最終話 開かれた未来
俺とドロシーさんは、錦糸町からズェーダの鐘塔へと戻ってきた。
鍾塔のてっぺんから見える景色は、まだ朝の早い時間と言うこともあり、昇りはじめた太陽がイイ感じに街を照らしはじめている。
「……戻ってきちゃいましたわねぇ」
「戻ってきちゃいましたねー」
「……」
「……」
俺とドロシーさんはしばし見つめ合い、同じタイミングでプスーと吹き出す。
「うふふ……もう、夢の世界から一瞬でしたわぁ」
「すみません。転移魔法はイマイチ情緒に欠けますよね?」
「マサキさんを責めているわけではありませんわぁ。ただ、わたくしが焦がれ続けた『見たこともない世界』が、こんなにも身近にあったことが面白くて……うふふ」
「うーん。俺はもう慣れちゃったからなー」
と言いつつ、頭をポリポリ。
少しして、右手を差し出す。
「とりあえず、帰りますか」
「ええ。マサキさんのおかげで夢の世界は十分に堪能しました。あとは……貴族としての務めを果たすだけですわぁ」
ドロシーさんが俺の手を握る。
そして俺たちは、鍾塔を降りて行った。
◇◆◇◆◇
二人で屋敷へ向かっていると、
「ドロシーお嬢様っ!!」
後ろから悲鳴にも似た、ドロシーさんを呼ぶ声が。
振り返ると、そこには婆やさんの姿が。
「婆や……」
「ドロシーお嬢様、いままでいったいどこに? ……婆やは……婆やはてっきり……」
「ごめんなさい婆や。勝手に屋敷を抜け出したりして……」
「この婆や、お嬢様のお気持ちは理解しているつもりです。それよりも急ぎ屋敷にお戻りください。ご主人様がお呼びです」
「お父様が?」
「はい。さあ、馬車へ」
婆やさんが馬車の扉を開ける。
「……」
ドロシーさんは俺を見た。
あの馬車に乗ってしまったら、俺とドロシーさんはもう二度と会うことができなくなるかもしれない。
それを理解しているからか、ドロシーさんは寂しそうな顔をしていた。
数秒見つめ合っていると、不意に、
「マサキ様、マサキ様も馬車にお乗りください」
「へ? 俺も?」
「はい。ご主人様がマサキ様にお会いしたい、と申しておりまして」
「ドロシーさんのパパさんが俺に……?」
領主が直々に俺に会いたいってことは、きっとあれだろうか?
ドロシーさんを連れ回した罰として……処するつもりなのだろうか?
そんな俺の不安を見透かしたかのように、婆やさんが柔和な笑みを浮かべる。
「ご安心ください。ご主人様はマサキ様にお礼を言いたい、と仰っておりました」
「お礼ですか?」
「マサキ様はドロシーお嬢様と並び、ズェーダを救った英雄の一人ですから」
なるほど。
街を襲ったネクロマンサー氏。
そこから進化して、死霊王氏になったアンデッドの親玉を倒した俺に、領主自らお礼を言いたい、ということか。
「わかりました。じゃあドロシーさん、馬車に乗りましょうか?」
「ええ」
まずドロシーさんが馬車に乗り、続いて俺も乗り込もうとしたところで――
「マサキ様、少しよろしいでしょうか?」
婆やさんに呼び止められた。
「え? ええ。なんでしょう?」
「私がマサキ様に『ドロシーお嬢様と二度と会わないでください』と言ったこと、撤回致します。あの時は申し訳ありませんでした」
婆やさんが真面目な顔をして頭を下げてきた。
次いで、
「これからもドロシーお嬢様の事、宜しくお願い致します」
とも。
前とはどエライ違いに、戸惑ってしまう。
だから、
「は、はぁ。こちらこそ……です?」
と曖昧に答えてしまった。
「では馬車にお乗りください。出発いたします」
こうして俺とドロシーさんは、馬車に揺られながらお屋敷へと向かうのでした。
◇◆◇◆◇
「おおっ! いつの間にやら姿が消えていたから心配したぞドロシー!」
お屋敷に入ると、さっそくパパさんに出迎えられた。
「お父様……きゃっ」
パパさんはドロシーさんをハグ。
本気で心配していたんだろう、ちょっと目が潤んでいる。
「実はなドロシー、お前に大切な話があるのだ」
「婚約のことでしょうか?」
ドロシーさんが率直に訊く。
語尾が伸びていないから、マジモードだ。
「そうだ。実はな、王都へ行きお前の婚約の日取りなど詳細を詰めてきた」
「……はい」
ドロシーさんの表情から感情がすーっと消えていく。
「先方は早く跡継ぎとなる子を欲しているらしく、明日にでも式を挙げたいと言ってきているのだが……」
「……」
無表情になるドロシーさん。
だが、次の瞬間、
「今回の婚約、なかったことにするつもりだ」
「「…………え?」」
あまりの急展開に、俺とドロシーさんの声がハモってしまう。
パパさんがチラリと俺を見る。
俺は口を手で塞ぐ。
「街の住民は皆、お前のことを称え、感謝していたぞ。街を救った英雄ドロシーとな」
誇らしげに語るパパさん。
うんうん。そんなんあたり前じゃんね。
避難してきた住民が中央区画に入れたのは、全部ドロシーさんのおかげなんだ。
あのときドロシーさんが現れなかったら、住民に多くの死傷者が出ていたことだろう。
「街の……者たちが?」
「そうだ。よく皆を救ったな。ドロシー。私はお前を誇りに思うぞ」
「そんな……わたくしはただマサキさんに……」
「ドロシー、お前は私や兄たちが不在の間、チャイルド家の者としてその義務を果たした……いいや、それ以上の働きをしてみせたのだ! 街の英雄となったお前に男爵家如きが釣り合うはずもない。だから私は今回の婚約を破棄するぞ。チャイルド家の名に懸けて!」
「っ!?」
パパさんの確固たる決意に、俺もドロシーさんもびっくりだ。
「お父様っ、その……貴族同士の約束を反故にするというのですか?」
とドロシーさん。
うんうん。よくわからないけれど、貴族同士の婚約ってそんな簡単に破棄できるものじゃないよね?
あっちの面子が潰れちゃうわけだし、最悪貴族同士で争いになってしまうのでは?
とか心配していたんだけど……。
「元々この婚約話は兄のシャリアが持ってきたものだ。そして、昨夜ヘンケンより街を襲ったネクロマンサーを裏で動かしていたのが、兄だったと報告を受けた」
「そ、そうですわ。あのネクロマンサーは滅びる間際、シャリア伯父様の名を口にしていましたのよ!」
ハッとした顔でドロシーさん。
「ドロシーさんの言う通りです。俺もしっかりこの耳で聞きましたから」
俺もうんうんとドロシーさんの言葉が真実であることを伝える。
「その件についてはヘンケンにも手伝ってもらい、詳しく調査するつもりだ。だがいまは――」
ヘンケンさんはドロシーさんの頭を優しく撫で、続ける。
「街の英雄殿の下らぬ婚約をなかったことにしなくてはな」
「お父様……」
「ドロシー、いままで辛い思いをさせてすまなかった。これからは自由に生きるがいい」
「…………ありがとうございます、お父様」
抱きしめ合う父と娘。
ドロシーさんはパパさんの胸に顔をうずめながら、嗚咽を漏らしていた。
「これが雨降って地固まるってやつか」
俺はキメ顔をし、したり顔で呟く。
こうしてドロシーさんの望まぬ婚約は破棄され、自由の身となるのだった。