■チャプター6 「バグ」
しばらくの間沈黙が流れる。時が止まったかのようにお互い一言も話すことが出来ない。体の芯が冷え、全身の体温が極限まで奪われていく。その上冷や汗がとまらず、皮膚の表面から体温とともに蒸発してはまた流れてくる。寒い。私はガタガタと震えていた。
瑠璃宮はただでさえ色白な肌が更に白くなり、青ざめていた。唇も色がない。
私は力を振り絞って瑠璃宮に話しかける。
「な....なぁ瑠璃宮。これ、お前が作った加工写真とか、だよな?こんなことあるわけないもんな.......?」
「.......っ」
瑠璃宮が嘘ではないと言いたげな顔をする。.......分かっている。分かっているんだ、頭では。この事実が嘘ではないことくらい。瑠璃宮の演技でもイタズラでもないことも。でも.......
「頼むから....頼むから嘘だって言ってくれよ瑠璃宮!!」
私は泣き叫んだ。信じたくない。この世界が.......茶花高校を中心にした世界しかないなんて。それ以外は虚無。何もない。なにも.......。こんなの酷すぎる。ゲームのバグのようだ。データが壊れているみたいな.......。昔、何かのアニメでみた『上空に浮かぶ天空都市』そのものだ。私たちはその上にいる。ここはこの天空都市しか存在しない世界なのだ。この都市から出ることはできない。逃げ場も出口も助けてくれる人も存在しない。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
「る、るり....るりみや.......」
頼れるのはこいつしかいないのだ。こいつの口から『嘘』以外の言葉がでたら私は....私は.......。
「.......すまない。トーノコ。僕も認めたくなんてない。しかし認めざるを得ないんだ。これは....紛れもない」
瑠璃宮は一瞬躊躇し、そして言いづらそうに口を開いた。
「....現実だ。」
私はその言葉を聞いた瞬間、全身が爆裂してなくなったかのような感覚を覚えた。もはやその方が救いがある。もう.......こんなことになるなら死んで塵になったほうがマシだ。体の内側から肉体も精神も『絶望』に蝕まれていく。もう....これ以上やめてくれ。私をこれ以上苦しめないでくれよ。私が....私が一体何をしたっていうんだ!!
「ぁぁああああ.......」
私はもう声にならない声を上げて床に突っ伏してひたすら泣いた。こんなことしても何にもならないのは分かっている。しかし『絶望』は溢れて止まらない。もう嫌だ。死んでしまいたい。でも死ぬのは怖い。相反する感情に心がぐちゃぐちゃに掻き乱されていった。
「....トーノコ」
ふいに私の頭に小さな手が置かれた。暖かい。
私はしゃくりあげながら顔を上げる。瑠璃宮が今まで見たことのない優しげな瞳で私を見つめていた。不安や焦り、恐怖や絶望を顔に残してはいたが、それ以上に優しく、暖かい雰囲気をまとっていた。
「る.......みや」
私は舌がもつれて上手く言葉を発することも叶わなかった。
「まだ諦めるなトーノコ。僕としたことが珍しく取り乱してしまった。だが、狼狽えていても仕方ない。切り替えるぞ」
「でも.......でも、うっ....逃げ場なんて、ないんだろ?も、う私たちにできる....ことなんてなんにもありゃしねぇ、よ」
私は途切れ途切れに呟いた。
「いや、まだだ」
「え?」
瑠璃宮がドローンのコントローラーをカチカチと操作する。
「先程茶花高校の上空に置き去りにしていたドローンの回収ついでに安全そうな場所はないか探していたんだが、分かったことは二つ。まず一つ目は、この場所は天空都市のように我々の本来いた世界から隔離されていること。我々のいた世界自体が壊れたと言うより、我々自体が本来とは別の、この壊れた世界に飛ばされたのではないかと僕は思う。決定的な根拠はないが」
「わ....たしたちがと、飛ばされた.......?」
私は目を見開き、瞬きを忘れて彼の言葉を繰り返す。
「ああ。あくまで僕の見解で、想像でしかないが何らかの原因でこの世界が作られた。誰かに作られたか、自然にできたかは分からない。この世界自体がゲームのバグそのもの。データが中途半端に破損しており、我々が元いた世界を完璧には再現できなかった。そしてなぜかお前と僕の2人だけがこの世界に突然引きずり込まれた。そしてこの茶花高校を中心とした都市しか存在しない世界に閉じ込められた」
「なんで.......?」
「知らん。そんなことが分かっていたら苦労していない」
瑠璃宮は前髪をかきあげてそう吐き捨てた。
「どうしてさ.......そう、思ったんだよ?」
「我々がここに来た時のことを覚えているか?僕はいつの間にか茶花高校の近くにいた。その前は自宅の部屋で自作ドローンを操作していたはずだった。その突然目の前の景色が変わった一瞬のうちに我々が本来いた世界が壊れたというなら、まず我々二人だけが生き残っているのは不自然だし、あの0.1秒も満たない短い時間でなんの前触れもなく突然天空都市になり、この付近の人達が突如化け物に変化したとは考えにくい」
「そう.......だけど」
「それに、ここはまるでゲームの中の世界だ。比喩表現ではなく、もはや『ゲームそのもの』。ところどころに武器や回復キットなどのアイテムがあるし、敵を倒す事に経験値とレベルが上がり、運が良ければ敵がアイテムを落とす。そして僕はこの世界に来てから敵や自分自身、そしてお前のステータスが見えるようになった。その上集めた素材で武器やアイテムが作れるようにもなった」
「お前のその能力....元々持ってたやつじゃなかったんだな」
私は段々と冗談を言えるくらいには落ち着いてきた。
「そんな訳あるか泣き虫ポニーテール野郎。まぁ僕は天才だから、現実世界でもアイテムくらいは作れるかもな」
瑠璃宮はいつものように、自信に満ちたを笑みを浮かべた。彼はすっかり正気を取り戻したようだった。いつもなら頭にくる罵倒のセリフや煽り口調も、今ならなんだか許せる気がした。やっぱり瑠璃宮はこうでなくちゃ。そして私も。そんなことをぼんやり考えていると、あることに気付いた。私の心は朝にクラスメイトと対峙してから今までにどんどん絶望し、暗く、深くなっていく真っ暗闇に支配されていたが、一筋の光が差し込んできた。
「なっ、なぁ瑠璃宮!今のこの世界と私たちの元いた世界が違う場所ってことはさ、私のクラスメイトや先生、この辺りの住人も私の大事な家族も今皆無事ってこと!?」
「僕の予想が合っていればな。無事というよりいつも通りの世界でいつも通りの生活をしてるだろう。我々が今向こうの世界でどういった扱いをされているが分からないが、多分行方不明扱いだろう」
その言葉を聞いて私は一筋の光が段々と大きくなり、心の闇の半分が光に照らされて消滅した。
「よ....よかった。よかったぁ.......」
また私は泣き出した。しかし今度は嬉し泣きだ。みんな無事なんだ。みんな。心配かけさせてるだろうな.......。クラスメイトたちに会いたい。友達とまた中身のないおしゃべりを楽しんで、放課後に遊びに行ったり部活に励んだりしたい。家族にも会いたい。お母さんもお父さんも弟もみんなまとめて抱きしめたい。近所に住んでいるお姉さんや、よく利用する八百屋のおじさん、休日によく散歩をしているおばあさんに、弟の友人の小学生たち。みんなに会えるのは当たり前だと思っていた。いつでも会えると思っていた。でも、そんなことはなかった。今日の出来事で嫌になるほど痛感した。私はたくさんの人に支えられ、生きてきたんだな。みんながいるから私も生きていられたんだ。もちろん瑠璃宮の存在だって忘れちゃいない。
「おいトーノコ。まだそうと決まったわけじゃないだろう。何度も言ってるがこれは僕の勝手な憶測だ」
瑠璃宮が呆れたような顔で見てきた。
「わ、わかってはいるけどさぁ....」
「もし僕の話が正解だとしたら、我々二人がここに飛ばされた原因が分かれば元の世界に帰れるかもしれない」
「原因.......。特に思い当たることなんてねぇけどな.......」
私は何か手がかりがないか考える。まず私たちの共通点にヒントがあるとか?....ゲーム好き、運動神経がいい、口が悪い、目つきも悪い。.......これだけ?
「うーん....」
私は唸る。飛ばされるような理由なんて思いつかない。そもそも何の目的でこの世界が作られたかなんて分からないのに、推理なんてとても出来やしない。瑠璃宮とは面識すらなかったのに。
「悩んでいても仕方ないな。考えたって分からないなら行動あるのみ」
瑠璃宮が立ち上がった。迷いのない表情だった。
「ま、待てよ瑠璃宮。行動って....目星は付いてるのかよ?闇雲に行動するんじゃ意味ないし.......」
「僕は先程、分かったことは二つと言った。一つは今言った話だ。そしてもう一つは今から説明する」
瑠璃宮はドローンのコントローラーに取り付けたスマホを私に見せる。そこには、この街を上空から見た様子が映し出されている。そして一つの建物が黄色い線で囲まれてマークされていた。他にも、ところどころに黄色い点や赤い点が表示されている。
「ドローンを通してこのスマホに送られてくる映像がマップ代わりに使えることが判明した。ゲーム好きなお前なら分かるだろうが、黄色い点はアイテム、赤い点は敵だ。我々の現在地は青色の三角マークで表されている。そしてこの黄色の線でマークされている建物に何かあるのは間違いない。見たところアイテムというより、ストーリーを進ませるためのヒントだろうな。詰み防止だ。早速向かうぞ。ここに行かない限り何も進まない。絶対にこの状況を進展させられる」
「ここはどんな建物なんだ?」
瑠璃宮はスマホの画面を拡大して私に見せる。
「三階建ての一軒家だ。小さ目のな」
私はその一軒家をまじまじと見つめる。なんだが見覚えがあるような.......。
「悪い瑠璃宮。正面から映してくれねぇか?見たことがある気がするんだ」
「全く、仕方がないな」
瑠璃宮はコントローラーでドローンを操作し、すぐに私にスマホ画面を向けた。
「!?」
私は驚いて目を見開いた。見たことあるのは当然だった。だってこの家は.......
「わ....私の家だ.......」
スマホに映し出された建物は、どこからどう見ても私が生まれ育って今朝まで住んでいた私の家だった。
■チャプター6 「バグ」 クリア■