プロローグ
今日は月に一度の社内報告会。
営業課の社員全員が集まった場で俺は、
「近江君、毎月ノルマを達成しているとはいえ、最近の君からは仕事に対する意気込みが感じられないねぇ。君のいまの姿勢はどうかと思うよ? ん? ん?」
やっぱり課長に嫌みを言われていた。
「はぁ、すみません」
「それだよそれ。なんだいその気のない返事は? ちょっと弛んでいるんじゃないのかい?」
西日を反射する課長の頭頂部に照らされ目を細める俺に、今日も嫌みが飛んでくる。
毎月きちんとノルマを達成しているのにこれだから、俺としてはトホホな感じだ。
同僚たちの同情に満ちた視線のなか、課長のお説教はくどくどと続いていく。
「だいたいなんだね、その髪型は? 社会人たるもの、もっとほかにもあるだろう。少し毛が生えてきたぐらいでもう色気づいているのかね? クライアントに失礼のないよう、なによりも社会人として髪型は七三分けが基本だろう。そう思わないかね? んん?」
「……はぁ」
まさか課長から髪型について語られる日がくるとは思わなかった。
頭頂部にいくばくかの毛を残しただけの課長が髪型について熱く語るもんだから、さあ大変。
社内が笑ったらダメみたいな空気になっちゃったぞ。
みんな笑いをこらえるのに必死な顔をしている。
「いいかね? 別に髪を切れと言っているわけではないんだよ。ただ勤務中は――――……」
社内報告会のはずなのに、半分以上が俺に対する嫌みだった。
そしてその大部分が俺のフサフサになった髪についてだった。
薄毛仲間から卒業した俺は、課長との間に決定的な溝ができてしまったのだろう。
このことを親友の中島にグチったら、
『近江も大変だなー。その課長と毛根ならぬ遺恨が残っちゃたんだな』
とボケで返ってきた。
きっと電話の向こうではドヤ顔だったに違いない。
でも、課長の言うことも一理あんだよね。
なぜなら、いま俺にはちょっとした悩みがあって、いまいち仕事に集中できていなかったからだ。
「はぁ~……。わかっていたこととはいえ、カードの請求額がすげーぜ……」
駅前のコーヒーショップでソイラテを飲みながら、俺はため息をつく。
異世界のマイホームの家具をそろえたり、グリフォン捕獲で購入したあれこれ、なにより町工場から購入した害獣ネットが高かった。
魔法のカードを明日を見ないような使い方していたせいで、貯金がドえらい額減ってしまっていたのだ。
「へへ……神は俺に結婚をあきらめろ、って言ってんだなきっと」
コツコツ貯めた貯金が大きく目減りしたせいで、最近の俺はちょっとだけテンションが低い。
そりゃ課長にも小言を言われちゃうよね。
「ま、仕方がない。必要な出費だったしね。これからは節約してこっと」
気持ちを切り替えてお仕事へ。
今日は久しぶりに吉田さんのところへ行く日だ。
電車を乗り継いで水天宮へ到着。
吉田さんの会計事務所を目指して歩き出した。
歩くこと数分。
「吉田さん、お久しぶりです」
「おお、待っていましたよ近江さん」
事務所のトップである吉田さん自ら俺を出迎えてくれた。
「さあさあ、お座りください」
「すみません。失礼します」
応接間のソファに腰かけると、すぐにお茶とお菓子が運ばれてきた。
テーブルにお茶うけとして運ばれてきたお菓子は、すっごくグレードが高そうだ。
しかもフルーツ盛りまである。
「わざわざご足労いただきありがとうございます」
「いえいえ、吉田さんにはお世話になってますから、気にしないでくださいよ」
「なんのなんの、お世話になっているのはわたしのほうですよ。見てください。近江さんのマッサージのおかげで、いまはこの通りです」
笑顔でそう言う吉田さんの頭部は、フサフサした毛でおおわれている。
もう誰にも薄いなんて言わせない勢いだ。
「うわー! 10歳は若く見えますよ!」
「はっはっは、近江さんほどではないですよ」
吉田さんはもうニッコニコ。
髪が風を感じるぐらいフサフサして、本当に嬉しそうだ。
「さて近江さん、本日お呼び立てしたのはですね、」
「はい、なんでしょう?」
「また近江さんに紹介したい方たちがおりまして。まずは六菱商事の役員である――――……」
吉田さんの用件は、頭部にリザレクションかけてもらいたい方々の紹介だった。
どれもこれも一流企業のお偉いひとばかり。
吉田さん顔ひろすぎでしょ。
「すみませんね近江さん。わたしも付き合いが長い分、どうしても断りきれなくて……」
「いえいえ、僕としても吉田さんから紹介していただいた方々にお仕事をいただいてますからね。僕の方こそ吉田さんには頭があがりませんよー」
「そう言ってもらえると助かります。近江さん、ありがとうございます」
「こちらこそあがとうございます」
会計士である吉田さんの顔はとても広く、頭部へのリザレクション以降、いろいろな取引先を紹介してもらっていた。
毎月かるーくノルマを達成できているのも、吉田さんの存在によるところが大きい。
まあ、うちの会社は営業成績をいくら伸ばしてもお給料には雀の涙ほどしか反映されないから、必要以上にがんばらないんだけどね。
「そういえば近江さんは頭皮マッサージのお店をださないのですか? 出資したいという方が大勢いると聞きましたが……もちろん、わたしもそのひとりですがね」
「ははは、それよく言われるんですけどねー。『いくらでも出資するから、ぜひ店を出してくれ』って。でもお店だしたら責任もありますし、全部ひとりで決めないといけないじゃないですか? いろいろと時間も取られちゃいそうですしね……」
「ええ。職種も大きく変わりますから、慣れるのにも時間がかかるでしょう」
「ですよね? だから僕は、きっといまの仕事の方が向いているんですよ。こうして吉田さんとお茶を飲む時間もありますしね」
「確かに近江さんがマッサージ店を出したら、繁盛して大忙しでしょうなぁ」
「ここだけの話……僕、忙しいの苦手なんですよ」
「はっはっは。……近江さん、わたしもですよ」
俺と吉田さんは顔を見合わせ、「はっはっは」と笑い合う。
ひとしきり笑ったあとで、ふと吉田さんが真剣な顔を向けていた。
「ところで近江さん、最近何かありましたか?」
「最近……ですか? なんでまた急に?」
「いえね、わたしの勘違いならいいのですが、なんだか近江さんに元気がないような気がしてまして……」
おっと、仕事モードに切り替えていたつもりが、テンション低いの見抜かれていたぞ。
さすが吉田さんだ。
「近江さん、なにかありましたか? わたしでよければ相談にのりますよ」
「いやーははは、その、なんといいますか……最近大きく散財してしまいまして、ちょっとだけ金銭的なダメージが僕の心をむしばんでいるだけです」
「ほう、散財でしたか。なるほど、それで……」
「お恥ずかしい限りです」
「恥ずかしがることはありませんよ。若者に急な出費はつきものですからね」
「いやいや、若くないですよ。僕もう33歳ですし」
「はっはっは、わたしから見れば十分にお若いですよ。そうだ! 近江さん、次の土曜日はお暇ですか?」
「――え? ええ。特に予定はありませんが……?」
毎週末あっちにいってるぐらいで、特に予定はない。
「それはよかった。なら次の土曜日、少しだけわたしにつき合ってもらえませんか?」
吉田さんからの、不意なお誘い。
なんだろ? ゴルフかな?
久しぶりに俺の接待ゴルフの腕がさく裂しちゃう時がきたのかな?
吉田さんには取引先を紹介してもらったり、いろいろとお世話になってるからもちろんOKだ。
「吉田さんのお誘いなら、よろこんでお付き合いさせてもらいますよ。それで……どちらへ?」
俺の質問に、吉田さんは茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべてこう言ってきた。
「競馬場ですよ」




