田所ケンジ
「お邪魔します」
八代とほぼ同時にそう口にして、折野家の玄関に足を踏み入れる。
「家族はいないのか?」
「放課後は家族は出払ってます。7時くらいまで誰も帰って来ませんよ」
靴を脱ぎながら、マミが説明する。家族がいないなら、作戦会議も捗ることだろう。
「襟人さんは誰か一緒に暮らしてる人いますか?」
「いや、一人暮らしだ」
「そうなんですね! じゃあ次は襟人さんちに行きましょうよ! どんなところかわたし気になります」
マミのはしゃいだ様子を目の当たりにして、胸が針で刺されたように痛んだ。
八代の自宅へ招かれるマミや、机を挟んで言葉を交わす二人を想像したのだ。脳裏に浮かんできたその光景は、無性に私の心をかきむしった。
こんな感覚、初めてだ。
「俺んちの周りは、治安悪いから来るべきじゃないぞ」
八代がピシャリと断ったのを見て、私は安堵した。そして騒がしいほどの心情の変化に、うろたえた。
私は一体どうしたのだろう。マミと八代の他愛ないやり取りに、これほど心を乱されるなんて……。
もちろん今までだって、いい気はしなかった。けれど日増しに不快感が膨れていっている気がする。いつか爆発するんじゃないか、と思うほどに。その時私は、どうなってしまうんだろう……。そこまで考えて、慌てて意識を現実に引き戻す。
何だかわからないことに気を取られないようにしなくては。これから大事な話し合いなのだから。
集中しないと。
通されたリビングのソファーの上で、私はピンと背筋を伸ばした。
「じゃあ本題に入ろうと思います。ケンちゃんをどうやって調べるかですけど――」
「ちょっと待って。ケンちゃんのフルネームは何て言うの?」
マミの発言を遮り、昨日から気になっていたことを尋ねる。
「あ、そういえば言ってなかったか。田所ケンジだよ」
「田所ケンジ、ね。わかった。話の腰を折ってごめん。続けて」
「うん。それでケンちゃんに会うには、中学の同級生に連絡して、訊いてみるしかないなって」
「それが妥当な方法だろうな」
八代が深く頷く。私も首を縦に動かして同意を示す。
「中学の同級生で今でも仲良い人はいるの?」
「それが問題でね、今でも交流してる子がいないの。ゼロだよ。SNSを当たれば同級生が見つかるかもしれないけど……生憎わたし高校生のうちは、そういうの禁止だって親から言われてるんだよね。アカウントすら持てない」
ため息を吐いて、肩をすくめるマミ。
「田所がどこの高校に行ったとかも知らない?」
「志望校は聞いたことあるけど……結局その高校に行ったのかはわからないよ。落ちたかもだし、やっぱ違う学校にしたのかも」
「でも他に当てがないなら、田所が志望してたっていう高校をあたるしかないだろ」
「そうですよね。ケンちゃんの第一志望の高校は、S高校です」
「二駅先にあるところか」
比較的近い場所で良かった。無駄足に終わらないことを祈る。
そんな私の思いが通じたのか、
「スムーズにいくと良いな」
隣に座る八代が、私と目を合わせるように、顔を覗き込んで言う。
「うん。早く解決したいもんだよ」
彼に微笑みかけて、心からの願いを口に出す。
「そうですね。空振りに終わらないことを祈ります!」
マミがスッと立ち上がり、片手を天に突き上げる。
「頑張りましょう!」
えいえいおー! と快活に振る舞うマミに、少しは乗っておこうと、控えめな声で、「おー……」と返す。
八代も右の拳を軽く持ち上げ応える。マミのガッツポーズに倣ってのものらしい。
「もっと元気よくいきましょうよ~」
不満げなマミの声を鬱陶しく聞き流しながら、早く八代と帰り道を歩きたいな、と思う。
マミと一緒にいるのは、疲れる。今後も朝と夕方には、必ず会う生活が続くのか……。
一日目にして、憂鬱で心に暗雲が拡がる。癒しがないとやっていけない。
八代との時間が、私にとってこの上ない癒しだということは、すでにはっきりと気付いていた。
私はその事実に、正体不明の気恥ずかしさを覚えていた。
大切な友人と過ごす時間は、癒されて当然だというのに。何を恥じらう必要があるのか。
わからないことは知りたいと思う質なのに、これに関しては気付いてはいけない、と脳が言っている気がする。
だから今日も無視し続けることにした。




