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探偵・土井湊の洞察  作者: むひょー
序章 人を殺すには短すぎる
2/3


(みなと)!」


「――はっ」


 身体を揺すって大声で幼馴染の名を呼ぶと、彼は釣り上げられたように上体を起こした。

 いつもの眠たそうな半眼をぱちくりさせている。テーブルに突っ伏していたからか、額がほんのりと赤かった。


「大丈夫? 随分うなされてたみたいだけど」


 対面に座る湊に声をかけると、彼はちらりとこちらを見た。どうやら状況が飲み込めたらしい。一つ大きな欠伸をして「寝てたのか……」と呟くと、眉間をぐりぐりと一通り揉んでから応えた。


「ああ、千景(ちかげ)


 私の名前を呼んで、今度はこめかみを揉み込み始めた。頭が痛いのか。それとも、よっぽど嫌な夢でも見ていたのだろうか。彼の顔は険しい。


「ほんとに大丈夫?」


「え? ああ、大丈夫」


 じわりと汗を滲ませ、眉根を寄せる彼の姿は到底大丈夫そうには見えなかったが、ここで下手に心配してやると、湊のことだ。きっと「お前は俺の母親か?」とかなんとか言ってくる。

 それはそれでなんか腹が立つので、私はモヤモヤしつつも「そっか」と頷いて話を切り上げた。


「それにしても。こんなにうるさい中でがっつり居眠りとか、どれだけ寝てないのよ」


 ペース配分を間違えてルーが大量に余ったカレーライスを口に運びながら訊ねた。

 彼の様子を窺うと、いつもの憎たらしい眠たげなものに戻っている。


「寝てないわけじゃない。1限と2限の講義がつまらな過ぎただけだ」


 ホイップクリームがたっぷり乗ったパンにがっつきながら、ぶっきらぼうに彼は応えた。湊のそんな姿に少しホッとしつつ、それを悟られまいとカレーライスに目を落として、続ける。


「必修なんだからさ、つまんなくてもちゃんと受けなよ?」


「お前は俺の母親か?」


 ほら。

こいつ、土井(どい)(みなと)は昔からこういう奴なのである。


 私・来栖(くるす)千景(ちかげ)と湊は物心がついた時からの幼馴染で、小中高と同じ学校に通い、この春からは、京都のそれなりに有名な私立大学・京城(けいじょう)大学の法学部一回生としてキャンパスライフを送っている。

 お察しの通り、彼はその皮肉屋でぶっきらぼうで無口で無愛想な最悪の性格が災いして、私以外に友達という友達がいない。

 おまけに、本学の学生がこぞって集まる昼休みの食堂で居眠りをかませるような、マイペース人間でもある。

 顔はそこそこ整っているんだから、中身をどうにかしろと言ったところで、19年かけて培われた物が今更変わるわけがない。

 とはいえ一人にしておくのも可哀想だから、こうして大学でも行動を共にしているのだ。

 もちろん、私には友人がいる。三人ぐらい。

 おっと、少し話し過ぎてしまった。


 閑話休題。


 私はニヤリとして彼を見据えた。


「単位落として進級できなくなっても知らないからね。レジュメ、絶対写させてやんないから」


「いらねえよ」


 軽い脅しのつもりだったが、彼は涼しい顔でそれを躱して続けた。


「お前こそ。推理小説を書くのに没頭しすぎて退学になっても知らないからな」


 私が推理作家を目指して小説を執筆していることは湊もよく知っている。

 中学生の頃からの夢で、事実、何作か自作の推理小説を湊にも読ませたことがあった。

 その度に「トリックが稚拙過ぎる」だの「動機が理解できない」だのと文句を言われては、へこたれずに書き続けて現在に至る。

 しかし、それとこれとは今は関係ない。


「そ、そんなので退学になるわけないでしょ」


「どうだか。もう既に一個、落単が確定してるんだろ?」


 う……。

 思いもよらない場所から言葉のナイフが飛んできた。

 深々と、その刃が私の心を抉る。


「あ、あれは捨てていい科目だから……って、あれ。なんで湊がそれ知ってんの? 私、そんな話とかしたっけ」


 秋学期の初めに時間割の話はしたが、単位がどうという話は今までしたことがなかったはずだ。

誰かから「千景、やばいらしいよ」という話でも訊いたのだろうか?

 そんな懸念が頭に浮かんですぐ、私はその可能性を消し去った。

 湊にそんな話をする人なんて私の友人にはいない。

 というか湊と話ができる人なんてこの大学にはいないし、湊が話をできる人も同じようにいない。

 彼は咥えていたカップコーヒーのストローを口から離して、さも当然のように言った。


「時計」


「時計?」


 時計を見ろということだろうか?

 言われるがまま腕時計に目を落とすと、湊の言わんとしていることがすぐに分かってしまった。


「1時半。……あ、3限!」


「そう。3限は1時15分開始だ。千景は3限が入っていると、開始に間に合うように1時には飯を済ませて講義に向かうだろ。だが、11月に入ってから一ヶ月間、火曜日に限って昼休みをゆっくり過ごすようになった。先月まではそんなこと無かったのにな。受けていたはずの講義を一ヶ月間、受けなくなったんだ。受けたくなくなったのか、受ける必要がなくなったのか。それは分からないが、どちらにせよ、講義は受けなきゃ単位が貰えない。だから、落単が確定してる。それだけのことだよ」


 なるほど。確かにその通りだ。

 と、納得しかけたところで一つの反論が思い浮かんだ。


 負けてたまるか。


 その一心で反撃に出る。


「で、でも期末テスト100%の科目かもしれないじゃん。だったら、出席しなくてもテストさえ取れたら単位は貰えるよ」


「夏休みの終わりに時間割を一緒に考えたじゃねえか。その時に見た科目のシラバスには俺も目を通してる」


 う……。バレていたか。


「じゃ、じゃあ、評価の振り分けを言ってみなさいよ」


「あ?」


 湊が唖然とした表情で私を見ているが、知ったことか。

 こうなりゃヤケだ。とことん食い下がってやる。

 しばらくして彼は「はあぁぁあ……」と深い溜息をついて続けた。


「いいか。あれは出席30%、小テスト20%、期末テスト50%だった。10月までは真面目に出席していただろうから、千景は今、30%のうち10%程度を持っていることになる。単位取得の最低ライン、60%を目標にしているとしても、出席10%で期末の50%が取れるとは到底思えない」


「ふふ」


「な、なんだよ。気持ち悪いな」


 聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたが、そんなことはこの際どうでもいい。

 私を負かすことに執着して、湊は一つ重大な見落としをしている。

 それに気付いて、私は思わず笑みを零してしまったのだ。


「愚かな男よ」


「何が」


 まだ気付かないのか。自分でそれを言っておいて、まだ。


「あんたは小テスト20%を忘れている!」


 身を乗り出して自信満々にそう主張してやった。

 さぞ悔しかろう? どうだ? と湊の様子を窺ったが、私の期待に反して、彼は勝ち誇ったような表情を浮かべていた。


「愚かなのは千景、お前だよ」


「え?」


 湊は口の端を少しあげた。


「今日がその小テストの回だ」


「な……」


 そんな、馬鹿な。


 体から全身の力が抜けていくのを感じた。


 手札を失ってしまった……。


 私は塩をかけられたナメクジのように縮こまり、へなへなと椅子に座り込んで、「だああ……」とテーブルに突っ伏した。

 視線だけを湊に投げて、両手を軽く上げる。


「負けました……」


 湊はふっと微笑して、カップコーヒーのストローを再び咥えた。パッケージには『クッキー&クリーム風味』と書かれている。まったく、どこまで甘党なんだか。


「シラバス通りに講義が進んでいたらって話だけどな。まあ、小テストの日程すら知らないようだし、なんかやたらと食い下がってくるし、落単確定とまでは言わずとも、その可能性が高いってのは事実みたいだな」


 最後の力を振り絞って、口を「と」の字に開いた時、湊がスっと私の口元に人差し指を立てた。


「千景がどうなろうが知ったこっちゃないが。友達とやらに教えてもらうことを期待するよりも、今からでも素直に出席して出席点を稼ぐ方が得策だと思うぜ? ま、俺は空きコマだけどな」


「うう……」


 切札すらも失ってしまっては、湊に太刀打ちできる術などもう持ち合わせていない。

 私は素直に彼の言葉に従うことにした。


「そうだね……。分かった」


 完全に白旗を上げた私は、平らげたカレーライスの皿を返却するためにトレイを持ち、力なく席を立った。


 ――が、その時。


 机上に置いていた湊のスマートフォンが長く、等間隔に震えた。

 着信だ。

 あれほど騒々しかった学生達の談笑の声や、厨房から聞こえる揚げ物の音、食器と箸が擦れる乾いた金属音など、私達を包み込んでいた食堂の音が一斉に静まり返ったような、そんな錯覚に陥った。


 胸の中に苦いものが込み上げてくる。


 ほぼ条件反射のように、湊はその電話に応じた。

 相手は、恐らく――。


「……はい。……ええ、大丈夫です。……はい……はい。分かりました。今から向かいます」


 30秒ほどの短い通話を終え、湊がスマートフォンをズボンのポケットにしまった。


「用件は……?」


 大方の見当はついていたが、それが外れていることを祈りつつ、私は彼にかかってきた電話の詳細を訊ねた。

 湊は立っている私を下から見上げてこう言った。


「千景、残念だが単位は諦めろ。――殺人だ」


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