第10話 マサキは見た 前篇
東京を襲う猛暑から逃げるようにして異世界に転移してきた俺は、さっそくTシャツにハーフパンツとラフな格好に着替える。
「さーて、今日はなにしよっかな?」
金曜の夜だし、ひとりで酒場にでも行ってみちゃおっか? とか考えていたら、お隣のイザベラさんが俺を訪ねてきたじゃありませんか。
細い腕に重そうな革袋を持ったイザベラさんが、
「マサキさん、ヌイグルミの材料をまた買ってきてもらってもいいでしょうか?」
と、申し訳なさそうに言ってくる。
なんでも、こないだ俺が買ってきた分はもう使い切っちゃったそうだ。
普段からお世話になっているイザベラさんにお願いされちゃったら、そりゃ断れないよね。
俺はふたつ返事でこれを承諾。
そんな訳で、翌日俺はリリアちゃんと一緒に錦糸町のクラフトショップへとお買い物にきていた。
「……んーとぉ」
棚に並ぶいくつもの生地を、リリアちゃんは一つひとつ手にとって感触を確かめている。
真剣な顔をしているところを見ると、イザベラさんから生地や材料の指定を受けているのかもしれないな。
ヌイグルミって肌触りも重要だしね。
「んとねぇ……このいろと、このいろと……あっ、あとこれ! お兄ちゃん、これもいーい?」
「うん。いいよ」
例の如く、イザベラさんからは銅貨と銀貨が山盛り入った重たい革袋を渡されてしまっている。
日本じゃ使えないとはいえ、そのヌイグルミに対する想いは汲んであげなきゃね。
俺は色とりどりの生地とビーズ、大量の綿や糸を魔法のカードでお買上げ。
ウラウララのおかげで支払いを気にせずお買い物できるんだから、競馬場に誘ってくれた吉田さんには感謝しかない。
「お買い物しゅーりょー。リリアちゃん、ご飯食べてから帰ろっか?」
「うん! リリアね、『ホッケ』たべたい!」
「ほっけかー。子供なのにしびーとこついてくるねー」
「へへへー」
ぴょんぴょんスキップしてるリリアちゃんと手をつないで、レストランフロアへ移動。
定食屋さんの小戸屋でリリアちゃんはほっけ定食、俺はカツ煮定食を頼む。
数分後、運ばれてきた定食を前に俺とリリアちゃんは手を合わせ、
『『いっただっきまーす』』
と唱和してから食べはじめた。
「へー、イザベラさん、いまいろんな動物のヌイグルミつくってるんだ?」
「うん。おかーさんね、いっぱい、いーっぱいつくってるんだよ。お馬さんでしょ、ワンちゃんでしょ、ネコちゃんに……あと羊さん!」
イザベラさんの創ってきたヌイグルミの数々を、指折り数えて教えてくれるリリアちゃん。
「おー。バリエーション豊かだ。イザベラさん器用だからなー。リリアちゃんの服もぜんぶイザベラさんが作ってるんでしょ?」
「そうだよ。リリアの服はおかーさんがつくってくれてるの」
「さすがイザベラさん。料理に裁縫、完ぺきなママさんだぜ……」
多くの男が理想とする奥さん、その理想像がイザベラさんといっても過言ではないだろーな。
ホント、ムロンさんが羨ましいぜ。
そろそろ俺もボストロールの悪夢を振り払うべく、街コンに参加するときなのかもしれない。
「リリアね、おかーさんにおしえてもらっておりょうりもうまくなるんだー」
「おおっ、それは楽しみだ。俺にも食べさせてくれるよね?」
「うん! おいしいのつくれるようになるから、まっててねお兄ちゃん!」
「いくらでも待つよ。そういえば……ソシエちゃんもイザベラさんに料理習ってるんだよね?」
「うん。ソシエちゃんもね、リリアといっしょにおかーさんからおりょうりおしえてもらってるんだよ」
近江シェアハウスの食事事情を改善するために、ソシエちゃんがイザベラさんに弟子入りしたのはついこないだのことだ。
素材の味を活かした、野性味あふれるキエルさんの料理。
塩の分量がイカレてる、高血圧一直線なロザミィさんの料理。
そのどちらも、育ちざかりなソシエちゃんに食べさせるには俺の心が痛んでしまう。
そこで、俺とソシエちゃんとイザベラさんの3人で相談した結果、ソシエちゃんがイザベラさんから料理を習う、という結論に至ったのだった。
おかげで、近江シェアハウスの食卓は劇的に変化しつつある。
もちろん、良い方向へと向かって。
「あとねー、ソシエちゃんもぬいぐるみつくるのじょうずなんだよ。ソシエちゃんて『えるふ』でしょ? だからね、森にいるどうぶつのぬいぐるみつくってるんだって」
「まだ小さいのに、ソシエちゃんもすごいんだね」
実年齢は俺のばあちゃんより年上の90歳だけどね。
「そうなの! だからリリア、おかーさんとソシエちゃんにまけないよーにいっぱいぬいぐるみつくってるんだー」
「そうなんだ。リリアちゃんはなに作ってるの?」
「ぺんぎん!!」
俺の質問に、リリアちゃんは元気いっぱいな声で即答する。
「すごい! リリアちゃんはペンギンつくってるんだ?」
「うん! 『すいぞくかん』にぺんぎんがいっぱいいたからね、リリア、いまペンちゃんのおともだちをつくってるところなの!」
ペンちゃんとは、俺がすみだ水族館でリリアちゃんに買ってあげたヌイグルミのことだ。
話を聞く限り、どうやらリリアちゃんはペンギンだけを決め打ちして作ってるみたいだな。
これで黒の生地がやたら多かったのに合点がいったぞ。
「そっかー。リリアちゃんは優しいね。きっとペンちゃんも喜んでるよ」
「ほんとっ? ペンちゃんよろこんでるかな?」
「ホントホント、ペンちゃんはリリアちゃんの優しさに感動して泣いてると思うなー」
「そうかなー」
と言いつつも、リリアちゃんは嬉しそうにはにかんだ。
ご飯を食べた俺とリリアちゃんは、散歩がてら錦糸公園へと足を向ける。
錦糸公園は駅から徒歩1分のそこそこ大きな公園で、世界的なブームとなったスマホゲーム『パチモンGO』のレアなモンスターが出現するだとかで、最近ではユーザーの間から聖地認定されている場所だ。
もちろん、俺も世界的なビッグウェーブに乗るべくマイスマホにパチモンGOはダウンロード済み。
リリアちゃんと一緒になってパチモンの人気モンスター、フシギダナを捕まえまくった。
強烈な日差しに晒される中、汗だくになって錦糸公園を練り歩く俺とリリアちゃん。
俺はフシギダナを1匹捕まえただけで満足だったんだけど、リリアちゃんは、
「お兄ちゃん! またでたよ! ほらここ!」
すっかりパチモンGOにハマってしまい、なかなか錦糸公園から離れようとしない。
けっきょく――
「いやー、いっぱい捕まえたねリリアちゃん。そんじゃ、そろそろズェーダに戻ろっか?」
「うん!」
リリアちゃんが満足したのは午後2時すぎ。
汗まみれになった俺とリリアちゃんは、いったん錦糸町の自宅でお風呂にはいってからズェーダへと転移した。
「ただいま、っと」
「たっだいまー」
ズェーダの自宅に帰てはみたものの、ちょうど家には誰もいないみたいみたいだ。
キエルさんは冒険者ギルドでウェイトレス。
ソシエちゃんはイザベラさんと一緒だろうし、ロザミィさんはハウンドドッグとしてなにかクエストを受けているのかもしれない。
「ふーむ。誰もいない、か。リリアちゃん、そんじゃイザベラさんにヌイグルミの材料を渡しにいこっか?」
「うん! おかーさんよろこんでくれるかな?」
「大喜びしてくれると思うよ。だって――」
俺はしこたま買い込んだヌイグルミの材料を誇らしげに掲げ、続ける。
「こーんなにたくさん買ってきたんだからね!」
「やったー! はやくおかーさんとこいこっ、お兄ちゃん!」
「がってんだ!」
「がってんだー」
俺の口真似をするリリアちゃん、マジ可愛い。
リリアちゃんに急かされた俺はイザベラさんに錦糸町で買ってきた材料を渡すべく、お隣のムロンさん宅へと向かう。
早くイザベラさんの喜ぶ顔が見たい、そう思っていた俺の目に飛び込んできたのは――
「ん、誰だあのひと? リリアちゃん知ってる?」
「リリアしらなーい」
見知らぬ男の人となにやら真剣に話し込んでいる、イザベラさんの姿だった。




