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紅き蝶は永遠を告げる  作者: 鳥兜
第一章 壊れた人形
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第二話 裏切られる可能性

 海に沈んでゆく。深い海に。

 美しい春はもう来ない。友と見た桜が最後だった。あの麗しい春はもう来ない。あの優しい桜はもう見られない。

 ――ゆき。

 言葉とともに、心が溢れ落ちてゆく。





 政治歴史学の授業を終え、夕食までの時間体を動かすことに決めたリノンベールは兄に連れられて屋敷の一角にある訓練場へと足を運んだ。少し前に七歳の誕生日を迎えたウィネグスは既に剣の授業を受けているが、剣を習うには身体の不完全なリノンベールはまず体力作りと体を動かすことに慣れるための訓練を施されている。無骨な訓練場では兄の講師役の騎士が待ち受けていて、ウィネグスの背後を()()()()が歩いていることに気が付くと見事な所作で一礼した。

「今日も頼む、バクス」

「かしこまりました、ウィネグス様。リノリア姫様も本日はこちらで?」

「ああ、一緒がいいと言われたから、連れてきた」

「よろしくお願いいたしますわ、バクス」

 氷の仮面を張り付けたまま言葉使いをがらりと変えて、リノリアは軽く会釈する。親に似て秀麗な顔で笑うと余計なトラブルを招くと二歳を過ぎて学習したリノリアは、元々表情の無いものを家族以外の前で一切笑わなくなった。彼女の笑顔を知るバクスはその鉄仮面を無念そうに見て、稽古を始めようとウィネグスに木剣を渡す。剣を握ったまま体のあちこちを伸ばし、最後に首を三回回してウィネグスがリノリアに離れるように手を振った。意を汲んだリノリアは訓練場の入口付近まで下がり、中央で剣を構える兄を観察する。

「胸を借りるぞ」

「いつでも」

 短いやり取りの後に、ウィネグスがバクスに向かって走り出した。深く踏み込んで的確に急所に打ち込もうとする少年の剣を軽く弾いて、バクスは逆に自らの木剣の先を彼に向ける。肩を狙われていることに気が付いたウィネグスがそれをひらりと躱すと、バクスは面白そうに笑って右側面からの攻撃に切り替えた。十字になるように剣で受けて、勢いを殺しつつ少年はざっと後ろに下がる。

(良い踏み込みだった。少し深すぎたが、躊躇いが無い)

 兄にはまごうことなく剣の才がある。それは家族の贔屓目を差し引いても、僅か七つの子供に大人と張り合うだけの力量がある時点で明白だろう。だがリノリアにはそれとはまた別の根拠があった。

(兄上……)

 ()()()()が混じりあったウィネグスの剣は、バクスを容易く翻弄する。単純な力では大人に敵わずとも技術で他人を圧倒すれば良いのだと教えた彼のもう一人の師は、ウィネグスに徹底的に型を教え込んだ。流れるような切っ先の移動も、踊るような足運びもバクスは持ち合わせていない。バクスは彼への違和感に気付いていながらそれを黙認していた。変幻の技は狂おしいほどに美しく、リノリアの心を掻き立てる。

(――それは、誰を殺すための剣ですか)

 人を殺すための剣だと、殺すつもりが無いのならその剣は捨てて騎士の剣を覚えるようにと、そういった師の強張った声音を、リノリアは忘れていない。藍色の剣を携えて、いつになく真剣な様子の師の言葉に、兄は真っ直ぐ頷いた。師は同じ言葉をリノリアにも繰り返した。誰かを守ることは誰かを殺すことと同義なのだと、どう使おうが、その剣を覚えてしまえばお前もまた人殺しになるのだと。

 郷愁を誘う葉風が、土埃の絶えない訓練場に流れ込む。申し訳程度に植えられた隅の低木は物足りなさげに揺られていた。準備運動で体を解し、最後の一仕合をリノリアは見届ける。

 半ば殺し合いじみた凄絶な打ち合いを終えて休憩に入ったウィネグスの元から離れたバクスは隅でじっと兄を見ていた妹姫へと近付いた。

「剣を握ってみますか」

 良くも悪くも彼には偏見がない。二つ離れた彼の姉も剣を嗜むらしく、女性だろうが子供だろうが、強いものは強いと素直に認める。バクスは、格別の才覚を見せるウィネグスの妹であるリノリアに密かに期待を寄せていた。

「無論、まだ真っ直ぐ振れずともよろしいのです。いかがでしょうか」

 躊躇って、リノリアは遠慮がちに頷いた。前世を通して、銃に触れたことはあっても剣を習ったことはない。特に、異世界の騎士の剣というものに興味がほんのりとあったことも事実である。

「剣は、このように振ります。――はい、そうです」

 見やすいようにリノリアの隣に膝をついたバクスは、先に自分で握ってみせてからリノリアに木剣を握らせた。木製とはいえ、幼子の身体に剣は重い。バクスに支えてもらいながらゆっくりと振り下ろした剣を持つ手の平に、じんわりと汗が滲むのをリノリアは感じた。

「……重いわ」

 彼女の偽らざる本心にバクスはほろ苦く笑う。彼の指導に従って何度か素振りをしたリノリアは、兄の回復を待って木剣をバクスに返した。暫くは剣は知らないほうがいいだろう。兄ですら本格的に覚え始めたのは四つの頃だった。リノリアはまだ知らなくとも良い筈だ。

(そうだ。私はまだ、知らなくとも良い)

 結局、ウィネグスが修練を積む傍らで軽く運動しただけで、その日、それ以上リノリアが剣を取ることはなかった。

 つまらなさそうな目だ、とウィネグスは思った。

 剣の稽古を終え、リノンベールと共に湯浴みに来たウィネグスは向かいで相対するかたちで湯に浸かる弟を見遣る。つまらなさそうな、というのは間違いだったと彼は即座に認識を改めた。疲れたような、と表現するほうがきっと正しい。

「どうかしたのか、リノン」

「……兄上。いえ――」

 訓練場に行く前から様子がおかしいことが気になっていたウィネグスが切り出すが、リノンベールは緑の目をそっと泳がせるだけで言葉を切る。

「何かあるなら言え、リノン。おまえの元気がないとわたしはどうにかしてしまいそうなんだ」

「誰を口説いてるんですか兄上。そういう台詞は女の人に言ってください」

 呆れたように言って、されどもリノンベールは笑いウィネグスの方へと進む。波が二人の間で反射を繰り返し、静けさを失った水面はのぼせたウィネグスの顔を映し損ねていた。いたずらっぽく瞬く緑の目は甘やかな色を伴って少年の深淵を覗き込む。

「いいだろう?フィリグラフに生まれた異端は二人だけ――わたしとおまえの二人だけ。だったらわたしたちには互いに互いの代わりがいない。おまえが欠けてもわたしが欠けても、わたしたちはたった一人になる。そんなのは――さびしいじゃないか」

 森の瞳が揺れる。ウィネグスは一つリノンベールににじり寄った。ほんのわずかな怯えが、リノンベールを支配する。肩が震える。心が、割れてしまいそうなほどに震動する。

「わたしの剣はおまえのものだ。リノン。わたしは決しておまえを裏切らない。わたしは決しておまえを――」

「――嘘だ」

 水面が泡立つように暴れた。伸ばされた手を振り払ったリノンベールは、右肩を押さえて兄から距離を取った。

「それは嘘です、兄上。だからその先を言わないで。私に兄上を信じさせないで」

 ――裏切られたら悲しいでしょう?

 夕方を迎える庭園で、迷い込んだ鵺が鳴いている。



 自分が臆病な人間だと、佐竹麗姫には自覚がある。彼女には昔から奇妙な悪癖があった。普段は何ともないのに、人生の岐路に立ったとき、或いはその時転換点に立っていると自覚が無くても、「その選択をしなければならない」という強迫観念に襲われる。そして、彼女はその恐怖に、選択を違えるという「過ち」に耐え切れない。彼女の人生は常に内なるなにものかに定められていた。

 例えば、彼女は花塚柚季と親しくならなければならなかった。

 例えば、彼女は外交官にならなければならなかった。

 例えば、彼女は花塚柚季ととある旅行に行かなければならなかった。

 定められた選択は、彼女の心の強さを歪めてしまった。彼女は同時に自分が頭の良い人間に分類されることを自覚していたが、「運命」に抗う方策よりも巧く「運命」に従う方法を編むことに苦心するようになった。そしてその悪癖は今なお姿を変えて彼女を苛む。「乙女ゲームのシナリオ」という形を取って顕現した彼女の新たなる運命は、彼女を真っ当な道から突き落とした。

 だが、佐竹麗姫は自覚の無いままに、善人であることもまた事実だった。それが彼女を更に蝕む。運命と共に、善人であるという心の弱さが佐竹麗姫を貶める。

 運命は変わらない。それでも彼女は世界を救いたい。

「そしてその矛盾がお前をお前たらしめるわけだね、森の子」

 紙の束をシュベールの机上に放り、仮面の人は一つ伸びをする。先に目を通したシュベールは先ほどから頭痛を抑えるような姿勢のままぴくりとも動かない。男が机から離れてけらけらと笑いながら窓を開けると、濃紺のカーテンがふわりと揺れた。兄と共に執務机の前に立ち、当主の言葉を待つリノンベールの緑玉に輝きはなく、ウィネグスの呼吸は酷く浅い。

「いいよ。構わない、シュベール。私はこの計画書に賛成しよう。証拠もよく揃っているしね、充分だよ。全ての罪は法の下に明かされ、全ての罰は法の下に科されるなんてそんな絵空事、シュベール、お前だって信じてないんだから」

「だが、そう簡単に判断して良いことでは――」

「良いんだよ。だって、流石にこれは言い逃れのしようがない。三重に裏を取ってくる手腕には舌を巻くね。認めなよ、シュベール。これは紛れもない事実だ。何なら私がもう一度確認してきてあげようか?」

「……いや」

 じゃあ決まり、と言って、男はリノンベールの頭を撫でた。運命に従いながら世界を救おうとするリノンベールの矛盾に気付いていながら、この男はそれでも彼を肯定する。

「気にすることはないよ、森の子。これは運命だ。そして世界を救うための第一歩でもある」

 何をどこまで知っているのか、不可思議の人はリノンベールに向かって笑んだ。

「許可しよう。――正せ、リノンベール。唯一の白い桜の後継者として」

 リノンベールは四歳になった。ウィネグスは八歳に。

 歪んだ運命の歯車は、廻り出した。



 庭園に咲き誇る青いアネモネの一部を庭師に花束にしてもらったリノリアは、乳母と共に母のもとを訪ねた。

「ごきげんよう、お母様」

「いらっしゃい、リノリア。――まあ、アネモネね!ありがとう、わたくしの一番好きな花だわ」

 奥方付きの侍女にブーケを渡して、白磁の花瓶に生けさせている間にリノリアは母の前の席に着いた。三日振りの再会を喜ぶロザンマリアににこりと笑いかけたリノリアが口を開く前に、彼女を呼び出したロザンマリアは話し出す。

「最近はどうかしら。勉強の方は覚えるべきものをほとんど終えてしまったと聞いているわ。リノリアは優秀ね。さすがはシュベール様の子だわ」

「ありがとうございます、お母様。座学は一通り終えてしまいましたから、次のお父様の領地視察にご一緒させていただくお約束を頂いておりますわ」

「素敵。民の暮らしを知ることはとても大切なことだもの。シュベール様もそうお考えになってリノリアを連れて行ってくださるのだわ。しっかりと学んでいらっしゃい」

「はい、お言いつけの通りに」

「道中、くれぐれも油断の無いようにするのよ。フィリグラフ領はとても治安がよろしいけれども、絶対に安全ということではないわ。特に、貴女の身は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……はい、お母様。しかし、護衛としてフィリグラフ公領騎士団の一個小隊が付くと伺っておりますわ。お兄様もいらっしゃいますから、どうかご心配召されませんよう」

「兄……アインシアの子のウィネグスね。大層剣の腕が立つと聞いたわ」

「はい。お兄様の実力は騎士団長も認めるところですわ」

「あの子は次期フィリグラフ公爵。リノリア、くれぐれも仲良くするのよ」

「はい、お母様。委細承知しております」

 ロザンマリアは前妻アインシアとは仲が良くなかったようだが、その子のウィネグスとは良好な関係を築いており、リノリアにも彼とは友好であるようにと繰り返し諭す。ロザンマリアの侍女が淹れた紅茶を口に含みながら、リノリアは目の前の母をそっと観察した。リノリアの受け継いだ金髪は綺麗に結い上げられ、アネモネをモチーフにした簪で彩られている。決して浪費家ではないロザンマリアの纏うドレスは高価でこそあるが物持ち良く使われているし、穏やかな気性が幸いして下の人間に当たることはまずない。母は今日も美しかった。

「ふふ、でもリノリアは美しくて頭も良いのだから、ウィネグスが嫌うことなどあり得ないわね。昔は仏頂面ばかりでわたくしも寂しかったけれど、最近は良く笑うようになって――あら?でも最近はウィネグスが笑っているところをあまり見かけないわ。どうしてかしら」

 さあ、とリノリアが曖昧に笑うと、ロザンマリアは刹那困惑した表情を浮かべて茶器を取った。四歳になる少し前から、リノリアは努めて笑顔でいるようにし出した。護身をある程度できるようになったことも一因だが、最大の理由はそれを利用する術を身につけたためである。前世、外交官として何か国もの言語を操る傍ら表情を武器としてきた麗姫でも、顔のあまりにも整いすぎたリノリアの微笑は制御が難しい。

「貴女が笑顔でいてくれてわたくしはうれしいわ。忙しい貴女になかなか会えないことは寂しいけれど、貴女が笑顔で頑張っていると思えばわたくしも頑張れるもの」

「ありがたいお言葉ですわ、お母様」

 生けられた青いアネモネが初夏の昼下がりの柔らかな陽を浴び、花弁に取り残された水滴が真珠のように光を放つ。開け放たれた窓から吹き込む暖かな風にリノリアは目を細めた。兄や父とは違う、穏やかな時間が母には流れている。白を基調とした部屋の誂えも部屋を壁際を飾る明るい色の花々も彼女の時間に由来するのであれば、シュベールの執務室が黒く夜のようであるのは無理もない。

「だからね、リノリア。きちんとお勉強をして、いろいろな人と仲良くなるのよ。大切なことを見失わないで頂戴。貴女は誰よりも美しくて誰よりも賢いのよ。だから、ねえ、わかるでしょう?リノリア」

「はい、お母様。どうか御心配召されませんように。私は自らの立場を弁えておりますわ」

「ええ、ええ!そうよリノリア、貴女はすばらしいわ!だからわたくしは貴女のためなら、なんだってできるのよ。わたくし、貴女のために――」

 この熱っぽい視線を彼女は知っている。今世で既に何度も見た、そして前世では数えきれないほど曝された熱い目を、彼女はあえて否定しない。

「はい、お母様」

 リノリアはただ、曖昧に微笑んだ。



 寂しいのならば、寂しいと言っても良いのだから。

 そう言われたのが嬉しかった。心を自由に表現することなど、かつては赦されていなかったから。ましてや寂しさなど、そんなものを感じていると知られればどうなるかすら分からなかった。生きていることを肯定されるのは、感動的なまでに幸福だった。

 幸福にかまけて、自らが置かれている状況を忘れてしまった愚かさを、未来永劫呪うだろう。

 生きたいの?

 彼はそう尋ねる。そう尋ねる彼自身は、生きたいとは決して願わない。




頼む、早くヒロイン出てきてくれ切実に

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