者であるはずの彼女が思わずそうしてしまったほどの攻撃だ。
亡者が命の危機を感じるはずがない。
だけどアレイシアは初めて僕を見た。
灰色の目が血走って、片手に膨大な魔力が集まる。
これだけで気を失いそうになるほどの魔力量だ。
「しつこいッ!」
アレイシアの全力の一撃を僕は受け止めた。
相変わらず超魔法耐性があるあずなのに、体に深々とダメージを感じる。
【耐性無効】のスキルか何かを持っているとしか考えられなかった。
血を吐きながらも、アレイシアから目を離さない。
アレイシアはそれなりに全力で戦ったと思う。
最初は手も足も出なかった僕がアレイシアを相手に戦えていた。
戦いは数ヵ月にも及んだけど、先に僕のほうが力尽きる。
動けなくなった僕にアレイシアは止めを刺さなかった。
アレイシアは僕の終の剣を受け続けたんだ。
その影響で、自分の心の弱さと向き合わざるを得ない。
そのせいで僕に負けず劣らず全身が傷だらけのアレイシアが、立ち上がれなかった。
「なぜ、そこまで……」
「楽しいから」
「たの、しい……?」
「何かをするってことは楽しいんだよ」
僕はそれだけ言って傷が癒えた後、立ち去った。
アレイシアは追撃をせずに座り込んだままだ。
それからも僕はアレイシアに挑み続けた。
100年、200年、300年。
戦いの期間も少しずつ短くなる。
数ヵ月続いた戦いが一ヵ月程度になって、僕がアレイシアを圧倒し始めた。
今ではアレイシアが膝をついて、僕が立っている。
「う、うぅっ……このわたくしが……」
「あれ、なんか喋り方が……」
「人間ごときに、なぜ……。わたくしは滅びの女神と呼ばれた災厄……。人々の平和を、お、お……ああぁぁ! あ、頭がぁぁ……!」
「ど、どうしたんだろ」
アレイシアが突然、苦しみだした。
何か手を貸そうと思った僕をギルバインが止める。
「聖女として生きていた自分、滅びの女神としての自分……。彼女はどちらが本当の自分か、わからなくなっておるのでしょう。ワシも似たようなものでしたからな」
「終の剣の悪いところが出ちゃったかもしれないな……」
「負けることなど許されず、常に圧勝を求められたのが彼女です。それが今、ルト様によって崩されつつある……。そうなると彼女は自分というものを見失うかもしれません」
「しょうがないな。だったらそれが見つかるまで僕が相手になるよ」
「そ、それは……」
悩んで苦しんでるということは裏を返せばアレイシアが自我を取り戻しつつある証拠だ。
だったら存分に苦しめばいい。
負けて存分に現実を知れば、嫌でも目が覚めるはずだ。
だから僕はこの場を立ち去った。
それからアレイシアに挑み続けること50年。
意外と短い期間だったけど、すでにアレイシアは僕に傷一つつけることすらできない。
自分よりも圧倒的な脅威が立ちはだかり、聖女としての自分と滅びの女神としての自分を信じられなくなっている。
どちらも完璧であり続けるしかなかった。
人々を守る自分、人々を滅ぼす自分。
どちらも遂行しなきゃいけなかった。
「わたくしは、アレイシア……。わたくしは……」
「そう、君はアレイシアだ。聖女でも滅びの女神でもない」
「ウプカ村で生まれて……両親に連れられて、聖女に……でも、わたくしは嫌だった……。聖女なんかより、村で暮らしたかった……」
「じゃあ、それが君なんだよ」
アレイシアが戦いをやめてから数日が経った。
アレイシアは次第にハッキリと言葉を発するようになる。
考えがまとならないような喋り方だったけど、今は僕の目を見た。
「わたくし、今まで……。なんだか心が落ち着きません。初めての気分ですわ……」
「それは悩んでいるからだよ。自分というものがあって初めて実感できるやつ。というか、そんな喋り方だったんだね」
「……嫌われないように、いつからかこう喋るようになっていた気がしますわ」
「でもこれからはそんなことしなくていい」
僕はアレイシアに手を差し伸べた。
アレイシアは座ったまま僕を見上げる。
「僕は現世に行く。一緒に生を謳歌しよう」
「生……でもわたくしはすでに死んだ身……」
「そんなものは僕が決める」
「え……?」
生きているか、死んでいるか。
肉体があるか、ないか。
肉体が必要か、そうでないか。
それはすべて誰かが決めたことだ。
絶対的な存在にその決定権があるなら、その立場に成り代わればいい。
「タルタロスを出て冥王に会う」
理というものがあるなら、僕が変えよう。
ただ僕がタルタロスに落ちてから二万年以上も経ってるし、現世がどうなってるかはわからないけどね。
それをアレイシアに言うと、とんでもない事実を聞かせてくれる。
「タルタロスは現世や他の層と違って、時間の流れが違いますの。現世での一日がタルタロスでは約五百年……。わたくしがタルタロスに落ちてから、どれだけ経ったか……」
つまり僕はタルタロスで二万年以上過ごしたけど、現世では二ヵ月も経ってない。
それは朗報だ。現世での二万年後なんてどうなっているか、想像もつかないからね。
ということはアレイシアがタルタロスで過ごした期間は二万年どころじゃない。
どれだけの間、あんなところに幽閉されていたのか。
アレイシアの横顔を見ても、想像がつかなかった。
すべての決定権を得るために、タルタロスを登り始めた。
最下層から下層へ、かつて僕が最初に落ちた場所へ。
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