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紅き蝶は永遠を告げる  作者: 鳥兜
第二章 空箱の蝶
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第一話 生き残る可能性

遅くなったうえに区切りの都合上短いとか救いようがないけどこれで一回投稿します。

 淋しい、なんて言わない。悲しい、なんて思わない。あなたがそこにいなくてもいい。自分が生きていなくてもいい。生きて、ただ生きていてくれればそれで良かった。

 生きていればいつか幸せになれる、なんて、そんな無責任なことは言わない。生きていても幸福になれるとは限らない。ただ、それでも、死んでしまえば全てはそこで打ち止めだから。終わってしまえばその先には誰もいないから。

 だから、こんな結末は望んでいなかった。こんな未来は認めたくなかった。

 生きて。ただ、生きていてほしかった。

 やり直せばいいよ、と悪魔は言った。やり直させてあげる、と。

 でも忘れないで、と悪魔は笑う。

「私は誰の味方でもないよ。味方だと、決して思ってはいけない」


 それが、二つ目の約束。



 アンペルゲア王国王都、セフォリウナ。円形の城郭に囲まれた国内最大の都市は常に人で賑わい、中心に聳え立つ王宮では忙しく政が動いている。その東地区に、『青き歌は戦場に響く』の舞台となる学園、カシュペール王立学院は位置している。学院そのものは大きく大学部、高等部、中等部、初等部と分けられており、貴族の子女は十歳となるとこの学院初等部へと入学するのが習わしだった。入学は貴族に限らず広く平民にもその門を開いてはいるが、割合はひどく低く、初等部は平均して生徒の一割弱であるという。

「まさかおまえが素直に学院に通うとはな、リノン。制服が良く似合っている」

「リノ、です。兄上。折角入学許可(招待状)を頂きましたので、活用しようかと。兄上こそ、中等部の制服がお似合いですが」

「……飛び級しても得られるものがあるとは思えない」

 眉一つ動かさない賛辞に苦笑しつつ、ウィネグスはリノンベールのタイを軽くつまむ。この学院の特別変わっているところを挙げるとするならば、それは女子生徒の制服がズボンであるということだろう。その昔男子のみを受け入れていた学院が女子の受け入れを始めたとき、出したドレスタイプの制服案に片端から名家の文句(クレーム)が来て、やけくそになったデザイナーが男装のようなデザイン案を押し通したというのは有名な話である。

「くれぐれも、気取られるなよ」

「私がそのような下手を打つとお思いですか」

 それはないな、とウィネグスが笑う。天才的に人の感情に聡いリノンベールは、疑われた時点でその疑念を潰すだろう。これほどまでに人心掌握に長けた人間を彼は他に知らない。

「兄上こそ、飽きて授業をさぼったりしていませんか」

「授業を受けるふりくらいはしているさ。それに、今年からおまえがいる。無味乾燥な学院生活ともこれでさよならだ」

 実際のところ、ウィネグスやリノンベールが授業を受ける意味はほとんどない。社会性と人脈を得さえすればあとは好きにして良いとシュベールも通告しているが、授業を全く受けないというのは学生として問題があるだろう。不穏な噂を聞いたシュベールがお目付け役として何かと面倒の多いリノンベールの入学を許可した、というのはウィネグスのあずかり知らぬところである。

「学院は面白くありませんか」

 馬車の窓枠に肘をつき、リノンベールは兄に問い掛ける。翡翠の蝶の髪飾りが翅を休めるように秋の陽の中で柔らかな長い金髪に留まっている。王都へと向かう街道は林を抜けて平原へと入り、ますます陽の匂いを強くしていた。

「おまえがいなければこの世も地獄も変わらないさ」

 わたしの紅い蝶、とウィネグスが呼ぶ。それを聞かなかったものとして、リノンベールは席を兄の隣へと移した。そのまま靴を脱ぎ、座席に足を上げて、兄の顔をじっと見つめる。

「リノン?」

 その戸惑いを無視したリノンベールは、そのまま兄の腹の方に顔を向けて太ももを枕に寝転がった。耳飾りが鳴り、緑の瞳をゆっくりと閉じる。

「少し、休みます。動かないでください」

「待てリノン、どうしたんだ急に!?リノン――」

 すう、という寝息がウィネグスの耳を打つ。器用に位置取りした顔は窺い知れず、ウィネグスは起こすという選択肢を即座に諦めた。代わりに寝苦しくないよう彼のタイを緩め、自らは疲れた頭を馬車の壁に預ける。間違いなく最上級の美形の部類に入る弟の寝顔を見られないのは残念だったが、執拗に求める気はさらさらなかった。

(足が痺れそうだな……)

 道行く彼らの馬車は土煙も立てずに王都へと直進する。雨上がりには宿から虹を見て、ウィネグスは十分に満足していた。フィリグラフ公爵領よりも少し乾燥しているセフォリウナは何処にいても埃っぽさを感じる。ウィネグスは王都が嫌いだった。人の好奇の目、同じ年頃の少年の嫉妬心、年齢を問わない女達の秋波。全てが彼を幻滅させる。フィリグラフではそんなことはなかった。時折、化け物に出会ったような眼差しが混じるばかりで。

 最近では後継者探しを始めた王が少しばかり煩わしい。弟と同い年の王女セフィユナに会ったことはないが、表向き唯一のフィリグラフの本家(クォーツェ)の男児で公爵家の次代であることを知るはずの王の手のものが周囲を飛び回っていることは知っている。だがこれ以上彼の周りをうろつかれるわけにはいかなかった。リノンベールの加わった今、危険因子は一つでも取り除かなくてはならない。そしてそれ以上に、王女自身がリノンベールの邪魔になる。いずれ、必ず。

 ウィネグスは太ももの上の黄金の髪に触れた。髪型が崩れないよう寝ているが、僅かに髪飾りの位置がずれ始めている。翡翠の蝶が羽ばたくように揺れた。ウィネグスは眠ることを諦めた。

「わたしの紅い蝶――」

 蝶を、奪われないために。蝶に、逃げられないために。



 装飾的な意味しか無いケープを脱ぎ捨て、髪を解いてリノンベールは寝台へ倒れ込む。馬車で五日の旅は煩わしさの塊だった。人に気遣われることは兎角疲労を生む。陽が沈み、外の満月は雲の隙間から人の私生活を覗き見る。夕食は終えたが、入浴までは幾ばくかの時間の余裕がある中で、リノンベールは微睡みを選び取った。

「疲れた顔をしているね、森の子」

「……何所から入ってきた」

 目だけを動かし、リノンベールは窓のあたりを確認する。本当に何所からどうやって入りこんだのか、しかも普段から装いを改め、何やら大きな瓶を抱える仮面の男には悪びれたところもなく、ただ淡く微笑んでいる。

「今日は随分と身綺麗にしているが」

「良い月だからだよ。――飲む?」

「それは?」

「林檎のジュース。美味しいんだよ、これ」

 二種類の黄金が月明りに煌めく。先程片づけたばかりのグラスを二つ出して、男は淡黄色の液体を注いだ。一方のグラスにもう一方のグラスの中身を一部移し、更に同量移し戻す。

「驚いたな」

 互いな器の中身を混ぜ合わせるのは、アンペルゲアにおける古典的な毒見の作法である。酒や茶を供した側が毒を盛っていないことを証明するもので、古く建国時の戦乱に端を発し、今ではほとんど廃れて高位貴族同士でもなければ使われることがない。

「驚いたのはこっちだよ。お前、侍女を連れてこなかったの?」

 勧められるままにリノンベールは向かい合わせの長椅子へと移動した。照月がぼうっと映し出す仮面を付けた男の貌は、生きているものの気配がまるでない。男がにこやかにグラスを突き出す。太鼓判を押すジュースは口に含むと爽やかな林檎の香りがいっぱいに広がり美味しかった。上機嫌にグラスを傾けながら――酒ではないので格好はつかないが――男は長椅子に横たわる。

 学院は中等部までは全寮制である。入寮にあたり公爵家の子女は二人までの側付きと一人の護衛を帯同することを許可されているが、リノンベールが連れてきたのは夏前に出向という形で騎士団から借り受けた護衛のネメル一人だった。これまで世話役として側に仕えた乳母が年齢のために退職して以降、彼女の後任は決まっていない。幸い学院では面倒なドレスを着る必要もないため、リノンベールは身軽な状態での入学を希望した。

「邪魔なものを全て置き去りにしてきたね、森の子。可愛げのない」

「可愛げなど。それこそ無用の長物だ」

「ああ、でもプルーフ子爵位は捨てては来られなかった」

 学院へと入学するその前に、彼は子爵位を誰かに譲ってくるつもりだった。だが後継探しは想像以上に難航し、未だそれは叶っていない。遠方から所領を管理することをリノンベールは好まず、父公爵もそれを是としたにも関わらず、果たせなかったことを彼は酷く後悔している。

「適当に放り投げてこればよかったのに」

「それは力持つものの()しようではない」

「優しいね。可哀想に」

 白の紗衣が擦れて涼やかな香りを撒く。グラスに二杯目を注ぎかけたリノンベールは眉を顰めた。金の仮面を留める濃紺の飾り紐の端が結わえられずに好き勝手に広がる豊かな髪に絡み合っている。彼の髪は乱れることを知らない。黄金の河、と兄などは呼ぶ。

「ああ、それと、そうだね。王国近衛に気を付けることだよ。あそこはもう使えない。この前散歩がてら様子を見に行ったけど、既に堕ちたあとだったよ」

「近衛か」

 王国近衛、或いは単に近衛と呼称されるのは、通常王族警護を主任務とする王国近衛騎士団のことである。各領が置く領騎士団とは異なり護衛、特に王族のそれを専門とするため、個人の騎士としての腕のほかに連携力が段違いの組織だが、リノンベールとの相性はすこぶる悪い。

「思った以上に事態の進行が早い。ヴァレン皇帝が何か手を打ったな」

「御名答。お前、警戒されてるよ。軍の再編が始まってたからね。最終決議が通ったのが昨日の昼だったかな?」

「耳が早すぎるだろう……」

 どういう理屈だか、早馬で飛ばしても一週間はかかる帝国首都の、それも中枢の情報を一日で獲得している。この男の非常識さは今に始まったことではないので軽く流し、重い腰を上げてリノンベールは少ない割に片付けの終わっていない荷物の奥底から地図を取り出した。

「対フィリグラフ戦線用の編成か」

「そうだね。先にイーフェウを落とす気のようだよ。分かってるね、あの皇帝」

「最悪だ。時間がない」

 広げた地図の上に一緒に取ってきた駒を並べる。長椅子から起き上がって適当に赤の駒を動かし、男は柔らかく笑む。

「イーフェウは落ちるよ」

 男が断言した。再びリノンベールの眉が歪む。

「連動して、王国軍の第六師団と第八師団が堕ちる。その次が……大蔵省かな。国土地理院もだいぶ危ういけど」

「堕落してばかりだな、この国は」

 中枢ばかりが侵されていく。王国政府は加護に頼りすぎている。確かに国の成立過程を考慮すれば無理もない話かもしれないが、この惰弱さは目に余るものがあった。故に欠くも斯くも容易く堕ちる。フィリグラフ領はリノンベールとウィネグスがいるため滅多なことでは堕ちないが、他領はそうはいかない。全てが侵されてしまえばどうなるだろう。

「しくじらないでね、森の子。さもなくば、この世の地獄はお前ではなく私の手で生み出されることとなる。そうなれば――分かるだろう?」

「理解している。忘れたことは一度もない」

 かつてそのためにアンペルゲアは二度燃えた。

 三度目に炎の野原を見るとき、美しい春は永遠に失われる。



 禁断の果実を食べたとき、イブとアダムは無垢を失ったという。裸である自らを恥ずかしく思ってイチジクの葉で恥部を隠した彼らがもし、神に楽園を追放される前に二つ目を食べたとしたならば、一体人間は何を失っていたのだろう。

 外では季節外れの台風が猛威を振るい、本来なら揺れない窓がかたかたと鳴っている。グラスを片手にニュースを眺めながら、麗姫は首をもたげた。画面に映し出される慌ただしい人の流れを他人事に嗤った麗姫の足元で大量に並べられた空の酒瓶が傷だらけの脚に蹴り飛ばされる。飲めども飲めども酔いは回らず、麗姫は安物のグラスを床に叩きつけた。

 もしも二つ目の果実を食べたのならば、人間は命を喪っていただろう。善悪を識る知恵の樹の実は彼らに罪を教えたに違いない。禁を犯した自らを恥じて、彼らは命を絶っていただろう。

 もしも、彼らが善であったならば。

「いや……違うな。違う……アダムもイブも知恵の樹の実で善悪を識りながら禁を犯したことを恥じなかった。何故最初に無垢を喪う。無垢なものか。アダムもイブも、初めから悪だ。或いは無垢が悪だから」

 彼らは先に持っていた無垢(つみ)を喪った。

「なら神は罪なるものを作ったのか。何故?神こそが悪だからか」

 悪なるものが悪を増やす。悪魔が人間を堕とすように。単純な理論だ。麗姫は笑った。

「なら、殺してしまおう。悪はいらない。神を殺せば、きっと万事解決だ。こんな風に小物を潰すこともない。病は原因をなくしてしまうのが一番だ」

 晴れやかな気分で麗姫はソファに横になった。

 外では変わらず、滝のような雨がガラスを打っていた。


感想欲しいのは人の常。

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