御奉公 apprenticeship(後篇)
五、帰郷
安政五年(1858)、宮古に戻った一弥は十五歳。梨菜は十歳になった。一弥は一日置きに松原塾に通い、論語、孟子、大学、中庸などの儒学を学び、家では与えられた農学書を夜遅くまで勉学していた。店では手代、番頭からは米のあらゆる実学を叩き込まれた。時に鋭利な閃きで、徹兵衛や番頭が抱える問題を解決して見せた。問屋仲間の寄り合いや会所の集まりに同行し、意見を述べたり、代官所への挨拶にも連れていって貰った。梨菜は一弥と一緒に塾に通う他、里枝様から行儀、裁縫、茶、生け花などを教わっていた。一弥は凛々しく逞しい青年となった。正月に元服を祝ってもらい稚児髷から月代をそり落とした髷姿である。梨菜は一度も切らぬ自慢の黒髪と色白の肌、大きな澄んだ瞳で町の若衆達誰もが胸を妬き焦がす美少女に成長していた。
「一弥殿。貴方がこちらへ参って、もう七年が経過しました。梨菜、貴方の故郷に一度連れていって欲しいわ」
「そうですね。もう七年ですか。日の経つのは早いものです。あの大洪水からそんなに時間が経過したのですね。私も一度江釣子に戻り、父母や村の人達に会いたいと思っております。徹兵衛様にお願いし、お嬢様と江釣子に行く事を許していただきましょう」
「そうね。父もきっと許してくださるわ。私も一緒にお願いしましょう」
二人は行動を共にすることが多く、自然お互い好意を持ち、惹かれあっていた。だから梨菜の提案は嬉しくてたまらない。次の日二人揃って、夕食のあと父母にお願いした。
「父上。母上。一弥殿が和賀屋にご奉公して、早七年が経過しました。その間一度も故郷江釣子を訪ねた事も無く、その願いさえ口にしたことは御座いません。人一倍故郷を愛しておられましたから、思いを募らせていたに相違ありません。元服式を終え、大人になったこの機会に一度故郷を訪ねさせてあげたいと思います。如何でしょうか」
「梨菜の言う通りだ。儂も何度そう思ったことだろう。だが、一度江釣子の山や川、田園の姿を目にしたら、二度とこの宮古に戻って来まいとも思い、仲睦まじく、相思相愛のお前達二人が別れ別れになってしまってはと、梨菜が不憫でならなかったのだ」
「徹兵衛様。私は是まで我が子同様、慈しんで育てて頂いたご恩を忘れるような不忠者ではございません。それに梨菜様と離れて暮らすことなど考えられません。一度私の父母の顔を見、故郷復興の様子が解れば、直ぐに宮古に戻ってまいります。それと今度の帰郷には何卒梨菜様を同行させてください。父母に梨菜様との仲を認めてもらいたいのでございます」
「そ、そうか。お前、梨菜を娶ってくれるのか」
「徹兵衛殿。少し気がお早いですよ。一弥さんはまだそこまでは申しておりませんよ。ねえ、貴方。二人を江釣子に旅立たせましょう。まだ若い二人です。今度番頭に取り立てた重蔵を護衛役として付かせましょう」
「そうだな。出かけるのは桜花咲く四月頃が良かろう。ご両親に手紙を書き送りなさい。里枝。二人が着る晴れ着や旅支度、弥ェ門、和江殿への土産品など準備怠り無くお願い致す」
「畏まりました。一弥がご両親様がご覧になっても恙無く立派な青年に育った証に相応しい服装を整えましょう。梨菜には将来の嫁候補になれるような美しい着物を選びます」
「有難う存じます。梨菜様。私は嬉しゅうございます」
「あら、私もです。大好きな一弥様と一緒に旅が出来るんですもの。今から眠れないわ」
徹兵衛、里枝夫妻は若い二人の喜ぶ顔を見て相好を崩した。
旅立ちの日が明日に迫った。徹兵衛、里枝は二人を呼んだ。
「梨菜。くれぐれも言って聞かす。我等米問屋はお百姓あってのもの。そのことをしっかり胸に刻んでおけ。泥まみれで働くお百姓を些かでも蔑んだら、一弥はお前のことを嫌いになろう。一弥の父上、弥ェ門殿は大変立派な御仁である。是まで一弥が揚げた幾つもの功績を見ても解る筈だ」
「あちらのお父様に気に入られることです。きっちり仕込んだ積りですが、何か粗相をするかと心配です」
「父上。母上。梨菜はもう十歳でございます。心配なさることは無いと存じます。一弥殿の父上に気に入って頂く様、頑張ります。それよりお母様。梨菜の着ていく着物や髪飾り揃っているの」
「勿論ですよ。父上が江戸や京で買い揃えた極上の品です。まるで花嫁衣裳のようですよ」
「まあ、気のお早い」
安政五年(1858)四月二十五日。暖かい日差しに送られ、江釣子に向かう一行五人は宮古和賀屋を出立した。重蔵は騎乗、一弥と梨菜は駕籠、従卒小僧二人は長持ちを担いで徒歩である。宮古湾を背に閉伊川沿いを進む。両岸は菜の花が満開で、透き通った清流に時折鮎が跳ねるのが見える。七年前、重蔵に連れられ苦労して辿った険しい街道も、今は明るく野山の花で彩られた優しいものに見えた。二人一緒の籠の中は、梨菜の甘い薫りが篭り、切なくなるほどだった。簾を一杯に開き、外の光景を一々興奮して話す梨菜の可愛らしさに、一弥は嬉しくてならない。好きという言葉を何度飲み込んだことか。梨菜は肩まで届く長い髪を艶やかに梳り、花飾りと銀の家紋入り平打簪をつけている。着物は薄紅色で菫の花が小紋に散らされ、黄色の帯を腰高に締めた、大店のお嬢様に相応しい服装だ。狭い駕籠ではしゃぐ梨菜の手足が何度も一弥に触れ、その都度痺れるような興奮を覚えざるを得ない。旅籠で宿泊を重ね、奥州道中に入ったのは五月十日。江釣子が近づくに連れ、一弥の思いは懐かしさと不安で張り裂けんばかりに膨らんだ。江釣子到着の前日、一行は花巻宿に逗留した。長旅の垢を落とし、疲れを癒すため、坂上田村麻呂が見出したと伝える台の湯まで足を伸ばし、渓谷の温泉湯に浸かった。翌朝早く晴れ着に着替え、念入りにお化粧を施し、勇んで出発した。北上川沿いを進むと川は東に大きく屈曲し、西に折れ、更に南に折れ曲がった。道が登って高台に出ると、眼前に広く大きい緑豊かな平地が拡がり、彼方の川の対岸に満開の桜林の杜が春霞のようにぼうっと見えてきた。
「お嬢様。もうじきです。生まれ故郷江釣子が見えてきます」
洪水で蹂躙され荒れ果てた瓦礫だらけだった道中は、美しく元通り整備され松並木が続いた。道中の両側は見渡す限りの田圃が続き、所々荒地のままになっている場所もあるが、眼に沁みる蒼い稲苗が整然と植わっている。空は丸い白雲が浮かび、雲雀が天空高く舞いつづけていた。
「わあ、素敵ね。荒海の宮古とはまるで違うのね。荒くれた漁師もいないし、魚の臭いもしないわ。凄く広いわ。梨菜、空を飛んでみたい」
「ここが江釣子です。私が生まれ、洪水でやられるまで育った村です。ほら、ずっと向こうにこんもりした木立が見えるでしょう。多分あの辺りが私の家です」
丘の上に牛馬が放し飼いになっていてのんびり草を食んでいる。鶏や豚の鳴き声がする。早乙女達が菅笠を被り紺絣の着物で並んで田植えをしている。小太鼓を叩き田植えの調子をとっている若者の姿がある。広大な平地は山間の宮古と違い、明るくずっと遠くまで見渡せた。田圃越しに雪を抱いた壮大な奥羽の連山が見える。果てしなく何処までもきっちりと区切られた田圃。所々に木立のかたまりがあり、藁葺きの農家が木の下に見える。釜石街道への追分を過ぎると、両側に小山を築き真上に松の老木植えられた盛岡より十一里と石標に記された二子の一里塚。前を流れる新堀川の土橋を渡って川沿いの小道に入る。一弥は駕籠を降り、先頭で道案内をする。暫く行くと道は川を離れ、田の畦道のような更に細い道に続く。一弥は走り出した。一刻も早く父母の顔が見たい。
「父上。母上。一弥でございます。戻って参りました」
大声で叫びながら、畦道を走ると、屋敷門から弥ェ門、和江夫妻も手を振って駆けてきた。野花咲き誇る畦で一弥と両親は七年ぶりに再会した。
「か、か、一弥。立派になって」
「母上こそお元気そうで何よりです。父上。見事に江釣子が復活しましたね。誠にご苦労様でございました」
「客人が一緒のようだ。早く家の中にご案内しよう。鐡蔵。早く出て参れ。一弥が戻ったぞ。立派になりよって」
先年伊藤家用人に雇い入れられた鐡蔵は元盛岡藩士で、謹厳実直だ。
「一弥様で御座いますか。鐡蔵にございます。そちらのお嬢様は、どなた様でいらっしゃいますか」
「和賀屋徹兵衛の一人娘梨菜と申します。このたびは無理を言って一弥さんに此処まで連れてきていただきました」
「なんという可愛らしいお嬢様だ。さ、汚いところですが、お通りくださいまし。おうい。梅。濯ぎを持ってきなさい。この屋の御嫡男一弥様のご到着です。和賀屋のお嬢様もご一緒です。粗相の無いよう。それに毎年お見えになる重蔵様もおられます。今度番頭に昇進されました」
五人の到着で弥ェ門の家の女中や郎党達は勢ぞろいして出迎える。屋形は歓声に包まれた。
嵐のあと新しく建てられた弥ェ門の屋敷は豪放だった。荒削りの太丸柱に、小山のような巨大な藁屋根が懸かっている。平入りの広い土間の一角には竈、水場などが設けられ、左手は板間で二間四方の囲炉裏が切られている。板間奥が座敷が並び、座敷同士は分厚い板戸で区切られている。太い松梁が縦横に掛け渡り、天井板は貼られず、藁屋根が剥き出しである。鐡蔵の案内で十二畳の客座敷に通された。座敷障子は開け放たれて、作りかけの庭が見える。鐡蔵が説明する。
「一弥様。庭横の二間角の大巖は和賀川より此処まで流されて来た物です。ぶなの木は根付きの流木を苦労して立て直しました。庭として形を為すのはまだまだですが、今年やっと格好がついてきました。さ、どうぞこちらへ。お座りになってお待ちください。弥ェ門様、和江様が直ぐに参ります」
紋付、羽織り、袴で正装した弥ェ門に続き、家族一同が座敷に入って面会した。一弥は両親の前で平伏した。
「父上、母上。誠に長き無沙汰を致しました。和賀屋様でのご奉公は長いようで、ほんの一時のような気も致します。私はこのように美々しく復活した江釣子を見られるとは想像も出来ませんでした。父上は人生を掛け復旧にご尽力されたのですね」
「未曾有な惨事故、已む無くお前を奉公に出した。儂は今も自責の念に捕らわれ、良く夢に見ている。お前は実に立派な若者になった。見違えるほどである」
「徹兵衛様は私を実の子以上に慈しんでくだされ、学問やご商売の基礎を身につけてくださいました。しかも宮古到着早々、労務につかねばならぬところを、ここにいらっしゃる梨菜お嬢様の守役を仰せ付けてくださいました。お嬢様はお優しく、私に懐いて下さって、誠の兄妹のような暮らしでございました」
「洪水後、一番で徹兵衛殿が大船を仕立て、膨大な救恤の品々を届けてくださった。和賀屋のご奉公人様達も大勢来て、復旧を率先して実行していただいた。儂は今も宮古のある東側に足を向けて寝ることは無い。そうか、徹兵衛殿はそれほど一弥を大事に扱って下されたのか」
「梨菜と申します。徹兵衛の一人娘にございます。一弥さんはとても良く学問がお出来になり、和賀屋の危急を何度もお救いくださったのです。とても可愛がってくださり、私には勿体無い立派な兄上でございます。一番大切な人でございます」
北上盆地では絶対に見ることも出来ぬ腰を抜かすほど芳しい姫君。顔や手足などの肌はツヤツヤで、可愛らしい口元から得もいえぬ良い匂いが漂ってくる。鮮やかな薄碧の地に小さな蝶が一面に舞い踊っている縫い取りが施された小紋を着、それがとても良く似合っていた。
「聞いたか。和江。奥州一の大店のお嬢様が、この一弥を気に入ってくださったぞ。お言葉だけで充分でございます。どうか今後共一弥を宜しくお願い申しあげます」
今度は弥ェ門と和江が何度も梨菜に頭を下げた。
前日より準備されていたらしく、一通り挨拶が済んで通された大広間には巨大な座卓が設えてあり、卓上に山盛りの馳走が並んでいた。
「一弥様、梨菜様、どうぞこちらへ」
遠慮する二人も強く勧められて正面の上座に座る。座は既にざわついて料理を運び入れる者や、料理を取り分ける女中でごった返している。
「お嬢様。田舎風で驚いたでしょう。此処では堅苦しい挨拶などぬきです。寛いでわいわいやるのが風儀なのです」
「まあ、そうでしたか。びっくり致しました」
一弥両親始め宴に招かれた親類縁者総勢四十人ばかり。大方の人々が座につき落ち着いたところで、用人の鐡蔵が立ち上がった。
「皆様。お待たせ致しました。正面に座っていらっしゃるは、ご当家嫡男、一弥様でございます。七年ぶりのご帰参でございます。お隣は三陸宮古の大米問屋和賀屋様のご長女梨菜様に御座ります。お二人は将来夫婦になる約定が出来ているやに聞いております」
皆が大喝采する。正面の二人は顔を真っ赤にして俯いている。弥ェ門が立ち上がる。
「皆の衆。田植えで忙しい最中、斯様にお集まり頂き、恐縮致す。先の大洪水で微塵に破壊されたこの江釣子も、皆々様のご尽力であと一歩というところまで漕ぎつけた。今日は遥遥遠い三陸宮古にて働いている、儂の長男一弥が奥州一の大商人、和賀屋のお嬢様を伴って帰参致した。復旧と帰参祝いを兼ねた宴を設けた。遠慮無くやってくれ」
「若様、堂々とした若衆ぶり。弥ェ門様の若い時そっくりじゃ。凛々しいのお」
「しかし、梨菜お嬢様の愛らしさは例えようもねえ。初々しい。雛人形か、天女のようだ」
弥ェ門夫妻を始め集まった人々は皆聡明で凛々しい一弥と可愛らしい梨菜を囲んで大騒ぎ。
賑やかな宴も終わり、二人は客間で床をとった。翌日も快晴である。
「暫くゆっくりされるのでしょう。一弥とこの当たりの風光を楽しんでくださいな。晴れ着は田舎では汚れてしまいます。村着を出しておきました。これに着替えて遊んでいらっしゃい」
梨菜は和江から村娘が着るような丈の短い紺絣の木綿の着物を着せてもらい、黄色い単帯を締めた。色白の肌に良く似合った。
「まあ、可愛らしい。外に出てごらんなさい。桜が咲き始めていますよ」
一弥は恥ずかしそうに梨菜の手を引いて、村はずれの古の墳墓が沢山ある、五条丸に連れて行くことにした。一弥が村で一番美しいと思う場所だ。村の子供達が囃したてる。男女が手を繋いで歩くことなど滅多に見られぬ土地柄なのである。五条丸は和賀川沿岸に広く開けた草原で、細く浅い小川が幾筋も流れ、所々に小さな淀みがあったり、池塘として独立した小池などが点在し、短い草が密集して生えていたり、丈の高い葦などが固まって生えたりしている。所々に色取り取りの野花が花開いて、踏むのが躊躇われる。玉石を積み上げた古の墳墓は草地から一段盛り上がった台地の上にあり、不規則に並んだ大小百以上の円墳群だ。大玉石を積み上げた墳墓は苔むして、土で覆われ草が生えているものもある。墳墓の先に北上川第一の支流、和賀川の淘々とした流れが望まれる。大きな白い鳥が低空をゆっくり舞っていく。二人が手を繋いで、古墳を巡り歩いて行くと、迫り持ち状に茶褐色の割り肌の巨岩を積み上げた迫力ある異様な建造物が突然目に入ってきた。これまで見てきた緩やかで何処か優しげな古墳とは明らかに異なる造形で、その威圧的な形に圧倒される。異国的で暴力的でさえあった。
「怖いわ。これは、一体何ですか」
「遠く延暦の御世と言いますから、今から千百年以上前にこの地を治めていた阿弖流為という英雄の墳墓と聞いております。彼らは蝦夷と言う我々の祖先となる民族で、その文化が斯様な迫力溢れる異形の墓を作ったのだと言い伝えられています。蝦夷の勢力は朝廷をも脅かし、今の津軽、南部、伊達、松平、板倉などの各藩の領土に拡がっておりました。 伊藤の家はその阿弖流為麾下一の軍師佳寿流為を遠祖と仰ぎ、父母は屋敷内に社を設け、毎日手を合わせておりました」
「では一弥殿の先祖は蝦夷ということになりますね」
「そうです。私はそのことを誇りに思っています」
梨菜は一弥の出生を聞き、不思議な気がした。蝦夷というと未開で野蛮な人種で、山野を駆け巡る獰猛な野獣のような連中だと漠然と考えていたが、蝦夷の正当な末裔と名乗る目の前の青年は、白皙で礼儀正しく、聡明な男である。二人は野花を摘んで墳墓に供え祈った。墓の傍らの叢に腰を下ろし、母の持たせてくれた弁当を広げた。
「私の出自を話しました。梨菜様の母上、里枝様はどちらのご出身なのですか。御夫婦は少しお年が離れておいでのようですが」
「はい。今年父は五十三歳、母は二十九歳で二回りも年が離れています。私は十歳ですから、母が十九の時に生まれました。母は京の天子様近くにお仕えする鷹司中宮家の息女でした。鷹司の家は当時貧窮しており、飛ぶ鳥を落とす勢いで財力を蓄えていた和賀屋へ身売りするような形で嫁いだと聞いております。父徹兵衛は商売に熱心のあまり四十過ぎまで独り身で、母との婚儀の話が出た時は大喜び、鷹司へ二十万両もの支度金を出しました。鷹司の家はこのお金で持ち直したのです。父が母に頭が上がらず、いつも優しく接するのは、出自に引け目を感じているせいかもしれません。父が和賀屋を名乗るのは、祖先がこの和賀地方から出たからで、祖先は和賀山中に暮らす山賤であったということです」
「そうでしたか。徹兵衛様とは何か繋がりのようなものを感じておりました。山賤というのは、深い山中で狩猟などで生計を立てている漂白の人々と聞きます。蝦夷が大和に責め滅ぼされると、多くの蝦夷達がそうした生活を強いられたとも申します」
「母は貴族の生まれ育ちで、世相に疎く生活力がありません。私も母の血を引いておりますから、のんびりして拘りをもちません。一弥さんのお嫁になれるかしら」
「大丈夫ですよ。貴女のご両親がそうだったように、きっと上手く行くと思います。貴女の美しくゆったりした立ち居振舞いに、私の両親はすっかり虜になったようです」
「そうですか。待ち遠しいな。早く大人になりたい」
一弥は梨菜の小さな美しい手を取って自分の胸に当てた。長い髪を撫でると芳しい薫りがした。
「梨菜様。一弥は貴女のことが好きでございます」
「私もよ。一弥さん。大好きです」
二人の唇が自然と触れ合うのは時間が懸からなかった。湿原の遥か彼方、純白の雪を抱いた栗駒に夕日が落ち初めていた。山は次第に赤く染まり、金色となった。一弥と梨菜は固く手を結んで家路に向かった。稲苗の植わった田圃の水面も夕日に染まって、斑らな金色の帯が揺れ光った。
半月後、二人は宮古の和賀屋に戻った。早速徹兵衛、里枝に江釣子の報告をする。
「父上、母上。一弥さんの故郷、江釣子は風光がとても良いところでした。ご両親様から大層優しく歓待していただき、凄く嬉しかったです。一弥さんは梨菜を将来の妻だと皆様に紹介して呉れました」
「洪水の跡は荒方復旧し、村人も以前の人数に戻るのも間もないことと父は申しておりました。故郷の懐かしくも美しい風景は私を勇気づけてくれました」
「それは何よりだ。そうか、江釣子は以前の通り復旧したのか。弥ェ門、和江殿もご壮健の由、儂も嬉しい」
「梨菜。良かったわね。お前を将来の妻と一弥殿が認め、ご両親様にその旨を伝えて下さるなんて。一弥殿。元服を過ぎ益々凛々しくお成りになりました。梨菜の婿には勿体無いような美丈夫ですよ」
「一弥。今後お前がどのように身を処すのか解らん。だが申し聞かせることがある。時代は急速に変わろうとしている。三百年の安寧を貪った徳川幕府は存亡の危機に陥った。家光公以来鎖国政策を取ってきた我が国も、欧米列強の侵入を防ぐことが適わなくなってきた。今や国論は勤皇か左幕、開国か攘夷と大きく二分され、薩長土肥などの雄藩が討幕運動をあからさまに行う有様。多くの若者達が草莽の志士としてこれに参加している。儂は幕府の命運も風前の灯火だと見ている。我が国が開国し諸外国との交易を開始するのは目前だと思う。お前は英明だ。目を広く現在の状況を把握し、次の時代に送れぬよう努めるのだ。米屋、百姓と雖も時代の流れに抗しては生きられぬ。新しい時代に生きる力を得て梨菜を嫁に娶って欲しい」
徹兵衛が言う時代の奔流は江戸から遠く離れた宮古にもひしひしと伝わってきている。一弥の若い頭脳はその流れを膚で感じていただけに、この言葉が良く理解できた。
六、阿蘭陀留学
その年の十一月、アメリカ総領事に就任したハリスが、老中堀田備中守に公使の駐在と通商条約締結の必要を説き、その時の応接記録が幕府通弁奥平貫斎の対訳で出販され、逸早く入手した徹兵衛を経て、一弥もそれを読む機会を持った。蔵書であった嘉永癸丑亜夷渡来書翰、魯夷応接記、黒船渡来記などの所謂阿蘭陀風説書を読んで触発されていた一弥は貪るようにこれを読み、諸外国特に阿蘭陀国に強い憧れを抱いた。長く鎖国政策を堅持していた徳川幕府も阿蘭陀のみに限られていた通商を徐々に他国にも開き始めていた。亜米利加のペリーに引き続くように露西亜プチャーチン、阿蘭陀ファビウス、英吉利スターリング等が自国の軍艦を率いて次々と我が国を訪れ、強硬に開国を迫った。幕府は次第に列強の圧力に屈し、長崎の他下田、函館を開港せざるを得なくなっていた。翌年の安政五年、阿蘭陀商館長ヤン・ドンケル・クルティウスが最後となる江戸参府を行った。一方四月に大老に就任した井伊直弼は開国を目指す志士を安政の大獄と呼ばれる激しい弾圧を行い、抹殺せんと図った。これに反発した薩摩、長州などの雄藩では倒幕運動が急速に高まりつつあった。激動の世にあっても、米や海産物を取り扱う和賀屋の商いは、米騒動にも巻き込まれず無事商売を続けていた。一弥はこの年徹兵衛に願い出て、クルチウスの参府の模様を見学した。随行していた長崎甚左衛門にも話を聞くことが出来た。甚左衛門は阿蘭陀が広大な砂礫地を開発し、土地を改良、欧州一進んだ農業耕作の状況を紹介してくれた。この先、我邦の農業に行き詰まりを感じていた一弥は阿蘭陀の新農法に強く惹かれた。甚左衛門は桂川甫周著の和蘭辞彙を貸し与えてくれ、一弥は懸命に阿蘭陀語の習得に努めた。同年七月日蘭修好通商条約が締結された。
和賀屋徹兵衛は一弥の意見を聞き、各国の通商が開始されると、和賀屋取り扱いの商品が我が国通商の重要な産物となると気付かされた。海産物は以前より唐や高句麗へと輸出され、巨利を生むことから、これが欧米にも輸出されれば莫大な利潤を呼ぶことは明らかであった。更に米、和服、生糸、江戸指物、工芸品、などの日本の産物が外国人の好むところであり、一弥からの強い慫慂でそれらの品々を取り扱い商品に加えることにした。そこで徹兵衛は安政六年深川越中島の他に横浜に出店を開き、外国輸出の拠点とし、弱冠十七歳の伊藤一弥を和賀屋横浜店支配人に任命した。横浜で上げた利潤は全て一弥の資産として良いとの格別な便宜を図ってである。オランダ領事兼オランダ貿易会社日本代表アルベルト・ボードワンが着任、オランダとの交易権を手にした和賀屋と談合を始めた。一弥は独学で学んだオランダ語を使ってボードワンや下僚と交渉した。たどたどしい会話で、和賀屋取り扱いの商品を交易品として認めて貰える様懇願した。一弥の誠実な態度はボードワンの気に入るところとなり、一弥が領事館に出向くと葡萄酒を飲ませてくれたり、オランダ料理をご馳走してくれる。領事は一弥を息子のように可愛がってくれた。始めの内は僅かであった阿蘭陀交易もやがて飛躍的に増加、国内の扱い高の半額にも達するようになった。
四年後の文久二年(1862)、幕府はオランダ政府に軍艦開陽丸を発注、造船、操船などの技術研究のため、同国にわが国初の留学生を派遣した。赤松則良や榎本武揚ら士官に交じり、オランダ領事と懇意であり日本農業の発展のために二十一歳の一弥が加わっていた。幕府は先進国の優れた学問や軍事技術を学ばせるため優秀な幕臣や職人を選りすぐったのである。一弥は自分の見聞を交え、これからの日本農業の有り様に対する建白書を幕府に提出していた。その中で国防の最大の武器は農業の振興であり、土地改良など優れた欧米の農業技術を学ぶべきだと熱く説いた。開明的な建白書は幕閣の目に止まり、オランダ領事の口添えもあり、留学生の中に職方の一人として一弥が加えられた。長崎を文久二年二月に出航した留学生達を乗せたオランダ商船カリップス号はバタビアを経てオランダロッテルダムに到着したのは翌年の文久三年(1863)四月。日本人達は人種差別の厳しい迫害に逢いながらも夫々の学業や実業に励んだ。一弥は流暢な阿蘭陀語に物を言わせ、ライデン大学に入学、欧羅巴の進んだ農法などを学び、ついで海軍士官学校に志願入学、抜群の成績で卒業し、三年后の慶応元年(1865)四月、日本に戻った。
一弥は二十三歳になった。ずっと宮古和賀屋で一弥の帰りを待ちつづけた梨菜は花も恥らう十八歳。一弥が日本に帰ってきたことを手紙で読み、梨菜は一弥が宮古に戻る日を耐え切れぬ想いで待った。共に江釣子まで出かけて以来、八年の月日が経過した。既に幕府は瓦解寸前で、将軍家の威信は地に落ちていた。激動の中、梨菜は誠に美しく成長し、母親の里枝より礼儀作法や女子として身につけるべき習い事や、大店の女将としての心得や振舞いをしっかり自分のものにしていた。生まれつきの美貌に磨きが掛かって、町の人々は流石鷹司家の血を引く姫君だ、一体誰がこの姫君の夫に相応しいだろうなどと噂し合った。
慶応元年五月十五日早朝、宮古竜神崎沖の岩場で海女の幸恵は何時ものように素潜りで鮑を取っていた。和賀屋に収めれば言値で買い取ってくれる。海は冷たいが一家五人の暮らしを支えているから、五十過ぎての潜りも止むを得ぬ。幸恵が二十尋の深さまで潜り、鮑を掻きとって浮上した時である。小船で舵をとり幸恵の漁を見守っていた亭主の甚蔵が叫んだ。
「く、黒船じゃ。黒船が来るぞ」
逆巻く返し波を物ともせず、腹に響く轟音をあげ巨大な黒船が閉伊崎を廻って宮古湾に侵入して来る。耳障りな規則正しい機関の擦過音を響かせている。幸恵は折角海底から掻きとってきた鮑を入れた籠を取り落としてしまった。甚蔵に船べりから引き上げられた幸恵は暫く息もつけずへたり込んだ。轟音を上げ見る間に小船方向に近づいてくる。甚蔵は慌てふためいて小船を岸に向けた。その同じ頃、竜神崎より二丁ほど離れた舘ヶ崎の狼煙台で望見をしていた物見役の権次は、湾内に侵入しようとしている不審な巨船に気付き、遠眼鏡で確かめ驚嘆した。
「く、黒船。盛大に煙を噴いてやがる。大変だ。代官所に知らさねば」
権次は狼煙を上げ、備え付けのほら貝を思いっきり吹き鳴らした。時ならぬほら貝の音に驚き、岬に上がる狼煙を認めた役人が代官所へ注進した。代官の森井健悟衛門は昼食で飲んだ酒が廻って午睡を貪っていた。中間の大声で目覚めた健悟衛門は寝ぼけ眼で何が起きたか正した。
「と、殿様。大ェ変でがんす。真っ黒ェ巨大な黒船が攻めて来たでがんす」
「落ち着け。こったら、田舎の港サ、黒船が攻めて来る訳無ェだろ。大方雷雲でも見誤ったンじゃろが。儂ぁ眠いンじゃ」
代官の基に相次いで報せが届く。曰く、小山のような蒸気船が砲口を代官所に向け突進してくる。曰く、巨大船の出す煙が街じゅうを暗闇にした。曰く・・・。代官所中庭には報告に来る役人や町人達でごった返した。森井はすっかり目覚め慌てた。
「お代官様。浜は見物の人で溢れています。大変な人数で押し合い圧し合い」
「甚だ危険だ。毛唐は人肉を喰らうという。純朴な領民が捕らえられ食われてしまう。警備や人民整理の役人を派遣する。儂も出張るぞ」
健悟衛門が大勢の手下の役人を率いて浜に出ると、浜は前が見えぬほど集まった人々で黒山。群集の中に和賀屋徹兵衛夫妻、梨菜お嬢様の姿もある。
「どけ、どけいっ!お代官様ご出張である。道を明けろ!」
森井は配下の役人に命じ、陣幕を張り、竹矢来を建てさせ、槍や刀で武装した役人で群集を整理させた。自らは先祖伝来の甲冑を着け、鉢巻、大薙刀を手に部下達を叱咤する。
「陣を組むんだ。周密態勢で毛唐共を蹴散らせ。鉄砲隊、三段の構えで備えろ」
宮古湾に巨大な甲鉄の軍艦が入港した。徳川幕府が欧米列強と対抗するが為、阿蘭陀に発注した最新鋭の軍艦、開陽丸だったのである。三本の長大な帆柱、漆黒の船体、艦首、艦尾に八門、砲甲板に二十八門のクルップ砲が威圧、鈍いスティームエンジン音を響かせゆっくりと浜を目掛けて近づいてくる。長さは四十間、幅は九間にも及ぶ圧倒的な大きさは、港に繋留された他の和船や漁に出ている漁船を蹴散らすように進んでくる。
「なんちゅうでかさじゃ。甲板に居る人は豆粒のようだ」
浜の目前の沖合いに碇泊した軍艦は、暫くすると艀を下ろし、何人か乗り組んで浜に漕ぎ渡ってくる。突如、艀の上で軍楽隊の演奏が始まった。聞いた事も無い喇叭や洋太鼓の大音響に代官始め警護の役人達、蝟集した群集は度肝を抜かれ後退った。異人達の傍若無人の振舞いに呆然とし為す統べもなく遠巻きに見守るだけ。先頭の艀には阿蘭陀海軍軍服に身を包んだ六尺豊かな青年将校と紅毛の阿蘭陀人将官が乗っている。一同が上陸すると、次々と艀が渡って来る。浜に着いた一行が整列すると、阿蘭陀人軍楽隊が楽器を持って演奏を開始した。楽隊の奏でる大音量に代官の森井は尻込みしながら部下に押されて、已む無く応接しようと一行の前に立った時である。開陽丸艦首砲台に設置された十六サンチカノン砲が轟然と火を噴いた。強烈な轟音に健悟衛門は我知らずへたへたと座り込む。腰が抜けたようだ。失禁もしている。役人も村人も皆地にひれ伏している。
「耳が聞こえぬ。鼓膜が破れた。眼も見えぬ」
先頭に立つ青年将校は見事に金モール付きの軍服を着こなし、黄金造りの帯剣を吊っている。赤銅色に日焼けし、濃紺の軍服姿の将校も近くで良く見れば、日本人にも見えなくもない。震えながら声をかける。
「こ、殺す気か。こんなどでかい大砲を打ち込まれたら、宮古は木っ端微塵となる」
青年将校が威厳ある声音で静かに口を開いた。
「ご安心召されよ。これは礼砲と申して、入港の際の挨拶である。砲弾は込めておらぬ」
「一体如何なる故あってこの静かな宮古に巨大軍艦が侵入してきたのだ」
青年はそれには答えず、背後の群集の中に和賀屋一同がいるのを見出すと、そちらに向かって手を振った。
「て、徹兵衛様、里枝様、そして梨菜様。一弥でございます。阿蘭陀にて海軍術を学び今戻ってまいりました。お懐かしゅうございます」
「お、脅かすな。一弥らしい大仰な帰還じゃ。お前なんちゅう格好しとるんじゃ。髷を落としたザンバラ頭。金釦のゴロ服にダンブクロ。髭を蓄え、長靴まで履いて、まるで紅毛人。皆様。ご安心ください。今この宮古の浜に軍艦に乗ってやって参ったのは、儂の娘梨菜の許婚、伊藤一弥君でござる。お騒がせし申し訳無い」
一弥を下ろした阿蘭陀人将官一行と軍楽隊は浜を行進して威勢を示すと、再び軍艦へ戻った。暫くすると開陽丸は錨を揚げ、出航していった。一弥は一段高くなっている埠頭の壇上に立つと、集まった群衆に挨拶を始めた。
「お代官様。お役人の皆様。お集まりの町の衆。伊藤一弥はこの宮古へ八年ぶりに帰還致しました。江戸から横浜へ。そして海路遥遥二千百五十海里、阿蘭陀国はロッテルダムと申す都に居住、俊優のみが通うライデン大学にて農政学、干拓学次いで砲術、操船術などを学び、ついで阿蘭陀海軍士官学校で海軍士官の学業、鍛錬を受け戻って参りました。卒業に当たりレフテナントの称号を受けております。更に大学及び士官学校での成績抜群を閲した阿蘭陀国国王ウィレム三世陛下よりネーデルラント獅子章を賜る栄誉を受けました。帰国に際し欧州諸国を見聞し、その圧倒的な技術力に驚かされたのでございます。最早この狭い島国日本で惰眠を貪っている時では御座いません。不肖伊藤一弥、智識を広く世界に求め、列強に具する強国に我が国を育てていかねばなりません。基より私は百姓の出で、血肉ともこの岩手の大地に根付くものでございます。畢竟此の如き感覚を起す所以のものは、米作りとその商いにより培われた不屈の精神です。これからは我が郷里江釣子と此処まで私を育ててくれた宮古へ恩返しすべき時と信じております。微力ではございますが、一身をこの岩手、就中江釣子、宮古の二村に捧げるつもりでございます」
異人まがいの見慣れぬ軍服に身を包み、壇上で難しい挨拶をする男に人々の反応は夫々で、毛唐の真似をする如何わしい男と評するものや、因習に囚われた瀕死の幕府施策を打破していくのはこのような青年だと言うものもいる。梨菜は久しぶりに見る一弥の精気溢れる言葉に感動していた。徹兵衛に急かされ一弥は久方ぶりに和賀屋の門を潜った。門前には伝令により一弥帰還の報せを受けた筆頭番頭の利兵衛、江戸番頭から二番番頭に引き上げられた権兵衛、三番番頭には一弥を江釣子から宮古へ連れてきた重蔵が就任しており、手代達や女中衆と共に勢揃いして出迎えた。お仕着せを着た総勢五百人の奉公人達が揃って頭を下げる。人垣を縫うように一弥を先頭に徹兵衛、里枝、梨菜が大暖簾を潜って式台に進み、そのまま奥へ通る。奥座敷では奥女中達十五人が正装して平伏し出迎える。一弥は通常徹兵衛の座る床の間前の上座に座が設けられ、徹兵衛夫妻は一弥の右側、梨菜は左側に座る。女中頭の雪が代表して口上を述べる。
「一弥様。此度のご帰還誠にお目出度うございます。聞けば遠路遥遥波涛を越え欧羅巴は阿蘭陀国にて様々な学業と軍務を積まれ、彼の国王様より勲章を授与されて凱旋なされました。お雪始め奥にてお世話させて頂いた一同皆歓喜の極みで御座います。大層ご立派になられ感動致しました」
「八歳でこの和賀屋に奉公に上がりしより星霜十五年が経過致しました。想えば徹兵衛様、里枝様、梨菜様始め和賀屋の皆々様から受けたご厚情は語り尽くせぬ思いが致します。片田舎の土百姓の出で右も左も解らぬ私を此処まで育てて頂き、更に阿蘭陀国留学のお許しをも賜り、今日無事皆様方多数のお出迎えを受け、この和賀屋に帰還できました。誠に有難う存じます」
「一弥。お前はこのように多数の人々に愛され期待されておる。その期待に答えるのが是からのお前の仕事だ。梨菜はお前を待ち焦がれていた。十五で江戸へ出て以来、八年も待たせたのだ。暫し二人でゆるりと話すが良かろう。儂や里枝、女中衆は邪魔になるといかん。退こう」
皆が出て行くと座敷は静けさを取り戻した。開け放った障子の外の岩組みの間に薄桃色の都忘れ草が一杯の花をつけ、地面を覆った苔に映えている。やっと二人は誰憚ることなく向き合うことが出来た。八年ぶりの再開。どぎまぎしてお互い見詰め合うことが出来ぬ。一弥は勇気を振り絞って、梨菜の手を取った。
「梨菜様。一日たりとも貴女を想わぬ日はありませんでした」
一弥が今日までの出来事を面白おかしく話すと梨菜は笑い漕げたり、涙を浮かべたりした。「八年前、江釣子の古墳の前で貴方様と初めて唇を合わせて頂きました。いつもう一度あの震えるような喜びが味わえるのかと、毎日のように夢に見ておりました」
一弥は持った手を強く引いて梨菜を抱いた。顔と顔が近づき自然と唇が合う。口を吸うと梨菜の甘酸っぱい匂いに包まれ、陶然とする。梨菜の幽かな喘ぎ声がした。何度も何度も口付けを交した。九年間の空白は忽ち、縮まっていった。辺りが薄暗くなり火を灯す頃、奥女中が夕食の支度が整ったと声を掛けてきた。梨菜は乱れた髪や薄らいだ化粧を直し、着替えに自室に戻った。一弥は里枝様が出してくれた着物に着替える。食事をとる突き当たりの八畳の部屋には灯りが灯され、徹兵衛、里枝は既に席に着いている。ここでも最上座は一弥の席に用意されている。遠慮しながらその席につくと、やがて裾に極彩色の蝶や花を散らした京友禅の本振袖、金糸銀糸で織った佐賀錦の袋帯を締めた梨菜が奥女中頭のお雪に手を引かれ入ってくる。あまりの神々しい美しさと可愛らしさに一弥は呆然とし、言葉を発せられない。梨菜は一弥の前で一礼し隣に座る。
「何か目出度い。まるで婚礼のようだ」
「一弥さん、梨菜。お似合いの夫婦のようですよ。娘ながらお前の麗しさは惚れ惚れ致します。さ、今日は私自ら調理致しました。一弥さんはきっとあちらのお料理ばかりで、こういう家庭の味が懐かしいと思い拵えました。どうぞお召し上がりになって」
浜に上がったばかりの鮪、平目、鯵、鮑、帆立、北寄など旬のお造り、煮物、焼き物、汁椀など心尽くしの手料理が並ぶ。彩り鮮やかな盛り付けや器の見事さに一弥は日本料理の素晴らしさを再認識した。
「とても美味しうございます。あちらではしつこい肉料理や牛酪を使った料理ばかり。魚もあるにはあるのですが、オリーブと称する油を掛けて食するものですから、とても口に合いませんでした。梨菜さん、貴女は料理を為されるのですか」
「料理上手の母には未だ及びませんが、そこそこの調理は身につけております。今度私が一弥さんに作って差し上げます」
それまで笑いながら皆の会話を聞いていた徹兵衛が改まって一弥に向かい語りかける。
「一弥。お前が留学している間、大きく変わったことがある。お前が旅立った年、横浜生麦で薩摩人が英国人を切る事件があった。勤皇の志士の倒幕運動は激しさを増し、翌年幕府は新撰組という浪士達の組織をつくり、これに対抗、更にその翌年の元治元年には亜米利加などの列強四国艦隊が下関を砲撃、幕府は長州征伐に乗り出したが、成功しない。三百年余も続いた徳川幕府も今や瓦解寸前である。和賀屋はお前の慧眼により横浜に支店を出したが、これが大当たり。我が国と交易を開始した国々との取引は年々鰻のぼりで、今和賀屋は外国交易では、後発の他商店を圧倒し、最高の取引額を誇る。利潤も多くこれが和賀屋の商売の中核を為すに至っている。お前が阿蘭陀領事と親しく交じあい、先鞭をつけてくれたお陰である。改めて礼を申す」
「それは徹兵衛様が早くより蘭学書を読ませてくれたお陰でございます。お礼をしなければならぬのは手前の方です」
「ところで一弥。梨菜は既に十八歳。嫁に欲しいという嘆願が各所から数十も来ている。儂が申すのもなんだが、この溢れんばかりの美貌。この町の人々だけでなく、江戸や京、その他各地のお大尽、お大名、いや、薩長の志士や天子様近くにお仕えするお公卿様方よりご依頼が引きもきらず、返事はまだかと毎日催促されておる。お前は梨菜をどうする積りだ。好きなのであろう?」
「は、はい。梨菜様にお仕えして十有五年。一日たりとも梨菜様を思わぬ日は御座いませんでした。梨菜様の心も身体も全てが好きでございます。私が阿蘭陀に留学し学びました所以は梨菜様に相応しい、新時代に生き抜く男となりたかった為にございます。梨菜様は私のことをどうお思いになっていらっしゃいますか?」
「幼いころより一弥さんだけが友達でした。物心つくと友達では無く、愛しい殿方となり、恋しく思っております。貴方以外の男性に嫁がざるを得なくなりましたなら、私は死を選びたく存じます」
「良し。相解った。互いに相思相愛のようだ。弥ェ門殿の許しが得られれば、二人の婚約を認めよう。この和賀屋に相応しい、いや、鷹司家の血を引く姫が恥ずかしく無いような盛大なる婚礼を執り行うと致そう。勿論弥ェ門殿との協議の上であるが。落ち着いたら、一弥、梨菜を連れ儂と共に江釣子へ挨拶に出向こうぞ」
「有難う存じます。今ひとつだけお許しを得ておかねばならぬことがございます」
「なんじゃ。言うてみい」
「私の是よりの身の処し方でございます。暫く今一度発展する和賀屋横浜店で交易の商いをさせて頂きたい。和賀屋を坂本竜馬が唱えた「かんぱにい」として欧米列強に伍する組織と致して行きたいのです。事業が軌道の乗った暁には、晴れて梨菜様と婚姻したく存じます。最終目標は矢張り故郷江釣子への帰参です。彼の地で阿蘭陀で学びましたる先進的農業を試み、根付かせたい。我侭極まるお願いでございますが、何卒お聞き届け下さいませ」
「ふむ。お前は幼少の折より目標を定め、必ずその通り実行してきた。言い出したら後に引かぬのであろう。相解った。お前は希望通り進め。儂は出来る限りの支援を致そう。梨菜は承知しているのか」
「初めて伺いました。でも私はどこまでも一弥さんに付いて行くつもりです」
一弥が再び横浜へ赴任するので、宮古滞在中に一弥両親に二人の婚約の許しを得るべく、徹兵衛、里枝、一弥、梨菜の四人が打ち揃って出かけたのは七月に入ってからである。奥州一の大商人一家の旅であるから、一行が大名行列のようになるのは自然の成り行き。豪華な駕籠四丁を連ね、供回りの番頭手代十五人を従えた一行が江釣子、伊藤邸に到着したのは七月末。山のような土産品を携えている。既に報せを受けていた弥ェ門、和江は一里塚まで出迎えに出た。
「ようこそお出でくださいました。お久しぶりでございます。ご一家様お揃いでお出ましとは恐縮致します。ご覧の通り江釣子村は以前の通り、いや以前に増した稔りが約束されております。此度のご来駕は何事にございますか」
「実は弥ェ門殿、和江殿にお願いがござっての。こうしてご迷惑も顧みず大挙してお邪魔したのでござる」
弥ェ門の屋敷は八年前一弥と梨菜が訪れた折は仮普請で荒い造りであったが、今は豪放さは以前のままだが、小奇麗に改装され、立派な長屋門も建てられていた。門を潜ると豪快な巨石を組み合わせた石組みや、砂紋を配した砂庭、手入れの行き届いた刈り込みなど主人の趣味の良さを伺わせる庭園が広がった。通された座敷は四十畳もある広間で秀麗な庭園とその向こうの垣根越しに、見事に生え揃った稲穂が地平線まで連なっている。開け放った窓からは爽やかな風が良く通った。控えの間で旅の衣装を着替えた和賀屋一行三人と一弥が屏風の前に顔を揃えた。梨菜の艶やかな色内掛け姿は皆が呆然と見とれてしまうほど華麗である。
「梨菜様。一段とお美しくなられました。匂うが如きとは斯くなるお姿を言うのでございましょう」
梨菜が顔を覆った紗の薄絹を静かに外す。僅かに吊りあがった大きな目、目の周りに青い黛を刷き、淡くぼかした頬紅、艶やかに光る口紅、手足の爪にも紅を差している。弥ェ門、和江は思わずひれ伏してしまう美しさ、気高さ。着物越しにもはっきり見える胸乳の張り、縊れた胴、まろやかに張った腰。色気も申し分無い。伊藤家の煤けた座敷は梨菜がいることで天空の極楽を思わせた。
「な、な、なんと言うお美しい姫君にございましょう。九年前拝見しました時も非常にお美しかったが、今はあの時を遥かに上回り、お姿を拝するだけで目が潰れるような思いが致します」
弥ェ門と和江の異句同言のあまりの賛辞に里枝は少し慌てる。
「そのように仰られますと些か気恥ずかしい気が致します。梨菜はお転婆でそそっかしく、失敗も良く致します。身体だけは少しは世間様から認めて頂けるようになりましたが、おつむの方は一弥様に見劣り致します。一弥様は日本で始めて外国留学を果たし、天賦の才に磨きが懸かりました。それに稀に見る美男でいらっしゃいます。色白で細面、目鼻立ちがきりりと引き締まり何より気品に満ちていらっしゃる。素晴らしい男前です。それと学問だけでなく武術の心得も相当なものと聞いております」
「田舎百姓の倅を此処までの美丈夫にお育て下さったのは、徹兵衛様、里枝様の厳しい躾の賜物があったらばこそ。有り難くも涙が浮かびます」
「褒めあいはもうこれくらいにしよう。我等が江釣子に参ったのは他でも無い。一弥殿は八歳の時より二十三歳の今日まで、十五年間和賀屋にお勤めくださった。この間、一弥殿の知恵で和賀屋が救われたことは数え切れぬ位でござる。親元を離れての奉公、言葉に尽せぬ苦難もあったかと思う。こうして立派な若者に育ったことは、弥ェ門様、和江様同様に私も嬉しい。幸いにしていつも生活を共にした梨菜も美しく成長し十八になった。二人は出会ったその時から互いを好き合っており、離れがたき同士。弥ェ門殿。和江殿。遠く無い将来、一弥殿と我が娘梨菜を娶わせて下さらんか」
「ご用件はそのことでしたか。察してはおりましたが、斯様にご丁重にお申し込み為されるとは想像致しませんでした。好きあった二人が結ばれる、これほど喜ばしいことはありません。有り難くお受け致します。一弥。良かったな」
両家の家族全員が見守る中、一弥と梨菜は人目も憚らず抱き合い、唇を合わせた。若者のみに許される大胆な行動を皆は羨ましそうに見守った。
勝手に一弥と徹兵衛が先導し話を強引に薦めるのを弥ェ門と和江は苦々しく思った。一弥は実の息子なのに、自分たちと一緒に暮らしたのは、誕生から八年だけ。徹兵衛一家とは十五年以上共に過ごしている。嫡男である一弥を奉公に出してしまったのは、水害で苦しんだ挙句とはいえ、口惜しく悔しくもあった。実の両親の不満も婚儀が決定し嬉しくて堪らぬ二人には届かなかった。その夜徹兵衛夫妻とお供の番頭や手代は花巻の旅亭に泊まり、二三日滞在して宮古に戻った。一弥と梨菜は久しぶりとなる伊藤家で歓待を受けゆっくり寛いだ。
七、遭難
九月に二人は宮古に戻り、暫くして徹兵衛が江戸に向かう船に便乗し横浜に向かった。伊藤家用人だった鐡蔵は弥ェ門に強く懇願し、用人を辞め一弥の執事を勤めることとなった。鐡蔵も同行している。予め、横浜店の番頭に手配を依頼していた、元町の高台に新しい住まいを得、そこに住まうこととなった。住まいは阿蘭陀人商人が建てた洋館で、阿蘭陀人が帰国したため、借り受けることが出来たのである。新たに女中二人と小僧一人を雇い入れ、二人は婚礼前であるため、寝室は別にして共に住むこととなった。住まいが洋館であり、一弥の仕事の多くが外国人との交渉であるため、自然梨菜も洋服を着、外国風の暮らしに慣れていく。外国人家族との付き合いもあり、自宅に彼らが遊びに来ることも起きてきた。世は騒然とし、昨年六月には京都池田屋で新撰組隊士により勤皇の浪士が襲われ惨殺される事件や、米英など四国艦隊が下関を砲撃、今年に入って天狗党の騒乱や長州征伐など相次いでおこなわれ、攘夷を叫ぶ過激な武士が異国人を襲うことが頻繁に起きていた。特に開港し外国人居留地を抱える横浜は彼らの標的となり、各国領事館は勿論民間人も襲撃に備え、警護を厳重にし始めた。町は異国人を襲おうとする武士や浪人などが跋扈、町の人々は何も起こらぬことを願うばかりで、ひっそり静まり返っていた。一弥の住む元町の高台は居留地の一角にあり洋館が立ち並んでいる。昼間の内は武装した各国の兵士も警戒し巡回している。万延元年、亜米利加領事館通弁ヘンリー・ヒュースケンを江戸麻布にて切り殺した薩摩脱藩の過激攘夷派伊牟田尚平は捕らえられ、鬼界ヶ島に流罪されていたが、この程許され江戸薩摩藩邸に潜んでいた。尚平は藩邸出入りの職人が口にした言葉を聞いて、怒りが再び心底より湧き上るのを感じた。横浜で商売を始めた商人が、異国人と親しく交わり、自分も異国の服を着、異国風の館に住まうという。その商人とは和賀屋横浜店の支配人を務める男で、外国貿易により急速に商いを伸ばし、その地で以前より商売をしていた商店を駆逐していると。
「毛唐かぶれメが。嬶ぁはラシャメンであろう。天誅を加えねばならぬ。日ノ本の男子が何たる堕落。成敗せずとあっては薩摩男がすたる」
尚平は攘夷派の仲間二人を引き連れ、横浜元町に向かった。その日一弥は日課となっている阿蘭陀領事館に出向き、領事らと意見交換したあと、阿蘭陀交易所に出向き、来月の輸出入の商品の細目を打ち合わせ、新たに購入した馬車で帰宅の途に着いた。交易所は横浜桟橋近くにあり、家は山手の麦田にあって馬車を使えば半刻足らずで着く。一弥の館にはテレグラフが設置されていて、帰宅の際必ず電信で是より帰宅すると伝えるのが慣わし。梨菜は夕刻一弥からの伝言を受け、うきうきした気分で一弥の帰宅を待った。馬車が墓地前の坂道に差し掛かった時である。黒装束に身を固めた武士三名が抜刀し、馬車に襲いかかった。先頭は伊牟田尚平で清川八郎率いる清川塾に北辰一刀流を学んだ剣客である。馬の脚を切って行き足を止めると、即座に馬車内の一弥を引きずり出して一刀両断に切りつけ、更に腹を突いて差した。悶絶し昏倒する一弥。折りしも各国領事館から賊徒の警備を依頼されていた幕吏が悲鳴を聞いて駆けつけたため、尚平等は止めを差すことなく逃散した。館に馬丁の駒蔵が飛び込んできたのは、襲われて五分も経たぬ内。梨菜は何か胸騒ぎがして玄関先で一弥を待ち受けていた。駒蔵が真っ青な顔で駆け込む。
「お、お、お嬢様。た、大変でございます。一弥様が兇刃に倒れましてございます。辺りは血だらけでごんす」
「ど、どこです。一弥様が襲われたのは」
「す、直ぐそこの墓地の辺りです」
取る物もとりあえず梨菜は走り出した。叫び声を聞いた執事鐡蔵や家令、雇人達も慌てふためいて梨菜に続く。駒蔵の言う通り、一弥は道端で血に塗れ昏倒していた。
「か、一弥様ぁ!」
梨菜が泣き叫ぶ。梨菜は着ていた着物を脱ぐと、執事に命じ切り裂かせて布切れを作り、応急の血止めをする。雇人達が家から担架を運んできて、やっと寝台に横たわったのは、襲われてから四半刻も経過していた。傷は深く肩に長さ一尺の切り傷。肩の腱が切断され腕はだらりと垂れたまま。腹は内臓に達する深い刺し傷。テレグラフで緊急に呼び寄せた阿蘭陀人軍医が応急の手当てを施したが、一弥は意識を失い虫の息。軍医は領事館の呼び出しで、応急処置だけで帰ってしまった。
「このままでは死んでしまいます。鐡蔵。早馬で江戸深川にいる父上に報せてください。父上ならきっと一弥様をお救いする手立てを考えてくださいます」
鐡蔵は普段一弥が騎乗する亜剌比亜産の駿馬、アテルイ号を引き出させ、即深川へ駆け抜けた。和賀屋深川本店には折りよく徹兵衛が、帰宅していた。普段沈着な鐡蔵が慌てふためいて徹兵衛に面会を求めた。
「どうした。鐡蔵。そんなに慌てて。汗びっしょりでは無いか」
「お、お、大旦那様。ほ、本日午後四時、一弥様賊徒の襲撃により瀕死の重傷。今は生きるか死ぬかの境でございます。お助けくださいまし。一弥様をお助けくださいまし。梨菜様が気も狂わんばかりに泣き叫んでおられます」
「な、何っ。か、一弥が襲われた?」
「応急の処置は阿蘭陀人軍医に施してもらいました。傷は深く意識も混濁され、うわ言で梨菜様を呼ぶばかりでございます」
「解った。私が以前より懇意にしている幕府御典医松本良順を呼ぼう。蘭方医の権威だ。今儂が良順殿に手紙を書く。それを持って小石川の良順医師のもとへ急ぎ、良順殿を乗せて横浜まで走れ。アテルイ号なら出来る」
徹兵衛は直ぐに一弥の傷の状態を記し、鐡蔵を走らせた。自らは早駕籠を頼み、横浜へ向かった。松本良順は後年(慶応四年)銃弾に倒れた新撰組局長近藤勇を治療し快癒させた名医である。良順が一弥宅に着いたのはその日の深更だった。即座に傷を改め、念入りに消毒、華岡青洲配合の通仙散で麻酔を全身に掛け、傷ついた大腸と傷を縫合、肩の負った傷は腱ばかりで無く静脈をも切断しており、血管の縫合という是まで施術したことも無い困難な手術を行った。解熱剤と鎮痛剤を投与、併せて化膿止めの施術を行い術が完了したのは翌日の昼過ぎだった。
「梨菜殿。手術は只今完了致しました。傷は深く高い発熱が続き、昏睡状態で、今晩が山場でござる。意識不明の重篤な状況です。出来得る限りの治療は施しました。後は本人の生きる気力と奥方の看病のみが生死を決します。此方へ来て手を握り励ましてあげなさい」
「は、はい。一弥様。私です。梨菜です。生きるのです。生きて夫婦になりましょう。しっかりしてください」
徹兵衛も到着した。
「先生。あらん限りの手を尽してください。一弥は私の息子となる男です。何としても助けてください」
「意識が戻らんことには助かるとは言えん。強烈な臭いを発するアンモニアを嗅がせよう。気付けに効く。皆様方。鼻を塞いでいなさい」
良順は革鞄より小瓶を取り出し、一弥の鼻元で蓋を取る。眼に沁みる強烈な異臭が漂い、看病人達は咳き込んで噎せる。一弥は幽かに顔を顰めるが再び昏睡してしまう。一同固唾を飲んで様態を伺う。夜半過ぎまでピクリとも動かぬ。
「息が浅くなってきた。心の臓の動きも定かで無い。いかん」
良順の険しい見立てに凍りつく。
「な、な、何か手立ては御座らぬのですか。先生」
「斯くなる上は、ここに僅かに所持致す英吉利国産のウヰスキイなる液体をば口に含ませよう。梨菜殿。この液体をば口に含み僅かづつ一弥殿に飲ませるのだ。強い薬故、かなり噎せクラっと致すが耐えてくだされ」
「一弥様ぁ!一弥様ぁ。死んではいや。いやでございます」
梨菜は眼を閉じ良順の差し出す小瓶からウヰスキイを口に入れた。激しく噎せ、身体中がカっと熱くなる。涙が出た。徹兵衛に支えられ、一弥に覆い被さり唇を押し付け、舌で口をこじ開けウヰスキイを喉に押し込んだ。
飲ませ終わると梨菜は涙を零した。一滴が乾いた一弥の唇を濡らした。奇跡が起きた。ウヰスキイに噎せ、咳き込むと固く閉じられていた目蓋が動き、薄っすらと開いたのである。
「か、か、一弥っ。気付いたか。梨菜。一弥が気付いた」
「わぁっ。一弥様。梨菜でございます。貴方が一番好きな梨菜でございます」
梨菜は一弥の唇に己の唇を合わせ懸命に吸った。一弥は覚醒し意識を取り戻していった。一晩中梨菜は一弥の額に冷水に漬けた手拭いを当て、温まると再び冷やして取り替えつづけていた。良順の治療と施術は素晴らしく、翌朝には口が訊けるようになるほど回復した。
「お医者様。徹兵衛様。それと梨菜。皆様のお力で一命を取り留めることが出来たようです。有難う存じます」
「梨菜の手柄じゃ。梨菜が冷静に素早く対処したから、お前は助かった。お前を覚醒させたのは梨菜の涙である」
一弥は泣いた。梨菜も再び涙を流した。時代に先駆け、革新的な行動をすれば、再び襲われぬとも限らない。しかしこうした妨害に負けては終わりだと一弥は決意を新たにしていた。梨菜の献身的な看病のお陰で、三ヶ月すると歩けるまで回復、痛みは殆ど感ぜずに済む。杖を突いてだが二人揃って散策に出ることも出来るようになった。慶応二年が明けた。この年の八月、声望の高かった徳川慶喜が将軍職に就任、より開明的な政策が始められたが、時既に遅く世論は倒幕へ傾きつつあった。
傷が完治した一弥は外国交易の業務を精力的に推進、商い高は飛躍的に増加した。今は輸入、輸出共農産物、海産物以外に工芸品や衣類、雑貨等を扱い売上は日本一である。利益は莫大で買い入れ価格の十倍、二十倍で買い取ってもらえる。横浜の利潤は一弥の資産となる約定があり、翌年慶応三年末には百五十万両(現在の価格で凡そ二千二百五十億円)もの大金を手中に納めることができた。
一弥は寝るヒマも惜しんで働き、一緒に住んでいるのに、殆ど家に帰ることもなく、仕事場で夜を明かしたり、泊まったりしている。梨菜は自分の献身的看護で漸く復帰した一弥が、自分を顧みることも少なく、仕事ばかりに熱中している一弥を少しだけ疎ましく覚えた。日中は殆ど一人で訪ねて来る友人もなく、話し相手は執事の鐡蔵だけ。料理や家事一切は女中がしてくれるので暇を持て余す。
「鐡蔵。今日も一弥様は会社に泊まるの?」
「は、はい。そう伺っております。とてもお忙しそうで、梨菜様もお淋しいでしょう」
「ええ。誰も知る人もおらぬこの横浜は異国人も多く、孤独になります。ねえ、鐡蔵。梨菜と一緒に街の見物やらお買い物をして呉れない?」
「私で宜しければいつでもお供させていただきます。そうですね、これからでも如何ですか。沢山の外国船が見られる波止場、お洋服や装飾品を売るお店、それに最近異国料理を食べさせる料理店が出来たと聞きました」
「嬉しいわ。梨菜思いっきりお洒落して行くわ。鐡蔵。お前もきちっとした服に着替えなさい」
鐡蔵と梨菜は洋装で眼一杯着飾って出かけた。十一月、居留地の生垣には浜ひさかきが満開で、常緑の細長い葉の根元から白い可憐な花が豊潤な匂いを放っている。小高い丘を切り開いて造成された居留地は、小道が複雑に入り組み、思いがけぬ風景に出会えるから、散策にはもってこい。丘陵の直ぐ下は横浜湾の入り江で、幾つもの長い木の桟橋が沖に伸び、入り江には沢山の帆船や蒸気船が並んでいた。丘の頂き近くに居留人目当ての洋風の茶屋があり、広い芝庭の長椅子に並んで座った。
「お嬢様。あれに見える黒い船は英吉利の船のようです。こちらの白帆を一杯に広げ出航していくのは、多分、亜米利加の商船でしょう。ほら、浜に鴎が群れておりますよ」
「鐡蔵。私今とっても寂しいの」
梨菜は突然嗚咽を漏らして泣き崩れる。鐡蔵はどうしてよいか解らず、梨菜の手をとり優しく抱きしめる。
「お可愛そうな梨菜様。私に縋ってくださいまし」
涙が流れるのに任せ、梨菜は身体を鐡蔵に委ね、知らぬうちに唇を重ねて、又泣いた。口付けに鐡蔵は戸惑っていた。大恩ある主人一弥の許婚の美女との号泣と口付け。震えるような喜びにまして、申し訳なさで居たたまれぬ気持ちになった。
「いけません。梨菜様。私と斯様なことをなされては」
「いいの。一弥はちっとも家に寄り付かないし、一向に結婚の話を進めようとしないの。あの人と出合ってもう十六年にもなります。私の両親も一弥様のご両親も私たちの結婚を一日も早くと願っているのに、その気が無いのかしら。一度も抱いて下さらないの」
「さりとて、使用人である私と結ばれるようなことがあれば、一弥様は絶対にお許しになりますまい。私とて男でございます。美しき姫君とこのように抱き合っておれば、自然と貴女様が欲しくなってしまいます」
今度は鐡蔵の方から梨菜に覆い被さるようにして、熱く燃えた唇を吸った。主従の関係は吹き飛んでしまった。茶屋の女将が気を利かせて部屋を用意してくれた。梨菜は孤閨の淋しさから、いつも傍にいる鐡蔵に抱かれ、優柔不断の一弥に復讐する積りだったのかも知れない。
「鐡蔵。今日はここで二人泊まりましょう」
「は、はい。で、でも・・・旦那様に知られたら私は馘首されてしまいます」
「私を慰めてくれる気が無いの?私のこと嫌いなの」
「だ、大好きでございます。江釣子の伊藤弥ェ門様の家令として勤め初めてすぐに、八歳のお嬢様が一弥様とご一緒に屋形を訪れました。あの時のあまりの可愛らしさは十一年たった今も忘れようにありません。白状しますと、私が弥ェ門様のもとを離れ、遥遥横浜まで参り、一弥様にお仕えすることになった、所以は、じ、実は、梨菜様のお傍で芳しい莉菜さまのお世話をさせて頂きたかったのでございます」
「まあ。そうでしたの。うすうす気付いておりましたよ。時折お前が私に熱い眼差しを向けるんですもの」
「も、申し訳ございません。使用人の分際で斯様な嫌らしい気持ちを抱くのは」
「いいのよ。お前だけですよ。私に心を寄せて下さるのは。一弥様なんか大っきらい。兇刃に倒れ必死にご看病し蘇生し、元の身体に戻ったのに、梨菜を少しも抱いて下さらないの。鐡蔵。私を抱いてください」
二人は互いに唇を貪り、布団に倒れこんで、服を脱ぐのももどかしく、結ばれようとした。然しながら、鐡蔵にとって天女とも言うべき、梨菜様に声を掛けられ興奮し、結ばれる前に果ててしまったのである。恥ずかしさのあまり鐡蔵は逃げるように茶屋をあとにし、屋敷に戻った。小一時間後、梨菜は何事も無かったように帰ってきた。疲れきっている。無論二人は顔を合わせることが出来ない。何故かこういう日に限って、用事が早く済んだと言って、主人の一弥が帰宅した。梨菜はふらつく身体を辛うじて支え、玄関で出迎える。顔色が真っ青である。いつも迎えに出る鐡蔵の姿も見えぬ。
「梨菜。只今戻った。どうしたのか、浮かぬ顔をして。髪も乱れている。どこか身体が悪いのか?鐡蔵。鐡蔵は居らぬのか。梨菜の様子がおかしい。医師を呼んでくれ」
「は、はい。梨菜様はお加減が悪いわけではございませぬ。気の病かと存じます」
「な、何。気鬱とな。何が不満なのだ」
「お、恐れながら申しあげます。梨菜様は孤閨にお悩み遊ばれているかに存じます」
「無礼者。お前は儂の執事であろう。使用人が主人の閨の秘密を露わにする。これを不忠と言わずしてなんと言う。それとも何か。貴様、よもや梨菜を抱いたのでは御座らぬな。そうであったなら許すわけには行かぬ。貴様を成敗致す」
一弥から図星を言い当てられ、梨菜も鐡蔵も為すすべも無く立ち尽くす。言い訳など思い当たらぬ。梨菜は崩れ落ちるようにその場に倒れこんで号泣する。
「お許しくださいませ。梨菜様には少しも悪いことはありません。一弥様がとてもお忙しく、滅多にお顔を合わせることも出来ず、淋しさ余って、直ぐ傍にいる私に声を掛けられたのでございます。決して不義を働いたのではありませぬ」
「黙れ。例え身体を通じ合わなくとも、放免するわけには参らぬ。そこへ直れ。成敗致す」
「一弥さま。悪いのは私でございます。私が先に声を掛けました」
一弥は愛する梨菜のこの言葉に凍りつき泣きながら声を振り絞る。
「むっ。何たることだ。幼き時より相思相愛の梨菜が、よりによって、屋敷の使用人に声を掛けるとは。最早和賀屋支配人としての面目は立たぬ。不義を働いたとあっては、徹兵衛様、里枝様。それに儂の両親に対しお詫びの申しあげようもない。お前達を切り、そのあと儂は腹を切る。飼い犬に手を噛まれるとは、悔しくてならぬ」
三人は起こってしまった出来事の重大さと今後為すべきことが解らず、揃って号泣した。女中達は三人の怪訝な様子に声も掛けられず、困惑していた。泣くだけ泣いてしまうと、一弥は梨菜の寂しい気持ちも良く解り、これからは出来るだけ早く家に戻り、共に過ごす時間を持とうと決心した。鐡蔵は痛く反省し、二度と女主人に用事以外の声を掛けぬと誓った。一弥の疑念は必ずしも氷解したわけでは無かったが、積年の忠勤に免じ今回に限り許すことにした。
八、婚礼
外国人との通商を重ねて行くと、彼らの進んでいるかに見えた文明も、意外に底が浅く我が国の方が文化が高く、利便に優れているものも多く見出された。我が国が受け入れるべき文明は厳しく取捨選択する必要があると感じた。そこで一弥は梨菜と相談し、明春に迫った二人の婚儀を、故郷江釣子で行うことにした。巨利を手にし、これ以上財産を増やしても使い切れぬ程である。この資金を故郷江釣子の農業発展に遣おうと考えたからである。そう考えが至るととても嬉しくなった。故郷への恩返しが出来る。共に暮らし始めてニ年余であるが、二人は未だ肌を合わせたことが無い。関係を結ぶのは婚儀が済んでからと互いに厳しく戒めているからである。そのことを思うと恋しく身も心も張り裂けるほど互いに切望しているのである。鐡蔵に梨菜が身を委ね様としたのは、このような振舞いの所為だ。早く婚礼の日取りを決めねばならぬ。郷里に住む一弥と梨菜の両親へ手紙を送り明年四月吉日、二人の婚礼を江釣子伊藤家にて執行したいと伝えた。
事前に百五十万両もの大金を運ぶ必要がある。千両箱で千五百箱。総重量は二十一屯にも及ぶ。一弥は梨菜を伴い日本橋室町の本両替商三井本家を訪れ相談した。三井の番頭は個人でこれほどの資金を持つ男に驚きながら、丁寧に応対してくれた。両替店のある江戸や大阪では為替という方法があるが、幕府危急の今、その扱いは危険を伴う。厳重に梱包し海難の恐れの少ない軍船にて輸送するのが尤も安全である。問題は如何にして軍船を調達するかであると教えてくれた。一弥は神戸の神戸海軍操練所で訓練に励む榎本武揚に書簡を送り、幕府軍艦開陽丸で資金を横浜より宮古へ運んで欲しいと懇願した。阿蘭陀留学中、榎本は俊優の一弥を実の弟のように可愛がり、帰国後もしばしば互いの消息を連絡しあっている。榎本は海軍操練所頭取、軍艦奉行勝海舟に掛け合い訓練の名目で開陽丸の派遣を快諾してくれた。慶応四年(1868)一月、小雪舞う宮古湾に再び開陽丸が入港した。今度は事前に報せたこともあり、代官所も村人も騒ぐことなく迎え入れた。和賀屋では百五十万両の金貨を保管する堅牢な金蔵を用意していた。一番蔵の床下を三間四方、四間の深さに掘り窪め、周囲に厚い石壁を造成、上部には頑丈な小屋梁と板で塞いで、土を一間の厚さに乗せた。出入りは狭い石の階段だけで、入り口は厚さ一尺もの南部鉄の扉がつけてある。扉は一弥のみが持つ特殊な番号鍵を用いなければ開かぬ工夫だ。深夜、人々が寝静まるのを待って、海軍操練所の軍人が完全武装で小判を金蔵に運び込んだ。開陽丸には無論、一弥と梨菜、鐡蔵も便乗していた。一足先に和賀屋の暖簾を潜った三人は早速徹兵衛に挨拶に出向いた。
「良く来た。婚礼もあと三月と迫った。愈々だな」
「はい。お陰様で暴漢に襲われた傷も完全に癒え、たっぷり儲けさせて貰いました。あとはこれをどう皆様に還元するかです。梨菜とは暫く二人で生活してみて、美しさだけでなく気立ての優しさと明るい快活な性格に魅了されております。一刻も早く結ばれたくて堪りません」
「父上。一弥様はとても私を求めていらっしゃるのに、一度も抱いて下さりませんでした。婚礼まではと我慢しておられるのが、とてもいとおしいのです」
「ふむ。斯くなる妖艶な美女と共に暮らしながら、肌を合わせぬ克己心。恐れ入った。えらいぞ、一弥」
「毎日出がけと帰宅時には、唇を合わせて頂いております。只それをしたあと狂わんばかりに梨菜が欲しく、耐えられぬ思いを商売に熱をいれることで紛らわしてまいりましたが、ほぼ我慢も限界に達しそうです」
「左様か。でも婚礼を済ますまで肌合わせはいかんとは、誰も申しておらん。お前のご両親がそう言っているのか」
「いえ。寧ろ両親は早く結ばれろとさえ、申しております。これは私自身の決め事です。己が肉体の限界まで耐えに耐え、堪えに堪えて、而して想い尽した憧れの女体を抱く。これが私の理念です」
「バカか。お前は。今夜にでも抱いてやれ。梨菜は待ち遠しくて毎晩泣いているそうだ」
「父上。そのようなはしたない戯言、恥ずかしいわ」
その夜、一弥の寝間は離れの瀟洒な座敷に設えられた。風呂に浸かり身体中を丹念に洗い、新しい浴衣に着替え、床に入った。今晩梨菜が忍んでくる。そう思うと胸が張り裂けるようで、眼を瞑っても梨菜が浮かんで消えぬ。四半刻が過ぎた。さらさらという衣擦れの音が廊下を伝ってくる。行灯の光りを絞って待つ。握り締めた両拳がじっとり汗ばむ。静かに襖が開けられ、ほんのりと焚き込めたお香が薫る。
「ま、待っていたぞ」
薄暗がりで梨菜が着物を脱ぎ捨てる音がする。肌着全てを脱ぎ捨て、全裸でそっと布団に入ってきた。一弥は我慢しきれず自分も裸になって夢中で抱く。思った以上に素晴らしい肉付きで途方もなく柔らかく温かい。唇を合わせ、胸を探り、下腹に指を這わせると、そこはもうびしょ濡れ。ツンと上向いた乳房が何とも可愛らしい。脚を絡ませ深く貫くと直ぐ頂点に達する。その夜二人は何度も何度も繋がり、果てた。愛しあうことがこれほど甘美で切ないものとは、想像を超えていた。明くる朝、殆ど眠ることは無かったが素晴らしい目覚めである。二人揃って徹兵衛と里枝の待つ表座敷に向かい、朝の挨拶をする。
「おはようございます。今日も良い天気、張り切って頑張ります」
「ほ、ほう。至って元気が良いな。昨晩はどうだった」
梨菜は真っ赤になって俯く。
「は、はい。全く経験したことも無い、感激の夜でした。ねえ、梨菜」
「いや、一弥さんたら。二人の秘密例え両親にでも話しちゃ駄目」
「良いではないか。梨菜ちゃんも泣いて喜んでいたよ」
「もうっ、いや。これ以上お話されたら、別れます」
二人は両親の前で甘えていちゃつく。
「この正月、幕府は鳥羽伏見の戦いに敗れ、大阪にいた慶喜公は江戸に敗走した。昨年既に大政は朝廷に奉還されている。つい先日、慶喜公が上野寛永寺に入り、謹慎された。奥州諸藩は同盟をつくり、倒幕軍を迎え撃つとも聞く。戦となれば婚儀どころで無くなる。私はこれまで開国論者で勤皇派に属すると言えるが、南部藩にも大変な恩義があり、どちらに荷担すべきか悩んでいる。一弥は逸早く外国留学を果たし、交易の仕事に従事していたから、維新の事業に賛同しているのだろう?」
「はい。只薩長中心の倒幕と新政府樹立には、些か疑問もあり、此処は野に下って農業を志したいのです。今の推移を見ると、急激な欧化政策は人心を離反させ、徳川幕府より更に腐敗した政策が行われることが危惧されます。私は梨菜と共に故郷江釣子で、真の強国になるため、根本となる農の改革を目指します。これからの農業は作物を育てるだけでなく、販売もしていかねば立ち行かなくなると思います。和賀屋で培った商いの仕方を活用しようかと考えております。ですから、私達は宮古を離れ江釣子に行ってしまうのでは無く、広大な北上盆地に生産者を伴う和賀屋の支店ができるとお考えください」
「相解った。梨菜を宜しく頼む。梨菜は農業のノの字も知らんし、苛酷な農作業が出来るとも思わん。田圃に出て、この麗しい柔肌が陽に焼かれるのは耐えられぬ」
「無論承知しております。留学しておりました阿蘭陀国では、農民がギヤマン硝子貼りの小部屋にてテウリップと称する鬱金香の花を栽培しておりました。誠に美麗な色鮮やかなる花で欧州各国に輸出され巨利を得ていると聞きました。小部屋の中は我が国より寒冷な土地ながら、恰も春の如き暖かさで、農民がお洒落をしてのんびりと花摘みをしている光景が見られたのでございます。私の目指す農法は斯くの如きもので、在来の腰を曲げ、刻苦する現今の農業とはおおきに違い、豊かなる生活と程よい労働が主題です。で、ありますから梨菜に従来の苛酷極まる農作業を強いることなどありえません。私は米作り以外に牧畜、野菜、花、生糸などの生育にも力を尽したいのです。梨菜には美しい花を育てるなど好きな仕事に従事してもらう積りです」
「ふむ。万一梨菜が作業が辛い、或いは日に焼けて困る、手が荒れるなどと一言でも申したならば、即離縁させるぞ」
「承知しました。決してそのようなことにはなりません。それよりも徹兵衛様。是よりは婚礼の準備に没頭せねばなりません。江釣子の良き地に是から住む館を建てる必要がございます。今まで住んでいた横浜の洋館を解体移築し大改修を行う積りです。徹兵衛様は今月半ばに江戸へご出張と伺っております。手筈の方宜しくお願い致します」
「承知した。土地の手配は弥ェ門殿に頼むと致そう」
徹兵衛から一弥、梨菜の新居の土地探しを依頼された弥ェ門は、居宅近傍の鳩岡崎法量の高台に三万坪余の遊休地を見出し、そこを推薦してきた。徹兵衛が江戸に行くと、横浜の旧宅は既に解体、部材毎に梱包されていて、運ぶだけの状態だった。持ち舟の便船を遣って横浜から仙台、北上川を遣って江釣子まで、荷を運ぶのは左程困難なことでは無い。徹兵衛は財力に物を言わせ、一月末には鳩岡崎の土地に旧宅の部材を荷上げさせてしまった。二月に入ると鐡蔵が先行して江釣子に入り、新居の建設と婚礼の準備を本格化させた。鳩岡崎の土地は緩やかな起伏もあり、ぶなや栃の巨木が生え、見晴らしも良く素晴らしい。横浜より呼び寄せた洋風大工棟梁、二代清水喜助に命じ建て方と改修、造園工事に取り掛からせた。喜助は横浜で恩義がある一弥の開明的で進取な気風に惚れ、勢い込んで引き連れて来た大勢の職人達と日夜突貫で工事に当たった。四月十五日の婚礼に間に合わす為である。二月初に上棟、ただちに内装工事に掛かり予定通り三月末無事竣工した。建物は総二階建て、延べ面積二百坪。英吉利チューダー様式で腰に花崗岩を貼り、上部は木部を半分表した塗り壁で、急勾配の屋根は玄昌石で葺かれている。一階は玄関、応接室、客間、大広間、遊戯室、舞踏室などの洋室、二階は日本間で寝室や居間、茶室、子供室などが設けられた。家具調度は全て伊太利亜、仏蘭西、英吉利から取り寄せた。和賀屋横浜店ではこういう商品を取り扱っており、以前より買い揃えていたのである。本格的の洋風建築では本邦初となる。庭園は広い芝庭と花壇などが有機的に整備されたこれも英吉利式。式典及び披露宴は新装なったこの屋敷で行うことに決まった。弥ェ門と和江は江釣子で式を行うことに決まり、安心していたが、新しい洋館でやることになり大慌て。徹兵衛と相談し大至急洋服を誂える羽目となった。司会進行はこういうことの得意な鐡蔵が任命された。
花嫁となる梨菜は京友禅の老舗千總に依頼していた本振袖が仕立て上がり、千總から派遣された女中に着付けさせる。髪結い、化粧師、美肌術師、美容按摩は皆横浜から出張して来る。三月末、一弥と梨菜は揃ってお国入りを果たした。一弥帰国の噂は瞬く間に村中に広がり、聞きつけた村人達が続々と逗留している伊藤弥ェ門宅門前に集まってきた。門前では門番が制していたが、あまりの村人の懇願に已む無く門扉を開いて、中に入れざるを得なかった。庭に招じ入れられた五十人ほどの農民達は揃って平伏し拝謁を願った。母屋の明り障子が開いた。深い庇で中は薄暗い。暫くすると五つ紋の付いた南部公からの拝領の向鶴の五紋入り黒羽二重を纏った一弥と鮮やかで艶やかな色打ち掛け姿の梨菜がゆったりと姿を表した。農民達からどよめきの声が上がる。前代未聞の巨大台風の災厄から十七年、村は完全に復興し、災厄以前以上の人口と収穫を誇っている。今、奥州一の豪商に商売の全てを学び、欧州で学問と先進の技術を身につけ、更に新開地横浜で外国交易に巨利を上げた、この村が産んだ天才が、世紀の美女を伴い帰国した。聞けばこの豊穣の地に脚を据え、斬新な農業を推し進めるという。村人達には救世主であり、苦しい生活を劇的に変える力を有する全能者の如く見えているのである。村は因循姑息なしがらみに雁字搦めで、貧しく困窮している。皆何とかして欲しいと願っている。
「一弥様。梨菜様。ご帰還おめでとごぜえます。村はご覧の通り復旧致じまじた。すかすいづ何時又あのような嵐が襲ってぐるか解りまっせん。儂ら相変わらず仕事がきつぐ、腰ば痛めるもんも多ぐ、年貢を払うと着るもんはおろか、ろぐな食い物も残らねえ。相変わらずのド貧乏だす。どげんバ、せんといがんのでごぜえます」
「わがっとる。じゃから帰ェって来たんじゃ。見ておれ。儂と梨菜がこん江釣子バ、日本一の豊かな村に変えてやる。水害も起こらんごとしてやる。待っちょれ」
一弥の岩手弁に村人達はドオっと歓声をあげ、二人を伏し拝んだ。
「我々の北上盆地は南北四十五里にも達する我が国有数の長大な平地であるが、東側を奥羽山地、西側を北上高地という高峻な二大山脈に挟まれ、為に長く他国と交流することが少なかった。十六年前、大洪水により未曾有の災厄に見舞われたのも、一端氾濫し出水すると他所に溢れた水が抜けぬ地形の構造に拠るものである。しかし長大な山稜に挟まれているからこそ、日本海や太平洋の気候変動を寄せ付けぬ温和な気候が維持されている。謂うまでもなく、この地は往古より勤勉なる諸氏が住み着いて、縦横に四達する清流と北上の齎す沃土を利用し豊潤な食物の栽培に励んで参った。私が広く欧州諸国をめぐり学んだことは、人々の交流の大切さと人民の生活向上が国をして豊かであると言わしめていることである。私がこの江釣子に戻り、新しい農業を志す所以は、身体を蝕む厳しい労苦からの解放と他国との全面的交流の確立、それと、これが一番大切なことなのであるが、米作りの更なる発展即ち革新的農法の推進と斬新なる農業機材の開発を精魂傾けて取り組んで行くことなのである。幸いにして私は生まれながらにして農業を、そして青年期の今まで商業に携わってまいった。これからの農民は只作るだけでなく、それを売り、捌き、販路を広げ、而して利潤を上げて行かねばならぬのである」
歴代藩主さえ為し得ぬ大演説に村人達は呆然と立ち尽くし、やがてその意味するところが解ると喝采したのである。
待ちに待った慶応四年(1868)四月十五日は望むべくも無い快晴で、麗らかな若葉が萌え始め、山々は真っ白な雪化粧。今日は江釣子伊藤家小作五千人が挙って沿道に参列する祝祭日。梨菜の両親の住む宮古和賀屋からは、総勢百人の番頭、手代、職方、小僧、女中。仲仕と担ぎ手、搗き仕達は皆揃いの半被を着、手に手に纏を持って勢揃い。早くも威勢の良い米搗き唄を唄っている。和賀屋徹兵衛はこの日のため特別誂えの二人乗り輿を誂えさせていた。輿は平泉金色堂を模した黄金造りで十二人の力者が担ぐ。上江釣子の伊藤本家から二町あまり、鳩岡崎の新居に向かう。沿道にずらりと村民が奉祝の為並んで輿の一行を待っている。お国入り行列の先陣を勤めるは烏帽子、直垂の直衣姿の鐡蔵だ。続くは濃紺の和賀屋お仕着せの半被を纏った手代衆八人。めいめい定紋の入った黒漆の挟み箱を背負っている。続いて紫色の素襖大紋を着た二番番頭、三番番頭。夫々が稚児姿の可愛らしい小僧に先導されている。続いて金色の素襖大紋を纏い白馬に騎乗した和賀屋主人七代目秋川徹兵衛、同じく白馬騎乗の十二単姿の令夫人里枝、大勢の子童が手に野花を持ち廻りを囲んでいる。その次が金色輝く輿には金烏帽子、濃紫紺に金紋入りの直垂、手には中啓の一弥、御五衣、御唐衣、御裳の絢爛たる十二単を纏った梨菜が鎮座している。一弥二十五歳、梨菜二十歳、生涯最高の日である。担ぐ十二人の力者は揃いの赤い狩衣を着、輿が揺れぬよう均衡を取りながら、静かに進む。迎える村民の興奮は嫌が上に増し、叫び声で折角の歌も掻き消されそうだ。道の上には三丈余の横断幕が張られ、黒々と奉祝一弥様、梨菜様ご結婚と書かれている。一弥が輿を覆っている紗の領巾を開くと、輝くような梨菜の美しい顔や着物が見える。村人達から悲鳴のような大歓声。南部大牛の毛皮で作った大太鼓が重々しく腹に響いて打ち鳴らされ、村人が一斉に鬼剣舞の青、赤、白、黒の鬼面と胸当て、鎖帷子、赤襷姿で踊りだす。囃し方が鉦と小太鼓、横笛を吹き鳴らす。古式ゆかしい行列が喧騒と興奮に巻き込まれてしまう。行列は門を潜り、新築の洋館の前庭に達する。数千の群集が入場できるのはここまでだ。屋敷に招じられるのは、和賀屋一行三十人、小作肝煎三十人、関係者来賓四十人の計百人だけ。婚儀は古式ゆかしい荘厳な雰囲気で行われ無事終わった。二人は初夜を新装なった館で迎えた。館では執事鐡蔵、女中頭お兼、女中五名、小僧三名、馬丁二名、料理人三名、化粧掛二名、髪結い二名、美容師二名、マッサージ師二名、着付け師一名、庭師二名、大工二名、指物師一名、釜焚一名の計三十人を新たに召抱えた。館は一晩中喜びに溢れ笑い声が止まらなかった。婚礼に先立ち五十四歳になった弥ェ門と六十三歳の徹兵衛は共に家督を一弥に譲った。一弥は同時に伊藤家、秋川家両家の当主となったのである。本拠はこのまま江釣子におき、宮古和賀屋本店の実際の運営は番頭の利兵衛に任せ、自らは江釣子で総合指揮をとることとした。
婚礼の翌日、一弥は鐡蔵を従え、実家を訪れた。
「昨日は素晴らしい婚儀であった。来賓の方々や参列した村の衆、和賀屋一同皆が祝福した」
「有難うございます。新妻梨菜と共に村の発展に尽したいと存じます。父上。私はこれまでずっと江釣子を離れ別の場所で暮らしてまいりました。村の組織とか問題点をお聞かせください」
「ふむ。現在江釣子には総戸数三千五百、一万五千五百余人が住んでいる。ごく少数を除き全てが百姓だ。土地もちで内公租義務のある本百姓は千十五戸。あとの二千四百五戸は本百姓に隷属する水呑即ち小作である。水呑の生活は悲惨で自家の食料さえ確保出来ず、子供を間引したり売るなどして何とか生き延びているのが現状だ。耕地は約四千八百町歩、一千四百四十万坪。全ての土地は伊藤家の所有だ。ここでは本百姓とはいえ、実際は伊藤から土地を借り、藩への名目上土地もちと称している。本百姓の内、肝煎三十人、肝煎を束ねる組頭は三人いる。伍作、与衛門、助三郎である。儂はそのうち、助三郎を重用し村方総代に任命している」
「助三郎の家はどこですか」
「この家とお前の新居の中間、綿積にある。奴は儂より二つ上の五十六だが、頑固爺でな、旧弊の遣り方をガンとして譲らん」
「確か、助三郎の息子、助太は私と同年。小さい頃遊び友達でした。寺子屋で机を並べ学んでおりました。どうしていますか」
「父親と共に毎日田に出て働いている。進取の気性で親父に反発ばかりしているらしい。先日も助三郎が儂に零していた。総代の務めは庄屋として村の行事を差配する他、作付けから収穫、出荷までの農作業一切の実務の実行、指示だ。助太の奴、常に新しき方法を試みるべきと主張して親父を困らせているという。儂は奴の上で指揮が正しいかどうか見守るのが役目。尤も農作業は一番の趣味だから、いつも田圃に出て皆と一緒に作業しているが」
翌日、一弥は屋敷に助三郎と助太を呼んだ。
「若様。この度はまっことおめでとごぜえますだ。日本一の美しい花嫁を迎ェられ羨まじき限りでがんす」
「世辞を聞きたくてお前達を呼んだのでは無い。助三郎。お前即刻隠居せい。而て家督を助太に譲れ」
「や、薮から棒に。一体ェ儂の何がいけねェンでがんすか」
「父弥ェ門から聞いた。お前は因習にばかり捕らわれて助太の提案を拒絶しているばかりだそうだ。儂はこの江釣子で新しい農業を興すとつい先ごろ申した。若者の斬新な知恵が必要だ。助太は儂の片腕になってもらう。蒙昧な助三郎、お前は御用済みだ」
「な、なして、そげな無慈悲なことを言うンでがんすか。不肖助三郎、弥ェ門様に仕えて四十年。まだまだ、気力、体力も若ェもんに遅れはとらん。助太にゃまだこの仕事は無理だんべ」
「喧しい!俺の言うことが聞けねえのか。聞けんなら村を出ろ!」
「へっ、へい」
助三郎は不満たらたらであったが、大庄屋の命では致し方無い。不承不承家督を助太に譲った。同様に他の二人の組頭も強引に代替わりさせた。一弥を頂点に助太を組頭筆頭に
伍作長男の伍一、与衛門次男の与次郎を新組頭に任命。肝煎達を大幅に入れ替え、村役を若者中心の組織に改変した。
弥ェ門の屋敷前の敷地の一画で工事が始まった。農産物を生産するだけでなく、販売の仲介、つまり問屋の作業場を作るのである。大看板が掲げられた。和賀屋徹兵衛に題簽を依頼、自ら筆を執った江釣子和賀屋の太文字。栗の一枚板を掘り窪めた横二間、縦一間の大看板。板間に帳場、作業所など本店に倣った設えで、本店同様二階建て本瓦葺き、漆喰壁に腰板貼り。本店の半分約七百五十坪の大建築だ。本店と異なるのは、一階の一角に産物を調理して客に出す料理屋が設けてある。米倉、野菜蔵などの蔵も十棟建設された。この大普請に駈り出される職人は千五百人にも及ぶという。更に農地には数十棟にも及ぶギヤマンガラス張りのハウスと名付けた小屋を建設した。
一弥は新たに任命した組頭、肝煎衆三十人を館に参集させ檄を飛ばした。
「聞いて呉れ。儂は是より斬新的阿蘭陀農法をこの地で開始致す。農民諸氏の完全なる協力が必要だ。儂の命じる指示通り、一致団結して事に当たって呉れ。家族を含め全ての小作人の無意味な反発や農法からの離脱は一切許さぬ。是を犯すものあらば、江釣子から去ってくれ」
「ざ、斬新的農法とやら、一体どんなモンでがんすか?」
「教えられぬ」
「やることも解らんで協力など出来る訳無ェ。儂等をバカにしちょるんか」
「是よりは本百姓も水呑百姓も一切の差別無く同等に扱う」
「儂等肝煎は皆本百姓だ。水呑とは身分が違う。示しが付かなくなる。無茶言うンでねえ」
「今儂が申したであろう。文句がある奴はこの村から出て行け。明日より村総出で作業を開始する」
轟々と非難の声が上がる。そのとき奥からメイドに手を引かれ、燦然と輝く胸乳も露わな純白の薄絹ドレスを身に纏われた梨菜若奥様が現れた。集まった肝煎達はあまりの美しさにひれ伏し、拝んだ。
「皆様。主人の言い方、少し省略が過ぎて解り難かったかと思います。主人は皆様とご一緒に、美しき国江釣子を作ろうと決心なされたのですよ。古い因習から飛び立って、新しい農業を目指しましょう」
皆、梨菜の鈴のような声音に感動し、涙を流す者さえいる。村人達の不満は霧消していった。一弥は梨菜の振舞いに感動し心からお礼の言葉を告げた。
「梨菜。ありがとう。私は口下手で困る。村の人を怒らせてしまった。梨菜の機転に助けられました」
「まあ。一弥さん。貴方が私にお礼を言う必要は無いわ。だって私達夫婦ですもの。夫が困っている時、助けて上げるのが妻の務めです」
嬉しさで一弥は人前に関わらず、梨菜を抱擁し唇を合わせた。
新婚の熱愛ぶりを見せ付けられた村人はすごすごと家路を辿るしか無かった。
翌日から北上土手の嵩上げ工事、全農地一斉にハウスでの野菜栽培、田圃で田植え、牛、豚、鶏などの大規模飼育が開始された。江釣子全ての土地は一弥が本百姓から買い上げて所有、又水呑百姓などの小作人を改め雇い入れて、村人全員を伊藤家の雇人としたのである。これにより一弥の指示は村役を通じて全ての住民に平等に伝達され、村人が一致団結して一弥の掲げる施策を遂行する。一弥と梨菜を筆頭に村人達は新しい村づくり、農業に邁進していった。
九、終章
時は移り変わり、百四十年の月日が流れた。平成二十年五月、東京駅二十一番ホームから東北新幹線やはやて十五号が滑らかに発車した。七号グリーン車のA,B座席に初老の紳士と二十代後半の飛び切りの美人が並んで座っている。二人の様子から、極く親密な関係に見える。男は安芸河鐡蔵、T大学農政学部名誉教授。連れの美人は秘書の山本比呂である。鐡蔵の前任の秘書、梨絵が昨年末、結婚退職してしまい、比呂を今月初め雇い入れたばかりだ。比呂は背の高いスレンダーな身体つき。美しい黒髪を後ろに纏めバレッタで抑えている。鐡蔵は列車に乗っている時間中、途切れず上記の江釣子の災害と復活の物語を比呂に語り聞かせた。
「先生。どこでこの話をお知りになったの」
「うん。実は比呂ちゃん。この物語の主人公一弥の曾孫、名前が同じだから紛らわしいんだが、三代目の伊藤一弥君は三年前、私の研究室にいたんだ。彼から話を聞き、私なりに脚色したものだ。興味あるかい。アノ有名なカズ・イトオの事さ」
「ええ。とっても。その人は今どうしているのですか」
「研究室を辞めたあと、故郷の江釣子村で農業に励んでいると聞いているよ。僕たちはキミが連れて行ってという、花巻温泉に行くんだよね。そこから直ぐ近くだ。帰りにでも寄って見るか」
列車は一ノ関の広大な田園地帯を過ぎると、一気に北上川を渡りトンネルに入る。十三時二十二分盛岡に到着。二人は昼食を取るためここで途中下車。かね田という鮨屋に入る。三陸や青森の新鮮な魚貝、とても美味い。ゆっくり食事をして市内を散策、盛岡駅に戻り、在来線で花巻に、花巻駅からタクシーで花巻温泉佳水園特別室に投宿。
「二人で露天風呂に入ろうか」
「まあ、積極的ね。私たち知り合って間もないのよ」
「ボクはもうキミに首っ丈だ。キミの身体が見たい」
「人様に自慢できるほど立派な身体じゃないけど、ここまで来たんですもの。いいわ。入りましょう」
露天風呂は木製の小判型で屋根が付いている。鐡蔵が先に湯に浸かっていると、比呂が前を隠しもせず入ってくる。言葉とは裏腹に素晴らしい身体である。風呂の中で十二分に楽しみ、夕食となった。流石東北随一と名旅館だけあって、海の幸、山の幸を駆使した料理が出てくる。鱈腹飲んで食べ堪能した二人は、布団に寝転びながら話をする。
「新幹線車中の話は終点が近づいて、終盤をかなり端折ってしまった。あの続きを話してあげよう」
「それより先生の苗字、安芸河って言うんでしょう。珍しい苗字なのに、お話に出て来た和賀屋徹兵衛サンと同じ。何か関係あるんですか?」
「いいところに気が付いたね。実は和賀屋は私の実家なんだ。一弥と梨菜が結ばれる前、仕事に多忙な一弥が梨菜に少しも触れようとしなかった時期があったと話しただろう。梨菜は淋しさに耐えかね使用人である鐡蔵と床を共にした。だが二人は結ばれること無く、帰宅した一弥に何も無かったと許しを請うた。一弥と梨菜はそのことが在った翌日に結ばれた・・・こう話したね。これは一弥の話そのままだ。明日あう一弥には秘密にしておいて欲しいが、本当は梨菜と鐡蔵は結ばれていた。たった一度だけの契りで梨菜は子を授かった。無論一弥には二人の子だと言って産み育てたんだが」
「そんな気がしたわ。だって鐡蔵さんはずっと梨菜を思慕していたんでしょう」
「そうなんだ。それから一弥夫婦は生まれた子に梨弥と名付け大事に育てた。梨弥は成人すると自分が家の使用人、執事の鐡蔵から異様に可愛がられるのを不思議に思い、或る日母親の梨菜に問いただした。梨菜は泣きながらお前の本当の父親は鐡蔵だと白状してしまった。夫婦には梨弥の他に二男二女に恵まれていたから、梨菜は夫の一弥に秘したまま、自分の実家に後継ぎがいないことを理由に梨弥を和賀屋徹兵衛の養子にしてしまった。
この物語に出てくる鐡蔵とは私の曽祖父なんだ。安芸河梨弥は祖父に当たる」
「複雑な家系なのね。そのあと梨弥はどうなったの」
「梨弥は甲斐性の無い浪費家だったようだ。東北一と謂われた和賀屋の財産を一代で食いつぶして失意のうちに死んだ。梨弥の息子、私の父は貧窮なまま東京へ出、冴えない乾物屋で一生を過ごした。息子の私は曽祖父の鐡蔵の名前を貰い、農政学を学んだという訳」
「へえ。そうなんだ。貴方が縁もゆかりも無い東北の寒村に夢中になるわけ無いもんね」
「それもあるが、明日訪ねる三代目一弥君は、不思議な縁で私に学ぶことになった。研究室始まって以来の秀才でね、数多くの論文で学会からも嘱目されていた。それが急に故郷の農業を絶やすことは出来ないと言って帰郷してしまったんだ」
「先生はその一弥君を可愛がっていたんですね。でもこれからは私を可愛がって。私先生のことが大好きです」
「嬉しいね。今夜はたっぷり可愛がってあげよう」
翌日二人はタクシーで江釣子村に向かった。山間に建つ佳松園から快適な道路を下るとやがて眼前に広大な田園地帯が見えてきた。鐡蔵は仕事柄日本各地の農村を隈なく歩いているが、この景色は他のどの地方のものとは異なり、寧ろヨーロッパの田園を想い起こさせた。何処までも続く長い道の両側は、遮るものも無い広々とした農地が整然とした区画で展開している。オランダの画家、ゴッホやフェルメール、レンブラントなどを想い起こす明るい陽光に包まれた雄渾な風景が広がっていた。こんもりとした杜に囲まれたモダンな農家は矢張りオランダの建築家集団MVRDVの現代建築の極地というイメージに近いと言って良いだろう。オランダの最高の美が持ち込まれている。緩やかなカーブが続いて長大な白い木柵に囲まれた一際美しい農場が見えてきた。柵上に強化ガラスのサインがあり、ITOHS FARMと洒落た文字が印刷されている。柵に導かれるように進むとMVRDVの日本での作品、原宿のGYREを彷彿とさせる黒い花崗岩と連続したガラスウォールの建物が現れた。ここが世界に冠たるカリスマ・ファーマー、カズ・イトオの居宅である。
「まあ、素敵」
比呂が感嘆の声を上げる。車寄せは磨きぬかれた黒い花崗岩で、タクシーはここで停車する。
「比呂ちゃん、お洒落してきて良かったね。普段着じゃ気後れしちまう」
「これが先生の生徒さんのお家なんて信じられないわ。セレブな邸宅って感じ」
「彼は超高級食材で大当たり。随分と稼いでいるらしい。TVやら雑誌やグラフで見て知っているだろう。とびきりのイケメンだ」
「比呂、先生止めてカズに切り替えちゃおうかな」
「キミほどの美貌でも無理だろうな。カノ蛯原友里も振られたという噂だ」
インターホンを押すと巨大な樫の一枚板の扉が音も無く開いた。中は百五十帖ほどのホールで純白の大理石が敷き詰められ、大きなガラス窓から燦燦と光りが注ぎ込まれて非常に明るい。白い革張りのル・コルビジェのソファが十脚置かれている。ホール中央に痩せて背が高く、清潔感に溢れ満面の笑みを湛えた恐ろしい程の美男子、カズ・イトオが立っていた。ヴェルサーチの黒いベルベットのジャケット、光沢あるシルクのシャツをはだけて、日焼けした厚い胸板を見せている。髪は茶褐色に染め、短髪で幾筋かのラインが入れてある。薄茶のサングラスはD&Gのものらしい。
「やあ、先生。お久しぶりです。そちらの美しいお嬢さんはどなた様ですか」
「ご無沙汰した。彼女は今度秘書に雇った比呂子クンだ。昨夜は二人で花巻の佳松園に泊まった。昨日比呂にキミの曽祖父の偉業を話していて急に江釣子を訪ねてみたくなった」
「そうでしたか。お陰様で私は少しばかり忙しい。今朝もTVの取材が三本、午後はグラビアの撮影が入っている。夜は幸い時間が取れそうです。宜しかったら私がやっているスパリゾートでエステをしてもらい、併設されているリストランテで昼食を召し上がってください。全てウチの農場の食材を使っているいるから、美味いですよ」
「ふむ。ではそうさせて貰おうか。こんな田舎、失礼、エステじゃ比呂満足できるかな」
「とんでもない。今日本で最高級のエステです。先生の以前の彼女が通うオークラのゲランの数倍の料金を取り、ニューヨークやパリのセレブの予約でいつも満杯。予約は五ヶ月先まで埋まっています。貴方方が今日飛び込みで利用できるのは、社長の私が命じるからですよ」
「ほおっ。そうなのか。お見逸れした。カズ・イトオと名乗ることだけある」
「私の車を使ってください。ベテランの運転手をつけましょう」
ポーチには社長差し回しのプラチナ色のベンツマイバッハリムジンが横付けされた。運転手はお仕着せの金モール付きネイビーブルーの制服を着ている。旧オランダ海軍軍服をアレンジしたものだ。二人を乗せた車はハイスピードで山に向かって走る。尻平川の谷あいを進むと、高台に出、急に視界が開け、山間に似合わぬ超モダンな建築群が見えてきた。中央の棟は灰緑色のガラスカーテンウォールから、総ガラス或いは黒レンガに覆われた四角い箱状の塊が不規則に長さを変えて幾つも飛び出している迫力ある形状だ。CENTER HOUSEとサインにある。エントランスはカーテンウォールに穿たれた三層吹き抜けの空間。運転手と似たような制服を着たドアマンが巨大なガラス扉を開ける。中は高天井のラウンジで一角にインフォメーションがあって、美人の受付嬢が並んでいる。
「いらっしゃいませ。安芸河様ご夫妻でいらっしゃいますね。社長より申し付かっております。どうぞ、こちらへ」
カズが気を利かせて二人を夫婦と言ったようだ。受付嬢はタイトなミニスカートをはいて颯爽と案内する。受け付けの奥は豪勢な更衣室と着替え室、巨大なパウダールームとメイクルーム、ヘアサロン、ネイルルームが付属している。エステ後、夫々専任のアーティストがメイクアップをしてくれるのだ。二人は貸し与えられた洒落たバスローブに着替える。エステキャビンに案内される。キャビンは壁も床もアラバスターという半透明の白い大理石で、片側に紗のローマンシェードを吊った大きなベッド、反対側に巨大哨石を刳り貫いて作ったバスがある。二人はローブを脱いで並んでベッドに横たわる。いい香りのする香油が全身に塗られ、美貌のエステシャンが全身を滑らかに揉み解す。あまりの心地よさに二人共吐息を漏らす。次はバスだ。並んで入っても充分余裕のあるバスには、色取り取りの花ビラが浮いている。大満足した二人は隣接のリストランテ、KAZUに行く。うねった総ガラス張りの店内は予想に反し落ち着いていて、シックな家具で纏まっている。シェフが挨拶に来る。フランス人の若い男だ。比呂はフランス語も堪能だ。シェフと楽しげに会話する。
「おい、比呂ちゃん。何を話しているんだ」
「いやねえ。大学教授なのにフランス語も解らないの?前菜はね、Mélba de fines noix de Saint-jacques, oursins, wakamé。三陸の帆立と雲丹、若芽のフィーヌメルバ。説明を聞いていたのよ」
「何だ。そのフィーヌメルバってヤツは?」
「そうねえ、トーストみたいなものかな。食べてみたら解るわ」
ロイヤルコペンハーゲンのシンプルな食器に盛られた料理は食通で知られる鐡蔵を唸らせるに充分だった。食材は皆驚くほど新鮮で、野菜は未だ食べたことの無い芳醇さ。
「これが、カズの作る野菜か。道理で引っ張りだこになるはずだ。価格は通常の品の凡そ百倍。それが常に売り切れてしまう。都内の百貨店では人気殺到で行列が出来ると聞く。あいつこんな美味な食材、どんな手立てで作っているんだろう」
「今晩、本人から話が聞けると思うわ。でもセンセ。凄い人が生徒だったんですね」
二人はゆっくりランチを取り夕刻カズの館に戻った。カズは既に戻っていて、書斎にいるらしい。案内された書斎は広く大学図書館を凌ぐ蔵書が床から天井までの書棚にびっしりと埋まっていて、読書家の鐡蔵も驚く。
「凄い量の本だ。内外の貴重な稀覯書も多い。こんなに勉強しているのか」
「幾ら私でも天賦の才だけでは斯様な食材は作り出せません。研究に研究を重ね、考えられるあらゆる可能性を試してやっとここまで漕ぎ付けたのです。まだまだ知らねばならぬことばかりです」
「謙虚だな。しかし曽祖父一弥の血を引いているからこそ、成し遂げられたと思う」
「その通りです。曽祖父がこの地で百四十年も前に阿蘭陀農法を根付かせ、改良を重ねた偉大な遺産があったればこそ、今の私があることは自明です。ただその地点に安住していたのでは、激しく変貌する時代の潮流に埋没してしまいます。私が先生に学んだことはただ一つ。絶え間ざる努力を怠るなということです」
「儂は良い生徒を持った。嬉しく思う。阿蘭陀農法とは具体的にどのような方法なのだ」
「複雑な内容で一言で話すのは難しい。私が現在試みている農法をご紹介しましょう。これはその昔曽祖父が用いた方法を展開したものに過ぎないからです。大規模集約農業とでも言いますか。農作の実体は驚くほど単純で、全ての食材はその原産地から種を取り寄せ、原産地の土壌、気候風土に合わせ栽培するのです。それを原始的な手法、即ち機械力に頼らず人の手で行うだけです。尤も今は人力に変わって大半が人工頭脳を持ったロボットに変えてはおりますが」
「農地で百姓は働いていないのか?」
「要所要所は人間が行います。米作で言えば、田起こし等田圃の整備は全て機械力、しかしここではトラクターに取り付けた砕土機や畦培土機などは使いません。人型ロボットが昔から人の手で為したことをそっくりそのまま行います。鍬や鋤を使い丁寧に土を起こしているのです。苗代の植付けする苗は発芽した籾種から人が選別を重ねて選び、植付けはロボットが行います。全て斯様に労力の必要な作業をロボットが行い、選別や検品など高度な経験と知能が必要な部分は人間にやらせています」
「気候など自然の制御はどうしているのだ」
「太陽光は超伝導トカマク核融合炉で作り出しています。風や雨、季候の変動など無作為に変動するものは、過去の気候の綿密なシュミレーションにより、絶えず変化させています。時には雷や台風、山火事などのマイナス要因を育成中に与えることもあります」
「ほお。人工環境なのか」
「私は第三の自然と呼んでいます。起こり得る全ての条件を加味した自然環境を作っているのです。温湿度管理など都合よく制御された環境は第二の自然であって、本当の自然とは似て否なるものであるからです」
「米作りは我々の祖先が二千年以上の永きに渡って作り上げてきた高度なシステムである。奥が深いだろう」
「仰せの通りです。ありとあらゆる工夫と先人達の血と汗の結晶です。一番難しいのが米です。今の私の最大の課題はインドアッサム及び中国雲南高地を源流とする所謂熱帯ジャポニカと長江中下流域に発生した温帯ジャポニカの融合と展開です。煎じ詰めれば、畑作と水耕の止揚とでも言いますか、夫々の良いところを革新的な方法で整理合体させるのです」
「ほおっ。焼畑と水田の合体。面白そうだ。是非進めてくれ」
「今は実験段階なので最終製品にはなっておりませんが、宜しかったら今日の夕食にこの新しい米を使った料理にチャレンジして見ます。私の調理の腕も以前にくらベ些か向上しております」
「そうか。キミの新作が試食できるのか。光栄なことだ。比呂子ちゃん、凄いことになったね。何しろ稀代のカリスマファーマー、カズ・イトオの手料理を味わえるのだからね。それに本邦初というのが嬉しい」
「センセイのおかげよ。嬉しいわ。カズさん、不躾な質問をしてしまいますが、お好きな女性はいらっしゃるのですか?」
「キミ、失礼だよ。この圧倒的なルックス、如何なる女性も胸を焦がさずにいられまい」
「いや、そんなことはございません。皆私のルックスや財力に恐れを為すのか、親しい女性は一人もできません」
「そうか。でもこの比呂ちゃんは両方ともクリアできると思うが、私の彼女だから手を出してはいけない」
「解っておりますとも。センセイは相変わらずお盛んですね。羨ましくも思います。それでは暫く料理の準備を致します。ラウンジでお寛ぎください」
鐡蔵と比呂がゆったりしたソファでじゃれ合うようにした休んでいると、可愛らしいメイドが夕食の準備が整いましたと告げる。メイドは二人を壮麗なディナールームへ案内した。磨きぬかれた黒檀の分厚い一枚板の巨大テーブルには背の高い椅子が二十脚並んでいる。案内された席に座して待つこと暫し。カズがディナージャケットに着替え二人の前に座るとタキシード姿のウェイターが満面の笑みを湛え、出来上がった料理を恭しくテーブル上に次々と並べていく。素地の木椀に軽く盛り付けた飯、漆器椀に味噌汁、備前の大皿には南部鮭の焼き物、織部の小皿に香の物。これだけである。しかし器の精妙なバランスと見事な盛り付けは、食通の鐡蔵をして唸らせるに十分だった。
「ふむ。見事だ。声も出ない。横山大観の絵に通ずるものが見える。四つの皿は宇宙を感じる」
「お気に召していただけましたか。さ、どうぞ食してみてください」
鐡蔵は青竹を削った長い箸を取って、飯を一口口に入れた。眼が開き、口は呆けたように空いたまま。経験した事の無いあまりの美味に痺れて固まってしまったようだ。
「な、な、何たる美味さだ。一級の鮨店の飯など足元に及ばん。軽やかで芳醇、イヤ言葉で申せる味では無い」
「お、美味しいわぁ。これがお米なの?信じられない。軽ぁるーい。口に入れると融けちゃう。でも味はご飯」
「色良し、味良し、薫り良し、歯ごたえ良し、喉越し良し五拍子揃っておる。どのようにして拵えたのだ」
「厨房に据えた竈に葉釜を載せ薪で炊いたものです。米は新種の内から私自身が選び抜いたもの。水は場所は言えませんが和賀山中秘境の清水。これを赤子を癒すが如き優しさを込め、丁寧に磨き、裏白樫の太木を切り割った薪の火力で焚きました。洗練はされておりますが、ありふれた手法です。羽釜は南部鉄、竈は和賀下流の最上質粘土を捏ね塗り固めました」
「ふむ。では矢張り米が良いのだろうか」
「正に左様でございます。焚く前の米を見せましょう。白金色に輝いていましょう。この紡錘型の美しい形状こそ私の目指す畑作と水耕の止揚の賜物。此処に至るに百四十年の歳月を必要としたのでございます。味噌椀や鮭、漬物も召し上がってください。どれも一工夫加えてあります」
二人は味噌汁を啜り、鮭を摘み、香の物を口に入れた。想像を超える味に酔い、言葉が発せられぬ。最高の素材が最高の技で調理されると、人間本来の初源的欲望が肉体の隅々まで満たされる気がする。暫し呆然と我を忘れ、次第に湧き上がる歓喜に叫び出したい気分に襲われる。暫くすると身体が熱くなり、肉欲が興ってきた。
「カズ君。我等は失礼する。恥ずかしながらしたくなった。寝室をお借りする」
「これぞ白金米の効能です。どうぞ朝までご堪能ください。エネルギイに満ち、疲労は感じません