第1話 冒険開始! 異世界に落ちたおっさん
異世界に旅立つ準備は整った。
会社にたまっていた有給休暇を申請し(上司にすげーいやな顔された)、アウトドアショップで各種道具も揃え、ホームセンターでは武器代わりの軽量スコップも購入済み。
現在の時刻は午前6時。
社畜ゆえに5時起きに慣れてしまった体に、この時ばかりは感謝した。
「よし! 行くか」
俺は気合を入れると転移魔法を起動する。
目の前に直径1メートルほどの魔法陣が現れると、俺は迷わずその中心に飛びこんだ。
すると体が光に包まれ、一瞬で俺は草原へと転移していた。
「きたぞ異世界!」
営業の合間や帰宅後にも何度か転移魔法を使ってみたのだが、それで分かったことがふたつある。
まずひとつは、転移魔法は日に2回しか使えない、ということ。
これはきっと俺の魔力量――MPに関係しているんだと思う。
今後の成長によっては、使える回数も増えるかもしれない。
そしてふたつめが、前回転移した場所にしか転移できない、ということだ。
つまり、自宅から転移魔法で異世界に来て、再び転移魔法で日本に戻った場合、転移先が自宅に固定されているのだった。逆もまた然り。
レベルアップしたら、転移する場所を選べるようになるといいなー。
「さて……まずは進んでみるか」
周囲は草原。しかも山に囲まれていて、建物はおろか人の気配すらない。
俺はとりあえず、向こうの方に見える一番低い山を目指すことにした。
営業の仕事についているから、俺は歩くことに慣れている。
それでも、山のふもとに着くまで2時間ぐらいかかった。
「んー……山に入る前に朝ごはんを食べとくかな」
リュックサックを降ろし、中からコンビニで買ったおにぎりを取り出し食べる。
そして10分ほど休んだあと、俺は山へと入っていった。
「うひー。こりゃ想像以上にしんどいぞ」
若いころは登山が趣味でよく山に登っていたけれど、それはあくまでも登山道だったからだ。
いま俺が登っている山に道らしい道はなく、せいぜい獣道みたいなのがあるぐらい。
「鉈でも買っとくんだったなぁー」
細い枝や、よく分からない植物のツルを手で払いながら登っていくと、後ろから「ガサガサ」と音がした。
「な、なんだ!?」
慌ててふり返る。
音はどんどん近づいてくる。
「ま、まさか……モンスターか!?」
考えてみればここは山の中。ファンタジー世界ではお約束のモンスターが出てもおかしくはない。
「くっ、くるならこい!」
俺は背中にさしてたスコップ抜き正眼に構え、音の正体に備える。
すぐに茂みの中から、一抱えはありそうな影が飛び出してきた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
スコップをめちゃくちゃに振う……が、当たらない。
影は、俺から少し離れた場所に着地した。
目を凝らして見ると、それは額から一本の角を生やした大きなウサギだった。
角を俺に向け、ドスドスと地面を踏み叩いている。
「うへ~……ホーンラビットってやつか? あの角に刺されたら痛そうだ」
俺はジャマな荷物をわきに置く。
スコップはホーンラビットに向けたままだ。
そして、激闘ははじまった。
「ふおっ! はぁっ! よっと!」
ホーンラビットの突撃を、俺は紙一重で避けていく。
突撃を避け、ホーンラビットが方向転換するたびにスコップを叩きこむチャンスがあるんだけど、それをしないのにはわけがある。
「くっそ、コイツ……モフモフしやがって。卑怯だぞ!」
俺はモフモフした動物が大好きなのだ。
犬や猫は当然として、ウサギなんかもかなりヤバイ。
こんなにも愛くるしい生き物にスコップを叩きこむなんて、俺にできるわけがなかったのだ。
「しかたがない……こっからはガマン比べといこうか!」
ウサちゃんが諦めて去っていくまで……避け続けてみせるさ!
俺がそう決意し、スコップを投げ捨てた瞬間だった。
「動くな!」
と何者かに呼びかけられ、どこからか飛んできた矢がウサちゃんに突き刺ささる。
「ぷーッ!?」
クリティカルヒット。
ウサちゃんは可愛らしい鳴声を残して息絶えてしまった。
「危ないところだったな」
少し離れた場所から声をかけられてそっちの方を向くと、そこには40手前ぐらいのおじさんが立っていた。
手には弓を持っているところを見ると、狩人なのかもしれないな。
体格はかなりよく、顔は髭面。頬に大きな傷がある。
俺はとりあえず、
「あ、ありがとうございました。おかげで助かりました」
男にお礼を言って頭をさげる。
「いいってことよ。お前がそいつを引きつけてくれたおかげで、オレも仕留めることができたからな」
男はそう言って笑うと、ウサちゃんに刺さった矢を引っこ抜く。
「しかしお前、ここらじゃ見かけない格好してんな。旅人か?」
俺の服装を見た男のひとが、不思議そうな顔をする。
こっちの世界のひとにとって俺は異世界人なんだから、その疑問は当然のこと。
でも、その質問はすでに何度もシミュレーション済みなんだぜ。
「実は……頭を打ったみたいで何も思いだせないんです……」
俺は暗い表情をつくってそう言う。
「おいおい大丈夫か? 他にいてーところはないか?」
「はい。痛いのは頭だけなんで」
「そうか」
男のひとは心配そうに俺を覗き込んくる。
どうやらこの男のひとは、良い人みたいだな。
「じゃあなんだ? どこから来てなんでここにいるかも忘れちまったのか?」
「……はい」
「自分の名前もか?」
「あ、それは憶えてます!」
俺は男のひとに向き直ると、胸に手を置いて自分の名前を伝える。
「正樹っていいます。近江正樹」
「マサキか、変わった名前だな。オレはムロンってんだ。見ての通り狩人をやっている」
男改め、ムロンさんはそう名乗ると、持っている弓を振って笑った。
「じゃあマサキよ、お前さん行くあてでもあんのか?」
「いえ……ありません」
「……そっか。まー、そう暗い顔すんなって。そのうち思いだすだろうよ。行くあてがないならちょうどいい。こいつを運ぶのを手伝ってくれ。礼代わりにオレの家に泊めてやっからよ」
ムロンさんはそう言いうと、俺の背中を叩きながら「ガハハ」と笑う。
こうして、この日俺はムロンさんの家に泊めてもらうことになったのだった。