『第一話』呆れられては殺されて
「よう、咲」
針のむしろのような家を抜け出して人気のない夜の街を歩いている途中、後ろから飽きるほど聞きなれた男の声がした。
うんざりしながらも何か予感めいたものを感じて、私は振り返る。
「……祐樹」
こいつは元カレだ。油っ気のないぱさぱさのざんばら髪。すべてを悟ったような冷めた目つき。何時だってまっとうな意見を述べる性格と、真実を見抜く慧眼を私はかつて何よりも愛していた。
「祐樹、まさかまだ私のことが許せないなんて言わないよね?」
そう、かつては。だが今となっては昔の話だ。
「まさか。許すも何も、付き合ってから終わるまでお前からは一切の愛情を感じなかった。知ってはいるさ。お前が手練手管を尽くして、誠意と愛を伝えようとしたことはね。――――――ただ」
ポケットから、諸手ともども二丁のサバイバルナイフが鎌首をもたげた。柄にはおびただしい数のルーン文字が刻まれており、それは闇夜に青白く光り輝いている。
「お前には恥というものがない。バイクが好きだった俺のダチの手前で『震える鉄の塊に乗っているのによく彼氏が欲しいなんて言えるよね』なんて言いやがったよな」
「あれは、単に軽い皮肉のつもりだったんだよ」
「そいつが、お前の心無い皮肉とやらのせいで二度とバイクに乗れなくなったとしてもか?」
「――――――――――――」
「チッ!これで自覚がないと来たか。世話ねえな」
つららのように冷たくとげとげしい物言いで、祐樹は私を威圧する。
「俺は、仮にもお前の彼氏だった。だから、お前がそういう障害を持っていることも知っているし、なるべく支えようとも思った。でもな? 理屈と感情は別物なんだよ」
だから命で責任を取れと。お前を殺して俺も死ぬと。なんて浅はかで身勝手なんだろう。
だけど、物静かで優しかった彼を、そこまであさましい行いに至るまで追い詰めてしまった私は。
「なんて馬鹿なんだろう」
「お前、この期に及んでまだ他人を侮辱するつもりか?」
「まさか。わたしはただ――――――――――――――」
「御託も言い訳も泣き言も後付けの理由ももううんざりなんだよッ。せめてもの情けだ。お前に来世での人生をくれてやる」
もう言葉でやり取りする時間はとうに過ぎ去ったらしい。性差というのは残酷だ。力でも脚力でも到底かないそうにない。
「もういいや。殺して」
「ほう?」
殺意と憎悪が等分にまじりあった凶相に、一抹の愉悦が宿った。さて、言うべきことを言い終えたら、さっさと殺されてすべて終わりにしよう。もう疲れた。
「パワハラ昭和オヤジに学歴狂信ババアとこじらせKYアスペっ子のトリプルコンボ。周囲も本人もこれで疲れない道理はないでしょう?」
「なるほど。それじゃあ、死ね」
陸上部の元エースだった彼らしく、一歩目を強く踏み込んで、一気に加速した。
ああ、あの両手にナイフを逆手で持つ構えは見たことがある。『イタリア式双短剣術』の『城門の構え』だ。相手を一撃で殺すことに特化した、奇襲の構え。外れれば大きなスキが生まれるが、そんなことは彼にとっては問題ですらないらしい。
この双撃を受けなければ、いったい何がけじめと呼ばれるべき行いなのだろう。
ぼーっと突っ立っているうちに、彼が目の前まで来て、諸逆手に構えたサバイバルナイフが肩に突き刺さった。
「……ッッ!!」
頸動脈を一気に掻っ捌かれ、鎖骨から上が血まみれになる。なぜだろう。自分の叫びが遠く聞こえる。痛すぎて痛みを感じない。膨大な量の痛覚を脳が処理しきれていないのかな、とか。そんなどうでもいいことを血の気が引いた頭の片隅でぼんやりと考えていた。やがて全身の力が抜けて、糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる。
――――――――もう叶わないけど、幸せになりたかったなぁ。




