断想
黒い絵の具を幾重にも塗り重ねたような、深く隙の無い闇の中で一人、俺は立ち尽くしている。
何も見えない。自分自身の身体さえ見えない。何者かの気配も感じられない。
一体ここはどこなのか。
一体ここの広さはいかほどなのか。
何も分からない。
そこにあるのは寒々とした闇。ただ、それだけなのだ。
俺はふらふらと歩を進めた。明確な理由などない。ただなんとなく「歩かなければ」と、そう思っただけだ。
どれだけ歩き続けたのだろうか。やがて、闇の先にぼんやりと小さな光が現れた。
ゆらゆらと揺らめくそれを見て、俺は直感した。あれは出口だ。
――行くな。
俺は夢中で駆け出した。じっとりと滲む汗を拭うことも忘れて。
光は徐々にその大きさを増していく。幾筋もの光芒を放ちながら、光が闇を蝕んでいく。
(もう少しだ。もう少しで……)
――行くな。
胸中に大きな希望が芽生える。
(もう少しで出られるんだ)
俺がその大きな光に手を伸ばした瞬間、
――行くな!
激しい熱風が俺の顔面に吹き付けた。足元がよろけるほどのそれは、俺をこの闇から逃すまいとしているようで、事実俺は、その勢いに押されて後退ることしかできなかった。
咄嗟に両腕で顔面を覆う。が、猛り狂う風は尚もその勢いを抑えようとはしない。
(このままじゃ……)
ギュッと目を固く閉じ、死を覚悟したその時、ふっと風が止んだ。あれほどまでに猛威を振るっていた熱気さえも、一切の痕跡を残さず消え失せていた。
一体何が起こったのか。
俺は恐る恐る顔を上げた。
(えっ……?)
俺は自分の目を疑った。
何故ならそこには、漆を塗り潰したような闇が一転、毒々しい暗紅色の空が広がっていたからだ。
(これは……)
あたふたと狼狽していると、ふと俺は後頭部に微かな痺れを感じた。
……赤い。
(赤?)
奇妙な感覚だった。
……赤い、赤い、空。
――だからあれほど……。
盆の窪辺りから真っ直ぐ脳天にかけて、ぴりぴりと弱い電流を流されたような、そんな感覚。
……赤く、赤く。
――『行くな』と。
(やめてくれ)
形容しがたい不快感が俺を襲う。顔がぴくぴくと引き攣る。
(もう……)
頭の中に自分ではない何かが入り込んでくるのを感じた。
(嫌だ。なんだよ、これ……)
それを追い出すように、俺は頭を掻き毟りながら激しくかぶりを振った。しかし、その何かは一向に俺の中から出て行ってはくれない。追い出そうとすればするほど、頭を、体を、俺を、そいつは黒々と蝕んでいく。
……ん!
……さん!
……ああ、なんて。
(やめろ)
轟々と。赤く、さらに、赤く。
ゆらゆら、揺らめく。
赤い、赤い、それは。
……さ。
……らさ。
(ああ、ああ……)
『――罪人は、そして』
……と。
(やめろ)
……なと。
(やめてくれ!)
……なと!
(それ以上は、もう!)