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服を着る

作者: 小林芍薬

 サルやゴリラが礼儀を知らないのは、服を着ていないからだ。

 

 ……ちょっと待ってくれ、ブラウザバックしないでくれ。


 どうせ暇なんだから、もうちょっとだけ俺の話を聞いても良いだろう?

 


 日々下らないことばかりを書いている俺のブログだが、今回は少し違う。


 今回は、俺が突如ひらめいた革新的な仮説を用意してきたのだ。


 その内容こそが、冒頭の一文である。


 奴らが未だ野生動物に甘んじている点は、服を着ていないという事、それ一点によるものなのだ。


 衣食足りて礼節を知る、という言葉がある。


 美味しいご飯と素敵な服装をもってして、初めて礼儀を覚えることができるというものだ。美味しいご飯はともかく、素敵な服装に関しては、彼らは毛皮しか持ち合わせていない。毛皮の衣類で持ち合わせることができる礼節など、たかが知れているだろう。


 逆に言うと、彼らに服を着せれば激変するに違いない。

仮にゴリラに軍服を着せれば従順な兵士になるし、エプロンを着せればバナナだって調理するはずだ。メイド服を着せれば可愛くご主人様をお出迎えするゴリラになるかもしれない。見たいか見たくないかは置いておこう。

 

 そこで聡明なる俺は一つの実験を行うことにした。


 名付けて、「服を着る大作戦」である。


 何も知らない俺のブログ読者のために説明しよう。


 先ほど言った通り、動物には礼節が足りていない。それは、彼らが服を着ていないからだ。

 


 それでは、われわれ人間が服を着るとどうなるのか?



 それも、普段来ている服ではなく、自分の感性では一生着なさそうな服だ。従来着るはずではない異なる服装に身を包めば、異なる礼節が生まれるのではないかという話である。


 その結果を、ブログに綴っていくことにするという話だ。



 なお、当方は貧乏大学生であるため、食事の面はまたの機会に考えることにする。


 現在このブログを執筆している部屋は、文芸サークルの部室である。


 ここには文化祭用のコスプレ衣装や他のメンバーが置いていった私服などが無造作に置かれている。お金をかけて衣服を調達する手間がないので、非常に楽である。


 加えて、メンバーが部室に顔を出すのは決まって平日なので、日曜日である今日に部室を訪れる者は俺以外いないという安心感もある。

 

 そうなれば、善は急げだ。


 まずは今年の文化祭で使ったコスプレ用の燕尾服に目を付ける。 


 安物とはいえ一万円くらいはするものであり、サークル随一のイケメンが着ていたことによって少し話題になったものだった。丁寧にハンガーにかけられているそれを無造作に取り出し、袖を通す。



 ……。


 びしっと伸ばして服のしわを取り、鏡を見て微笑みを浮かべる。こんな静かな昼下がりはハーブティーが飲みたい。そんなことを考えながら背筋を伸ばして歩き、閉じっぱなしのカーテンを丁寧に開けた。


 今日も突き抜けるような晴天が私たちを優しく包み込んでいた。青色のビードロのような空に浮かんだ太陽が優しく笑いかけている。


 部室から外を覗くと、休日だというのに研究に明け暮れる熱心な学生がいることに気付いた。


 彼らの努力が、血と汗と涙の結晶が、今後の日本を良いものにしてくれるという事を私は疑わない。人間というのは、なんて素晴らしい生き物なのだろう。

 

 さて、このブログを見ている奇特な読者諸君。いかがだろうか?


 私の人格は果たして変わったのだろうか。


 燕尾服という平時とは異なる服装に身を包むことで、私の心境の変化などは見られるのだろうか。私自身ではそれを観測することができない。私の打ち出した仮説が果たして合っているのか、それは賢明なる読者諸君に委ねようと思う。



 ……。


 冗談半分だったんだけどな。


 燕尾服を脱ぎ、自分の書いた文章に驚いている。少し寒気がしたくらいだ。


 俺は、少なくともこんな口調で文章を書いたつもりは一切ない。特別気取っているわけでもなく、普段通りのテンションで記述したつもりだった。


 しかしさっきの文章はどう考えても俺の元人格ではない気がするし、人生の中でハーブティーを求めたことなど一回もない。



 だとすると、ブログの記事のために俺が適当にでっち上げた仮説は本当なのか?


 ……いや。実験は何度も繰り返してこそだろう。

 


 燕尾服を元あった場所にしまい込み、俺は再び着替えを始めた。


 黒の生地に金のラインが入っているスウェットに、女児向けのキャラクターがあしらわれた健康サンダル。夜中のコンビニで見かけるダサいヤンキーの服装だ。これにサングラスまでかけて、札付きのワルを演出しようと思う。



 ……。

 つか、このブログの内容、マジしゃべーよ。ありえんわ。

 

 なんで俺は部室の中でサンダル履いてるわけ?


 脱いでから窓にぶつけた。窓は割れない。結構でかい音がしたけど、まあ大丈夫か。いざとなったらずらかれば良い。


 お前ら、記事読んで学校にチンコロすんなよ。


 そんなシャバい奴いたらカチコミ行くからな。


 こんなクソ記事見てるやついんのか?

 

 なんかイライラすんな。


 外に行こ。


 誰かから金を巻き上げて、パチンコに行こう。女を買ってもいい。ハッパを買ってもいい。


 町に繰り出そう。




 ……。


 巻き上げない! 買わない! 繰り出さない!


 ドアノブを掴んだところで我に返り、服を脱ぎ捨てた。恐喝と暴行と売春と大麻所持を同時にやるところだった。危ない奴にも程がある。


 何が「カチコミに行く」だ。こちとら運動できないゴリゴリの文化系男子だ。やったことも言ったことすらない単語だよ。ガラスが割れなくて良かった。筋力不足で慢性運動不足の自分に感謝するときがやってこようとは思わなかった。


 もともとレポートの提出から目を背けるためにやっていたことが、こんな事態を招くとは思っていなかった。この記事を書いている今、俺は頭を抱えている。


 この検証のせいで俺の中に一つ、懸念事項が生まれたのだ。


 これから俺は、どんな服を着て生活すればいいのか、ということだ。


 燕尾服は紳士。ジャージ姿はヤンキー。


 ある種ステレオタイプ化された礼節の中で、本当の自分を出せる服装は果たしてどれなのか?


 この調子では何をしても本当の自分ではないような感覚になってしまう。


 もしかして、普段着の俺も『普段着を着ている礼節』という一つでしかないのか?


 そんなことを疑ってしまう。急に自分の中の人格が増えたような錯覚すら覚えている。


 さっきのように少しでもヤンキーを感じるようなところがあったら犯罪を犯しかねない。親に学費を払って貰っている手前、それは非常にまずい。


 素の自分なら問題がないはずなんだが……。




 あ。 

 気付いた。

 俺は気付いたぞ。



「素」なのだ。それが大切なのだ。

 要は、服装のイメージを無にすればいいのだ。

 

 普段着のチェックのシャツはオタクっぽい印象を受ける。

 ……脱ぐ。


 細身のジーンズはなよなよしている印象を受ける。

 ……脱ぐ。


 くるぶしが隠れる白い靴下は垢抜けしていない印象を受ける。

 ……脱ぐ。


 黒いパンツは根暗な印象を受ける。

 ……脱ぐ。



 これで、完全なる素の俺が生まれた。


 今の俺は全ての服を脱ぎ、一糸纏わぬ姿になっていた。同時に今まで感じたことのない、何かから解き放たれた快感を味わった。

 

 そうか。

 野生動物が服を着ていないのは、ありのままの自分を表現したかったからなんだな。


 礼節に囚われ過ぎていたのは、我々人間の方だったというわけだ。

 

 しかし、俺は生まれ変わった。


 今日から俺も、生まれたまま、ありのままの自分だ!


 外の空気を吸いたい。外に行こう! 俺を止められるものは何もない!

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