異世界にて、39歳の男が10代の子供に救われて養われることになる事案
手紙を持ったまま、俺は呆然と、穏やかそうに見える見知らぬ景色を見渡していた。
三十九歳だった俺は、あずかり知らぬ神様の不始末の結果、その容姿、その年齢のままで異世界に送り込まれたらしい。
胸ポケットに収まっていた手紙に、そんな感じのことが小難しく書いてあった。
一人ぼっちで立ち尽くしていた昼時の平野。そこから、他に人がいないものかと歩き出す。
その時、道の横の森の方から、崖崩れのような音がした。
「ん?」
見れば、森の奥。ダンプカーほどのサイズの鷲みたいな鳥が木を薙ぎ倒しながらこちらに走ってきた。
「うおおお!?」
明らかにこちらを目指して突進してくる巨体に、俺は大声を上げて驚く。そこで、どう逃げようかと考えて、鳥から見て九十度の角度に逃げた。
急カーブなんてあの図体、あの速度では無理だろう。
駆けながら鳥の方を見ていると、予想通り、鳥はこちらに頭を向けて、蹴躓き、ゴロリと転がる。
「よし」
振り返ってその様子にガッツポーズを決めたのも束の間、鳥は体を丸めてコロリと転がり、スッと立ち上がる。スタイリッシュ。
「そ、そうはならないだろ!」
するとそいつは、俺に向かい大声で吠える。
「キュエエエエエエ!」
総毛立った。
少し可愛らしい鳴き声だったが、木々をものともせず突っ込んでくるミサイルみたいな生き物なので、恐ろしさの方が勝る。
「う、うお、くそ、なんだそれ、なんだあれ!」
何もない道よりは少しはマシだろうと、木々の中を走る。すると鳴き声と共に、背後で木がどんどんと倒されていく音が聞こえてくる。
鳥にとって木は少しも障害になっていなかった。俺が走りにくいだけだったかもしれない。
十秒か、二十秒走った辺りで、既に息が上がって、顕著に速度が落ち始める。
数十年ぶりの全力疾走の所為か、足に力が入らない。筋肉張ってきた……このままだと、ふくらはぎを攣る。
いや、いや無理だろ、こんなのがいる世界で普通に暮らすなんて、無理だろ。
弾けそうな鼓動とビリビリしてきた手足に、運動不足を悔やむ。あと、前の世界での体力そのままで異世界に投げ出された事態を呪う。
「は、はぁ、へぇ……ひ、酷い、状況、だな」
「キュエエエエエ!」
命の危機を感じながらも、速度は落ち、鳥はあっという間に近付いてきている。
足がガクッといく。いかん、躓いた。そう思った直後、ちょっと前に頭があった位置を、鋭いくちばしが貫く。
「……おっ。ラッキー」
地面に倒れてそう思って口にした直後。
ベキッ
「ぐえ!」
両足で踏まれた。
「あ、がが……!」
身体がミシミシとかブチブチとか、聞き慣れないエグい悲鳴を上げる。走るだけで木を砕く鳥だ、具体的な重さはわからんが、軽いわけもない。
あばらとか、臓器とかが壊れていく感覚がある。今ここから運良く逃げられたとしても、これは手の施しようがなく死ぬんじゃないだろうか。
これはなんとも、短い異世界生活だったな。
鳥は勝利の雄叫びよろしく改めて大きく鳴くと、ぐったりした俺を足でグッと掴み、木々を気にせず羽ばたき始め、飛び立った。
死にかけてぶらんと垂れ下がりながら、俺はぼーっと考えていた。
俺、餌になるのかなぁ。こいつのか、雛のか。
どんな凄惨な殺され方をするにしても、身体が動かない以上、抵抗のしようもない。
人付き合いも、人混みも苦手だった。とはいえ、こんな場所で、こんな死に方をする羽目になるとは。
せめて景色だけでも見ておこうかと、焦点も合わせず遠くなった地面や、山々を揺すられるまま漫然と眺めていた。
そんな俺の目の前に、突然人が現れるまでは。
「あの、生きてますか?」
「うお!? げふっ!?」
ビクリと全身が震える。全身が痛む。悲鳴を上げる。
そしてその悲鳴に、眼前の人物は驚いた様子を見せた。
かなりの速度で飛翔しているはずの鳥の横を、まるで突っ立っているかのように平然と浮いている謎の人物。
俺はしっかりと焦点を取り戻し、そいつのことをマジマジと見つめた。
少年、だろうか。さらりと綺麗な髪、澄んだ青い目、整った目鼻に、高い声。性別はよく判らない。見た目に、十歳よりは上に見える。中学か高校か……十四、十五というところだろうか。
「あぁ、すみません! あの、違ったら申し訳ないんですけど、もしかして、困ってます? これ、捕まってるわけでは……捕まってます?」
慎重に言葉を選んでいる様子が見受けられる。
待って欲しい。この状況だ、一目瞭然だろう。馬鹿にしているのだろうか。
そう思うも、もしもそう見えないなら、俺は今どんな状況なんだろうなとも思った。
見た目云々は置いておこう。兎にも角にも、助かる可能性が出てきたので、素直に助けを求めることにした。
「た、助けて、くれると……助かるなぁ」
決して素直ではなかったかも知れない。
俺がそう口にすると、少しおどおどとしていた少年の瞳は、途端にキッと鋭い光を湛える。
「あ。はい! 助けます!」
素直に少年はそう応じた直後、手を上に振り上げた。
その途端、何が起こったのか判らないまま、俺は空に投げ出された。
「な、なんとぉ!?」
何で吹っ飛ばされたのだろうか、と思って鳥の方を見ると、鳥は頭も足も、バラバラに切断された様子で、そのまま下へと崩れ落ちていくところだった。
「え、うお、マジか」
俺が見ている間に、少年はどこからともなく取り出した袋に、今分断した鳥をあっという間に収めた。絶対に入りきるような袋ではなかったが、何事もなく収めてしまった。
いやまぁ、冷静にそんなこと分析している場合じゃなくてだ。
「お、おーちーるー……」
フリーフォール状態。安全バーがないので死ぬしかない。全身痛い上に肺が圧迫されて声を出すとずきずき痛んだ。
落下する人間を無視して鳥肉集めるのに夢中とかどうなんだよと思わなくもなかったが、余裕ないし、声にしたところで少年の耳に届かないだろうから口にしない。
なんだ結局死ぬのかなと諦めかけていると、不意にふわりと俺の落下が止まった。
何かに触れたわけでもなく、地上までまだ数十メートルはありそうな空中で。
「うぐっ」
穏やかな停止ではあったが、それでも少しの衝撃に腹がずきりと痛んだ。
「あぁ、ごめんなさい! まさか飛べないなんて……気づかなくてごめんなさい! もっと早くに助けるべきでした!」
いつの間にか俺と同じ高度まで下がってきていた少年は、涙目で俺の方へ手を突きだしている。
彼が力で俺を浮かべているのだろうか。念動力、というやつなのだろうか。
というか、飛べるのがこの子にとっては常識なのかな。だったら、まぁ仕方ないか。そうか、助けたら俺が自力で飛べると思ったのか。なら、鳥肉回収も仕方ない。
と、ひとしきり勝手に納得してから、俺はようやく感謝を口にした。
「いやぁ、助かった……ありがと」
そう口にしながら、自分の身体が危険な状態だったことを思い出す。
「あと、たぶん腹や腰の辺りがいってると思うから、出来る範囲で治療もしてくれると、すげぇ助かるんだが……駄目かな?」
治療で治せる様な状態なのか、自信がないけれど。
「治療ですね! お安いご用です! ただ、僕はその、不得手ですので、村に来て頂いてもいいでしょうか? そこでなら、すぐにでも治せるかと」
そか、村があるのか。
この少年みたいに、飛び回れる人が大勢居るのだろうか。もしかして、全員が触れずに物を寸断できるのだろうか。恐ろしいな。
「村があるんだなぁ……連れて往ってくれるなら、すごく、助かる」
そもそも自分以外の人を探して歩いていたわけだし、今歩く余裕がないわけだし、この状況は渡りに船だった。
ただ、村に往くとして、金も何にもないんだけど、治療はできるだろうか。
住む場所とか、飯とか、そういうのって身寄りがなくてもどうにかできるだろうか。
酒と煙草ってあるのだろうか。
等々、色々訊こうかとも思ったけど、社会人時代から尚続くコミュ障が遺憾なく発揮され、俺はただただ沈黙していた。
俺をゆっくり地上近くに降ろしながら、少年はすたりと地上に降り立った。
「では、僕の村へ案内します。その、浮かべたままで大丈夫でしょうか?」
「ありがとう、すごく快適」
「それは何よりです」
横柄な俺ににこりと微笑み返すと、俺を仰向けに浮かせたままで少年は村への道を歩み始めた。飛べるのに歩くか。
……なんか、二回りくらい下の子供となんて話したことないから、どんな口調で話せばいいのかわからない。敬語、使うべきなんだろうか、なんだろうな。助けられたわけだし。
「な、なぁ」
「はい。なんでしょう」
「……あぁ、なんでもない」
「そうですか。何かあったら遠慮なく云って下さいね」
口調を変えられなかった。変に強張ってしまい、結局横柄な物云いのまま。コミュ力不足なんだろうか、これも。
そんな自嘲をしながら、身体の痛みに耐えつつぼーっと空を見ていた。ふと、視線を少年に向けると、何やら少年がこちらをチラチラと見ていることに気付いた。
「……何か?」
つっけんどんな問い掛け。それにやや驚いた様子で、少年が少し慌てた。
「あぁ、いえ、あぁ、えっと……その、お訊ねしても、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
言葉と合わせて身振りでも話を促してみようとしたけれど、激痛が走ったので一ミリも手を動かせなかった。折れてるなこれ。
痛みに耐えて浮いてるだけというのもキツいので、会話があるならその方が気が紛れて助かる。それに、話し掛けるの苦手だから、積極的に話し掛けてもらえるととても助かる。
しかし、何訊かれるんだろうか。これはやはり、金か? 治療費か?
「あの。失礼かも知れないんですが」
あぁ、これは金だ。
そう思い、最悪その辺に捨てられる覚悟を固める。
「結構、その、お歳を召されていると思うのですが、おいくつ、なのでしょうか」
想定外の質問が飛んできた。
そして、それはそれで、確かに失礼だった。
「……お歳、召されているように、見える?」
「え、あぁ、はい。随分と」
「……そう」
輝く笑顔で云われる。
凹む。
まぁ確かに、この少年が十五だとすれば、二十五歳くらいで子供作ってれば親世代だ。なるほど、年齢の話って思った以上に凹むものだな。
手が動くなら、顔を覆いたくなった。
髭の所為で老け顔に見えるだけだと自分に云い聞かせるも、傷は深い。
「す、すみません、そんなには高齢ではなかったですかね!?」
「そんなには高齢ではなかったですかねぇ」
そんなに高齢だと云う自覚は決してない。なんならまだ若い方だと思っている。
少年から見てどの年齢層が高齢なのかは判断が付かないものの、あくまで三十九は中年の域を出ていないはずだと思う。
「先にそっちの年齢は?」
「あ、僕は十三です」
「なるほど、若い」
俺の三分の一だった。
少年の若さに、少し自分の高齢を納得しかけてしまった。
というか、名前より先に年齢確認って、どうなんだ。この世界の文化なのだろうか。年齢帯で村が別だったりするのだろうか。
少し警戒をして、低めの年齢を云おうかとも思ったものの、その警戒に果たしてどれほどの意味があるのかと考え、意味が見出せなかったので正しい年齢を口にすることにした。
「俺は三十九だ」
「へぇ、三十……九!?」
足を止めてバッと振り返り、目を丸くする。その様子に少しビックリして身体が跳ねて、腹部が痛む。
「つっ……おう。三十九」
「ま、間違いではなく……三十九歳、なのですか!?」
「間違いはない、はずだが」
そこまで過剰に驚かれると、自分のことながら少し自信がなくなる。
驚くほど実年齢よりも老けて見えたのか、あるいはその逆……は流れ的にないので、やはり凹む。
しかし、あるいは三十九が不吉な数字であったり、なにかの符丁という可能性も……驚くほどの年齢とは思えないし。
「そんな、そんな……ハッ」
何かを察した様子。
「だから、飛んだり様々なことができなくなった、のですか!?」
なにが「だから」なのかという説明が欲しい。あと「様々なこと」の内訳も説明して欲しい。
「まぁ、少年。落ち着いてくれ。えっとだ、俺は……長いこと一人で生きてきたから、君らの常識を、知らない。三十九歳に、なんでそんなに驚くんだ?」
話ながら、俺は俺の出自はそういう設定にした。何も知らないと云ってしまえるなら、質問もし易い。
それなら何故言葉が話せるのか等と突っ込まれるとだいぶ痛いなと思ったものの、少年からその突っ込みが入ることはなかった。
俺の言葉に、少年は更なる衝撃を受けた様子が見て取れた。
すると、どう云ったものかと思案しているらしく、何度も何度も云い淀み、視線を泳がせ、言葉を整理している。
そして、ようやく整理がついたのか、唾を飲み込んでから俺の目をじっと見てきた。
「突然すみません、僕たちの常識では、さ、三十六歳を越える年齢の人は、居ないんです。平均寿命は三十歳前後、今の長老でさえ、三十二歳……一体、どうやって、三十九歳も!?」
「……なんだと?」
未だかつてない衝撃を受ける。
たかだか三十九で、長老を上回る年齢だという。この世界かどうかは不明だが、少なくとも彼の村では、三十九はギネス記録レベルのご長寿になるということになる。
……平均寿命が短過ぎるのではないか。年齢計算方法が、前の世界と相違しているのではないか。
そこまで考えたが、痛みで思考が中断されるので深く考える作業はやめた。
「まぁ、あれだ。年齢は一旦後回しにするとして」
「後回しですか」
とても驚いた後で、とても残念そうにシュンとする。どうやらかなり興味深い案件だったのだろう。
少年はそこでまたハッとして、長く立ち止まってしまったと俺に詫びて、歩みを進め始める。
確かに身体は痛いので早く治療はされたいが、この状況で謝られるいわれはないと、俺は感謝を返した。
平然、ではないが、雑談もできているので致命傷じゃないとは思う。とは云え、今までの人生で致命傷を受けたことがないので判別は難しい。
さて。俺の方からも、やっぱり最低限質問しておきたいことはある。
何せ、少年とか彼とかではあまりに呼びにくい。
「あぁ、その、君。名前は?」
「僕の名前ですか? 僕はアルディラです」
「アルディラ」
西洋風。性別は、いまいち判らないが……恐らく男だろうか。
「苗字は?」
「苗字ですか? 苗字……?」
苗字はない文化の様子。
さて、恐らく漢字はないとして、和名を名乗って良い物だろうか。しかし、偽名とか自分で憶えられる自信がない。
「苗字というのは判りませんが……あの、貴方様のお名前は」
貴方様って初めて云われた。とてもむず痒い。ただ歳食ってるだけで、人に尊敬される要素ないだけに。
吉野雪国。もうすぐ四十年の付き合いになる俺の名前だが、もしかすると、今後吉野の姓を名乗ることはないのかもしれない。
「雪国。変な名前だけど、雪国だ」
「雪国様、ですね。綺麗な名前ですね」
綺麗だろうか。そもそもこの世界に雪は降るのだろうか。
それはそれとして。
「様はいらない」
名前に様付け。そんな呼ばれ方するの、病院かホテルの受付くらいだろう。いや、その辺でも苗字かな。
しかし、俺の否定をアルディラ君は強く拒絶してきた。
「いえ! 申し訳ございませんが、外せません! 恐れ多くて!」
「恐れられるいわれがない」
「三十九歳なんですよ!?」
「ごめんねぇ、その年齢事情俺ピンと来てないんだわぁ」
俺に対して過剰に敬ってくるアルディラ君は、歩きながら俺の年齢がどれだけ奇跡的なのかを丁寧に語ってくれた。
空を見ながらそれを聞いていたら、疲労もあり、何度か寝落ちしそうになり、やがて、普通に寝落ちてしまった。
***
寝起きで見上げた天井は、幾何学模様に木を組み合わせた様に見える、異質なものだった。
何、あれ。捏ねたの? 木を?
見慣れぬ造形の天井を見て、休息に目が覚めた。と同時に、差し当たり夢ではなかったことだけを理解する。
「……んん」
寝台に手をついて身を起こす。上等なベッドに寝かされていた様子。前の世界にあった低反発だなんだとやたら高級なベッド、と云う感じとはまた違うけれど、少し固く、少しふわっとして、落ち着く感じ。
身を起こした時、身体が動き、痛みがないことに気付く。骨折とか大変なことになっていただろうに、治療はもう済んでいるのだろうか。早いな。それとも、何日も眠っていたのだろうか。
「あ、目が覚めましたか?」
と、輝く笑顔のアルディラ君が声を掛けてきた。
すぐそばで、俺の様子を見ていてくれたらしい。周囲を軽く見渡してみるが、他には人はいない。有り難い、知らない村で知らない顔しかないと、心細いというか、逃げ出したくなる。
いつもの人見知りが、少し情けない。
「ありがとう。世話を掛けたかな……俺は、一体どのくらい眠っていたんだろうか」
「えっと、四半日、というところでしょうか」
四半日……二十四時間の四分の一……六時間か。あれ、そんなもんなのか。
「というか、すごい傷でしたよ!? 死んでいてもおかしくないくらい! よく普通に話しなんて! あ、僕が話し掛けてしまっていたから! ごめんなさい!」
良い勢いのまますごい深々と頭を下げてきた。
「いや、痛かったけど、話している間はそこまで痛くもなかったし」
「胸と腰と足の付け根の骨が粉々に砕けていたと! 臓器も深く傷ついていたと!」
「あ、マジで?」
そうか、そんなに広範囲で粉砕骨折だったか。
そこまでは痛くなかったのが……痛すぎて麻痺してたんだろうか。死ななくて良かった。
「内臓については、内側もボロボロだったと聞いています!」
「内臓まで」
……それは酒や煙草の所為では?
そう思ったけど余計なことは云わないことにした。禁酒とか禁煙とか云い出されそうだから。
なんにしても、九死に一生を、アルディラ君が拾ってくれたことは疑い様もない。
「えっと、あぁ、なんだ……アルディラ君、本当にありがとうございました。命を、助けて貰って」
悪あがきの君付け。さん付けしたいところだったんだが、つい。
座ったままではあったけれど、なるたけ丁寧に頭を下げて、ゆっくり上げる。すると、キョトンとした顔のアルディラ君が見えた。そして、すぐにハッとしてから、顔を赤くして手を振る。
「や、やめてください! むしろ、雪国様が生きていてくれて良かったです! 助けられて、本当に良かったです! 遅れて、助けるのがもう少し遅れていたら……遅くなってごめんなさい!」
そっと手を握られる。そしてちょっと潤んだ目で見つめられる。
十三歳の美男子に、そんなに熱く見つめられることがあるなんてな。さすが異世界だ。前の世界では人との関わりが希薄だったから、少しときめいてしまう。
……そういや性別正しく確認してなかったけど実際のとこはどうなんだろう。
「あまり畏まられるのもあれだが、まぁ、俺なんかが生きててくれて良かったなんて、そう云ってもらえるのは嬉しい」
「はい……ところで、あの、体調の方は大丈夫でしょうか。もしよろしければ、念の為色々とお話を聞かせて頂きたく……失礼ですが、確認をさせて頂きたいのですが」
「あぁ、大丈夫だ。すっかり。で、確認とは?」
「その……」
治療費か?
そう思って構えていたが、内容は全然違った。
なんでも、俺の年齢については、治療中に確証が取れたらしい。どうやったのかは、アルディラ君もよく把握していないらしいけれど、この村では一般的なのだとか。
「……やっぱり、雪国様は……最長老様でした!」
「その呼び方ぁ」
老って文字に良いイメージがないなぁ。あと白髪もないのに。皺だって……あんまない、はず。
「あの、雪国様、お願いがあるのですが!」
「様付け慣れないねぇ。まぁいいや。何? 恩人の頼みなら極力聞きたいところだけど、俺、金も知識もほとんどないよ?」
金については、ほとんどどころかゼロなわけだが。
しかし、長老って云ったら生き字引、知恵袋的な感じがするが、頼っても何も力になれないことだけは理解して置いて欲しい。少なくとも、恐らく肉体も能力も知識も俺よりアルディラ君の方がスペック高い。
「そ、そんな、恩人なんて……いえ、その、無理にとは云いませんが、できましたら、なにとぞ」
そして、床に見事な土下座をする。いや、ちょっと違うな。手を組んで丸くなっている。まぁでも、流れ的に土下座みたいなもんなんだろうなこれ。
「その土下……なん、て云うのか。まぁ、起きて。聞くだけ聞くから。無理なら無理って云うから。無理じゃなければ、できる限りのことはさせてもらうよ」
「あ、ありがとうございます!」
返事は良いが、なかなか身体は起きてこなかった。
やがて、ゆっくりと身を起こし、俺の目をジッと見る。
「その、雪国様の長寿な子種を、できる限り残して頂きたいのですが」
「ん……んん?」
なんかエロ本みたいなこと云われたか?
「えっと、ちょっと待て。なんだって?」
「雪国様の長寿な子種を残して頂きたいのです」
「てぇ、いうのはぁ……つまり、要するに?」
「多くの子供を作って頂きたいと」
「あぁ、そう。そういう……そうだよな」
十三歳の少年に真面目な顔でそんなこと云われたくなかったなぁ。
早く結婚して子供の顔を見せろって、甥に云われてるみたいな気分だ。
「長寿な、って、なんで?」
「寿命を延ばすことはこの村にとっては最優先の目的なのです! 僕も、この村の寿命を伸ばしたいのです。少しでも。僕の父は二十九歳で亡くなり、二十八の母も、そう長くは……」
「二十八で、そんなか」
二十八歳。会社で云えば仕事に慣れて落ち着いてきたくらいだろうか。そんな女性があと数年で亡くなるのか。俺を見た目から老けていると云ったくらいだ、腰が曲がるとか痴呆とか、そこまで老い衰えて死ぬわけでもないのだろう。
……想像すると、それが歳下だからなのか、なんか胸が詰まるな。
「僕や妹の寿命は伸びることはないでしょうけれど、僕たちの子供や、その子供や……いつか、もっと、長いこと生きていけるようにしたい。そうなって、欲しいんです」
自身の死まで既にアルディラ君は考えていたことに、俺は驚いた。
そうか、単純に寿命が短いってことは、生き死にのサイクルが早い。より死と関わる機会が多くなるのか。二十歳で子を産んだとして、子が十歳になる頃には、親はもう死んでしまうわけで。
色々考え始めたら、息苦しくなってきた。
少し空気が重くなった。
すると、それに気付いたアルディラ君は、パンと手を叩いて話を変える。
「す、すみません! あぁ、そうでした。あまりおもてなしもできませんし、綺麗でもないのですが、この部屋で良ければ好きに使って下さい」
そう云って、手振りで部屋全体を示した。
「え? ……あ、住んで良いってこと? いいのか、こんな広い部屋を」
「えぇ。構いません、僕の家で恐縮ですが。本当ならもっと大きな家を用意」
「いらない、いらない」
俺は手と首を振って拒否した。村の中に住めるならそれで充分だ。眠る場所さえあればいい。あとはまぁ、飯とか、風呂とトイレとか、酒とか、煙草とか……考え出すとキリが無いけど、贅沢は云わないべきだろうな。居候だ。
と、そんな話をしていると戸が開いて、アルディラ君と同じくらいの少女が現れた。
ふわふわと柔らかく膨らんだ白髪で、眠そうな目。アルディラ君と同じくらい整って綺麗な容姿。随分強めに性別を主張している胸。この子については、女性であることは明白だ。
なんだここ、美形しかいない村なのか。居たたまれない。
「アル。あなたの云っていた……っ!」
その子は、俺と目が合うや、少し驚いた様子で跳ねた後、眠そうな目が少し開いて、キツめの三白眼で睨んできた。
ギロって感じで睨まれたのは初めてだった。年齢と見た目の割に、随分と迫力がある。
なんで睨まれているんだろうか、突然変なおじさんがここに居たからだろうか。もしもそうなら、俺でも睨む。わかる。
「……無事に、起きたんですね。良かった。それでは」
俺を睨んだまま、俺に小さく会釈をする。
「ありがとう、ルシア」
「気にしないで。またね、アル」
簡単な挨拶だけをすると、そのまま戸が静かに閉じて出て往ってしまった。
アルディラ君は、アルって呼ばれてるのか。
アルディラ君との会話で少女の名前がルシアだということは判ったけれど、一体誰だったのだろう。
彼女が部屋を離れていく足音を聞いてから、俺は睨まれた理由を含めて彼女のことをアルディラ君に問い掛けようとした。
「あの、彼女」
「ふふ、すごい緊張してましたね」
穏やかに、アルディラ君が笑う。
「緊張……緊張してた? 俺?」
「え? あぁ、違います! ルシアの方です!」
あぁ……あのキッツイ睨みが、緊張によるものだったということだろうか。人見知りなのだろうか。だとすれば、わかる。知り合いが見知らぬ人と話してたら、距離置きたくなるよな。
「紹介が遅れてごめんなさい。えっと、もう帰っちゃいましたけど、彼女はルシアンクエイルードと云いまして、隣の家に住んでいるんです。この村で一番治療が得意なんですよ」
へぇ……あぁ、ルシアも愛称だったんだ。長いな。
「治療が、というと、彼女が俺を? だから俺を見て、無事にって」
「はい。正確には、彼女と僕の妹のソノラです」
そうか。たった二人に治療されたのか……どう治療されたのだろうか。やはり魔法的なのだろうか。まぁそうだろうな、粉砕骨折が数時間で治ったわけだし。
「そうか。二人には改めてお礼を云っておかないとだ。というか、今、ソノラ君はこの家に? 早速お礼を」
「はい。今疲れて眠っていると思いますので、起こしてきます」
「やめてあげてくれるかな」
「はい」
お礼がしたいのに叩き起こすのは本末転倒というか。
そんな話をしていると、戸が開いた。そして、穏やかに微笑んだ女性が、恭しく入ってきた。
アルディラ君によく似た顔立ちに髪型、大きく異なる真っ赤な目で落ち着いた女性の声。アルディラ君よりはずっと年上に見えるから、妹ではないだろう。姉か、母親だろうか。
「失礼します。初めまして雪国様、私、オーロラと申します。お料理を用意させて頂きましたが、如何致しましょうか」
料理と云われて、なんだか急に空腹を自覚してきた。くぅと、珍しく腹が鳴った。
昼頃から六時間寝ていたとすれば、もう夕方だろうか。寝ていたというか、生死の境を彷徨っていたと云うか。
「あ。あぁ。はい、初めまして、雪国です。ご丁寧に。あと、ありがとうございます……料理……」
俺がそう応じると、女性は嬉しそうに頭を下げてから、部屋を出る。
「今のがアルディラ君の母親の?」
「はい、母です」
「へぇ……若々しくて」
元気そうなと続けようとして、けれど、あと数年生きられないと気付き、言葉を止めた。
「母の料理は波がありますが、たぶん美味しいと思います」
「それは楽しみだ……波あるの?」
「はい、結構大きく。昨日酷かったので今日は美味しい確率が高いです」
なるほど……ちょっとだけ不安。
二十八歳の母、十三歳の息子。出産十五歳か。と考えて、平均寿命の所為で出産年齢がやたら低いのだなと気付いた。
そうか……俺が子供作ろうとしたら犯罪臭しかしないなぁ。
しみじみと噛み締めて、俺には無理だなと思ってしまった。
恩人にお願いされてるわけで、口にはしないが。でも、いつか断ろう。無理強いはしないと……断りにくいなぁ、事情聞いちゃったから。
命を助けてもらった恩人の願いを果たせない気がする。そんなモヤッとした気持ちを胸にしたままではあったが、取り敢えず、俺とアルディラ君は料理の用意されている居間へと向かった。
居間に着くと、椅子に座り、若干ふらふらと揺れている少女が居た。
アルディラ君より少し髪が長く、容姿はこれまた似ているが、目の色は澄んだ茶色。みんな目の色違う。
「……あ。アル……あ、あぁ! もう元気にちゃんとなりましたか!? おはようございます。こんに、ばんは? ゆー、ゆ……雪? 国? 様? ソノラです、私は」
バッと目を覚まし、椅子を降りると急接近してきた。しかし、言葉の順序がめちゃくちゃだ。そしてそれとは別に、声がやたらと良い。耳の中に心地良く響く。いいな、こういう特徴。
様付けが、つくづくむず痒い。
「初めまして。あぁ、そうだ。ありがとう。死にそうなところを助けてもらって、なんと云ったら良いか。えっと、ソノラ君」
ちゃん付けもアレか? と思ったので、君付け。偉ぶった教師みたいになってしまった。
「えへへー。初めまして。良かったー、今日は美味しいですよご飯、多分!」
「多分」
彼女もまた、アルディラ君と同じく確率論者の様子。
そこに、波のある調理人の母親が現れる。
「今日のは美味しいですよ」
「今日のは」
思わず復唱してしまう。
本人も波を把握している様子。
……アルディラ君とソノラ君は、まぁ君付けで良いとして、母親はなんと呼ぶべきだろうか。オーロラ君? オーロラさん? ここは、さん付けが無難だろうか。
「雪国様、沢山食べて下さいね」
「あ、えっと……様付けじゃなくて、良い、です、よ? オーロラさん」
歳下という点はアルディラ君と一緒なのだけど、人の母親というところで、どういう口調で話し掛けたら良いのか盛大に迷走する。
「申し訳御座いませんが、無理です」
明るい笑顔と声で軽やかに拒否られる。
「左様で」
身内はさておいて、年上への様付けがこの村の常識なんだろうか。それともこの家のルールなんだろうか。
並んだ手料理は温かく、こう云うと失礼だが、運良く大変美味しかった。
少し濃いめの味付けだったので、すごくお酒飲みたくなる。あと鳥肉の料理も幾らか出ていたので、多分俺を捕食しようとしたあいつだと思う。すまん、俺がお前を食う。いただきます。
飯を食いながら、一応酒や煙草について訊ねたところ、お酒はあるけれど、煙草というものは誰も知らないとのことだった。ショックだ。
取り敢えず酒を少し貰った。味は甘めで、アルコールは超薄かった。
***
翌日、俺はアルディラ君に、現長老の家に案内されることになった。なんでも、昨日中にアルディラ君が現長老に俺のことを報告していた時に、回復したら呼ぶようにと云われていたらしい。
アルディラ君が「案内するように云われているのですが往かれますか?」と俺に確認を取ってきた辺り、現長老より俺の方が優先されている感じがするが、そういうのはちょっと困るので、今後も現長老を立てていて欲しい。
しかし、突然湧いた俺が長老という立場を脅かしているというのは、長老からすれば快く思えないものなのではないだろうか。
なんだか少し不安になりながら、アルディラ君に連れられて家を出た。
道すがら、平均年齢が二十前後の通行人たちが、俺のことをジッと見つめてくる。そして時折、歳が、皺が、老けて、といった様々な声が聞こえてきた。イントネーションが違うのは判るのだけど、罵倒されている気持ちになる。
しかもどいつもこいつもやはり整った顔をしているものだから、皺も含めて自分の顔を袋で隠したくなってくる。
しばらく歩き、充分さらし者になった後で、長老の家に辿り着いた。
「ここが現長老の家です」
そう説明すると、ノックをしてから名乗り、内側からの許可を得てから中に入る。
中に居た男性、恐らくは二十代中頃に案内され、部屋に通される。ただし、一人でとのことだったので、アルディラ君には帰ってくれて構わないからと伝えてから部屋に入った。
「失礼します」
ちょっと顔見知りがいないことに不安を覚えながら中に入ると、そこは柔らかそうな低い椅子と低いテーブル、まるで応接間のような空間だった。
そこに、一人の女性が座っている。女性はこちらをジッと見ていて、薄く微笑みを浮かべていた。
この女性が三十二歳の長老か。若いはずだが、貫禄がある。
少し長い髪、底の見えない深い茶色い瞳。ただ、若々しい見た目に少しに合わない、ちょっとばかり疲れた様な声と表情。寿命から来ているのか、元々の個性なのかは、俺には判らない。
「初めまして……雪国です」
「話は聞いていますよ、雪国様」
偉い人からされる様付け……なんか怖い。
「そう怯えないで下さい。私は長老……元長老、になりますか。ツァリーヌです」
ふふ、と楽しそうに笑う。
「長老とは、村長でもあります。ですが、私より歳上の雪国様が現れた以上、その役もお譲りすべきなんでしょうかね」
村長を譲られるなんて冗談じゃないと、俺は息を呑む。
ツァリーヌさんの楽しそうに云うその言葉は、冗談なのか計りかねる。だから、真に受けて返事を返すことにした。
「やめてください……俺は、異邦人です。この村での長になんてなれっこない。村長は、貴女です。この村をよく知らない俺には、荷が勝ち過ぎます」
「ふふ。残念です。そうですか」
どこまでも楽しげに、ツァリーヌさんは笑い、俺の顔をジッと見つめてきた。
「アルディラに確認をされたかと思いますが、貴方様が最高齢であることは、間違いないようですね。ルシアンが治療の歳に、貴方様の身体の年齢を割り出しましたが、三十九……ほぼ四十と云っていました」
そんなに細かく判るものなのか。年輪みたいな物が見えたのだろうか。
「ですが、それでも新参者です」
「ふふ、判っております。村長の役割を押し付けたりは致しません」
そう口にしてから、嬉しそうにころころと笑う。
「雪国様。簡単にで構いませんが、こと此処に至った経緯など、聞かせて頂いてもよろしいでしょうか」
ビクッと少し震えた。
俺はこの世界の山で一人暮らしていた、親は既に死んでいる。その設定を自分にも云い聞かせながら、口にしようとした。
すると、ツァリーヌさんはすぅと指を二本立て、俺の言葉を止めてきた。
「先に二つだけ確認をしておきます。一つ目、私どもの村以外にも他所に村はありますが、知る限りで寿命については此処と大差ありません。そしてその村々以外に人が居るという記録は今のところありません。二つ目、ジャスパーに襲われて捕まる様な人についても、また記録にありません。よろしいでしょうか、雪国様」
俺の嘘を吐こうとしているのを察したのか、事前に潰してきた。ジャスパーっていうのは、あの巨大な鷲みたいなやつだろうか。
下手に嘘を吐いて、騙せる相手ではなさそうなことを察した。とはいえ、果たして本当の話をしても、信じてもらえるかどうか。
しかし、他に選択肢はないか。
そう覚悟を決めると、俺は四つに折り畳んだ一枚の紙をツァリーヌさんに差し出した。
「……突飛な話になると、思うんだが……判りました、嘘は云わない」
「貴方様の存在自体がもはや突飛ですので、どの様な話でも」
そう云いながら、ツァリーヌさんは紙を開き、書かれていた文字を読み進み始める。
そういえば平仮名と漢字だったから、もしかして俺にしか読めないのかと思ったけれど、ジッと見ているので、どうも読めている様子。
あの紙には、無駄に丁寧に長々と文章が書かれていたが、要約すると『君の寿命の設定を誤ってしまい突然死をさせてしまった。元の世界で生き返らせることは難しい為、本来の寿命分は別の世界で生きて欲しい。ごめん。神より』というものであった。
「別の世界? 雪国様、これは?」
読み終えたツァリーヌさんは、案の定、目を丸くして俺の方を見た。良かった、この世界の人にも読める字だったらしい。
「この世界で気付いた時、手に持っていた。そこに書かれている通り、俺は元々別の世界で暮らしていたと思っているし、その記憶もあります。ただ、云っても混乱させるだけだろうから、山で過ごしていたと、嘘で乗り切るつもりでした」
「なんとも……確かにこれは、思っていた以上に突飛なもの、ですね」
ツァリーヌさんはしばらくその紙を見ていたが、やがてそれを丁寧に畳み、俺にそれを返した。
「前の世界の人間は、というか俺は、空を飛んだり、あの、なんだっけ、ジャスパーだかっていう巨大な鳥を、軽く倒したりできない。この世界の人間に比べて、ずっと弱い人間だと思います」
「なるほど」
うんうんと、ツァリーヌさんは頷く。それから、俺の目をジッと見た。
「それで、その世界の寿命は、およそ何歳くらいなのですか?」
「え? どうだったかな……八十、とかですか」
「八十!」
先程以上に、ツァリーヌさんは驚いた様子。
それから、こほんと咳払いをした。
「失礼しました。驚いてしまって……そうですか。それなら、雪国様はまだまだ生きられるのですね」
「俺は不摂生だったから、確証はないけども……まぁ、多分」
「そうですか。雪国様も八十まで。それは大変喜ばしいです」
不摂生の辺りは綺麗に無視された感じだろうか。
「はぁ。素晴らしい。この歳になって、長老になって……その上で、まだ自分より歳上の人に会えるなんて、思いもしませんでした。ありがとうございます。雪国様」
すごく嬉しそうに、ツァリーヌさんは俺の手を取った。
「えっと、なんの感謝をされたんですか」
「誰しも、歳上には甘えたり敬ったりしたいものでしょう? 私も最年長と敬われてきていますが、私もまた、誰かをそうしたいと常々思っておりました。長老になると云うことは、その機会を永遠に奪われると云うことで、歴代の長老たちも、それで幾らか心を弱らせておりました」
そう云ったと思うと、俺の手を離し、ニィっと少し悪戯な笑顔を浮かべた。
笑みの種類が次々移ろう。狙ってのことなのだろうか。
「お陰様で、私はまだ元気で居られそうです。雪国様は村長ではないとはいえ、年齢では最長老ですから、私は貴方様のことを敬っても良いでしょうか?」
酷い訊き方だと思った。そんなことを云われては、断り辛い。というより、断らせる気がないのだろうな。
敬われる理由が納得はできていないが、彼女がそれを心の支えにできると云うのなら、敬われること自体を突っぱねることもないかと考える。
「……どう、ぞ?」
「ありがとうございます」
人の悪い笑みを潜ませて、人の良い笑みを浮かべてくる。
敬うと云ってこそいるものの、この人相手に口で勝つことはないだろうなと、しみじみ感じ入る。
「ところで雪国様。アルディラから話は聞いておりますか? 子供を沢山作って欲しいと」
またしても、ビクッと俺は震えた。
「その様子ならば聞かれましたね。あの子は恐らく、雪国様が良ければ、と云うような遠慮がちな云い方をしたかと思いますが……私としては、次第によっては無理強いもやむなしと考えているのですが、いかがでしょうか。前の世界のことになるかと思いますが、既に結婚をされていたりはしますか? この村での結婚に抵抗はありますか? 子を作ることに抵抗はありますか? 子種に老化の影響が出たりはしていませんか?」
グイグイくる。
全然敬う気がないと感じるは気のせいかな。
「結婚はしていませんが……率直に云って、抵抗があります。結婚も、子を作るということも。年の差がありすぎる」
「寿命が長いから、結婚も遅れるものなのですか」
勝手に納得された。単純に相手が出来なかっただけなのだが、敢えては云うまい。
「でもそうなると、確かに年齢差が。そうですか。そうでしょうね。この村では、早ければ十二歳、遅くとも十七歳で結婚をして子を成します。雪国様の子は大変欲しいのですが、それほど歳の離れた結婚というのは、この村でも前例がありません」
俺の年齢が前例からすれば規格外になっているわけだしな。
……結婚適齢期が早過ぎる。
「判ってもらえますか」
「はい。そうですね、歳の差と云うのでしたら、アルディラの家のオーロラや私の年齢などがまだ良いでしょう。ですが、オーロラや私では、子を産む前に死んでしまう可能性も低くないのです」
「うぐっ」
死を引き合いに出されると色々断り辛くなるから止めて欲しいが、この人はそういうこと考えた上で言葉を選んでいるのだろうから、性質が悪い。
「雪国様が所帯を持ってくれるというのならそれを歓迎したいところですが、それにしても結婚してすぐに死別というのはあまりに。それならば適齢期の者を、と云いたいところなのですが、正直に申し上げると、結婚などと云わず、様々な者と大勢の子を作って頂ける方が有り難いです」
少しも言葉を飾らずにすごいこと云い出した。
「い、いや。いや。そんなことを長が云うのか。それは結婚以上に抵抗がある。第一、そんなこと、この村の女も男も望まないのでは?」
そう云うと、ツァリーヌさんは優しく笑う。
「雪国様の子を宿すことを、確かに全員が望むわけではないかもしれません。特に結婚をしている者などは。ですが、長寿はこの村の宿望。長寿を成している雪国様の血は大勢に強く望まれています。雪国様が抱く抵抗感とは事情が異なりますから、未婚の者ならば、喜んであなたの子を作るでしょう」
優しい笑みで云うことではないだろうと思った。
あぁ、こういうハーレムを用意するなら、年齢層を引き上げて用意しておいて欲しかったな。あぁ、引き上げられると俺の価値なくなるのか。
「あの、ツァリーヌさん……あまり、貴女に敬われている気がしないのは、気の所為ですかね?」
「あら、失礼しました。ふふ、これでも敬っているつもりですが、それ以上に甘えてしまっているのかもしれません」
そう楽しげに口にした後、幾らか温度を落とし、「ただし」とツァリーヌさんは付け加えた。
「最長老の雪国様の言葉や意思さえも、村の今後の長寿の為には無下にせねばならないことをご理解ください」
笑顔のままではあったが、その気迫に気圧され、少し背中に汗をかいた。
それと同時に、長寿でさえあればどんな相手が迷い込んでもこの様な対応だったのだろうかと考え、少し薄ら寒いものを感じた。
「訊きたいのだけど、俺が悪人であったとして、だけど長寿でさえあればそれで良いのか? それは、何か」
上手く言葉にできず、そこで言葉を区切ってから、頭をかいた。
俺の云わんとしたことを察したらしく、途切れた俺の質問に対して、ツァリーヌさんは「えぇ」と言葉を返し始める。
「長寿でさえあれば、心が動くのは確かです」
さらりと肯定されて、やはりかと少し心配になる。と同時に、本当に俺には年齢以外の価値がないのかと、少し自嘲気味に頬が引きつった。
「ですが村長として、私も人はできる限り選びます。それに、アルディラから簡単な話は聞いていますし、あの子の人を見る目は信頼が置けますから。私自身も、今こうして雪国様と話しをして、失礼ながら、貴方様でしたらと判断を致しました。長く健やかに生きる為には、長寿とはいえ、良き人である方が望ましいですから」
その言葉に、少し安堵する。
「良き人」という言葉の指す内容が、善良な人なのか、都合が良い人なのか、はたまたそれ以外なのかは、考えないこととした。
この後、本当に俺が子を成すべきなのかを、幾らか訊ねてみた。
俺は飛んだりする特別な力がないので、俺が子を作ると弱い子になるかもしれないこと。そもそもそういう力を使わなければ長生きできたりしないだろうか、ということ。等々。
それに対して、力については産んでみなければ判らないこと。力の使用やそれ以外の方法も過去に試したが、寿命は伸びなかったこと。と、それぞれ云い負かされてしまった。
俺の心情以外、断る理由の一欠片も用意できなくて、口惜しい。対してツァリーヌさんは、穏やかな笑顔を湛えている。というのに、心なしか、してやったりと勝ち誇ってる雰囲気を感じる。
「ふふ、歳の差が気になるのでしたら、最初は私でも良いのですよ。この村で一番雪国様に近いですから。ただ、一人の子を残せるか、際どいところですが」
「頼むから、寿命を持ち出して危機感煽るのはやめてください」
「ふふふ。ごめんなさい。危機感で子供が残せるのなら幾らでも、と云いたいところですが、嫌われたくはないですから、一旦は此処までに致します」
「一旦かぁ」
悪戯に笑う長老に、俺は苦笑いを返した。
ツァリーヌさんが、俺以外に寿命を持ち出して会話をする機会がそうあるとは思えない。ならこれは、寿命についての俺の反応が良いと感じて、敢えてそうしたに違いない。
今後、正面から正直に交渉したりするのは避けようと心に決めた。
「今日はこのくらいにしておきましょう。呼び付けてしまい、申し訳ございませんでした」
「いえ、ツァリーヌさんは村長で、俺は客人です。これで構いません」
「ありがとうございます。今度、貴方様の過ごした昔の世界の話を、お聞かせください」
「ええ、喜んで。その話をできるのはツァリーヌさんしかいないので、俺も少し楽しみです」
そんな会話を挨拶に、軽く頭を下げて、俺は戸に向かって歩き出した。
部屋を出ると、アルディラ君が立ってこちらを見ていた。少し、ビビった。
「あ、終わりましたか?」
「あ、あぁ、終わったけど……まさか、ずっとそこで立っていたのか?」
「はい」
「先に帰ってくれていても良かったのに、ありがとう」
「いえ、雪国様のことを考えていたら、あっという間でしたので」
「ほ、ほう」
俺に対する忠義心が行き過ぎていて、少し怖い。
ツァリーヌさんは、アルディラ君の人を見る目を褒めていたけれど……俺なんかなこんな忠犬みたいになってる辺り、あまりアテにならない気がする。
「アルディラ君。自分を大事にしないといけないからな」
「? えっと、はい。大事にしていると思いますよ?」
判り易く疑問系だった。
俺が適任だったとは思わないが、この子のこの純真さを悪用する人間が送られてこなくて、本当に良かったと思う。そして、そうならない様に今後も気を付けようと思った。
***
長老に挨拶をした翌日、の夜。俺は夕飯を食べ終えると、ベッドで突っ伏していた。
今日の夕飯も美味しかった。
明日以降から、そろそろどこかですごいのが来ると思いますとは、アルディラ君とソノラ君の共通した見解である。すごいのってどんなのが来るのだろう。二人の怯みっぷりを見る限り、美味しい料理を期待するのは少しポジティブ過ぎるのだろうか。
さておいて。
「なんか、疲れたな」
長老の屋敷を出てしばらくした後、ツァリーヌさんが最高齢の客人がオーロラさんの家に住んでいると、村全体に連絡を回した。そしてその結果、アルディラ君と出歩けば今まで感じたことのない視線を浴びることになった。人気の俳優というよりは、動物園のパンダの人気に近く思える。
なんにせよ、人に見られているというのがすごく落ち着かない。
しかし視線だけではない。掛けられる言葉は「とても歳を取っている」「老いている」「皺が」「頭頂部が」諸々。
若さが欲しいと、初めて思った。
「疲れているのでしたら、身体をお揉みしましょうか?」
「大丈夫、伏せてれば元気になる」
疲れて伏している俺の横には、アルディラ君がちょこんと腰を下ろしている。この子ずっと俺の横にいる。
「皆、雪国様のことを尊敬していましたね」
「そうなのかな」
フルボッコだったドン。
ただ、食べ物やよくわからない物を沢山貰えたので、それはとても有り難かった。なんなのかは、アルディラ君に聞いて今後順次解明していくことにする。
「ふふ。やはり雪国様のこと、皆気になる様ですね。悪く思っている人など居ない様子。さぁ、気になる人は居ましたか!?」
「今は何も考えずに休みたいかなぁ」
「そうですか……」
シュンとしてしまった。
話を変えてしまおう。
「そういえば、今更気になったんだけど、長老って結婚してるのか」
「しておりましたが、二年ほど前に死別しております」
「マジか……男の方が寿命短かったりするのか?」
オーロラさんといい、ツァリーヌさんといい。
「いえ、性別でほとんど差はなかったかと」
「あ、そうなのか」
そんな雑談を経て話題は移り変わり、やがて、酒が飲みたいなという話になった。
「一人飲みも悪くはないのだけど、アルディラ君はお酒飲めるのかい」
「えっと……飲め、ますよ?」
今までで一番芳しくない返事。
「あれ。あぁそうか、年齢的にダメとか?」
そう訊ねると首を振る。聞けば、酒は十歳以上かららしい。とすれば、単純に好きじゃないのだろうか。
「そうか、なら仕方ないな」
そう口にしてから、しくじったと気付いた。
慌ててアルディラ君を見ると、ものすごく葛藤しているのが見て取れた。
「あ、あの、えっと……僕も、飲め! ……ます……」
急速にダウンするボリューム。
「いや、その、あれだ。嫌いなものを無理に飲ませたいわけじゃないから、俺が酒を飲んでる横で飯でも食っていてくれて、少しくらい話し相手にでもなってくれていれば」
「っ! いえ! 飲めます! 正直なところ、お酒は好きですから!」
かなり強く覚悟を決めた顔で云われる。
無理をするなと云いたいところだけど、そう云っても突っぱねるだろう。それに、無理をしていたとしても、嫌いなものを好きと偽ることはしないと思う。
であれば、何故好きなのに飲むのを嫌がったのかという話だが……まさか、酒癖悪いのか。
「私もお酒一緒に飲む〜」
テンション高く、ソノラ君が乱入してきた。手には酒を持っている。
聞けば、酒を飲む飲まないの話題が聞こえたので、居間から持って来たのだと云う。
「ご一緒させて頂きます、雪国様。その、あまり飲まない、と、思いますが」
何やら決意を固めた目で、アルディラ君がこっちを見てくる。
それほど酷いことにはならないだろうと、無下にすることもできず、三人でお酒を飲むことにした。一度オーロラさんが様子見を兼ねておつまみを置きに来たが、お酒には付き合わず、戻ってしまった。
部屋を出る際に、オーロラさんは「お恥ずかしながら、私もアルもソノラも、酔うと甘えん坊になってしまいますので、適当にあしらってください」と言葉を残していった。
自宅で酔うならさほど問題もないだろう。そう思ったのが少し甘かったのだと、程なくして知ることとなった。
「雪国様……頭を撫でてくれませんか?」
「雪国様~、お髭~」
しばらくは雑談もできていたのだが、その内に会話が上滑りし始めて、やがてこの有り様である。
二人とも話など気にせず、ただ身を寄せて、あぁしてくれこうしてくれと甘えつつ、俺の体をペタペタと触ってくる。
アルディラ君に乞われたので一応頭を撫でてみると、アルディラ君は目を細め気持ち良さそうにした。
しばし撫でてから手を離すと、アルディラ君はすぐに俺の手を掴み、再度自分の頭に戻す。俺の右手の自由が奪われた。
一方のソノラ君は、髭を触り、髪を触り、腕を肩を背中を触る。結構くすぐったい。しかしまだ満足していない様で、服を脱がそうとして来たので、左手だけで抗い続けた。
全く酔っていない頭で、今後この三人で酒を飲むのは控えようと強く思った。
***
翌朝、俺は部屋の床で目を覚ました。
二人が寝落ちたので、二人をベッドに乗せて毛布を掛けた後、自分は床で寝たことを思い出す。
だが、目を覚ましたところ、右腕にはアルディラ君。左腕にはソノラ君が絡み付き、二人もいつの間にかベッドから下りて床で眠っていた。
ギュッと掴まれて振り解けないので、二人を引き離すことを諦める。
嬉しい様な、面倒な様な、複雑な気持ちで、溜息を吐いた。そして、戸の方へ視線を向けると、俺を見下ろしている三白眼の少女が見えた。
驚き、跳ね上がる。しかし二人は起きなかった。
「び、びっくりした……君は、確か」
彼女は、アルディラ君がルシアと呼んでいた少女だった。長い名前だったが、なんと云ったか。
「……挨拶が遅れました。ルシアンクエイルード、です」
あぁ、そう。そんな名前だった。
「あぁ、初めまして、ではなかったかな。雪国だ。よろしく、ルシアンクエイルード君」
両腕を束縛されて床に寝そべっている状態で、よく恥ずかしげもなくそんな挨拶ができるものだと、自分に少し感心する。
「私の名前は、長いですから、ルシアで構いません」
そう云われて、少し考える。確かに、ルシアの方がずっと呼び易いだろう。だが、愛称である。初対面でいきなり呼ぶのは、馴れ馴れしかったりしないだろうか。少し気が引ける。
色々考え、普通に呼ぶことにした。
「いや、ルシアンクエイルード君と、そのまま呼ばせてもらいたい。綺麗な名前だし」
何より、しっかり呼んでおかないと忘れそうだから。
俺がそんなことを云うと、少し驚いた顔をしてから、頬を赤らめて目を逸らす。
「……お好きに、どうぞ。急ぎの時は、略して読んで、構わないので」
「あぁ、ありがとう」
照れている? あぁ、名前を褒めたからだろうか……しまった、少しキザに云い過ぎたかもしれない。
「お酒を、飲んだんですね。二人の酒癖、悪かったでしょう。お疲れ様、です」
「いや、何、楽しい酒だった」
「次はベッドで眠れると、良いですね」
「……本当にね」
取り敢えずしばらくは二人とは飲むまい。
「あ、ところで。二人に用事? 起こそうか?」
そう云いながら、俺は俺を押さえ込んでいる二人の方を見る。こんなに横で話しているのに、起きる気配が全くない。大したものだ。
「いいえ。今日は、雪国様の様子を、見に来ただけなので。ですが、先程オーロラさんに、ご飯をと誘われましたので、また来ます」
「俺の? あぁ、そう、そうだった。ごめん、お礼を忘れてた。危ないところを助けてくれて本当にありがとう。この通り、すっかり良くなった」
大変申し訳ないのだけど、すっかりお礼を云うタイミングを逃して忘れていた。一応昨日家には往ったものの不在だったりで。いやぁ、良かった。やっと会えた。
「そう、ですか。それは良かった、です」
「何かお礼とかしたい感じなんだけど、なにかあるかな。アルディラ君やソノラ君にも何かしないと。オーロラさんもご飯を作ってくれているし……さて、どうしたものか」
金もなく、居候して食わして貰って世話焼かせっぱなしの状態で、果たしてどんな礼ができるのか。
何か出来ることを考え、うーんと唸る。
「いえ、別に私は。雪国様を治療できたなら、それで」
「そんな謙虚なこと云われたら俺が恐縮してしまう。今じゃなくても良いんだけど、何かあったら云って欲しいな」
「そう、云われても……あぁ」
ルシアクエイルード君は、パフと手を叩く。
「何か思い浮かんだ?」
「えぇ。あの、結婚して、貰えますか?」
ピシリと固まってしまった。
「……えっとぉ……」
想像を絶していて、思いっきり視線が泳ぐ。
挙動不審な俺を見て、ルシアンクエイルード君は、くすりと笑った。
「冗談、です」
「じょ、冗談……冗談、なのか。はは」
本当に冗談なのか、俺の態度を見て冗談と云ったのか、俺には見当も付かなかった。
ただ取り敢えず、自分が情けない気持ちが膨らんだ。
「雪国様を救えたと、そのことだけで、誇らしいです。ですから、お礼など」
「いや、そんなことはないだろう。俺なんて、何も出来ないのに。みんなどうしてそう、欲がないのか……」
「でしたら、結婚を」
「んん!」
つい、俺は変な顔をして呻く。それを見て、ルシアンクエイルード君は楽しそうに笑った。
ひとしきり笑ってから、深呼吸をして自分を落ち着けて、幾らか緩んだ三白眼で再び俺を見下ろす。
「そういえば、雪国様。一つだけ、どうしても、訊いておきたいことが」
「ん? なんだろう」
真剣な目をして、ルシアンクエイルード君が俺を見る。釣られて、俺も少し真面目な顔を作る。
「雪国様が来て、オーロラ様の料理は、すごかったことは、ありましたか……!?」
「……? いや、まだ、だけど」
「あぁ……!」
顔を覆う。
……あぁ、確率か。認知度高いな、オーロラさんの失敗確率。
しばし、大丈夫か不安そうな顔をしてから、諦めの溜め息を吐いて、俺の方へ向き直る。
「それでは、また後ほど」
「あぁ。本当にありがと」
簡単な挨拶をしてから、ルシアンクエイルード君はゆっくりと部屋を出て往った。
あの鋭い眼光が、少し和らいでくれたことが、なんか結構嬉しかった。
ルシアンクエイルード君が帰ってしばらくしてから、アルディラ君とソノラ君が目を覚ました。
そして、今の自分の状態に気付くと、アルディラ君は青ざめながら、ゆっくりと前に見た丸まった姿勢になる。
「……酒に酔って、とんだ醜態を」
「いや、ごめん。丸くなる前に止めるべきだった。大丈夫、気にしてないから」
「記憶にないのですが、僕はきっと、何か大変なことをしてしまったのではないでしょうか!」
ちょっと厄介だったが、大変なことではなかったと思う。大変だったのは、むしろ俺を脱がそうとしてきたソノラ君の方。
だが、ソノラ君は、寝起きでポケーッとしている。低血圧なのだろうか。
「……あ、おはようござい、ます~。雪国様~」
実に、のほほんとしていた。
なお、この後にルシアンクエイルード君が来て食べた夕飯は、無事美味しい料理だった。
***
アルディラ君の家に居候を始めて十日が経った。
昨日の飯は、本当にすごかった。かなり悪い意味で。匂いと見た目は美味しそうなだけに、口にして最初の衝撃が大きかった。
オーロラさんさえも口を押さえていた。
すごい料理を食べたのは昨日までで二回。普段がとても美味しいだけに、何故そんなものが仕上がってしまうのか。
その様な感じで、良くも悪くも、居候に完全に慣れてきていた。家事も少しずつ手伝える様になってきた。
……四日間くらいは、断固としてさせてもらえなかったんだよな。
まだ村からしても、完全に来賓の扱いではあるものの、生活にそこそこ慣れてもきていた。
いつか、このもてはやしが終わった時、俺に何か残るのかと思うと怖い。
ただ、この世界の適齢期の女の子にアプローチを掛けられるのだけは、正直参っていた。
今日はまた長老の家に伺っていた。これで四度目となる。二度目三度目は、今の生活についてと、前の世界についてを語ったりした。
ツァリーヌさんは、この世界では一番の理解者だった。
「雪国様。この村で暮らして、結婚の意欲などは変わりましたか」
「結婚に対する憧れはないわけではないのですが……いかんせん、なぁ」
十代は、ちょっと。
「とはいえ、この世界の村々で、貴方様ほど長寿な者はおりません。まぁ、よしんばその様な人が居たとして、雪国様を他所の村にお譲りする気はないのですが」
にこりと優しい笑顔。ただ、圧がすごい。
「それは、そうなんだけど……まだ、どうしても割り切れない」
「困りましたね」
「えぇ」
んーっと、お互い考え込む。
「雪国様の寿命は私どもより長いので、私どもよりも時間の余裕を感じられます。しかし、特に私は明日を生きられるか知れぬ身。できれば、急かしたいところですね」
キラリと、鋭くツァリーヌさんの目が光る。
あまり長い時間半端な状態でいると、その内に否が応でも結婚か、あるいはシンプルに子作りを強要してきそうな迫力がある。
それはちょっとと思うので、俺としてもどこかに落としどころを見付けてしまいたい。
「つい今し方、他所の村に雪国様を渡す気はないと私は云いましたね」
「云いましたね」
他所の村がどういうところか、気になってはいるのだけど。
「絶対にここに戻ってくると云う約束はしてもらいますが、試しに、他所の村を見て回ったりしてみますか?」
提案を受ける。
よく意味が判らず、頭の中で一生懸命に考えてみた。が、やはり判らない。
「……なんで?」
その行為になんの意味があるのか、どんな目的があるのか、さっぱり見当がつかなかった。
「一つは、他所の村も、似たようなものだということを知って貰う為。雪国さんと同年齢の人が居るかも知れないなどという希望を砕き、現実を見て貰う為です」
「とても夢のない提案だ」
「もう一つは、旅の共にアルディラとソノラを……あとルシアンも顔見知りでしたね。その三人を同行させます。そうしてずっと一緒に居れば、誰かしらにあなたの情が移ることもあるでしょう。一度でも適齢期の娘に情が移れば、今後の結婚も子作りも楽になるでしょうから」
「……本人に向かって明け透けと」
企みを全部本人に話すものだから、この人は食えない。他にも何かあるかも知れないが。
「他所の村で子種を落としてきても良いですが、定住しては駄目ですよ。私が死ぬ前にはこの村に帰ってきて下さい」
「死ぬ前って、そんなに長く旅をする気はないのだけど」
「いえ、心の支えである雪国様がいない間に、心を崩し、私が死んでしまってもおかしくはないのです」
脅迫みたいなことを云われる。
「……旅に往かせたいのか止めたいのかどっちだ」
「半々です」
「自分で提案しておいて……」
「自虐というわけではないのですが、実際のところ平均寿命は越えていますから。それに何より、雪国様の話を聞くことも、雪国様に甘えさせて頂くことも、私にとってはかけがえの無い大事なことです。傍に居て欲しいと云う気持ちは嘘ではありません」
有り難い。
でも、だからと云って即結婚したり子供を作ったりできる覚悟がないので、俺は沈黙しか返せなかった。
「ですが、この村の将来の為。貴方様の将来の為にも、何か変化が必要だと思うのです」
変化。それが、旅を経て、訪れると云うのだろうか。
……適齢期の十代の子と結婚したくなる変化を、良い変化だとは到底思えないのだが。頭が固いのだろうか。
多分、オレは苦虫を噛み潰したような顔をしていたと思う。
そんな俺に、ツァリーヌさんは「それはそれとして」と言葉を掛けてくる。
「貴方様と一番近い歳頃の相手と、子を成してから旅立つ方が、私はとても安心です。村の為にも、貴方様の今後の為にも」
「こ、子をって……歳が近い相手?」
疑問を少しも考えずに思わず声に出してしまうと、ツァリーヌさんは良い笑顔で自身を指差す。
咽せる。
「ん、んん! い、いや、それは……えっと。か、からかってますね?」
なんだか笑顔に、悪戯が成功したという嬉しさが溢れていることに気付いた。
だが、俺の言葉を聞くや、すぅと落ち着いた笑顔に戻る。
「からかうだなんて。ただ、雪国様は落ち着いておりますので、少し動揺させられたら楽しいなと思っているだけです」
なるほど、からかわれている。
「とは云え、応じて下されば私も望むところではありますが?」
と、今度は少し頬を赤くして、色っぽくこちらを眺めてくる。
それも冗談なのか、本気なのか、判別が付かず、そっと視線を外す。
「そ、そういうのは、また……ごめん、今は、考えられない」
「はぁ……奥手なのですね。知っておりましたが」
溜息を吐かれ、少しダメージを負う。
俺が呻いているのをよそに、ツァリーヌさんはパンと優しく手を打った。
「さて。話を戻しましょう。申し訳ないのですが、雪国様。三人を此処に呼んで貰えますか。私から話をしておこうかと思いますので」
「着いてきて、くれますかね?」
「着いてくるなと云ってもアルディラはついて往きそうです」
「……確かに」
というか、俺が何も云わずに村から一人で出たとしたら、いつの間にか追いついてきていそうな感じがある。そもそも、アルディラ君をまいて一人で出られるか、ということもある。
「アルディラが往く以上、ソノラも往くでしょう。二人が心配でしょうから、ルシアンも。もしルシアンが断ればまた別の人を当てても良いですが、断りはしないでしょうね。あまり大勢では旅の邪魔でしょうから、そのくらいですか」
うんうんと勝手に考慮を進めるツァリーヌさんに、俺は挙手をしてから質問を投げる。
「ルシアンクエイルード君は、この村で一番治療が上手いと聞いているが、俺が旅に連れて往って大丈夫なのですか」
「ルシアンの他に治療を出来る者がいないわけではありません。それに、怪我などが起こる可能性が高く、何かあった際に一番治療が必要なのは貴方様なのですよ」
「仰るとおりで」
この村で最弱の存在と云っても、恐らく過言ではあるまい。
最悪幼児に劣る。
「別に、全ての村を見るまで帰ってくるな、等とは云いません。むしろ、他所の村に往く前に挫けて帰ってくる想定もしております」
「もう少し言葉を包んでくれると有り難い」
俺のお願いは、ふふふという笑いで打ち消される。
「また、他の村から他の村へと向かう際、一度帰って来てここで休まれても構いません」
「……旅に疲れて定住の気持ちが強くなれば、とか思ってます?」
「勿論です」
優しい笑顔だった。
***
ツァリーヌさんが三人に話をしたところ、アルディラ君とソノラ君は即決、ルシアンクエイルード君も、それほど悩まずに応じてくれたとのことだった。
そういうわけで、俺はオーロラさんに話を通して、まずは数日、俺は三人に護衛される形で、隣の村への旅をすることになった。
今のまま、この村の誰かと付き合うとか、結婚するとか、そこから先とかは、まだ俺には考えられそうもない。
そういう意味では、旅は良い経験になるかもしれない。
旅立ちの朝、オーロラさんやツァリーヌさんを始めとしたそこそこの人数に見送られながら、俺たちは村を出た。
村を出た直後、俺に向かってアルディラ君がきらきらとした笑顔を向けてきた。
「雪国様は、また僕が浮かばせてお運びする形でよろしいですね」
「よろしくないです」
にべもなく断ると、アルディラ君は俺の想像を遥かに超えて愕然としていた。
「な、何故!?」
「い、いや、あの……歩きたい、し?」
殿様ではあるまいし、まさか目的地まで運ばれるというのはいくら何でも申し訳ない。あと俺が居たたまれない。
「で、では……その雪国様が持たれている荷物を僕に」
「断る」
「何故ですか-!?」
アルディラ君が絶好調でほっこりする。アルディラ君は若干悲壮感を漂わせているが。
弱いので守ってもらうのはまだしも、荷物も全部押し付けてしまうのは駄目だ。絵面的に俺が耐えられない。
そう思っていると、アルディラ君の肩にルシアンクエイルード君がとんと手を置く。
「アル。雪国様と一緒に、歩いて往きましょう」
その言葉を少し時間を掛けてから咀嚼すると、アルディラ君は改めて俺の方をジッと見つめてきた。
「雪国様と、ご一緒に……」
それから、パァッと笑顔になる。それからやがて、照れたように、嬉しそうに笑った。
「一緒に……えへへ。それでは、失礼ながら……ご一緒に往きましょう、雪国様」
ルシアンクエイルード君の言葉で、おんぶにだっこではなく、対等な関係を良しとしてくれた様子。
有り難かったので、ルシアンクエイルード君に、サムズアップをしてみた。すると、それがなんだか判らなかった様で、少し首を傾げてから、真似て返してくれた。
「雪国様~、隣の村はお酒美味しいんですよ~」
「お酒美味しいのか」
それは、ちょっと足早になってしまう。
「……こ、今度は、酔っ払ったり、しませんので」
テンション上がっていたはずのアルディラ君が若干強張る。
「無理。二人とも、絶対、飲み過ぎる」
ルシアンクエイルードの断言に、ソノラは恥ずかしそうに笑い、アルディラ君は羞恥に顔を覆った。
「ルシアンクエイルード君は、飲まないの?」
「……私、お酒弱くて、すぐ酔います。酔うと……すぐに服、脱ぎますよ?」
「あ、ごめん、酔わないで」
俺がそう云うと、ルシアンクエイルード君はくすくすと笑って、判っていますと応じてくれた。
三人が泥酔したら、俺の腕じゃ足りなくなってしまう。
そんな話をしながら、俺たちは隣の村への旅路を、歩いていた。
何が変わるのか、何も変わらないのか、さっぱり判らない駄目元の旅。ただ流されるままの、四人旅。
だけれども、こんな異世界での今後が、なんだかいつの間にか、すごく楽しくなってきていた。
旅に出る俺は、多少の予想は付いていたとは云え、今後のことなどは考えていなかった。
この旅で何を得るのか。どんな危険が待つのか。三人にどれだけの迷惑を掛けることになるのか。
たとえば、巨大な獣に幾度となく捕食をされかけること。
たとえば、往った先の村で、誘拐され、監禁され、別の意味で捕食されかけること。
たとえば、往く先の料理や酒を堪能し、酔った三人に襲われかけること。
等々。
今はまだ、そんなことを俺は知らない。
それはまだ先の……十日以内の出来事であった。