幕間
「待たせたな」
応接室の扉を後ろ手に閉めたシャリアは、中で待っていた長衣姿の男にそう言う。
人払いをしてあるとはいえ、念のため自分とローブの男の他に人がいないことを確認することも忘れない。
「なに、『あの時』から耐え忍んだ時間に比べれば待っていた内にもはいりません」
「そ、そうか」
「それより……」
ローブの男がシャリアに顔を向ける。
酷く痩せこけているが、その双眸には深い憎しみの炎が灯っていた。
「例の件はどうなっているのでしょうか?」
ローブの男に正面から見据えられたシャリアの背中を、冷たい汗が流れる。
シャリアは恐怖を抱いていることを悟られぬよう目線を逸らし、質問に答えた。
「順調だ。全ては私の思い描いた通りに事が進んでおるよ」
「ほう。それは重畳ですな」
ローブの男が邪悪な笑みを浮かべた。
男が死霊使いだからだろうか、シャリアの全身に怖気が走る。
シャリアは恐怖を振り払うようにして咳ばらいをひとつ。
「うおっほん! ……それでマシュマー、貴様の方はちゃんとやっておるのか?」
「はい。問題なく進んでおりますよ」
ローブの男――マシュマーは当然だとばかりに答える。
「既に準備は整っています。後はご命令さえ頂ければ、いつでもあの街……ズェーダでしたか? ズェーダの街を恐怖に陥れてみせましょう」
「わかっているとは思うが、まだアンデッド共を動かしてはならんぞ? いま私の指示であの愚弟の騎士団を遠くの地に誘い出しているところなのだ。くくく……ズェーダに『不幸』があっても、一日二日程度では救援に向かえないほど遠くの地にな」
「ほう」
マシュマーが感心したような声を出す。
所詮は己の復讐を果たすための道具。下らん貴族の一人としか見ていなかったが……なかなかどうして。『それなり』には知恵が回るではないか。
そんなマシュマーの思考に気づきもせず、シャリアは続ける。
「それに愚弟が王都に行かざるを得ないよう裏で動いた。あの馬鹿者はいまごろ王都に向かう準備をしておることだろう」
「さすがはシャリア様。して、どのような手をお使いになったので?」
「聞きたいか?」
「……ええ、とても」
さして興味はなかったが、この計画の失敗は赦されない。
復讐の計画をより強固なものとするために、マシュマーは続きを促す。
「簡単なことだ。愚弟が持つ脆弱な騎士団に、私が父上より譲り受けた精強な騎士団との合同演習を行うよう命令しただけだ。騎士団には奴の息子もおるからな。あと一〇日もすればズェーダの防衛能力は著しく低下するだろうよ。くくく……」
「なるほど。さすがシャリア様ですね。それより……カロッゾはどうやって動かしたのですか? 領民を大切にしているあの男を動かすのは大変だったのでは?」
「まあな。こっちは騎士団と違い、手を回すのに苦労したぞ。まず愚弟の生意気な娘を私の派閥に属する木っ端貴族の息子と婚姻を結ばせるだろ? そして式の日取りを決める名目で、愚弟を王都まで呼び出したというわけさ。口で説明すると簡単に聞こえるかもしれんが……ふぅ。愚弟と奴の派閥の者たちに気づかれぬように動くのは骨が折れたぞ」
シャリアが得意げに語ってみせた。
「あのカロッゾを手玉に取るとは……やはり真なるチャイルド家の後継者は愚物でしかないカロッゾとは違いますね」
「ふんっ。当然だ」
奴の名を口にするだけで、マシュマーの右頬を走る古傷がうずく。
マシュマーがいまよりもずいぶんと若かったころのことだ。
地下神殿で禁忌指定されている死霊呪の儀式を行っている最中に、遊歴の剣士だったカロッゾと冒険者のヘンケン、それと幾人か奴らの仲間が乗り込んできた。
死霊術において神聖な儀式の最中にも関わらずにだ。なんでも、正義の名の下にマシュマーを誅するために来たのだと言う。
神聖なる儀式を邪魔するとは赦せない。だからマシュマーは己が持つ全ての力を行使して抗った。
一人殺し、二人殺し、三人殺し、殺した奴らを死人として使役して更に四人殺した。
しかし、最後まで残ったカロッゾとヘンケンによって深手を負わされたマシュマーは儀式を諦め、退かざるを得なかった。
準備に人生の半分を捧げた神聖なる儀式を諦めて、だ。
あと少しで……あと少しで儀式を終えたのに……。
それからマシュマーは、カロッゾとヘンケンに復讐するために生きてきた。
あの二人を殺すことは簡単だ。
だが、それでは儀式を壊された事と帳尻が合わない。
マシュマーは考えた。
どうすれば帳尻が合うだろう、と。
傷を癒しながら、ただ復讐のことだけを考えていたマシュマーが出した結論。
それは――
――ああ、奴らの大切なものを全て駄目にしてやろう。
その結論に至って以降、マシュマーはふたりを遠くから監視していた。
何年も、何年もかけて。
ヘンケンが娼館の娘と恋をしていたのを見ていた。
身請けした娼婦と家庭を持ち息子が生まれたのも見ていた。
冒険者ギルドのギルドマスターの地位を得て、街に根を下ろしたのも見ていた。
カロッゾが家に戻りどこぞの貴族の娘と結婚し、三人の息子とひとり娘を授かったのを見ていた。
爵位を授かり、領民を持った時には祝福すらした。
本当に祝福していたのだ。
――これで……やっと復讐できる、と。
幸せそうな家庭を築いたヘンケンとカロッゾを見て、マシュマーは『その時』がきたことを悟った。
かねてより計画していた復讐する時がきたのだと。
それからは早かった。
弟を妬む阿呆をそそのかし、準備を整える。
あと少しだ。
まずは奴らの大切なものを一つひとつ奪っていくのだ。
そう。最初は奴らの子を奪ってやろう。
あの傲慢な娘なんか正にうってつけだ。
「ここまで準備してやったのだ。しくじるなよマシュマー」
「ええ。我が命に換えましても」
シャリアに向かって恭しく首を垂れながら、マシュマーは暗い笑みを浮かべるのだった。




