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重い気持ちを抱いて、マティルダは玄関を振り向く。そこから居候の不思議な少年を視界に入れると、重い気持ちはどこかに飛んでいった。
いつも通りの日常に見える、だがマティルダはもう非日常の住人になっていた。
「じゃあ俺も後から行くから、気を付けてね」
「わかってますよ」
フリュウに見送られて大学へ向かうマティルダ。
マティルダはうきうき顔。
誰かに見送られて登校するなんて人生初の経験だ。
「“国殺し”かぁ」
昨日聞いたおぞましい単語を思い浮かべる。
魔王にとっての最大の快楽、しかもそのキーのなるのが“半人神”である自分だという。
「それを行うには私の近くで違和感を起こす必要があるか、絶対巻き込まれるじゃん」
フリュウが言うには魔王は歪みを生むことを躊躇しない、人混みでも容赦なく襲ってくるとのこと。
しかも“半人神”だと疑われた原因が異形の男の子に路地裏で襲われそれをフリュウが助けに入った時。
ただの一般人として隠れていたが、神に助けられた少女ということで念のため探りを入れてくるだろうと告げられた。
全ては自分の判断ミスだ。
「はぁ」
「なんて顔してんのよ」
「へ?」
突然呼びかけられて音源に向けて振り向いた。
そこにはクラスメイトで頂点貴族、友達でありライバル。銀髪をふんわりと揺らす“真っ白けっけ”ノア・イヴィリオンがいた。
「ノア、どうしてここに?」
「テイルが昨日無断で欠席するから心配になったのよ」
マティルダの名前から3文字とってテイルだ。
クラスメイトは皆貴族家の出身、しかし下級貴族やまだ地位が確立されていない貴族達は、孤児のマティルダを毛嫌いしている。
マティルダはちゃんとした友達がいてくれることにほっと息を吐いた。
そしてその友達を巻き込みたくないと思う。
「おはよう、マティルダさん」
「あ、いたんだ」
「影が薄いみたいに言わないでください」
そしてもう1人、ブラウンの髪を持つ王子っぽい男“金ぴか”グラン・アダムズ。
「ごめんね、昨日は風邪ひいちゃって家からでれなくてさ」
嘘だが昨日のことを話しても絶対に信じてもらえないだろう、定番の言い訳をする。
「もう風邪は大丈夫なの?」
「うん、完全に治ったしいつも以上に魔術を使えるかも」
「じゃあ今日の実技は本気でテイルを負かしにいこうかな」
「いいよ?絶好調の私が相手になるから」
決闘の依頼をした二人だが、それで話題が尽きてしまった。
ノアは居心地の悪い空白を埋めるために慌てて話題を考える。
「テイルは知らないかもしれないけどさ、昨日の夜大学が大変だったんだよ」
「大学で?」
ノアの言葉にマティルダは興味をそそられる。エリート揃いの学生達が何をやらかしたのか、それはとても興味のあることだ。
魔術を失敗して大爆発したとか、その程度のことはとっくに卒業したエリート達だ、大変なことのイメージが想像できない。
「1人の男の子が編入希望をしてきてさ、実技試験で先生10人を倒しちゃったとか」
「嘘でしょそれ」
「ほんとだって、理事長先生も敵わなかったって」
マティルダはとても信じられない話に目を丸くする。この大学の先生になっているのは現役の魔術師だ。マティルダは実技演習で相手をしたことがあるが、互角の先生もいればまったく勝ち目が見えない場合もある。
マティルダは自分が10人以上でかかっても勝てない生徒の編入に胸を踊らせる。それと同時に心当たりもあった。
「もしかして、黒髪で短剣を持った男の子じゃない?」
「私もそこまで詳しいわけじゃないの、大学につけばわかるでしょ」
「やっぱり……」
マティルダが予想した通り、自分の隣の席に非日常の住人が座っていた。
もう見慣れた和服を着こなす居候のフリュウだ。
「遅かったね」
自ら神だと表する少年が。
自らに注がれる幾つもの視線をものともせず、ただ飄々とした態度で座っていた。
「なんでフリュウさんがここにいるのよ」
「マティルダに探りを入れてくるってわかってるんだ、近くにいないと俺が不安でね、それに」
フリュウは周りを見渡す。
その動作にフリュウに意識を向けていた生徒は視線を外した。
フリュウが昨晩の編入生だと少なからず思っている生徒達は近寄ろうとしない、少し踏み込んだ話をしてもいいと判断した。
「ここにはやつらの餌もたくさんあるから、過激派の魔王なら突っ込んでくると思ってさ」
魔王は中途半端に巨大な違和感をうむことは望まない、神に発見される危険性があるからだ、フリュウはここで魔王の性格を割り出そうという考えだ。
「ここが……戦場になるの……?」
「その可能性もあるってことだな、居場所がわかれば俺から出向くんだけど」
できればそうしてもらいたい、マティルダは心の底から願う。自分はともかく、友達まで巻き込まれるのは嫌だ。
だからこんな事を言ってしまった。
「私がオトリになれば」
「おいおい、馬鹿なこと考えるなよ、マティルダを守ることこそ多くの人を救うことになるんだ、この場においては事故犠牲こそが周りを破滅させる行為だ、あんま深く考えるなよ」
「そっ……かぁ」
そう言われても大切な友達に被害が及ぶのは嫌だ、それは変わらない。
どっちとっても辛い苦渋の選択にマティルダは顔を伏せる。
「マティルダ顔を上げろって」
「ん……?」
額を掴まれて無理矢理顔を上げさせられた。
「心配を吹き飛ばすためにも授業でおもしろいもの見せてやるよ」
フリュウは1冊のノートをとって顔の前でゆらゆらと動かす。
マティルダはそのノートに見覚えがあった、小さな鞄の中にその姿を求めるが見つからない。
「それ私のノートじゃ」
「そうだね」
フリュウ足を組んでイスに座り背もたれに大きく体を預けた。ノートをペラペラとめくって眺めるように読んでいく。
「この程度か」
「え?」
ボソッと聞こえた。
「まぁ見てろよ、この程度のお遊びなら余裕だ」
ノートを返されてマティルダはキョトンとした目で、フリュウの自信に満ちた笑みを見ていた。
時は過ぎ、4時間目の授業が始まって10分。
魔術師は多種の魔術を状況に応じて使い分けなければならない、それを成し遂げるためにも毎日のように反復練習を行う。授業は50分を6セット、午前に4セット午後に2セットだ。
そして既に3つの授業が終了し、3人の現役魔術師兼教師が1人の男子生徒に屈服させられていた。
「空気おもっ」「なんだよあの編入生」「学校来なくていいだろ」「先生かわいそ」「ヤバイのがきたぁ」
ぼそぼそと細い声がチョークの音に相殺される教室。生徒の視線は机に、意識は1人の生徒に向けられている。
気まずい空気を察した現役魔術師が黒板に書くのをやめて生徒達のほうを振り向く。
「えっと……これが今日覚えてもらう“雷電槍”ね。単体でこれ以上ないくらい完成された魔術だから、今日の実技でも活躍すると思うよ」
教師がおどおだしながら言葉を切るが、反応は返ってこない。
黒板に描かれた魔術を具現化させるための構成式、それを試そうとする生徒は誰もいなかった。
生徒は漏れなく全員この教室の支配者が誰なのかわかっていた。
そして誰も支配者の邪魔をする気になれなかった。
ただ教師だけはそれに気づいていない。
「ん……っとこんな感じで」
教師は雷の槍をつくって見せた。
完成された魔術と言い切るだけあってとても使いやすい、伸び縮みする槍はレイピアにもなり大剣にもなり太刀にもなる。
フリュウはそれが気に入らない。
(魔術師っていうのは、こんな立場の優越感に浸る野郎ばかりなのか)
長い髪をポニーテールのようにした男性教師を見て思う。なんとなくキツネっぽい。
神としてこの世界の裏の事情を知る彼にとって、人間が完全だと思うものは完全ではないのだ。
見守る側の彼からしたら、完全だと思うことは悪だ。進化を拒む発展を拒む諦めにしか聞こえない。
魔術の才能があるだけで怠惰に酔った者を、フリュウは人の上に立つ者として認めない。
「……」
「おお!」
無言かつ無表情で“雷電槍”を行使する。
沈黙の中男子生徒が魔術を完璧に再現して見せた、それに教師は祝福の声をあげる。
「やるねぇ君、ほら、皆もやってみ……」
迅雷が教室の重い空気を貫いた。
その迅雷はフリュウの右手から放たれ、教師の額寸前で静止した。
「何のつもりかな」
「先生の授業に文句をつけたい」
フリュウは立ち上がり教壇前の何もないスペースに向けて歩く。
(はじまったぁ)
生徒達はそう心で叫び、教師の数分後の姿を幻視する。
「ほう。君の名前は」
教師はおもしろいやつがきた、と試す立場を崩すことはない。
それがフリュウはやはり気に入らない。
「俺はこれから決闘を申し込む、だから先生も名を名乗れ、俺はフリュウだ」
フリュウは教壇前のスペースの端に立つ、それを見て自然と教師も反対側に立った。
「フリュウくんね、私はギーマ・ルードヴィア。一応魔術師だということを忘れないでくれたまえ。では文句を聞こうか」
なめている。経験を積んだ魔術師とその卵では実力差が大きい、普通に考えればなめられる。ギーマの態度にも頷けるのだが、
「あちゃー」「やっちゃったよ」
生徒達は小声で呆れるように呟いた。
そうやってフリュウをなめた教師、問題の編入生だと知っていて立場の優越感に浸りながら挑んだ教師が玉砕されていくのを見てきたのだ。
「先生はこの魔術は完成されたと言った、先生は諦めたんだな、進化を」
「む……」
フリュウの挑発的な言葉にギーマは怒りを覚える。魔術師という最高の立場を恐れない者を、魔術師は優遇されて当然という凝り固まった頭で認めたくない。
「要点だけにまとめた文句を伝えるとな、俺より“雷電槍”が下手なやつに教えてもらうのは嫌だって言ってるんだ」
「なんだと!」
絶対に馬鹿にされない立場、そう信じてきた者にとって耐え難い挑発。ギーマは血相を変えた。
(そうだよな、プライドを守るためにもお前は俺の挑発を受けるしかないよな)
簡単に食いついたギーマを見てフリュウはほくそ笑む。
「俺には自己流のアレンジを加えた“雷電槍”の派生型があります、進化を諦めた先生と進化を求め続けた俺との差がキッチリとでるでしょう」
フリュウは手にもった迅雷を変幻自在に操り振り回す。
これも1種の挑発。
「正しい進化をしているのかは不明だがな」
負け惜しみを流すギーマ。
立場に固執してしまうとどこか1つでも格下に劣っていてはいけない、そんな気がしてくる。自分の敗北を認めたくないのだ。
(お前にできないことを格下の俺はやれるぞ、ちゃんと正確に受け取ってくれたみたいだね)
ここまでは下準備。
この技術をギーマは欲しがっている。
決闘から逃げられないようにするために怒りと利益を相手に与える。
「決闘をしてくれるのなら、いい条件を見つけました。先生が勝ったら俺の発見した派生型を先生に教えましょう」
「ふむ、私が勝った場合その派生型は通常より劣っていたということになるのだろう?」
「そうなるが、少なからず価値はある、魔術研究において派生型の発見は大きな成果に繋がることを先生なら知っているはずだ」
魔術を具現化させるにあたって必要な構成式はパターンが決まっている。派生型と基本型を重ね合わせて比べることで部類の違う魔術にも応用することができる。
魔術師であればそれは喉から手が出るほど欲しいものだ。
しかし他人の発見した派生型を詮索することはNGだ。それはオリジナルと呼ばれ、その本人の代名詞になる。また他国に情報を与えないという意味もあり、必要以上の詮索はスパイ行為と見なされる。
しかしこの行為は違反ではない。
魔術文化を発展させるための配布、誉められる行為だ。
食いつかないはずがない。
「そうだな、私はその条件を飲もう、この際だしフリュウくんが全ての条件を決めて構わないよ」
急に余裕のある顔をしてギーマは答えた。
(もう勝った気でいるのか)
フリュウのことを利用価値のある存在だと認めたギーマ、それを正確に読み取ったフリュウが半目で眺める。
「俺が勝ったら先生の授業中、俺は自由にやらせてもらう」
「わかった、単位もしっかり出しておこう」
フリュウは3時間目までと同じ条件を提示した。
授業には出たくないがマティルダの近くで護衛したい、それを叶えるために。
「ルールは“雷電槍”を基礎にした魔術のみ、攻防全てそれで行う、魔術の危険性を考慮して全ての物体に寸どめ設定、いいか?」
「いいだろう。合図は頼むよ」
「いらない」
「は?」
「先制攻撃をやるよ」
ギーマはこれを侮辱と受け取った。
魔術師どうしの戦闘は基本的に先に魔術を当てたほうが勝つ。魔術を使うには意識を大きく割く必要があり、動揺している状態では満足に魔術を扱えないからだ。
先制攻撃を与えるのはよっぽど実力差が離れている場合のハンデとして与えられる、言ってしまえばこれ以上にないハンデだ。
「なめるなよ、魔術を使えるようになって浮かれているひよっこが!」
(それお前だろ)
ギーマは雷の槍を構築、その柄を強く握りしめた。
そして再び教室に迅雷が走った。
フリュウは半目でそれを視線に入れ、手のひらサイズの雷の塊を作り出す。
(声まであげて攻撃宣言って、ご丁寧なことだな)
これから攻撃しますから避けてください、そう言っているようなものだ。フリュウは呆れる。
(真っ直ぐな軌道、俺じゃなくても回避は余裕だ)
右足を起点にして体を半回転させ迅雷を避ける。迅雷はそのまま真っ直ぐ走って教室の壁寸前で止まった。
しっかり設定はしてあったことに安堵しつつギーマを見る。
ギーマは2つ目の槍を構えていた。
(全攻撃って挑発にのりすぎだろ……)
“雷電槍”は腕を起点にして発動する魔術、つまり腕の数までしか同時に使えないわけで、基本的に片手攻撃、もう片方で防御をする。全攻撃は火力差で詰めにかかる時以外はしない。
「出直してきてよ、先生」
本日3つ目の迅雷は、フリュウの雷の塊で防がれた。
全攻撃の反動、ギーマは防御に移るまでラグができた。
そのラグのせいで攻撃準備の整っているフリュウに対応できなくなる。
「なっ……!」「なにあれ」「うわぁ」
度肝を抜かれた生徒達の呟きが漏れた。
「綺麗」
マティルダは放物線を描きながらギーマに向けて殺到する雷の槍を眺めて呟いた。
百を越えるであろう槍が雨のようにギーマに降り注ぎ、寸前で静止する。
“雷電槍”アレンジによる全攻撃。
勝敗は誰がどう見ても決定的だ。
フリュウは魔術を解除して、大口をあけ呆然とするギーマに歩み寄る。
怒りを燃料として逆恨みしないように、あえて優しく告げた。
「先生の授業中、俺は自由にやらせてもらいます。では」
フリュウはまたしても突風のように、周りに巨大な印象を植え付け教室から出ていった。