プロローグ
日本でのお話です
有給休暇を終え、サラリーマン生活へともどった俺は、
「ずいぶんと長いこと羽を伸ばしていたみたいだね近江君。もう半月しかないけれど、今月の営業ノルマは達成できるのかね?」
さっそく課長に嫌みを言われていた。
「いやね、私だって言いたくはないよ? でもねぇ……休暇を取るタイミングってものもあるだろう。そうは思わないかね? ん? ん?」
「……はぁ」
「なんだいその覇気のない返事は? いいかい、営業というものはねぇ――――……」
ある日を境に、課長はひとが変わってしまった。
元は優しいひとだったんだ。
ランチをご馳走してくれたり、仕事の相談にのってくれたりと、心許ない頭髪に反して温かみのあるひとだったんだ。
しかし、営業課内で唯一、薄毛の悩みを共有できていた俺がフサフサになったとたん、課長の手のひらはくるりとひっくり返ってしまった。
事あるごとに俺を呼びつけてはネチネチと小言を言うようになり、もちろんランチにも誘ってくれない。
早い話、ただの冷たい上司になってしまったのだ。
課長をおいてひとりフサフサになったことには、俺だって申し訳ないと思っている。
でも、フサフサになったらなったで、悩みは生まれてくるものなのだ。
密度が薄くなっていた頭部の毛が急に生い茂ったものだから、職場の仲間たちからは可哀そうな目で見られ、それとなく距離を置かれるし、薄毛ネタでいじってくれていた同期も、いっさい髪の話題をふってこなくなった。
しかも陰では、『カツラ』か『植毛』かで賭けをしているみたいなのだ。
それも、他の課まで巻き込んで。
これほど哀しいことはない。
神さまのご加護とはいえ、このフサフサはすべて地毛だってのに。
これがフサフサになった代償というのであれば、俺は甘んじて受け入れよう。
ただ死を待つだけだった頭髪が、こうして……生き生きとしているのだから。
とか考えていたら、いつの間にか課長の小言は終わっていた。
ほぼ毎日嫌みを言われてるせいか、無意識のうちに返事するスキルが身についちゃったみたいだな。
俺は一礼してから自分のデスクに戻ると、資料のはいったカバンを持って外回りへと出るのだった。
新橋のコーヒーショップに入った俺は窓際の席にすわり、豆乳ラテを飲みながら手帳を開く。
この手帳には、俺が自分でつくった営業先のリストが書かれているのだ。
「さーて、今日は誰に会おうかなー」
リストに書かれているひとたちには、ある共通点が存在する。
それは……全員の毛髪が心許ない、あるいは死滅してるってことだ。
「よし。今日は吉田さんにしよう」
俺は、水天宮に自分の事務所を構えている、バーコードヘッドの吉田さん(なんか二つ名っぽい)に狙いを定めると、豆乳ラテを飲み干して席を立つ。
そして、新橋駅に向かって歩きはじめるのだった。
「どーでしょう吉田さん、久しぶりに事務用品をまるっと入れ替えてみては?」
「いやいや、待ってくださいよ近江さん。そちらから購入させていただいた機器は、まだまだ使えていますよ。質が良いですから、いまでも現役です。まるで、このわたしのようにね」
「はははー。うまいこと言いますね吉田さん」
「はっはっは、そう言ってくれるのは近江さんぐらいですよ」
俺の仕事は、可もなく不可もないオフィス用品を飛び込み営業で売りつけることだ。
吉田さんの会計事務所にパソコンやら複合プリンターやらを購入してもらったのは2年ほど前のことで、ちょくちょくメンテナンスやアフターケアで顔を出しているからか、良好な関係をきずけていた。
しかし、さすがは会計士。
お金のこととなると非常にシビアだ。
吉田さんは絶えずニコニコしながらも、のらりくらりと俺の営業トークをかわしている。
この受け流す技には、ただただ感心するしかない。
でも、俺だってここまでは織り込み済みさ。
俺はあきらめたフリをしてパンフレットをしまう。
そこでふと、世間話であるかのように違う話題をふった。
「あ、そういえば……」
「おや、どうかしましたか近江さん?」
「いやぁ、大したことじゃないんですけどね、実は最近……頭皮にかなり効くマッサージのやり方をおぼえたんですよー」
「ほう……興味深いですね」
吉田さんが喰いついてきた。
さりげなくフサフサフになった俺の頭を見る目は、真剣そのもの。
いくら口元に笑みをたたえていても、目だけは笑っていない。
「ほら、見てくださいよ。薄くなってた僕の髪が、こーんなにも生えてきたんですよ!」
「おお……それは地毛だったのですか。いや失礼。実はずっと植毛でもされたのかと思ってました。あれですか? 最近CMとかでやってる……『発毛』というやつですか?」
「いいえ、僕のオリジナルマッサージです」
「オリジナルのマッサージ……ですか」
吉田さんの目つきが変わった。
いまこそ好機であり、絶好の商機だ!
「あ、よかったらマッサージしましょうか? 僕のオリジナルマッサージは、すぐに効果があらわれますよ!」
「そ、そうなんですか。もも、もしよろしかったら、ひとつわたしにも頼めますかね?」
気持ちがはやってしまってるのか、吉田さんはかみかみだ。
「もちろんですよ。じゃあ……ちょっと失礼しまーす」
俺は吉田さんの背後に回り込み、スーツのジャケットを脱いで腕をまくる。
「揉みますねー」
「お、お願いします」
吉田さんのバーコードヘッドに手をあてた俺は、ぐいぐいと指圧をはじめた。
「こうやってですねー、こう緩急つけて揉んでって…………リザレクションッ!!」
蘇生魔法であるリザレクションにより、吉田さんの頭頂部がほのかに輝く。
まだまだ俺のレベルでは、リザレクションを使っても死んだ生き物を蘇らせることはできない。
しかし、死滅した頭髪ぐらいなら蘇らせることができるのだ。
「おお……近江さん、なんだかだんだんと暖かくなってきました」
「血流がよくなってきたからですよ。これでもう大丈夫です。2~3日したら髪が生えてくるはずです」
「ほ、本当ですか?」
吉田さんが聞いてくる。
その顔には、すがるような期待が見え隠れしていた。
「本当ですとも! ですけど……このマッサージは定期的にやらないと効果が薄くなっちゃうんですけどねー」
「定期的……ですか?」
「ええ。定期的にです。またおじゃまさせていただきますんで、その時にでもまたマッサージさせてもらいますよ。では、失礼しましたー」
俺は深く頭をさげてから、吉田さんの会計事務所をあとにする。
よっし。今日も種をまいたぞ。
有給休暇が終わって、すでに3日がたった。
この3日間、俺はずっと頭頂部が悲惨なことになってるひとたちに蘇生魔法をかけてまわっていた。
「もう3日か。そろそろ毛が生えてくるころだな……」
仕事用の携帯電話が鳴る。
着信相手は、3日前にリザレクションをかけた印刷会社の山本さん。
「はい。近江です。あー、山本さん、どうかされましたか?」
電話をかけてきた山本さんの用件は、オフィス用品の入れ替えの相談だった。
というのは建前で、本音ではまた俺にリザレクションをかけてもらいたいんだろうな。
それからは、トントン拍子で話が進んだ。
ちょっとズルいけれど、リザレクションをエサに俺は次々と契約を取っていくことができたのだ。
俺なしでは生きられない頭になってしまったひとたちの、助けを借りて。
こうして、たった5日間で今月分のノルマをあっさり達成した俺は出勤と同時にタイムカードを押し、「外回りいってきまーす」と課長に言って、有り余った時間を異世界で過ごすのだった。




