過去へ
***
「……だからね今日学校行けないの。ごめんね悠ちゃん」
「……え?」
私は間抜けな声を出す。意味がわからない。なぜって私は、実にしっかりと立っていた。
さっきまで体のどこも動かせないような状態で、死を覚悟していたはずだったのに。
「どうしたの?」
私が呆然としていると、向かい合っている人物が問いかけてきた。反射的にうつむいていた顔を上げる。
そこには美少女がいた。様子がおかしい私のことを眉を八の字にして、大きな瞳でじっと見つめている。
高校生くらいに見える。しかし私の知り合いにそれくらいの年齢の子はいないはず。
いや、というかこの子!
「幸?」
高校時代のクラスメイトの薄井幸にそっくりだ。在学中に転落事故で帰らぬ人となってしまった私の親友。
「なんで幸がいるの? というかここどこ? あっ、幸に会えてるってことは死後の世界……? やっぱ死んだの私?」
「ねえ本当にどうしたの? 大丈夫?」
幸のそっくりさんが、ますます心配そうに質問してくる。
そこで私は自分の服装がおかしいことに気付いた。
さっきまで白いブラウスに黒いジャケットとスカートの社会人スタイルだったのになぜか今は、夏物の学生服――もっと詳しく言えばセーラー服を着ていた。それからスクールバッグを肩から提げていて、完全に夏の学生の装いだった。
この制服は、私が通っていた高校のものだ。幸そっくりの少女も同じ制服を着ていた。
周りを見渡してみる。きれいに整えられた花壇と白いガーデンベンチがあって、自分が庭にいることがわかった。
ずいぶん広い庭で、上に視線を伸ばすと家もかなり大きいことがわかった。自宅というか屋敷である。
この庭も屋敷も見覚えがある。間違いなく幸の家だ。じゃあひょっとしたら私は――!
スクールバッグの中を漁って手鏡を見つけ出し、目の前に持ってくる。
映っているのは当然私だったけど、なんだか若い。高校生くらいの見た目だった。
予感が確信へと変わっていく。最後の確認のため、幸のそっくりさんに問いかけた。
「今って何年何月何日?」
「えっと……今は2014年の6月1日だよ」
ほら、と携帯を見せられた。言葉通り2014年6月1日と表示されていた。
間違いなく目の前の人物は薄井幸であり、私たちは高校1年生だ。
「じゃあ私はリビングにいるから……。何かあったら呼んでね」
「うん。ありがとう」
私があの後、「熱中症っぽいから帰る」と言うと、幸がこう切り出した。
「じゃあうちで少し休んでいって。悠ちゃんの家けっこう離れてるでしょ?」
私の実家と幸の家は徒歩20分くらい離れている。
幸がどうにも心配そうにするので、お言葉に甘えて幸の家の客間で、休ませてもらうことになった。
一人になった私は、バッグの中を確認する。教科書とノートが入っており、そのどれにも私の名前が書いてあった。1―4とも書いてあり、そういえば高1のとき4組だったな~、と懐かしい気持ちになる。
どうやら私は過去にいるらしい。ここは私がいた時代より8年前の世界だ。高校1年生の私の体に、24歳まで生きた私の精神が入り込んでいる。
タイムリープ作品を読んだことはあるが、自分が体験することになるとは。ちなみに夢の中でないことは確認済みだ。鏡を見た直後に、腕やら頬やらをつねってみて、ちゃんと痛かった。
何はともあれ私は生きてる。もう助からないと諦めていたので、この状況は嬉しい。
もしや神様が私に同情して、楽しかった時期に戻してくれたのではないか。
ならば私はこの時代からやり直して、あのうざい上司がいる会社に入ることをやめよう。
そしてもっと明るい通りのアパートに住もう。八代のような犯罪者に出くわさないように。
他にもやり直したいことはある。
幸の死を回避しなければ。絶対に転落事故を防ぐ。
幸が、学校の4階から落ちて死んだあの事故を。
そうだ。学校に休みの連絡を入れなくては。スカートのポケットに携帯が入っていたので、登録してあった学校の番号へかける。
「すいません1年4組の若葉です。体調が悪いので休みます」
「あら、若葉さんも? ちょっと前に薄井さんからも休みますってきたのよ」
電話に出たのは私と幸のクラスの担任だった。
「熱中症かしら? 突然暑くなったものねぇ。2人ともお大事にね」
「はい」
通話を切って、ふと思い出す。
高1の夏休みに入る前に、幸が腕に包帯を巻いて登校してきたことがあった。
「今日お姉に、宅配来るから受け取って、って頼まれたの。……だからね今日学校行けないの。ごめんね悠ちゃん」
幸には姉がいるらしい。あまり家にいないようで、私が見たことは一度もない。
いつも通り幸の家に迎えに来て、一緒に登校しようと思うと、幸にそう言われた。私に連絡しなきゃと思ったときに、ちょうど迎えに来たみたいだった。
その翌日だった。
迎えに来た幸の左腕に、包帯が巻かれていたのは。
「階段を降りてるときにすべっちゃって……でもそんなにひどくないし、他に怪我はしてないから大丈夫だよ」
本当に軽傷のようだった。骨折もしていないようだし、特に不自由そうにもしていなかったので、私も一通り心配した後は、すぐに日常感覚に戻っていった。
幸に、『今日は階段に気をつけて』と忠告しておこう。
ピンポーン。
インターホンの音が家に響いた。
「はーい」
リビングから幸の返事と、部屋から出ていく音が聞こえてきた。宅配便が来たのだろう。
私は、自分がどのような高校生だっただろうと、記憶を掘り起こす。
学校では、やはり幸と行動を共にすることが多かったが、別に他のクラスメイトと仲が良くなかったわけでもない。
服装検査の時期に、廊下で自分の番が来るのを待っているときにも、出席番号の近い子とお喋りしていたし、体育のグループ決めもいつもすんなり決まっていた。
特別人気があったわけでもないが、嫌われることもなかったように思う。
嫌われることが多かったのは幸だった。
肩まで伸ばしたツヤツヤの黒髪。真っ黒な髪でより白く見える、ニキビとは無縁そうな綺麗な肌。ぱっちりした二重。
幸は、間違いなく学校で一番可愛かった。
それゆえに嫉妬の目で見られることもあった。
幸は人見知りで、必要最低限しかクラスメイトと関わろうとしなかった。そうして女子たちの中には陰で、
「なんか性格悪そう」
「可愛い子とか性格いいわけないじゃん」
などと、一度も話したことがないのに悪し様に言う輩がいた。
幸もそれに気付いていた。私は、「辛いと思ったらいつでも話して」と伝えたけれど、幸はこう言った。
「私ね、中学のときが酷すぎたから今はわりと満足してるの」
幸とは高校に入ってから知り合ったので、私はそれ以前のことを知らない。
「だから一部の人が私のいない場所で陰口言ってるくらいで、平和に過ごせるならすごくいいと思ってるよ」
幸が安心したようにはにかんだ。
幸がそう言うなら、私が口出しする必要はないと結論付けて、話は終わった。
その話をしたのは、私たちが知り合ってから数週間ほどのことだ。
それがきっかけ――なのかはわからないが、それから幸とは、さらに仲良くなっていった。
「イヤッーー!」
突然聞こえてきた悲鳴に、私の意識は現実へと戻される。
幸の叫びの直後に、何かが割れるような音がして、これはただ事ではない、と血相を変え、部屋から飛び出す。
「幸! 大丈夫?! 何が……」
あったの、と続けようとして言葉を失う。
玄関は、惨憺たる有り様だった。
飾ってあった観葉植物が倒れて、きれいに掃除されていたのに、土だらけになっている。
土に混ざって白い破片が見えた。靴入れの上にあった花瓶だった。それと共に赤いシミもポツポツと――。
慌てて幸を見る。
幸は座り込み、左腕を押さえていた。押さえている箇所から血が滴り落ちている。
そして開け放たれている玄関扉をじっと見つめていた。
どうやら呆然としているらしい。私が来たことにも気付いていない。
幸に駆け寄って、目線が合うようにしゃがむ。
「幸!」
私が大声で呼びかけると、それまで心ここにあらずといった様子だった幸が、
「あ、うん」
と返事して、私を見上げてきた。
「大丈夫? 何があったの? いやそれよりも腕! 救急車呼んで――」
「待って悠ちゃん、そこまでじゃないから。病院は後で自分で行けるよ。それより誰か呼んで来なくちゃ……。エリちゃんが危ないかも」
幸が立ち上がろうとする。まだ血が垂れているというのに。
私は慌てて座らせる。
「まだ動いちゃダメ! エリちゃんって誰なの? 人なら私が――」
「あいつは逃げてった。もう大丈夫だ」
頭上から低く落ち着いた声が聞こえた。
私は、声の主を見上げる。
そこには、十代後半くらいの青年が佇んでいた。
背が高いその青年は、どことなく大人びた雰囲気をまとっている。スリムだが、しっかりした体つきと切れ長の鋭い目付きに、反射的に身体が強ばった。
しかし彼の先ほどの言葉でどうやら味方らしいと気付き、ホッとする。
この青年が、幸が気を揉んでいた“エリちゃん”なのだろう。
エリちゃんは、私のことを怪訝な表情で見ている。
それもそうだ。学生は登校している時間帯なのだから。
「エリちゃん無事? どこも怪我してない?」
幸が青年に話しかける。やはりこの人がエリちゃんらしい。
よく見ると青年の服装は乱れていた。乱闘でもしてきたかのように、シャツやズボンには、ところどころ土がついていたし、顔も少し汚れていた。
「ああ、俺は何ともねぇよ。少し汚れちまったけどな。それよりお前の方が重傷だろ」
そうだ、幸の手当てをしなければ。
「ねえ幸。応急処置したいから救急箱どこにあるか教えてくれる?」
「体調が悪い悠ちゃんにさせるわけにはいかないよ。大丈夫、悠ちゃんは休――」
「熱中症とか嘘だから。サボりたくなっただけ。だから私に任せて」
有無を言わせぬ口調で、幸の言葉を遮る。
休んでいる場合ではない。それほど酷い怪我でもないようだが、とにかく傷口を消毒した方がいい。
私の勢いに押されるようにして、幸は左腕を押さえながら、「こっちだよ」と、私を案内しようとする。
左腕――――。
私は、気付く。
『階段を降りてるときにすべった』と幸は学校を休んだ翌日に、私に伝えたけど――。
これが本当の理由だったんだ。
幸は、正直に話したら余計な心配をかけると思って、話さなかったのかもしれない。幸はいつもどこか遠慮がちな子だったから。
何があったのかちゃんと聞き出さないと。
幸は、救急箱のある部屋へ案内する前に、振り向いてエリちゃんに話しかけた。
「エリちゃん。良かったら洗濯機と浴室使って。けっこう汚れちゃったみたいだから……」
「じゃあありがたく使わせてもらう」
そう言うと彼は、外に出ていった。汚れを可能な限り落としてくるのだろう。
幸についていきながら、私は青年について考えていた。
幸とどんな関係なのだろう。それに――。
何だか同じような人を、最近見た気がする。
「ありがとう悠ちゃん」
包帯を巻き終えると、幸がペコリと頭を下げた。
「どういたしまして。あのさ……一体何が起こったの?」
さっきからずっと気になっていたことを切り出す。
幸は、「うーん……」と悩ましげにうなると、
「私もよくわからなくって……。何が何だか。あ、でも」
幸が、浴室の方へ視線を向ける。
「エリちゃんが来てから話すよ。同じことを聞きたがると思うから。あっ、エリちゃんのことまだ話してなかったよね?」
「うん。あの人って何なの?」
「家事代行を頼んでるの。今17歳なんだけど、通信制高校に通いながら、うちで働いてもらってるの」
幸の家へ遊びに行く度に、こんな広いと掃除が大変そうだなと思っていたが、なるほどそういう人を雇っていたのか。
「あだ名で呼ぶほど仲良いんだね。ていうかあだ名可愛すぎない? エリちゃんって聞くと、女子としか思えないよ」
「実はちっちゃい頃から一緒に遊んでたりしてたんだ。幼馴染みってやつだね。それからずっとエリちゃんで定着してる」
幸は、幼馴染みのエリちゃんについて話しているうちに、少し元気になってきたみたいだ。
「私も昔は気にならなかったけど、今のエリちゃんの姿とは、ギャップがありすぎる呼び方だと思う」
「まあ強面だったよね。彼」
「けどね悠ちゃん」
幸が、とっておきの耳寄り情報を教えるかのような雰囲気を、醸し出してくる。
「エリちゃんって優しくて面倒見良いんだよ。もうすっごい良い人なの」
「そっか。彼のこと、かなり信頼してるんだね。――ところでフルネームは何て言うの?」
名字と名前、どっちから着想を得て、あのキュートな呼び名をつけたのか。気になる。
幸は朗らかに笑って、教えてくれた。
「八代襟人だよ」
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