第22話 妹よ!
ガタゴト、ガタゴトと馬車が揺れている。
鼻をつく不快な臭いが充満した馬車のなかで、エルフの少女キエルは妹のソシエを優しく抱きよせていた。
「姉さま、ソシエと姉さまはこれからどこへいくのですか?」
「…………」
その問いに、キエルは答えることができない。
「あと……どうして姉さまとソシエはコレをつけているのですか?」
ソシエが首に繋がれた鎖を鳴らす。
じゃらり、と無機質な音が響いた。
「…………」
ガタゴト、ガタゴトと馬車が揺れている。
「……姉さま? どうしてかなしそうな顔をしているのですか? どこか痛むのですか?」
「――ッ」
「ひゃっ!?」
突然自分を抱きしめてきた姉のキエルに、ソシエはきょとんとするばかり。
それにかまわず、キエルはソシエを抱きしめ続けた。
強く、強く抱きしめたのだ。
そのぬくもりを、身に刻み込むかのように。
このぬくもりを、誰にも渡さぬと示すかのように。
「姉……さま?」
言えるはずがないじゃないか、とキエルは思う。
妹はまだ90になったばかりなのだ。
そんな妹に自分たちが『奴隷』に堕ちたなどと、どうしていえよう。
運がなかったといえば、それまでだ。
精霊の加護を受けた故郷の森をエンシェントドラゴンに焼かれ、同胞たちとはぐれたところを人狩りに狙われた。
狙われた理由は単純だった。
なんでも、「エルフは高く売れるから」らしい。
自分を縛り上げ、鎖に繋いだ男の言葉だ。
森の外へ広がっていた世界がこんなにも穢らわしいところだったなんて、知りもしなかった。
人族がこんなにも非道な種族だったなんて、想像もしていなかった。
――ごめんね。
頼りない姉でごめんね。
守ってあげれなくてごめんね。
奴隷にされてしまってごめんね。
キエルは泣いていた。
ソシエを抱きしめたまま、ポロポロと涙を零すことしかできないでいる。
自分は160歳になるエルフだ。
奴隷となったエルフがどんな仕打ちを受けるかなんて、とっくに理解している。
誇りも身体も穢されるぐらいなら、いっそ死を――。
キエルのその考えをすんでのところで止めているのは、
『キエル……ソシエを頼みましたよ』
『生きている限り希望を捨ててはいけないよ』
母と、父の言葉だった。
自身と妹の名誉のため死を覚悟しようとするたびに、どうしてもその言葉が蘇ってきてしまうのだ。
もう、どうすればいいのか、歳若いエルフであるキエルにはわからなかった。
「姉さま……ないてるの?」
「……ソシエ、ごめんね」
「どうしてあやまるのですか? 姉さまはなにもわるくないです。だから……だからなかないでください。ソシエ、姉さまのわらっているお顔がすきです」
キエルは泣いていた。
何度もしゃっくりをあげてはソシエを抱きしめ、なにか言おうとしてはためらった。
顔を涙でぐちゃぐちゃにしたキエルは、ただ妹を抱きしめることしかできずにいた。
心の中で、大切な妹に詫びながら。
「おいエルフ。いつまで泣いているのだ。泣き腫らした顔では値がさがってしまうだろう。さっさと泣き止め。それとも力づくで泣き止ましてほしいのか?」
そうキエルに冷酷な声をかけたのは、奴隷商人のジャマイカンだ。
この初老の男は奴隷商人であり、人狩りからキエルとソシエのエルフ姉妹を買い上げ、ズェーダの街へと運んでいる最中であった。
「…………」
キエルは涙を拭い、奥歯を噛みしめなんとか嗚咽を殺す。
この男の前で泣くもんか、そんな小さな意地がキエルの涙をとめてみせていた。
「……ほう。やっと泣き止んだか。やればできるではないか。もう手間をかけさせるなよ」
その姿を見て満足そうな顔をしたジャマイカンは、
「はやく己が奴隷となったことを受け入れるのだな。そうすれば楽になる。……この者たちのようにな」
と、馬車に乗る他の奴隷たちを見回しながら言った。
この馬車のなかで鎖に繋がれているのは、なにもキエルとソシエだけではない。
老若男女問わず鎖に繋がれていたのだ。
人族、獣人、ドワーフ、その種族も様々。
四頭立ての大型馬車には、幾人もの奴隷たちが詰め込まれていた。
そして鎖は馬車の壁面へと繋がれている。
逃亡を、赦さぬためだ。
「純潔のエルフだ。さぞや高値で売れることだろう。うんっふ、ああ……こんなにもズェーダに着くのが待ち遠しいのは久方ぶりだ」
ジャマイカンが忌まわしい言葉を吐き出す。
キエルはジャマイカンを睨みつけた。
ガタゴト、ガタゴトと馬車が揺れている。
キエルはジャマイカンを睨みつけたまま、この世界を呪った。
こんな不条理を押しつける世界を、神を、呪わずにはいられなかったのだ。
――こんな世界、壊れてしまえ――
最初に悲鳴をあげたのは、いったい誰だったのか。
御者の男かもしれないし、馬車の護衛についていた傭兵かもしれない。
ただひとつだけ真実なのは、強い衝撃とともに馬車が大きく揺れたことだ。
上も下も、右も左も分からなくなった。
気づいたときにはもう馬車は横倒しになっていて、キエルの隣にいた男の頭が割れていた。
男は自分の身に起こったことを知らぬまま、目を見開いて死んでいた。
「あ……ね……さま……」
「……ソシエ……ソシエ!!」
「姉さま……なにが……おきたのですか?」
そんなこと、キエルにもわから――――
「姉さま……あれ」
ソシエの指さした先。
馬車に空いた穴から馬鹿みたいに大きな腕が伸ばされ、ドワーフの男を掴む。
「ひ、ひぃ!? はな、はなし――ッ」
ぶちん、と音がして、ドワーフの首がもげた。
鎖に繋がれているにもかかわらず、馬鹿みたいに大きな腕によって力任せに引っぱられたからだ。
馬車の中が悲鳴で満たされた。
腕はなんども伸びては、ぶちん、と音を奏でて引っこんでいく。
なんども、なんども、ぶちん、ぶちんと音がした。
「あ……姉さま……」
「大丈夫。大丈夫ですよソシエ。いまわたしが貴方の鎖を解いてあげますから」
鍵を持ったジャマイカンが見当たらない。
大きな腕の持ち主に喰われたか、はたまた隣の男のように頭でも割れたのか。
いや、いまはそんなことどうでもいい。
ソシエだ。
父と母に託された、ソシエだけは絶対に助けなければ。
キエルは近くに落ちていた木片を握り、ソシエを繋ぐ鎖に叩きつけた。
「壊れろ! 壊れろ!」
「姉さま……」
「大丈夫! 大丈夫だからっ!]
木片なんかじゃ鉄でできた鎖を壊せるわけがない。
それでもキエルは木片を握り、力一杯振り下ろす。
大切なソシエだけは、なんとしても救おうと。
「壊れろ! 壊れろ!」
いつの間にか、悲鳴は聞こえなくなっていた。
「壊れろ! 壊れろ!」
再び衝撃が馬車を襲い、馬鹿みたいに大きな手の持ち主がこちらを覗き込む。
オーガだった。
大きな手の主は、怪力無双の化物オーガだったのだ。
「――ッ!! 壊れろ! 壊れろ!!」
オーガが、自分たちを見つけたのがわかった。
妹に繋がれた鎖は、びくともしない。
「壊れろ! 壊れろ!! お願い……外れてよ……外れてぇ……」
オーガの手が伸びてくる。
それでもキエルは木片で鎖を叩き続けた。
――どうか、ソシエをお救いください――
神に、精霊に、神獣に祈りながら、何度も叩き続けたのだ。
さっきはあんなにも呪っていたくせに都合が良すぎるな、と懺悔しながら。
「姉さま!」
ソシエが叫び、
「あっ……」
キエルが反射的にふり返る。
血で全身を赤く染めたオーガと正面から目が合った。
けっきょく、神様なんていやしなかったのだ。
キエルの全身から力が抜け落ちる。
もうだめだ、キエルの心が諦めに満たされようとしたその時だった。
「ミソジドロップキィィィッッック!!!」
わけのわからない男が、オーガへと跳びかかっていったのは。




