03.走れ! (ひろたかずや)
「ケイドロ、まぁ地域によってはドロケイですか。これが今回の試験内容になります」
ホール内に無機質な女の声が響き渡る。
毎年、奇天烈な試験を行うことで有名な皇学園だが、今回もその例に漏れないらしい。
「ルールは簡単です。皆様は今からドロボウとなり、我々学園側が組織するケイサツから逃げ延びて頂きます」
急に始まるルール説明に会場が少しどよめく。試験内容がケイドロだと言われた直後のことだ、無理もない。
しかし流石はこの学園を受験する生徒たち。どよめきはほんの数秒で静まり、この女の声を聞き逃すまいと意識を集中させていた。
「また、皆様方には一枚の金貨と緊急連絡用の携帯を配布致します。自分の金貨をケイサツに没収されると失格となります」
俺が知っているケイドロとは随分と違うな。海外からの受験者や、そもそも本来のルールを知らない人への配慮であろう。スタートラインは出来るだけ公平に、ということか。
「会場は学園の所有する広大な森林。スタート位置は各人がバラバラになるよう指定します。残り人数が50名となった時点で試験は終了です。質問は一切受け付けません」
時間にして約2分。あまりにも簡潔で、予想外な説明だったが、これから試験が始まるという緊張感を植え付けるには十分であった。
そういうわけで、俺は森の中まで連れてこられた。木々の隙間から漏れる陽光が眩しい。かすかに聞こえる鳥のさえずりは、ガチガチの身体を幾分か和らげてくれる。
「それで、何でアンタまでここにいるんだよ」
隣には金色の髪を撫でながら佇む女の子が一人。その姿は気品に溢れ、ただ立っているだけで卓越した彫刻のようだ。
「よりにもよって、あなたと同じ場所からなんてサイアクね。協力なんてしないから、早くどこかに行きなさい」
ああ、口さえ開かなければ完璧なのに。
元からコイツと友好的になれるなんて思っていない。言い返すのも面倒だし、大人しく立ち去ろうとした瞬間。
視界の端に眩い光を捉える。陽光とも違うソレは明らかに俺達を狙って─
危ねぇ!!
倒れるように彼女を突き飛ばす。体勢を崩した二人の身体が、枯れ葉で満ちた地面に叩きつけられる。
轟音。
光は熱線となって、数秒前まで俺達がいた空間を突き抜けていく。
凄まじいエネルギー。光線は周囲の木と土を巻き込みながら、背後で大きな爆発を起こした。
どうにか身体を起こして、光の発生源を睨む。舞い散る枯れ葉に紛れて人影が一つ。
「よく避けた、坊や。おじさんも子供だと思って手加減しすぎたのかもな」
ボリボリと首を掻く中年。紺の制服にキャップ型の帽子、そして左腰に携えるは黒い棒。まさに、日本の警察官のような姿だ。
いや、見た目などどうでもよい。
初めて実感する死の予感。全身の細胞が逆立ち、脳内に渾身のアラームを伝えてきた。どっと吹き出した汗が身体の隅々に垂れる。
俺は持ち得る全てのエネルギーを脚に集中させる。筋肉は熱を帯び、ギチギチと弾け飛びそうな程膨らんだ。
殺される。早くこの場を離れなければ、跡形もなく消し飛んでしまう。
今にも逃げ出さんとする刹那、チラリと視界に映ったのは、いまだ地面に伏している金髪の少女。その瞳だけは真っ直ぐ俺を見つめていて。
「逃げるぞ!!」
彼女の右手を思い切り掴む。その手は細身でありながらも、力強く俺の手を握り返した。
溜めたエネルギーを一気に解き放つ。まさに脱兎の如く。
一歩 二歩 三歩
足を踏み出すごとに、景色が巡るめく変わる。
もう何歩か飛んだ後、俺達は投げ出されるようにしてそのスピードから解放される。
ゴロゴロと数メートルほど転がった後、大きな木の根にぶつかってようやく完全に停止した。
はぁ、はぁ。逃げ切れただろうか。
頭がうまく回らない。絶え絶えの息は整いそうにもない。
ぼんやりした視界の中で、背を向けた少女が尋ねる。
「どうして、助けたの」
自分でもよく分からないけど、何というか─
だって、君の瞳があまりにも美しかったから。