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回想の始まり

 

 **


 繰り返し思うが、彼の第一印象は最悪極まりなかった。


 これだけ聞けば、少女漫画でよくある、大嫌いなはずのアイツを好きになっちゃった! みたいな展開のようだけれど、私たちの出会いは、そんなほのぼのとした、ありきたりなものではない。


 私は、当時指名手配されていた彼に夜道で刺されて、殺されかけた。

 それが永遠の幸福の始まりだった。



  ***


 『先ほど入ったニュースです』

 ニュースキャスターの声が、低くなったのがわかった。

 食堂にいる社員の視線が、一斉にテレビへと集まる。


 『殺害事件の容疑者として、現在指名手配中の八代襟人やしろえりと(25)が、昨晩○○区にいたことが、防犯カメラの映像でわかりました』

 「やだ、○○区って、ここと近いじゃない」

 怖いわぁ、と年配の女性社員が、頬を押さえる。

 テレビでは、防犯カメラの映像が流れている。映像は荒く、わかりづらかったが、確かに何度も報道番組で見た顔が、そこに映っていた。

 メディアは連日、八代襟人の話題で持ちきりだ。おそらく殺人犯であろう人物が、未だ行方不明という事実に、世間は怯えている。


 私も例外ではなく、○○区の名前が出た時は、ドキッとした。

 ○○区は、私が勤めているこの会社に近い。自宅も徒歩通勤できる距離にあるので、帰宅が少し怖い。


 『不審な人物を見たら、通報をお願いします』

 ニュースキャスターはそう締めくくり、『では次のニュースです』と別の話題に移行していく。


 『パンダの赤ちゃんが、生まれました!』

 先ほどまでとは、打って変わった明るい声で、微笑ましいニュースが報じられる。


 しかし食堂には、未だにざわざわした雰囲気が漂っていた。

 「嫌ね、まだこの辺にいるかもしれないわよ」

 「早く捕まらないかしら」

 「もし帰り道に出会っちゃったら、どうする?」

 お局様たちのグループが、小さく悲鳴をあげる。

 私も、早く逮捕されますように、とささやかに祈って、食堂を離れた。



 勤務終わりになり、速やかに帰宅しようとしたところを、厄介な奴に声をかけられる。


 「ゆうちゃん! 物騒なニュースがあったのに一人で歩いて帰るのは危険だよ。一緒に帰ろう?」

 こちらが嫌がるのも気にせずに、いつもしつこいアプローチをしてくる係長。思わずため息が出そうになるのを、必死にこらえる。

 「心配していただきありがとうございます。ですが、遠慮させていただきます。係長もお疲れさまでした」

 やや早口に告げて、その場を離れる。

 後ろから、機嫌の悪そうな声が聞こえてきた。


 「いっつも最低限の付き合いしかしなくてさ、ノリ悪いよ! そんなんじゃ彼氏できないよ!」

 聞こえなかったふりをして、前だけを見てスタスタ歩く。


 会社辞めたいな。

 今週何度目かの、思いを抱く。


 中学の頃から憧れていて、「絶対にあそこに就職する!」と友人たちにも公言していた企業だったけれど、実際に勤務してみると、輝かしいイメージは粉々に砕かれた。

 あんな上司もいるし。何が『彼氏できないよ!』だ。


 ノリを悪くすれば、異性が寄ってこないなら、願ったり叶ったりだ。

 私は、一生誰とも恋愛しない。

 それは、何年も前から変わらない、私の信念だった。



 家に向かって歩きながら考える。本当にこの辺に八代襟人がいるとして、遭遇する確率なんてどのくらいだろう、と。

 会う確率の方が断然低い指名手配犯より、嫌いな上司と二人きりという状況を全力で避けたい。


 そう思ったものの、明るい通りから一転、静まり返った住宅街に入ったところで、やはり少し怖くなる。

 でも、ここを通らなければ、帰れないのだから仕方ない。

 早く家に着けるように早めに歩く。

 そんなことをせずに、いつものペースで歩いていれば、良かったのかもしれない。


 あと数分で自宅のアパートに着くところで、“それ”は起こった。

 横の路地からスッと人影が現れたと思った瞬間には、私の脇腹に今まで感じたことのないレベルの痛みが与えられていた。


 「はぁっ……うぅ……」

 立っていられなくなり、頼りなくコンクリートの地面に座り込む。痛む箇所に目をやると真っ白なブラウスの腹回りが赤く染まっていた。

 刺された。理解した途端に恐怖が心を支配した。

 逃げなきゃ、と思うのに体が言うことを聞いてくれない。――立てない。


 動けずにいると、私を刺した犯人が正面にしゃがみこんだ。

 苦しみの中、正面の人物と目が合い――唖然とした。

 こんなことがあるのか。

 まさかの確率で出会ってしまった。


 目の前にいるのは八代襟人だった。今世間を騒がしている男。ニュースで見た顔と至近距離で見つめ合っている。

 八代は、感情の読み取れない能面のような表情を張り付けていた。その得体の知れなさに、背筋が凍る。

 八代は数秒ほどその状態でいたが、やがて立ち上がり、元来た方向へ去っていった。


 私の方はというと、まるで体が動かない。叫んで助けを呼びたいのだが、口からはか細いうめき声しか出てこなかった。

 もう目を開けているのさえ辛くなり、そっと瞼を閉じると、意識が急速に遠のいていった。


 嫌だ! 死にたくない。しかし頭の中ではこれまでの人生の歩みが高速で流れていく。

 走馬灯だ。死の間際に見るというアレ。


 走馬灯が、一番楽しかった高校時代に差し掛かる。あの頃は良かったな――。

 ああ、高校生に戻りたい。そして――あの子ともう一度、青春を過ごしたい……。

 走馬灯でもいい。どうか……どうか、あの頃に帰らせて。私のこんな人生を、やり直させて。


 瞼の裏浮かび上がる幻に強く願った時、ふっと身体が軽くなった。

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