お姉ちゃんを追放します!
「お姉ちゃんを追放します!」
セントレイア王国の王都セントレイルの冒険者ギルド。そこに併設される酒場の一角にて、エレナ・フィルメールが高らかに宣言した。立ち上がった彼女の前の卓には、彼女のパーティー<明けの光>の面々が各々食事を楽しんでいる。その内の1人、ちょうどエレナと対面する席に座る女性、カレンディナ・ライガード。エレナが宣言と共に指をさしているのは彼女であったが、全く意に介した様子もなく鼻歌交じりに皿に盛られた肉を切り分けてフォークに刺し、身を乗り出してエレナへ差し出した。
「はい、エレナちゃん。あ~ん」
「あ~ん」
「美味しい?」
「うん」
「そっかそっか! じゃあ次はこっち!」
「うん、ちょうだい! じゃなくて!」
あまりにも自然にやってくるのでつい乗ってしまったエレナだったが、ハッと我に返り大声を上げてテーブルを叩いた。並べられた料理の皿やエールが入った木製のジョッキが小さく跳ねて音を立てる。
「もう、エレナちゃん。行儀悪いよ」
「行儀悪いとか言ってる場合じゃないでしょ!? 追放するって言ってるんだよ!?」
暢気に注意してくるカレンディナを、エレナは卓に突いた両手に力を込めて身を乗り出し問い詰める。そこまでしてもカレンディナは笑みを浮かべたままだった。
「うん、聞いてるよ。今度は何日後に戻ればいい?」
「何日後とかない! 一生追放なの!」
「それ前回も聞いたよ~」
「うぐっ……」
のほほんとしながらも的確なカレンディナの指摘に言葉に詰まるエレナ。
カレンディナが言う通りこの追放劇は今回が初めてのことではない。実に3ヵ月ぶり5度目の追放になる。それだけ追放されるほどカレンディナが無能なのかといえばそんなことはない。むしろカレンディナは世界有数の精鋭揃いと謳われるこの冒険者ギルドにして、並ぶ者なしと誰もが認めるほど圧倒的な実力者だ。槍の名手でありながら回復魔法から魔物の軍勢をも屠る大規模攻撃魔法まで、数多の魔法を自在に操る魔法使いでもある彼女は、単身で最強の魔物と恐れられる竜を屠ったこともある。それほどの力を持つにも関わらずそれを鼻にかけることはなく、温和で人当たりの良い性格をしており、おまけに絶世の単語を冠してよいほど容姿も整っている。まさに完璧超人と呼べる女性だ。
そんなカレンディナをエレナが何度も追放しようとする理由は端的に言えば姉離れがしたいから。2人は実の姉妹ではないが寄り合いの意識が強い田舎の小さな村で生まれ育ったため、実の姉妹同然の関係であった。幼い頃からずっとカレンディナに甘え続けて来たエレナだが、1人で立たねばならない理由がある。エレナは遥か昔に封印された、魔物を従え強力な魔法を操る魔族なる種族の王たる魔王に、唯一傷をつけることができるという聖剣に選ばれた勇者なのだ。今はまだ魔族の封印は解けていないので戦闘経験を積むために冒険者稼業に勤しんでいるが、いずれ封印が解けた際には魔王討伐の旅に出なければならない。例えカレンディナを伴っていたとしても、最後の魔王との戦いはエレナが1人でやらなければならない。魔王を傷つけられるのは聖剣だけであるがゆえに。
だから甘えを断つためにカレンディナを追放をする。しかし数日もすれば恋しくなって呼び戻してしまう。それを繰り返して早4度。5度目ともなれば<明けの光>のメンバーはおろか、その場にいるギルド員や冒険者達も『また発作が始まった』と思う程度で気にもかけない。2人以外の<明けの光>のメンバーに至っては、
「前回は5日だっけか? じゃあ今回は7日」
「次のクエストは3日あれば終わるだろうから、3日だな」
「私は10日はいける気がするわ」
「よし来た! 一番遠い奴が瑠璃亭のドラゴンテールソテー奢りな!」
と、カレンディナが復帰するまでの日数で賭け事を始める始末。
「もぉ~! 今度は本気の本気だもん!」
「うんうん。エレナちゃんはいつも一生懸命だもんね。お姉ちゃん、エレナちゃんのそういうところも大好きだよ」
「ほんと? えへへ……って、本気にしてないでしょ!?」
周囲からの生暖かい視線にエレナは頬を膨らませ地団太を踏むが、周囲の反応は一切変化しない。
「とにかく! 本当の本当に追放だからね!? ついて来たら絶交なんだから! もぉ~!」
微笑むカレンディナに涙目になりながらそう突き付け、エレナはも~も~鳴きながらギルドから飛び出していった。残された<明けの光>の面々は苦笑を浮かべて顔を見合わせる。
「まったく、困ったもんだなうちの姫様は」
やれやれと首を振る華奢な男は、身体強化や回復、相手への妨害など主に戦闘の補助を担当する魔法使いのカザリ。
「なにがきっかけになっているかわからんな」
カザリの言葉に頷く偉丈夫のエントハルトは、重層の鎧と盾で仲間を守る守護騎士。
「カレンディナが甘やかしすぎるからああなるのよ?」
そして最後にカレンディナを窘める地水火風の基本四属性に適性を持つ魔法使いの少女アンネ。彼ら3人にカレンディナ、エレナを合わせた5人が<明けの光>のメンバーである。
「あはは、ごめんねアンネ」
ジト目で見つめてくるアンネにカレンディナは困ったように眉を寄せて笑う。カレンディナを責めてもどうにもならないとわかっているアンネは、それ以上追及することはなく1つため息を吐いた。
「まぁ、いたらカレンディナに頼りっきりになっちゃうから、カンを失わないようにするには定期的に抜けるのは悪いことじゃないけど」
「楽でいいけども、それこそ俺らが追放される側になったとき、鈍りまくってたらどうしようもねぇからな」
「俺達は追放されるほど優秀ではないがな」
「優秀だったら普通追放されねぇんだけどな」
感覚狂ってるなと笑い合うカザリとエントハルト。彼らを尻目にカレンディナはいつの間にか取り出したバスケットに料理を詰めていた。
「はい、アンネ。エレナちゃんお腹空かせてるだろうから持って行ってあげて」
そう言って差し出されたバスケットを受け取るアンネは、エレナが姉離れできる日はまだ遠そうだと肩をすくめるのだった。
しかし、アンネの予想に反して今回のエレナは一向にカレンディナを呼び戻そうとしなかった。仲間達が予想した最長の10日を超え、20日も過ぎ、30日経っても未だに<明けの光>にカレンディナは復帰していない。
その間もカレンディナがいない分若干ペースは落としつつも、トップパーティーとして着実に実績は重ね続けている。カレンディナが異常なだけで、彼女を除いたとしても<明けの光>のメンバーはトップにふさわしい実力者だ。それはギルド内でも周知のことだったのだが、カレンディナに甘え続けている精神面の弱さから侮って見る者もいたところ、そのような評価も覆り正真正銘のトップパーティーとして誰もが認めるようになっていた。
一方でカレンディナの方は――
「アンネ~……エレナちゃん、まだやれる感じ~……?」
ギルドの酒場のテーブルに突っ伏して弱々しい声でアンネに問いかけるカレンディナ。そんなカレンディナを同じ卓を囲むエレナ以外の<明けの光>のメンバー3人は苦笑いで見下ろす。
「ええ。今回の遠征も特に泣き言も言わずに終えたわよ」
「そんなぁ~……」
アンネの返答を受けてカレンディナはこの世の終わりを告げられたかのような調子で更に深く沈み込んだ。
1人になったカレンディナは<明けの光>加入中と遜色のない頻度でクエストをこなしていた。たった1人でトップパーティーと同じ働きをする彼女の異常性も改めて周知されたのだが、彼女は日に日に落ち込んでいっていた。無茶をしているからではなく、エレナが一向に自分を呼び戻そうとしないからだ。エレナと触れ合えていないからと言った方がより正確か。
「どうして~……お姉ちゃんもういらなくなっちゃのぉ~……?」
テーブルに伏せてさめざめと涙を流すカレンディナ。完璧超人である彼女の唯一の欠点、それは妹への愛が深すぎることだった。卓を濡らすカレンディナに他の3人はどうすると顔を見合わせる。
「そんなに寂しいなら戻してくれって言えばいいだろ」
「それはお姉ちゃんの威厳がなくなるからできないよ!」
「今回そうしても5回中1回負けただけだ。威厳は保てるだろう」
「一度でも負けたお姉ちゃんはお姉ちゃんじゃなくなるの!」
カザリとエントハルトの言葉にカレンディナは顔を上げて反論する。3人とも心の中で『めんどくさい』と思いながらも、代案を考えるが思い浮かばない。
「ねぇ、エレナちゃん本当に無茶してない? 夜寂しいって泣いてない?」
「泣いてねぇよ。お前は妹を何歳だと思ってんだ?」
「私は泣いたもん! いつも寝るとき一緒だったのに! お風呂も一緒だし、料理も食べさせてあげてたし、髪のお手入れとか朝服着させるのもお姉ちゃんの仕事だったのに!」
「……今の状態の方が健全なのでは?」
「不健全ですぅ~! エレナちゃんの健全な生活にはお姉ちゃんが必要不可欠なんですぅ~! そしてお姉ちゃんの健全な生活にもエレナちゃんが必要なんですぅ~!」
カレンディナが捲し立てる異常な過保護ぶりを聞き、エントハルトが真っ当な意見を述べたが即座に否定された。いつもはのんびりした性格ながらも目端が利き、主にエレナに対してだが何かと世話を焼く歳の割には大人びた印象を持たれる彼女だったが、今は年相応以上に幼い駄々っ子のようであった。
「はいはい、エレナにはそろそろカレンディナに戻るように言わないのかって聞いとくから」
「絶対だよ!? お願いだからね!?」
提案をテーブルに身を乗り出し押し倒さんばかりの勢いで詰め寄るカレンディナの剣幕に、アンネは苦笑を深めながら心の中でため息を吐いた。
しばらくの後、<明けの光>の面々は山道に狂暴な魔物が現れ往来の障害となっているため、駆除してほしいというクエストをこなすため、王都を離れて現場の山を目指して進んでいた。カレンディナは当然いないが、彼女を追放してからの30日間と同様にエレナに変わった様子は見られない。悠々と歩を進める彼女にアンネは声をかけた。
「ねぇ、エレナ」
「なに?」
「そろそろカレンディナのこと呼び戻さない?」
カレンディナとの約束の台詞であったが、それを聞いたエレナは顔をしかめてそっぽを向く。
「戻さない!」
「いや、けれどね」
「お姉ちゃんから戻りたいって言うまで戻さないから!」
食い下がってみるアンネだったがエレナの意志は固いようで受け入れてくれない。
「けどよぉ、このまま追放したまんまだとカレンディナが別のパーティーに入っちまうかもしれないぜ?」
「あぁ。実際に<碧狼>から戻さないならうちでスカウトするという話を聞かされたぞ」
カザリの言をエントハルトが補強する。それにはエレナも若干不安げな表情を見せたがそれでも首を振った。
「お姉ちゃんが私のとこ以外のパーティーに入るわけないもん!」
(そりゃそうだ……)
3人とも同じことを心の中で思う。先刻のカレンディナの姿を見れば、エレナの言葉を否定することは不可能であった。
「でも、戻って来てほしいんだろ?」
「ほしいけど、私からじゃ駄目なの! お姉ちゃんから戻りたいって言ってくれなきゃ駄目!」
「カレンディナもお前の覚悟のほどは伝わったさ。これだけ長い期間が経ったんだ。もう十分だろう?」
「まだやれるもん! お姉ちゃんから来るまでぜぇ~ったい駄目! あっ、私が戻ってほしいって思ってるとか、お姉ちゃんに言うのも駄目だからね!?」
何を言っても取り付く島もなく、エレナはこれで話は終わりとペースを速めて3人を置いていく。残された3人は視線を交わし、カザリが首を振り、エントハルトが瞑目、アンネが肩を落とし、全員が説得を諦めたこと意志を表した。心の中で『姉妹揃ってめんどくさい』と思いながら。
それから数日の道程を超えてクエストの目的へとたどり着いた<明けの光>。情報が出回っているからであろうが、日中であるが人の往来が山道を周囲を警戒しつつ進んでいく。その道中、ふとカザリが口を開いた。
「しかし、最近魔物の狂暴化関連のクエストが多くねぇか?」
「確かに。カレンディナと合わせて以前のほぼ2倍のペースでクエストをこなしているのに、こうしてまだ新しいクエストが出ているからな」
「もしかしたら近いのかもしれないわね。魔王復活の日が」
直近の状況から推測を語るアンネは、自身と先頭に立つエントハルトの間を行くエレナに視線を向けた。
「その日が来たら、もう幼稚な意地を張ってる場合じゃないってわかってるわよね?」
「……わかってるよ。それだったら私が折れたわけじゃないってお姉ちゃんもわかってくれるだろうし」
念を押すアンネに不承不承ながらエレナは頷く。魔王討伐は世界存亡をかけた戦いだ。魔王を傷つけられないとしても、彼の者たどり着くまでの旅路を思えば、カレンディナを連れて行かないという選択肢は存在しない。それがわからないほどエレナも子供ではなかった。
「そう。それならカレンディナには悪いけれど、もうちょっとだけ我慢してもらいましょうか」
「ちょっとにならなきゃそれが一番いいけどな」
「違いない」
エレナの答えを聞いて胸を撫でおろしたアンネと男性陣がそんな軽口を叩き合いつつ、魔物の目撃地点まで進んでいく。山道の中腹、半ば広場のような開けたスペースになっている場所で、山越えの際にキャンプを張る場所として重宝されている地点だ。そんな場所にそれはいた。
「なんだ、あいつは……?」
先頭のエントハルトが訝し気な声を漏らす。人気のない広場の中央。そこにただ1つの人影があった。長身の男性だが背中が大きく開いた服装をしており、その開いた背から蝙蝠の羽のようなものが、そして黒髪に覆われる両側頭部からは節くれだった角が生えた異形の姿。黒い瞳を湛える両目、その右方を通るように額から顎にかけて見たことのない紋章が描かれた顔。狂暴な魔物が目撃される危険地帯で、武器も持たず鎧も纏わず佇むその男は、明らかに只人ではない。
「ふむ、ようやく釣れたか」
その男は警戒心をあらわにする<明けの光>へと目を向け、エントハルトの後ろで聖剣に手をかけたエレナの姿を――聖剣を見てそう呟く。
「どういう意味だ?」
「どうもこうも、ようやく勇者が釣れたかと言ったのだよ。王の目覚めを感じて猛り狂う魔獣共の相手にかかずらってでもいたのか?」
「……っ!」
エントハルトの問いかけに口の端を上げて返した男の言葉。『王の目覚め』というその単語に、<明けの光>の4人は男の正体を察して臨戦態勢に入った。
「なるほど、魔族ってのはそういう姿をしてんだな……!」
「フッ……翼も角も持たぬ脆弱な人間には、我が種では普遍的なこの姿も羨望の対象か」
「ほざけ! 頼まれても生やしたくねぇよそんなもん! 寝るときぜってぇ邪魔だろ! 仰向けで寝れねぇし寝返りも打てねぇから体ガチガチになるわ!」
尊大に胸を張る魔族の男へカザリは挑発的な言葉をぶつけつつ、杖を取り出して魔法発動のための魔力を練る。補助魔法使いである彼こそがパーティーの要。パーティー全体の能力を上げ、敵の能力を下げることは、戦闘を有利に進めるために必須である。だが――
「汚らしい言葉を吐く口だな」
「がぁっ!?」
広場の中心辺りにいた魔族の男は、一瞬にして入り口近くにいたカザリの顔面を掴み地面に叩きつけていた。隊列では最後尾にいるカザリの下へ、他3人が一切反応することもできない速度で達したのだ。地面が陥没するほどのすさまじい強さで頭部を叩きつけられたカザリが鈍い悲鳴をあげる。
「カザリ!」
最も早く反応できたエレナが叫び聖剣を振るった。彼女が魔族を剣の間合いに捕らえるまで走る速度もまた、補助魔法の強化がなくとも誰でも使える身体強化法のおかげもあり常人のそれを凌駕していたのだが、魔族の男は悠々に反応しカザリの顔面を離して大きく飛び退り剣閃を回避した。
「カザリ、まだいける!?」
「あぁ、なんとかな。クソッ! なんて速さだよ!」
カザリはまた広間の中心の方へと降り立つ魔族の男へと目を向けるエレナの言葉に頷き、立ち上がりつつ悪態をつきながら再び魔力を練り始める。
「すまん! 次は止める!」
彼と彼と同様に驚いて中断してしまっていた攻撃魔法の用意を再開するアンネに謝罪し、エントハルトは守護騎士たる役割を果たすために重厚なる盾と剣を構えた。その盾と全身に纏った鎧は生半可な剣では切りつけた方が砕け、中級程度の魔法ならば難なく弾くほどの防御力を誇っている。幾度となく強力な魔物から仲間を守り抜いて来たエントハルトだったが、その心中は穏やかではなかった。
(この俺が見逃すほどのスピードに、カザリを叩きつけたあの力……防ぎきれるか……? いや、防ぎるんだ!)
目の当たりにした魔族の力にエントハルトの思考にわずかな怯えが混じる。けれども今まで培ってきた矜持と仲間達への想いで体を奮い立たせた。対して魔族の男は余裕の笑みで彼らを睥睨する。
「出来ぬことは口にするべきではないな」
「……黙れ!」
「いくよ、エントハルト!」
見下す魔族の言葉を喝破し駆けだすエレナに合わせてエントハルトも地を蹴る。主として攻撃を加えるエレナを前にし、いつでも庇える位置を保ちつつ2人は走る。相対するまではほんの一瞬であったが、その間にカザリからの強化魔法が掛かり自身による身体強化と合わせて力が満ちるのを感じる。
「たぁっ!」
気合の一声と共に走る勢いを乗せた聖剣が振り下ろされる。クエストの目標である魔物程度ならその一刀で終わっていてもおかしくはなかった一撃なれど、魔族の男は悠々と身を躱した。畳みかけるエレナの連撃は一太刀一太刀が致命の威力を秘めている。が、当たらなければ意味はない。閃く刃をあえて最小の動作で避けて見せる魔族の男。
(エレナの太刀筋を完全に見切っている!?)
エントハルトも立ち合いでは攻め崩されることも多いエレナの剣技が通用していなかった。エントハルトも時折ここぞというタイミングで刃を振るうが、それさえも空を切るばかり。攻撃にも転じない魔族の男はどう見ても遊んでいる。本気の攻撃を容易くいなされむきになるエレナは更に苛烈に攻め込みをかけるが、それでもまだ届かない。だが、ここで光明が差す。魔族の男の動きが急に鈍ったのだ。それはカザリの弱体魔法によるものだ。
「むっ?」
「もらったぁ!」
胴を薙ぐ横一線の剣閃が魔族の男を捉える――かに思われた。金属同士がぶつかったような鈍い音が響き、聖剣の刃が阻まれた。阻んだもの、それは『闇』としか形容ができない黒い物質。聖剣でも切り裂けない黒い『闇』が男の胴を覆っていた。
「なっ!?」
瞠目するエレナについに魔族の男が攻撃の手を向ける。お返しとばかりに振るわれるのは手刀であるが、聖剣を阻んだのと同じ『闇』を纏っていた。エレナと男の間に割って入り、手刀を盾で受け止めたエントハルトは、あまりの重さに吹き飛ばされそうになるのを必死に踏みとどまる。そんな彼の影から躍り出たエレナが男のどてっぱらに鮮烈な刺突を見舞う。だがこれも『闇』によって阻まれ傷の1つさえつけられない。
「エレナ! エントハルト!」
攻めあぐねる2人はアンネの呼ぶ声を聞き地面を蹴って大きく後退した。直後に魔族の男の周囲に燃え盛る火の玉が降り注ぎ、地面にぶつかると激しく爆裂する。着弾と同時に爆裂する火球を雨あられと降らせる火属性上級魔法『バーストレイン』だ。爆炎に飲み込まれる魔族の男だが油断はできない。4人とも身構えたまま『バーストレイン』が降りやむのを待つ。火勢も収まり晴れた視界の先に漆黒の壁が見えた。未だ高熱に揺れる空気の中、溶けるように消える『闇』の向こう側には、果たして無傷の魔族の男が立っていた。
「そんなっ!?」
アンネが愕然とした声をあげる。他の3人も同じ気持ちだった。今でさえ常人ならばそこに立っているだけで火傷は免れないであろう高温の中で、涼しい顔をして立ち続けるその男はバケモノとしか形容ができない。
「所詮人が操れる程度の火の粉では、我が闇を晴らすことさえ叶わぬということだ。貴様達に本当の魔法というものを見せてやろう」
「――っ!」
男が掌をこちらに翳すのを見てエントハルトは他の3人を庇う位置に陣取り、剣を捨て大盾を両手で構えた。更に身体強化と同じく魔法にも満たぬ魔力操作法の1つ、魔力を固めて盾とする魔力障壁を展開する。それに加えてエントハルトと同じく危険を察知したカザリが、魔力障壁よりも数倍は固い光の盾を展開する魔法<ライトシールド>をエントハルトの障壁に重ね、更に彼の大楯に<タイタナイズ>の魔法をかけ背の高い彼でさえ全身を隠せるほど巨大化させる。そうして今のエントハルトはドラゴンのブレスさえ防ぎきる鉄壁の盾となった。
そこへ放たれるのは『闇』の奔流。男が翳した掌から氾濫した川の如く怒涛の勢いで『闇』が噴出した。『闇』の奔流は<ライトシールド>にぶつかると一瞬均衡したかと思うと容易く粉砕し、続くエントハルトの魔力障壁はもはやないも同然に突き破り、構えた大楯に直接ぶつかる。
「ぐっ、おおおおっ!」
<ライトシールド>と魔力障壁によって幾らか減衰しているはずにもかかわらず押し流されそうになり、エントハルトは喉が裂けんばかりに吠えてその場に踏みとどまる。巨大化した盾の下端は地面に突き差し、全身を使って盾を押し返し『闇』の勢いに抗った。一瞬でも気を抜けば盾は弾き飛ばされ仲間達共々『闇』に飲み込まれる。そうなればただでは済まないことは、響き続ける盾を削る硬質な音を聞けば誰でも理解できる。だからエントハルトは必死に堪えた。カザリも盾に頑丈さを強める<ソリディナイズ>の魔法をかけ続けアシストし、エレナとアンネは攻撃が止み次第動けるように態勢を整える。
どれほど経っただろうか。恐らくは長くとも1、2分であろうが、<明けの光>の面々――特に全身全霊で盾を押さえ続けるエントハルトと魔法をかけ続けるカザリにとっては、数時間は経過したように思えるほど緊迫した時間の後、絶え間なく続いていた『闇』の奔流が止まった。静寂が戻った広場のありさまは酷いものだった。魔族の男の前方、盾が防いだ先以外の地面は深く抉れ、再び整地し直すのにはどれほど長くかかるのかわからない。
ただの一度の魔法がこの惨状を生み出した。その事実に全員背筋が冷たくなる。そして、まだその元凶は<タイタナイズ>が解けた盾の向こうで嘲笑を浮かべている。
「はぁっ……! はぁっ……!」
「ちっ……!」
立ち向かわなければならないが、エントハルトとカザリはもう体力も魔力も限界だった。もはや立っていることさえやっとという様子で、ふらつきながら魔族の男から視線は逸らさずに最低限の構えを取ることしかできない。
「<バーストレイン>が効かない相手……どうすれば……」
アンネは自身が行使できる最大威力の魔法を無傷で凌がれたことで及び腰になってしまっていた。ともなればこの場で状況を打開できる可能性を秘めている者はただ1人。
(私がやらなきゃ! 私は……私は勇者なんだから!)
「はぁぁぁぁっ!」
震える体に活を入れるように声を張り上げエレナは男に向かって飛び掛かった。走りづらい抉れた地面もものともせず、一瞬で距離を詰め渾身の力を込めて聖剣を振るう。先の攻防よりも強く身体強化をかけたその一撃は、鋼をも両断する威力を秘めていた。だが、結果は先と同じく『闇』に阻まれて終わる。物理的な衝撃さえ受けたように思えるほど激しい音を鳴らすも、男の体に傷を付けることさえできなかった。
「うあああああっ!」
それでもめげるわけにはいかない。エレナは半狂乱で聖剣を振り回した。その一振り一振りが斬鋼の一閃。それが息つく間もなく襲い掛かるとなれば、大抵の相手は微塵に刻まれることは必至。されど、大抵の相手ではない男はその全てを避けもせず『闇』で受け止める。
「うぅっ……うぅぅっ!」
息を吐かせぬ連撃とは放っている方も息ができないものだ。エレナは息が詰まる苦しみに呻きながら、けれども剣を振るう腕を止めることはない。例え何度弾かれようと、わずかででも『闇』を斬り裂けと祈る。それが届くことはなかったが。そんな彼女を魔族の男は憐憫を込めた瞳で見下ろす。
「無駄なあがきを」
「無駄、じゃっ、ないっ!」
「いいや、無駄だ。貴様も分かっているだろうに。気が済むまで付き合うのもやぶさかではないが、そうしていると仲間の死に目に会えなくなるぞ」
「なにを――!?」
「ぐあああっ!」
男の言葉を訝しむエレナの耳に悲鳴が飛び込む。その低い声はエントハルトのものだ。エレナは驚いて剣を止め男と距離を取り背後を振り返った。そこには、彼の身長の倍はあろうかという巨大な熊の腕に薙ぎ払われ、吹き飛ばされるエントハルトの姿。
「エントハルト!」
庇われたアンネが悲痛な声で彼の名を呼ぶ。その奥ではもう一体の熊に襲われ血を流して倒れ伏すカザリの姿もあった。
「あれは――」
「そう。お前達の当初の目的である魔獣だ」
「きゃああっ!」
今回のクエストの対象だった2頭の『レイジベア』が乱入してきたのかとエレナが理解するが早いか、距離を詰めて来た男の横殴りの拳が脇腹に突き刺さり、エレナの体が宙を舞った。激しい勢いで地面に激突し痛みと衝撃が全身を襲う。
「目先の敵に囚われ当初の目的を疎かにするとは情けない。まあ、我を前に他事にかまける余裕がなかったのだろうがな」
打ち据えられた痛みよりもなお激しく焼けるような痛みを訴える脇腹を押さえ、立ち上がろうとするとエレナの元へ男は悠然と歩み寄る。
(間に合わない……!)
早く立ち上がろうとするエレナだが、無茶な連撃と受けたダメージ、更に切れてしまった身体強化の反動で四肢が震え力が入らない。無様な姿勢のまま動けずいる内に魔族の男は目前まで迫って来た。
「今代の勇者はこの程度か。わざわざ我が出張る必要はなかったな。まあ、よかろう。貴様を殺せば魔王様に敵はない。人の世の滅びを冥府で指をくわえて見ているがいい!」
嘲りの笑みを浮かべ男は大きく振り上げた腕に『闇』を束ね、エレナへと振り下ろす。庇ってくれる仲間もおらず、自身で身を守る術もない。もはやエレナにはその漆黒の断首刀を見上げる以外にできることはなかった。
(ここで、終わり、か……)
死を目前にしてエレナの胸中にあるものは、勇者としての使命を果たせなかった悔しさと申し訳なさ。そして、一方的に絶縁してそのままになってしまう姉への未練。
「お姉ちゃんっ……!」
大好きな姉と仲直り出来ずに死んでしまう後悔が口零れた。その瞬間。
「ぐぉぉっ!?」
今まさにエレナの体を断たんとしていた魔族の男がすさまじい勢いで広場の奥まで吹き飛ばされた。それと同時に『闇』に斬り裂かれる痛みに備えていたエレナの体を、それとはまったく正反対な優しく暖かな感触が包み込む。
「お姉、ちゃん……?」
「うん、お姉ちゃんだよ。遅くなってごめんね」
特に柔らかな感触に包まれる顔を動かして見上げれば、そこにはカレンディナの優しい笑顔が見えた。カレンディナに抱きしめられているのだとエレナが理解するのには、少しばかりの時間が必要だった。
「約束破って来ちゃった。お姉ちゃん、絶交されちゃう?」
「しない、しないよ……お姉ちゃんっ……!」
おどけた調子で尋ねるカレンディナに、現状を理解したエレナは上ずった声で首を振った。特に柔らかな感触――カレンディナの豊かな胸に顔を押し当てて嗚咽をあげる。
「わた……私、私っ、お姉ちゃんに、認められたくてっ……」
「お姉ちゃんがいなくても大丈夫だってこと? それはもうわかってるよ」
「違うっ! 私が、お姉ちゃんに必要だってこと……! お姉ちゃんに頼りにされたかった……! 私、甘えてばっかりだから、いつかお姉ちゃんに見捨てられたらって思ったら、怖くて……!」
「そっか。お姉ちゃんがちゃんと言わなかったから、不安にさせちゃったんだね。ごめんね」
堰を切るように心の内を吐露するエレナを胸に抱き、カレンディナは優しくその頭を撫でながら自らの想いを話し出す。
「離れてる間もずっとエレナちゃんのことが気にかかってたし、大丈夫かな~って思ってたけど絶交は嫌だから我慢して、お姉ちゃんここ最近ずっと不安で仕方なかったんだよ?」
あまりにも不安なので本来数日がかりのクエストを半日で終わらせてまでギルドに張り付き、<明けの光>に不測の事態が起きてないか数時間置きにギルドに問い合わせを重ねて苦情を受けたくらいだ。ついに耐えられず遠見の魔法で直接見守っていたらこのような事態が起きたので飛んできたというわけである。ギルドから数日は掛かる距離を数分で。
「クエスト終わらせてもエレナちゃんが褒めてくれないから達成感もないし、夜1人でいるとエレナちゃんのこと思い出して寂しいしで、お姉ちゃんもうとっくにエレナちゃんなしじゃ生きられない体になっちゃってるんだよ」
「お姉ちゃん……」
「大好きだよエレナちゃん。お姉ちゃんにはエレナちゃんが必要だよ。ずっと一緒にいてね」
「お姉ちゃぁんっ……!」
目を閉じ額をくっつけて告げられるカレンディナの言葉。それを聞いたエレナは感極まって声をあげて泣き始めた。そんな妹をまた優しく胸に抱いて頭を撫で、慈母のような笑みを浮かべるカレンディナ。
そんな姉妹の仲睦まじいやり取りの裏で、吹き飛ばされた魔族の男の身には想像を絶する災禍が降りかかっていた。
(何をされた……まさか、ただ蹴っただけで我が『闇』を貫いたとでも……!?)
吹き飛ばされた先で魔族の男は確かに『闇』を纏っていたはずなのに、痛む腹に手を当て目を見開いていた。男にさえ感知できない速度で現れた女は、確かに男に蹴りを入れたように見えた。勇者の聖剣による一撃さえ難なく防ぎきった『闇』が、どこぞの女の蹴り一発で砕かれたなどにわかには信じがたいことだ。
(勇者を殺すことに集中し防御が疎かになっていたか?)
『闇』を腕に纏い攻撃に使っていたせいだと結論づけた男は、広場の先にいる自身を吹き飛ばした女をにらむ。無防備にも勇者を抱きしめる彼女は男へと背を向けている。
(調子に乗ったな女! 我に背を向けるとはいい度胸――)
勇者もろとも貫こうと男が地を蹴ろうとしたとき、突如としてすさまじい暴風が男を襲った。
(な、なんだこれはっ!?)
踏ん張る間もなく上空へと巻き上げられる男はこの異常事態に気が動転する。吹き荒れる暴風は渦を巻き、男の体を上へ上へと持ち上げていく。ものすごい強さでその体をねじ切ろうとしながら。男は全身に『闇』を纏い風の暴威に抗う。そこへ襲い掛かるのは男と同様に巻き上げられた地面の土や石など。それらには全て魔力が籠っており明らかに人の意思で男へとぶつかるように操作されていた。ただの砂礫や石礫では男の『闇』は貫けぬが、魔力の籠ったそれらは『闇』を貫き男の体へと突き刺さる。
(ぐぅぅぅっ!)
痛みにあげた悲鳴は暴風に飲まれて消える。体が千々と裂かれないように堪えることがやっとの男に礫を防ぐ術はない。小さな礫は刃となって体を刺し、大きな塊は槌と化して打ち据える。見る間に男の全身は傷だらけとなり、翼の皮膜は破れ角は中途でへし折れた。ボロ衣のようになった男を暴風はなおも巻き上げ続け、ついには雲の中に突入する。男の纏う『闇』よりも濃い黒き雷雲の中へ。
(なん、なんだ……これは、なんなんだ……)
もはや虫の息の男はかすれゆく思考で考える。新たに現れた女の魔法だということは理解できるが、この威力は理外極まる。
(ばけ、もの……)
男の最後の思考――理外の存在へ恐れと共に投げつける言葉は、全方位から放たれた雷光に焼かれて消えた。成人男性サイズの消し炭が出来上がった頃に風が止み同時に黒雲も消えた。そして天からは巻き上げられた土くれや石と共に炭の破片が舞い落ちるのだった。
「いやはや、なんというか、もう……」
「言葉もないな」
「ええ……」
それを地面に座り込み傍から眺めるカザリ、エントハルト、アンネの3人は、カレンディナのあまりの規格外っぷりにどう反応を示せばよいかわからなかった。彼らから少し離れた場所には上半身と下半身が泣き別れした<レイジベア>の死体が2対転がっている。カレンディナが通り抜け様に2体とも斬り捨て、かつ傷を負っていたカザリとエントハルトに回復魔法をかけていったのだ。
「こうまで圧倒的だと自信なくす気も起きねぇぜ」
破れた服から覗く傷一つない胸板に手を当てカザリが言う。回復魔法も補助魔法使いの役割だが、明らかにカザリのそれよりも発動する速度も、回復の速度も、治る傷の深さや体力もカレンディナの方が数段は上を行っている。
「そうね」
カザリは独り言のつもりだったのだろうが、彼の言葉にアンネが同意を示した。巨大な竜巻で敵を飲み込み、巻き上げた周囲の地面や石くれを操り敵にぶつけるように操作、最後は発生させた雷雲に突っ込ませて焼き尽くす。多様な属性の魔法を複雑に組み合わせなければ成せない複合魔法を、カレンディナはエレナを抱きしめて何事か話し合う片手間でやってみせた。しかも、彼女とエレナは間近で荒れ狂う暴風の影響をまったく受けていなかったし、おそらくは聞くだけで背筋が凍るような風の轟音も届いていなかっただろう。完璧な魔力制御によって影響を与える対象を限定する技術は、魔法使いが目指すべき極地の1つである。アンネがまだ遠く及ばない位階にカレンディナが達している証拠だった。
「1つ言えることは、彼女が敵でなくてよかったということだ」
「そうよね。カレンディナがいればこれからも戦っていけるものね」
「そうそう。なんにせよ助かったんだし感謝しねぇとな」
総括するエントハルトの言葉を聞いてアンネはまた頷き、カザリも肯定した。思考を放棄したような結論であるが、自分達では考えが及ばない相手なのだからしょうがないと開き直る。
(聖剣よりも強き剣の、ある意味での担い手。やはり彼女が勇者であったのは必然か)
カレンディナという無比なる剣はただエレナのためにだけ振るわれる。まだ2人の世界を入って戻らぬ姉妹を見やり、エントハルトはエレナが勇者で良かったと彼女を選んだ聖剣、ひいては神に感謝した。
一方でそんな神の選択を呪う者もその場の光景を観察していた。王都より遥か西の果て、世界の果てとも称される凶悪な魔物がはびこる地にて、長き封印より目覚めた魔王とその眷属たる魔族達だ。封印の間訪れる者もなく、埃を被りつつもその姿を留め続けた魔王城の玉座の間にて、勇者達と魔族の男――魔王軍四大将が1人、<黒纏>のベルファーとの戦いを遠見の魔法にて投影し見ていた魔王が呟く。
「なんだあのバケモノは……」
奇しくもベルファーの末期の思考と同じ言葉を口にする魔王の額からは冷や汗が流れていた。玉座に腰かける彼の前に控える残りの四大将達も色を失って立ち尽くす。四大将一の武闘派であったベルファーを斥候として繰り出し今代勇者の早期抹殺を図ったわけだが、勇者でもない謎の女に一瞥もされずに葬り去られるとはこの場の誰も予想だにしなかった。
「し、しかし、陛下! 勇者や他の従者共の力はベルファーの足元に及んでおりませんでした。であれば、あの小娘と分断してやれば討ち取るのは容易いことかと」
「そうです! あの程度であれば隊長レベルの力があれば容易く殺せましょう。我ら四大将が総出で奴を足止めし、その隙を狙えばよいだけです」
「ベルファーがあんなあっさりやられる相手ならそれもやむなしね。いいわ、協力してあげる」
「むぅ、そうだな。貴様達が3人が共にかかれば、いかなあやつでもタダでは済まんだろう」
顔色の悪い魔王を見かねて残りの四大将達が慌てて次なる策を講じる。それを聞き魔王もまたやりようはあると思い直して平静を取り戻した。
「そもそも陛下のお体は聖剣でしか傷つけられないんですもの。あの女がどれだけ強かろうが、陛下には傷一つ付けられませんわ」
「ああ。我が身は害せるは聖剣のみ。これは世界の理だ」
四大将の紅一点が妖艶に微笑みながら口にした言葉に魔王は大きく頷いた。そう、魔王を傷つけられるのは聖剣だけ。幾ら勇者を遥かに凌駕する強者が存在しようとも、魔王との戦いには何の役にも立たないのだ。
「あの娘は勇者の小娘に大層ご執心の様子。勇者の亡骸を見せつけ深い絶望を味わわせればベルファーへの手向けとなりましょ――」
ほくそ笑みながら女へどう報復するか語っていた四大将の1人である狼の顔を持つ獣人の男が唐突に言葉を切った。口から声が出る代わりに、腹から刃が飛び出したからだ。
「はっ……な……?」
何が起きたかわからず獣人の男は腹から生えた己の血にまみれた刃を見下ろした。上を向いたその刃はそのまま獣人の男の体を腹から脳天まで、骨や臓腑などのないも同然ように軽々と両断する。刺された個所を起点に左右に分かれた男の死体は断面から血や臓腑まき散らしながら倒れ伏す。その奥に佇むのは血染めの槍を握り返り血に濡れたカレンディナの姿。
「バ、バカなっ!? なぜ貴様がここに!?」
唐突な事態に玉座から転げ落ちそうになりながら魔王が問うたが、彼女は答えずただただ冷たい瞳で魔王を見据える。ただ道端のゴミを片付けているかのような、そんな無感情なその瞳に射竦められ魔王の体に怖気が走った。
「貴様、よくも!」
「覚悟しなさい!」
残る2人の四大将が仲間の仇とカレンディナに踊りかかった。だが、無造作に一振りされた槍の軌跡に飲まれ、全身バラバラになって床を汚すだけとなった。
(ひ、一振りしたようにしか見えなかったぞ!?)
ただの一度槍を振るっただけでなぜ人体がバラバラになるのか、さっぱりわからない魔王は恐怖に顔を引きつらせるばかりだ。新たな2人分の返り血を浴び、深紅に染まったカレンディナがゆっくりと魔王へと近づいてくる。
「お、愚か者が! 我こそが魔王! この身は忌々しき神が人間どもに与えし聖剣以外では傷つけることは叶わぬ――」
恐慌状態に陥りそうになる魔王だったが、先ほど再認したばかりであるその身に宿す理を思い出し、玉座を立ち不埒者を誅す魔法を放つべく右手をかざし――カレンディナが振るった槍がその右手を中途から容易く断ち切った。
「がぁぁぁぁっ!?」
本来あり得るはずのない痛みに魔王は絶叫を上げる。止めどなく血を流す右手の断面を押さえその場にうずくまった。
「バカな!? 何故だ!? この身は聖剣以外では傷つかぬはず! それが世界の理なのに!?」
聖剣によってしか傷つくことはなく、更には傷ついたとてただの欠損程度では瞬く間に再生するはずの魔王の体。しかし今、聖剣ではないただの槍の一撃によって斬り落とされ、魔王が回復魔法をかけても一向に再生する様子もない。あり得ないことであった。世界の理に反していると魔王は叫ぶ。それに対しようやくカレンディナは口を開いた。
「お姉ちゃんの妹への愛に勝るものはない。それが世界の絶対の理なんだよ」
(意味がわからんっっ!!)
答えになっていない答え。されど現実として彼女は魔王を害することができる。
「待て……待ってくれ……待ってくださいっ!」
槍を振り上げたカレンディナを魔王は最後は情けなく懇願しながら制す。
「勇者には手は出さないし、ただここで生きていくだけで世界をどうこうしようともしない! 元々この地は人が住まわぬ場所、ひっそりと生きていくだけならば何の問題もなかろう!?」
威厳もへったくれもなく必死に命乞いを捲し立てる魔王。カレンディナはそんな魔王にただこう告げる。
「殺せば信じて騙される可能性もないんだけど、信じるメリットある?」
「そ、それは……やめ、やめろ……やめてくれぇぇぇっ!!」
言葉に詰まる魔王に無慈悲に振り下ろされる血染めの刃。魔王城に主の悲鳴がこだました。
数日後、<明けの光>の面々は馬車に揺られていた。
「お姉ちゃ~ん、疲れた~!」
「よしよし、カッコよかったよエレナちゃん」
「えへへ~でしょ~?」
寄りかかると自然と膝枕に案内して頭を撫でて褒めてくれるカレンディナに、エレナはだらしなく頬を緩める。魔族の男との戦いの後、王都へ帰還した<明けの光>の面々が国王へ魔王復活の報を入れると、既に彼らはそれを承知済みであった。何でも魔王から自身の姿を魔法にて投影し宣戦布告を受けたとのこと。隻腕の男の姿をした魔王が己が目的たる世界征服を語る中で<明けの光>――というよりもカレンディナが討った魔族の男が、魔王軍の最大戦力の一角である四大将の1人であったと判明した。さっそく魔王軍の戦力を大きく削った功績を称えられたかと思えば、息つく暇もなく盛大な出立式が執り行われ、一路西の果て、かつて魔王が健在であった頃に城を建て領地と主張した地、今なお魔族の魔力の影響を受けた凶悪な魔物が跋扈するためどの国の領土でもない通称『魔王領』に向けて旅立つことになったのだ。
勇者として魔王の討伐を国王陛下と神へと誓う勇ましい姿を国民たちへ見せて鼓舞するという役目を果たしたエレナは、堅苦しい儀式で緊張した体を愛する姉の膝枕でほぐしているというわけである。
「けどいいのか? 俺達も付いて来て。足手まといにならないか?」
先ほどの勇猛さはどこへやらと完全に脱力しきる勇者様に苦笑しつつカザリが問いかけた。エントハルトとアンネも言葉にはしないものの同じ気持ちである。
「みんな足手まといになんかならないよ。みんながいなきゃ私、あのベルファーっていうんだっけ? あいつに簡単に殺されてたよ」
「けど、カレンディナがいればそうはなんなかったろ?」
「それはそうだけど、お姉ちゃんにばっかり苦労かけるわけにはいかないじゃない」
「あの程度全然苦労してないよ~」
エレナの言葉に何でもないことのようにカレンディナが言う。魔王軍の最大戦力を瞬殺することをそう言ってのけ、それが事実であろうことが空恐ろしいとカザリ達は顔をひきつらせた。ついでにその後、残りの四大将も全員瞬殺したのだがそれはカレンディナ以外の知るところではない。
「あいつ魔王軍の中でも最高戦力だったんでしょ? だったら敵わなくったってしょうがないよ。今はまだ、ね」
そう言うエレナの声には悔しさがにじみながらも決意が秘められている。これからあの男を超えるほど強くなってみせるという強い決意が。
「私、やっぱり今のままじゃお姉ちゃんとずっと一緒にはいられない。ちゃんと強くなって、立派な勇者にならないと、隣にいられないよ」
「エレナちゃん……」
「私は強くなる。強くなって必ず魔王を倒して世界を救ってみせる。そのためにはみんなの力も必要だよ。だから、お願い。私に力を貸して」
膝枕から半身を起こしエレナは強い意志の籠った目でカザリ達3人の仲間に訴えかける。『一緒に強くなろう。一緒なら強くなれる』と勇者様に信頼されていることの証左であるその言葉を受け、首を横に振れる者はこの場にはいない。
「わぁ~ったよ。負けっぱなしってのも癪だかんな」
「最高戦力だか何だか知らないけど、次は私が焼き尽くすわ!」
「必ずみんなを魔王の元まで守り抜いてみせるさ」
迷いを振り切り晴れ晴れとした表情で3人は自分の意志を表明した。それを聞きエレナも嬉しそうに笑うとカレンディナの方に向き直り言う。
「だから見ててねお姉ちゃん。必ずお姉ちゃんの隣に立つにふさわしい、立派な勇者になってみせるから」
「エレナちゃん……うん!」
感極まって目の端に涙を浮かべたカレンディナがエレナを強く抱きしめる。また豊かな双丘に顔をうずめられ、さすがのエレナも困ったような照れ臭いような気持ちになったが、しっかりと大好きな姉の背中に手を回して抱きしめ返すのだった。
(大丈夫だよエレナちゃん。必ず強くなれるから)
エレナと抱き合う中でカレンディナは考える。どういうタイミングでどんな魔族に襲わせればエレナが強くなれるのかを。
カレンディナは最初から魔王を殺すつもりはなかった。脅して服従させることが目的であった。魔王軍を自立してカレンディナに認められたがっているエレナに与える修行道具とするために。今や魔王軍は魔王を隷属させたカレンディナの意志のまま動く傀儡と化した。旅の中でエレナの成長を促すようなタイミングで適切な相手をぶつけるように仕向けば、彼女が目指す立派な勇者へと導くことができるだろう。
(お姉ちゃんが立派な勇者にしてあげるからね)
心の中で思案しながら愛する妹を撫でるカレンディナ。一切の警戒心もなく完全に身を預けてくれることにたとえようもない悦びを感じるカレンディナを乗せて馬車は進む。既に成されている救世の旅路を。