死んだのは
***
私が4階から落ちた日、マミちゃんからメッセージがきたの。
体操着を貸してほしい、って頼みだった。
こっそりと渡すために、先生が来ない踊り場で待ち合わせってことになって、私はマミちゃんが来るのを、待ってたんだけど……。
授業の時間が近づいてきても、なかなか姿を見せないから、次第に焦ってきた。そうこうしてるうちに、1組と2組の人たちが、どんどん移動教室に行って——私もそろそろ行かないと、って思って、諦めて踊り場を離れようとした時——。
「幸」
聞き慣れた声がして振り返ると、お姉がそこに立ってた。
なぜか制服を着て。
わけがわからなくて、思わず目をこすった。
「何でお姉が学校にいるの? その格好は、一体どうしたの」
「マミのを借りたの。——本人には黙ってだけど。何で学校に来たのかについては、幸。あんたに会いたかったからだよ」
「私に?」
忍び込むような真似をしてまで、どうして……。そう思ったけど、予鈴が鳴って、ハッとした。
「ごめん。私、授業にいかなきゃ。来てくれたとこ悪いけど、用があるなら、学校終わってからにして」
私が立ち去ろうとすると、「待って。大事な話なの」と切実な口調で、呼び止められた。
「大事な話?」
お姉がこんな行動を取ってまでしたい話って、何だろう。
「4階って今誰もいないんでしょ? こんな中途半端な場所じゃなくて、そっちに行こうよ」
お姉は、私が断るとも思ってない調子で、提案した。そんなお姉に、「無理だよ」と言う勇気は、出なかった。
「わかった。そうしようか」
4階へと上る階段を指差すと、お姉は満足そうに頷いた。
「それで、話って何なの? マミちゃんから制服を借りたってどういうこと? マミちゃんからメッセージが来たから、私はあそこにいたんだけど……」
4階に着くや否や、マミちゃんからのメッセージを、お姉に見せた。
そしたら――。
「ああ。それは私が打ったやつだよ。マミの携帯を、拝借してね」
さらりと言われて、開いた口が塞がらなかった。
呆気に取られている私を差し置いて、お姉はペラペラと喋り出した。
「ここに来る前に、マミの家に行ったの。マミを眠らせてから、メッセージを打って、制服を借りて――幸が待っている踊り場に来たってわけ」
「何で……何でそんなことを……」
とんでもないことを淡々と説明していくお姉が、怖くなってきて、私はだんだんと後ずさっていった。
お姉は、そんな私を追うように、足を一歩一歩進めていった。
そのうち、私の背中が固いものにぶち当たった。
行き止まりだ。いつの間にか、窓際に追い込まれてたんだ。
もう下がれなくなった私に、お姉がじりじりと距離を詰めてきた。
「何でそんなことを? って言ったね。せっかくだから、最後に教えてあげる」
お姉は口元を歪ませて、私の肩にポンと手を置いて、言い放った。
「あんたを殺すためだよ」
その言葉には、確かな殺気が含まれていて――逃げなきゃ、って瞬間的に思った。
けど、私がそう思ったのが伝わったように、肩にかかる力が、急速に強くなった。
「痛っ……!」
やめて、と言おうとして、息が止まった。
お姉が、今まで見たことのない鬼気迫る顔で、私を睨んでたから。
怖かったけど、それ以上に悲しかった。
最近お姉と、また昔みたいに仲良くなれた、って舞い上がってたのに、全部嘘だったんだって、その表情を見て、よくわかったから。
私は嫌われていたんだ。家族として見ていたのは、私だけだった。
そう認めた時、目の前の道が閉ざされるような感じがして、上手く息が吸えなくなった。
脱力した私を、お姉は素早い手付きで抱え上げて、窓の外へと押し出した。
それとほぼ同時に、懐から取り出したポーチを投げ捨てたの。
それから、目的は達成した、と言わんばかりに、一目散に去っていった。
でも私は、お姉の思惑通りに、落ちてはいなかった。
私は、窓枠にかろうじてしがみついていた。ひとまずホッとしたけれど、そのままの姿勢から動けないことに気づいて、血の気が引いた。
掴まってるだけで、精一杯だった。上に戻る力なんて、なかった。
だから、叫んで助けを求めたんだけど……しばらくしても、人が来る気配はなかった。
このまま誰にも気付かれないで、限界を待つしかないのか――そう絶望した時。
悠ちゃんとマミちゃんが来てくれたの。二人の声を聞いて、一気に希望が沸いてきて、『もう少しだ。もう少し頑張れば、助かる』って自分を励ました。
でもその間にも、目の前がチカチカしてきてて――限界が近いんだ、って焦った。
駄目! あともう少しなんだから!
叱咤激励しながらも、意識は危うくなっていって……とうとう手を離してしまった。手を離す瞬間、「危ない!」と出せる限りの大声で叫んで、私は落下した。
けど、想像していたほどの衝撃は、感じなかった。
私が落ちていったのは、固い地面じゃなくて、悠ちゃんの身体の上だったから。
その後、私の下敷きになった悠ちゃんは、運ばれた病院先で、死亡が確認された。
私がそれを知ったのは、翌日の午後になってからだった。
病院の人の話によると、私は落下した直後に気を失って、それからずっと眠り続けてたらしい。結構危なかったみたいだった。
お医者さんは、4日ほど入院してもらう旨を説明した後、悠ちゃんが亡くなったことを伝えて、去っていった。
私のせいだ――。
私は、病室でガタガタ震えてた。悠ちゃんを犠牲にして、両足の骨折と一時的な意識不明だけで済んだ自分が、許せなかった。
悠ちゃんは叫び声を聞いて、私を受け止めようとしたんだ。
あの時、「危ない!」って言ったのは、誰かを巻き込むことを防ぐためだった。“私”が危ないから、誰か助けて! という意味ではなかったのに。
私が黙って落下していれば、悠ちゃんは――。
ぐるぐると同じことばかり考えてたら、病室の扉が開かれて、一番会いたくない人が現れた。
「エリちゃん……」
その時のエリちゃんの顔は、一生忘れられないと思う。
エリちゃんは、真っ暗な瞳をしていて、何歳も老け込んだようだった。人は苦しみの淵にいる時、こんな表情を浮かべるんだ、と思った。
悠ちゃんの死を知ってしまったんだ。
「幸は……無事なのか。良かった……」
そう言って、膝から崩れ落ちたエリちゃんを見て、胸が切り刻まれるようだった。
“私”は無事だった。その事実が、重くのし掛かった。
項垂れる幼馴染みに、何を言えば良いのかわからず、私はただ唇を噛み締めていた。
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