お金のない国(高校3年生)
この国には通貨というものがない。
元々、『日本円』という通貨はあったらしい。けれど、この国が個人の所有物になった時に廃止となった。
このような独裁政治に取り残された社会と国民は生きるために物々交換で経済を回した。
交換される物の価値はそれが相手の手に渡るまでの技術によって決まる。物作り、サービス、芸術、労働、演出、農業、水産業、広告業……。
ここ第四区技術高等学校は未来の社会で役立つ技術の基礎を習得させてくれる学校である。
放課後、夕日の射す教室で、私は彩希ちゃんに聞いた。
「宿題終わりそう?」
「……誰に言ってるの?」
「? 彩希ちゃんだけど?」
「だったらこっち向いて話かけなさいよ!」
私は目の前で寝ている幼馴染の松江照吉、照くんの寝顔を眺めていた。
「だって放課後の時間は照くんを見つめることに決めてるんだもん」
私は照くんの口がむにゃむにゃ動くのにほっこりした気持ちになる。
「朝日……。その照吉への愛が重すぎて、呆れるレベルを超えてるよ。言い換えるなら、そうだな……」
「もお~、ひどいよー、彩希ちゃん」
「う~ん、そうだなー。『気持ち悪い』? いや、むしろ『病気』?」
「ひどい! それは流石にひどいよ彩希ちゃん。ああ! 照くんから目離しちゃった!」
友達から掛けられた、あまりにも正直すぎる酷評につい照くんから目を離してしまった。彩希ちゃんは笑いながら「ごめんごめん」と手を合わせて謝る。私はそんな彩希ちゃんを後目に照くんに視線を戻す。
しばらくして彩希ちゃんの宿題が終わり、彩希ちゃんは帰る支度をしていた。
「そういえば朝日はいつから照吉と付き合ってるの?」
「付き合ってないよ」
「えっ、そうなの?」
「うん」
今度は照くんから目を離さずに返事した。
「……ちょっと待ってよ? この前のお昼に、照吉にあーんってしてなかった?」
「してたね」
「一緒に帰ったり」
「うん」
「髪をといてアゲタリ……」
「いつものことだけど、どうしたの?」
彩希の口調がおかしくなった事が気になり、私は彩希ちゃんの方を見る。
「なんでつきあってないの? というか? ふつうにおとことともだちとすることじゃないよね?」
――なんか笑顔なのに目が怖いな。
「だって幼馴染だし……」
私の言葉に彩希ちゃんはより目を見開いて言った。
「ソッカー、最近ノ幼馴染ハ、コンナニ居茶居茶スルノガ普通ナンダ、スゴイナー、素敵ダナー、アハ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハhhhhhhhhh…………」
「彩希ちゃん、ちょ、ちょっと落ち着こう、なんか言ってること滅茶苦茶だよ」
彩希ちゃんは深呼吸をするといつもの様子に戻り、話を再開した。
「ふう、付き合っていないことは苦しいほど分かった。それでも朝日は照吉の事が好きなんだよね?」
ナイス、彩希ちゃん、よくぞ聞いてくれた!
「うんそうだよ! 具体的に説明するね!」
「ちょっと待っ……」
《自主規制》私が照くんの好きな理由を熱弁する所を楽しみにして下さっていた皆様には大変申し訳ないのですが尺の関係上と私情(私以外の誰かが照くんの事を好きになってしまっても困るの)で割愛とさせていただきます。話が終わるまでもうしばらくお待ちください。
「……つまり私は、照くんの見るもの全てがモノクロに見えてそうな眼も、ぷにぷにの緩み切った頬も、伸びきった髪も、全部が素敵なの! あの落ち着いた雰囲気もクールでいい!」
私は照くんの好きな所を余すところなく説明し終えた。
丁度、話に区切りが付いたところで下校のチャイムが鳴った。
「あ、もう帰らなくちゃ」
私は急いで電子黒板に書いたグラフや表情筋の消費エネルギーを割り出す式を消し、自分の席へ戻る。
「結局、同じ話の無限ループだった……。つまり要約すると、目が死んでいて無表情で、髪の手入れを面倒がっているずぼらな男が好きと……。あのグラフとか書く必要なかったよなぁ……」
私は、彩希ちゃんが何かを呟くところを、聞き取ることができなかった。
「彩希ちゃん何か言った?」
「いいや、何も言ってないよ」
笑って答える彩希ちゃんに「そっか」と言ってから照くんの席へ向かう。
「照くんも起こさなきゃ、いつもならチャイム鳴ったらすぐ起きるのに。照くん、起きて! 帰るよ!」
「朝日。あのさ、話変わるんだけど……」
さっきまで元気だった彩希ちゃんは、急に声のトーンを下げて話した。
「もし照吉と将来結ばれたとして、そのあとどうするの? 職はあるの?」
私たちはもうすぐ大人になる。
彩希ちゃんが心配しているのは、この物々交換の社会で生きていけるのかどうかということだろう。価値のあるものを自力で作り出せればいいけれど、それがなかなか難しい。何かの部品を拾って物を作ったとしてもせいぜい子供の落書き五枚と同じぐらいの価値だろう。そんな物では最近の野菜は半分しか交換してくれない。
この国の土地は大手企業の社長とかが国に納税を行って所有権を得ている。今、私たちが生活している家は両親がその企業に働きに行くことで割り当てられた場所なのだ。
作り出すことも難しい、企業の試験に合格するのも難しい、それ以外で安定した生活を送るには、あとは企業に入った人と結婚するぐらいなのだ。
「私だって、照吉がもう少しやる気のある所を見せてくれれば安心出来るんだけど……」
私は彩希ちゃんの心配が嬉しくて笑って答えた。
「心配してくれてありがとう彩希ちゃん、でも大丈夫だよ。私ずっと見てきたもん。照くんが凄い所。そういえば学校のみんなには言ってなかったけど三年前の技能五輪に照くん出てたんだよ」
「ええええー!? そうなの!?」
「だから大丈夫、心配するどころか出世まっしぐらだよ」
あ、そうだ照くん起こさなくちゃ。
「それならいいんだけど……。しかしこの怠け者がねぇ……」
「怠け者で悪かったなーー」
私が照くんをもう一度起こそうとしたら、もうすでに照くんが起きていた。長い前髪の間からジト目で彩希ちゃんをにらんでから、大きなあくびをした。
「い、いつから聞いてた?」
彩希ちゃんが照くんに聞く。
「……さーあー」とまだ眠たそうに答えた。まだ目がしょぼしょぼしている。かわいい。
「あー、朝日ぃ、もう授業ー終わったのー?」
照くんは、間伸びした感じに私に聞いた。
「うん、終わったよ。もう下校のチャイムも鳴ったし、一緒に帰ろっか!」
私と照くんは鞄を持って立ち上がり教室を出る。
後ろの方から「私の事は無視かーー!」と声が聞こえてきたが、まあ、気にしなかった。
帰りの道中、クラスでの会話や今日の授業のハプニングなどの話を照くんにしていたら、すぐにお互いの玄関の前に着いてしまった。
ああ、もう少し照くんと話していたかったな……。
「じゃあ、また明日ね! 照くん」
「……」
私がそう言って照くんの顔を見ると、頬はこわばっていた。夕日で顔が赤くも見える。
「どうしたの?」
「っ、なんでもない……」
私が尋ねると、より顔を朱くして自分家へ帰ってしまう。
「また明日ね!」っともう一度別れの挨拶を言い、自分の家の中に入ろうとした。その時、
「朝日! いつも一緒にいてくれてありがとうな!」
突然、背後から照くんが叫んだ。
「えっ!」
照くんは私が言葉を理解する前に玄関の鍵を閉めて、自分の家に閉じこもった。
私は照くんの言葉を理解すると、とても顔が熱くなった。
靴を脱ぎ、自分の部屋まで行き、カーテンを閉め切り、私は制服のまま急いで布団の中へ潜り込んだ。布団の中は嬉しいという気持ちですぐにポカポカしてきた。熱くなった顔を冷やすために布団から顔を出して天井を見る。
――しかしなぜ、照くんはあんなことを言ってきたのだろうか。
心当たりは……。
「そういえば照くん、今日の話、いつから聞いていたんだろう・・・」
ぬわああああああああああ。恥ずかしいいいいいい。
ベットでゴロゴロと顔を手で押さえながら私は心の中でそう叫んだ。