君の髪が風に揺れても
小学校は六年間もあるのに、どうして中学も高校も三年間だけなんだろう?
これから起こる楽しいことも、やっと築き上げてきた絆も、三年間なんて短すぎてあっという間に通り過ぎてしまう。
つまんないつまんないつまんない、あと、寂しい……。せっかく三年目にして同じクラスになれたというのに、大学入試なんてめんどくさいものがあるから、ちっとも遊べないまま卒業式が近付いてきちゃうじゃない。
勉強、勉強、勉強な空気だけど、私たちにとって唯一にして最高の息抜きはお弁当タイムだった。
「風つよーっ! 誰よ、日なたぼっこしようとか言い出したのー。こんな強風じゃお弁当も飛んでいきそうなんですけどー?」
「確かに風強いし寒いねぇ。日なたはぽかぽかだけど、こうも風強いと体感気温は低いよねぇ……。でもほら、お弁当飛ばされそうってほどでもないよ? しっかり持って食べれば大丈夫じゃない?」
「例え飛ばされなかったとしても、ご飯も口もじゃりじゃりするってば! いくら気温が高かろうが、体感気温が低かったら寒いだけなのよ、沙智。分かる?」
「じゃりじゃり?」
「砂だのほこりだのがふりかけかおかずになりそうってことー! もうっ、早く教室戻るよっ!」
「えぇー。ここで食べようよぉ」
ちょっと鈍感な沙智には、多少砂がふりかけになっても気にならない程度なんだろうが、敏感でも鈍感でもない私には気になる程度の、砂ぼこりを纏った春風。からからに乾いた校庭に吹けば、目も細めたくなる。
「まだ屋上の方がマシだったんじゃない? もうわんさかいそうだからいかないけど。沙智が裏庭で食べようなんて言い出さなきゃ、真っ直ぐ場所取り行ったかもしれないのに……。あーぁ、今頃みんなは高校生活最後のお弁当タイムを、屋上で写メ撮ったりしながら食べてるんだろうなー」
「うちらも撮ろうよ、写メ! 転送してあげるからさぁ」
「いらないいらない。どうせ髪ぼさぼさになりそうだし、砂かけババアに目つぶしされて半目になりそうだし」
「結べばいいのに、髪。せっかく伸ばしたんだから結べばいいのになぁ。弥江は目ぇおっきいんだから、半目になったくらいが人並みなんじゃない?」
「私の目がデカかろうが半目は半目でしょうが。それとね、私が髪伸ばしてるのはガキっぽい髪型で入学したくないからであって、結びたいから伸ばしてるとかいう理由じゃないんだからね? 沙智はさらさらだから分かんないかもしれないけど、私みたいに髪の堅い人は結んだら跡がついちゃうから嫌なの!」
「そうかなぁ? あたしから言わせれば、弥江は綺麗な黒髪で羨ましいのにぃ」
お互いに無い物ねだりなのは分かっている。それでも、私は沙智のさらさらな髪とおっとりとしたタレ目が、たまらなくかわいいと思ってしまう。そんな沙智は、私の針金のようなストレートを羨ましいと、いつも撫でてからため息をつく。
正反対がゆえに、自分に無い相手の良さが引き立って見えるだけではない。鏡の中を覗いているだけではない。私たちはちゃんとお互いを尊重しながら自分たちを愛している。
「沙智はいいよねー、専門学校行ったら勉強なんかしなくていいんだもんなー……。私、何で進学しようとか血迷ったんだろ? 大学入試終わったら遊び放題だと思ってたのに、よくよく考えたら大学って四年間もあるんだよ? 高校より長いんだよ? やっと勉強から解放されたと思ってたのに、ちっとも遊べないんだよ?」
「あたしだって美容師の勉強はするよぉ?」
「髪で勉強なんて勉強とは言わないのー。カミはカミでも、ペーパーの勉強じゃないんだから頭使わなくて済むじゃんか」
「髪切るんだから頭も使うよ? 頭触んなきゃ切れないもん」
「あのねー、そっちの頭使うじゃないっつーの! 私が言ってるのは脳みそ使わないって話ー! いちいち天然ぶっこんでこないでよ」
「弥江の云うことが分かりにくいんだよぉ……」
そう言って沙智は口を尖らせた。そんな顔したいのはこちらこそなんだけど……。
校庭の隅の花壇に背中を預けて座ると、沙智もあわてて隣に来る。朝コンビニで買ってきたパンをビニールから取り出すと、沙智もあわててお弁当箱を取り出す……。
こうやっていつも私の後を追っかけていたくせに、沙智は急に大学受験をせずに、美容師の専門学校に行くと言い出した。何でも話してくれてると思っていたのに相談もせず……。
分かってる、ずっと一緒にいられるわけがないことくらい分かってる。いつかは沙智と離れることも、私たちはもう子供じゃないんだから将来のことは自分で決めなきゃいけないことも。
別々の大学に行こうが、別々の将来を選ぼうが、それは沙智の人生なのだから、私にどうこう言える義理はない。
最後のお昼休みだというのに、もやもやしたものばかりが浮かんでくるな……。そもそも砂嵐の校庭でお昼を食べようとしてる時点で気持ちが晴れないというのに。
「沙智はママの手作り弁当、最後だね。うちのママなんて最後だっつーのに買い弁しなってさ! 良く出来たママで羨ましいわ……」
「うん、今朝ちゃんと御礼言ってきたよ! 今までありがとうございましたって」
「嫁入りか! 大げさだなー。まぁでもちゃんとありがとうなんて言えるのは沙智らしいや」
「嫁入り? 巣立ちって意味では同じ挨拶なのかもね」
「お? 珍しくしみじみ言っちゃって、らしくないじゃん」
「あたしらしいとからしくないとか、全部分かってる言い方じゃない?」
「……だって沙智は分かりやすいもん。えー、何で分かったのー? って、いつも言ってたくせに。沙智より私の方が分かってるかもよ」
「うーん……。そう言われてみれば……」
でも、沙智が急に受験勉強をやめた気持ちは分からないまま……。「美容師やってみたくなったから」という言葉だけじゃ腑に落ちないところがあった。
夏休みも放課後も、勉強勉強で遊ぶ暇もなかったのに、志望校まで全部決めてたのに、成績が追いついてなかったわけでもないのに、どうして進路を変えたのか分からないままじゃ、全部分かったようなふりをしているだけにすぎない。
「そう、そうだ! 弥江、待って! 食べるの待って!」
「びっくりした……。何? 急にデカい声出して……」
「これ、はいっ! パンはおやつにして、これ食べて!」
言われて差し出された手を見ると、丁寧に風呂敷包みされたお弁当が乗っていた。キョトンとする私をよそに、「これこれー」と言いながらそれを上下に行ったり来たりさせている。
「私に? 何で沙智のママが?」
「ママじゃないよ! あたしが作ったの。弥江が今日もパンだったら食べてもらおうと思って作ってきたの」
「……何で? 沙智はせっかくママが作ってくれてるのに、何でわざわざ私に?」
本当は聞いちゃいけないような、でも言ってほしいような、変な気持ちだった。単純に手作り弁当を有難く頂戴すればいいものを、何かを確かめたくて尋ねているような気がした。
「最後だからだよ! もう弥江とこうやって二人でお昼食べれないんだよ? 最後くらいちゃんと……」
「大げさだなぁ! 別に一生バイバイってわけじゃないじゃん。お互いの休みの日は会えるんだしさ……」
「弥江っ! ちゃんと聞いてよ!」
やっぱり聞くのが怖い……。そう思ってはぐらかそうとした私の言葉を遮る声は、今までのおっとりした口調とは裏腹だった。
聞いてしまったら、もうこうやって笑えなくなってしまうかもしれない。ずっと積重ねてきた何かが、崩れてしまうかもしれない。だからここまで、自分たちを騙しながら、隠しながら過ごしてきたというのに……。
「あ……ありがと! じゃあ遠慮なく頂こうかなー! 沙智の手作り弁当なんて、最初で最後だもんね!」
「……」
「くれないの?」
「ううん……。はいっ!」
一瞬だけ唇を尖らせかけたのを、私が見落とすわけがなかろうに……。言おうとしていることを遮ろうとする私が気に食わないといった表情だったが、差し出した手のひらを近付けると、思いっ切り口角を上げて微笑んだ。
「沙智のと中身違うの?」
「あたしのはママが作ってくれてるんだもん、そりゃ違うよ。でも大丈夫! ちゃんと火ぃ通ってるし、味見もしたから大丈夫!」
「大丈夫を連呼されると、してない不安が湧き出てくるんですけど? ……まぁいいや、器用な沙智のことだから心配しないで頂くよ」
「うんっ! どうぞどうぞぉ」
また妙な空気を生ませまいと、勢いよくフタを開いた。最初に飛び込んできたのは、鮮やかな緑色のブロッコリー、隣に真っ赤なプチトマト、その隣には……。
「ねぇ、これってタマゴ焼き……だよね? やたら黄色くない?」
「やだなぁ、ちゃんと火ぃ通ってるってばぁ。それね、タマゴの黄身だけで作ったの! かわいくない? ハートに象ったんだ」
「ハート……?」
言われてみると、くっきりとハート型に整えられていた。きっとクッキーの片貫を使ったんだろう。なかなかに乙女なアイディアだが、私の照れくささは増していくばかり……。
手先が器用なのは塔に知っていたけれど、料理をするなんて初耳だったし、最初にして最後の手作り弁当がまさかこんなに恋っているとは思いもしなかった。プチトマトみたいに赤くなる私をさて置きで、そりゃドヤ顔にもなるわけだ……。
「でねでね、ご飯に乗ってるハムもハート型なんだよ! 丸く並べてみると……何の形だか分かる?」
「……桜?」
「ピンポーンっ! かわいいでしょ?」
「うん、かわいい! よく考えるなぁ。ご飯とハムはコメントしずらいけど、見た目は春にぴったりだね」
「ただの桜じゃないよ。ちゃんと花びら数えて?」
「八枚……八重桜? もしかして……」
「春にだけじゃなくて、春と弥江にぴったり、でしょ?」
こんなに私のことを考えてくれていただなんて、どうして今まで気付かなかったのだろう。沙智のことは何でも分かっていたつもりだったのに、こんな形で思いを表現してくるとは想像もつかなかった。ただ単純にメニューを決め手飾っただけではなかったのだから……。
「沙智、ありがと……。でも私、何も返せないや……」
「ううん、あたしが弥江にお返ししたかっただけなの。いつも側にいてくれて、いつもアドバイスしてくれたり背中押してくれたり……。いつもあたしのことを一番に心配してくれたのは弥江だよ。あたしこそありがとだよ」
「側にいてくれてありがとなのは私だって同じなんだからね! 私だって沙智のこと……」
「……うんうん、なぁに?」
込み上げてきた感情が溢れる前に聞こえてきた、口元の弛んだ声。その声で我に返ると、今自分が言いかけた言葉のこっぱずかしさに、また耳が赤くなる。
声通りに弛んだ口角の隣人は、興味津々といった目を輝かせながら覗き込んでいた。
「何言わせようとしてんのよ」
「別に言わせようとしてなんかないよ? 気持ちの共有、大事でしょ?」
「共有ねぇ……。言わなくても分かることだけ分かってくれてればいいよ」
「あたしは言ってくんなきゃ分かんないよぉ。弥江みたいに何でも分かるわけじゃないもん」
「じゃあ分かんなくてもいいよ? 何でも知る必要はないしねー」
「えぇー! ずるいよぉ」
「あはははは! ほらほら、もったいないけど早く食べなきゃお昼休み終わっちゃう! 食べよ食べよ!」
「えぇー!」
見て観ぬふりをしてきた気持ちを見透かされそうで動揺したけれど、相手を理解してるのはやっぱり私の方だったんだという確信にホッとしていた。例え私が理解されていなかったとしても、私は沙智を理解している、その事実は変わらない。私が沙智を見続けた事実は変わらない。大きく包み込んでいたつもりなのも、この腕からすり抜けていってしまわないように囲っていただけという事実も変わらない……。
「いいかげん弱まんないかなぁ、風。せっかくのお弁当に本当に砂入りそうなんだけど」
「ねー! 砂ふりかけにならないうちに食べなきゃだよ。お弁当飛ばされないように気を付けなきゃだね」
「しっかり持ってれば飛ばされないって言い出したのは沙智じゃん? あぁもうっ、砂の前に髪の毛が口に入ってくるー!」
「……確かに」
箸を持ちながら横髪を押さえる私を見て、沙智は思い立ったようにお弁当を置いた。傾きか風か、箸が少しだけコロコロと動き、「落ちちゃうじゃない」と口にしかけたところで、コロリと地面に落ちていった。
「あーぁ、早く食べれば良かったのにー。……沙智?」
「動かないで?」
「何……?」
スッと伸びてきた両手は、旋毛から下へと何度も往復しながら、私の髪を手際よく束ねていった。優しく優しく、まるで愛おしい宝物に触れるように……。
髪に触れられることなんて、私たちの中ではさほど珍しいことではないのに、目を合わせてしまったら心臓の鼓動が増してしまいそうで怖い。何も意識することはない、そう言い聞かせているのに、身体は熱くなる一方だった。
「弥江、ちゃんと顔上げてくれないと上手く結べないよ」
「い……いいよ、結ばなくて」
「どうして? ほら、こっち向いて! かわいく編み込みしたげるね」
「うぅ……」
「髪、伸びたね。結び甲斐があるよ。大学入ってもずっと伸ばすの?」
「うん、伸ばす! おしゃれしてパーマも掛けたい! こんな針金のようなストレートとおさらばするんだ!」
「そうなの? こんなに綺麗なストレートなのに、もったいないなぁ。パーマなんか掛けなくたって弥江はかわいいのに……」
「私は沙智のふんわりくせ毛が羨ましいけどな。おっとりした沙智みたいにふわふわでかわいい」
「ありがと。じゃあ弥江のストレートは真面目一筋の弥江と同じだね。芯が通ってて揺るぎないって感じ。ずっとあたしを守ってくれてた王子様だもん」
「王子様じゃないでしょうが! どう見てもお姫様でしょうが! 自分で言うのも何だけど、かぐや姫ばりな黒髪だぞ?」
「髪の話じゃないよぉ。でも、そうだね。弥江はかわいいお姫様、これからはあたしが守ってあげる……」
「え……?」
途中まで束ねられた横紙がはらりと落ち、目の前が真っ暗になった。優しく包み込まれた腕の中は、あんなに吹き荒れていた風も感じないほどだった。
恥ずかしい、でも顔を見られたらもっと恥ずかしかったかも。きっと私は今までにないくらい赤面していると思うから……。
沙智のいい香りがする。愛おしい沙智の香り……。懐かしいような、安心するような、ドキドキするような、大好きなこの香り。ずっと側で感じられると思っていたけど、今日が最後なんだと思うと目頭が熱くなった。
「弥江、震えてる……。寒い?」
「違う……」
「じゃあ、寂しいのかな?」
「……沙智は何で寂しくないの? 進路のこと、何で何も言ってくれなかったの? 私はずっと、何でも話してくれてると思ってた。大学受験辞めたことも、美容師になりたいってことも、相談なしに決めちゃって寂しかった。私はいつでも沙智の味方なのに、何で相談してくれなかったんだろうって、本当は私は理解者なんかじゃなかったのかなって……」
「違うよ。……でも、ごめん。ずっと恥ずかしくて言えなかったんだよ。別々の大学へ行ったら将来もバラバラになっちゃうかもしれないけど、将来あたしが美容師になったらいつまでも弥江に触れていられるかもしれないってこと、そんなバカげた理由で進路変えただなんて、恥ずかしくて言えなかったんだよ……」
「バカげてなんか……」
ううん、バカだ。そんな理由で美容師目指したなんて、バカげている。
そんな口実なくたって、私たちは……。
「弥江の髪、いい香りぃ。一緒にお風呂入ってるみたぁい」
「……学校で変なこと言わないでよね! つーか、もう放してくんない? 誰かに見られたら恥ずかしいんだけど」
「じゃあ見られなきゃいいじゃん。でもさ、コソコソしてる方が怪しまれない? そもそも弥江が意識しすぎなんだよぉ。女の子同士がくっついてたって、別に恥ずかしいことじゃなくない?」
「い……意識とかしてないしっ!」
「そう? じゃあ、もう少しだけおとなしくしててね」
そう言ってするりと腕を緩め、再び髪を編み始めた。手早く、だけど優しく丁寧に作業するその表情を見て、私はたった一つの感情に気が付いた。
それはとても暖かくて、まるで春の陽だまりのようにポカポカだった。これが愛情? 友情? どっちでもいいや。沙智のことが大切だということには変わりないのだから。
「ねぇ、弥江? これからもずっと、弥江の髪に触れていられる距離にいてね……」
ー完ー