第20話 べっぴんさんたちの戦い
ドロシーさんが胸にため込んでいた想いを知ってしまった俺は、
「はぁ……」
ため息とともに、真っ昼間からギルド内酒場の片隅でジョッキを傾けていた。
俺の脳内でリフレインする、ドロシーさんのあの言葉。
『マサキさん、わたくしはお父様の……そしてチャイルド家の益となる殿方の下へ嫁ぎ……いずれ世継ぎとなる子を産むことになるんですのよ』
『……こんな気持ちになるなら……貴族になんて生まれなければよかった……』
涙ながらに語ったドロシーさん。
こんなセリフ、現代日本で生まれ育った俺からしてみたら、衝撃以外のなにものでもないよね。
「貴族は自由に恋愛ができないってのはホントだったんだな……」
恋も知らず愛も知らず、されど結婚はしなければならない。
ドロシーさんは、恋に恋しちゃう10代の女の子。
初恋を経て恋愛適齢期の入り口に立つお年頃の女の子には、死刑宣告にも等しい行為じゃんね。
もしこれが俺だったらのなら、「愛などいらぬ!!」とか叫びながら黙々とピラミッド作っちゃいそうなレベルで鬱だぜ。
「はぁ……恋かー」
ジョッキを口につけぐびぐびやっていると、突然後ろから声をかけられた。
「あら、マサキじゃない」
ほぼ毎日聞く、聞き慣れた声。
振り返ると、そこにはパープルヘアの美人さんが。
「ロザミィさん……」
「こんな時間から酒場で飲むなんて、ゴドジみたいよ」
ロザミィさんはそう言うと、俺の隣のイスに座る。
それを見て、すぐにバイト中のキエルさんがオーダーを取りにきた。
「いらっしゃいロザミィ。なにか飲みますか?」
「うん。果実酒をもらえるかしら? あと軽い食べ物も」
「わかりました。すぐにお持ちしますね」
そう言ってキエルさんは厨房にオーダーを告げ、『2人分』の食事と飲み物を持ってこちらへと戻ってきた。
「せっかくなのでわたしも休憩を頂きました。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
とキエルさん。
俺とロザミィさんの返事は、もちろんイエス。
こうして、3人でテーブルを共にすることとなった。
「そういえばレコアから聞いたわよ。マサキ昇級したんですってね。おめでとう」
「まあ、そうなんですかマサキさま? おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
未だ頭の中ではドロシーさんのあの言葉がリフレインしているもんだから、ついつい気のない返事となってしまった。
「なによその反応? ……あー、ひょっとしてまだ実感がわかないとか? そうなんでしょマサキ?」
「……はぁ」
「マサキさまの実力はわたしもロザミィも存じ上げております。どうか胸を張ってください」
「……はぁ」
ぼーっとしている俺を見て、ロザミィさんとキエルさんが顔を見合わす。
やがて……
「……マサキ、なにかあった? あたしでよければ相談に乗るわよ?」
「そうですよマサキさま。お悩みになっていることがあるのならわたしに話してください」
「……キエル、休憩時間とはいえまだ働いているんでしょ? マサキの相談にはあたしが乗るから、あなたは女給の仕事に戻っていいわよ」
「ロザミィこそ食事に集中してみては? マサキさまのことはわたしに任せてくださって結構ですから」
「…………あたしはキエルのためを想って言ってるんだけどなぁ」
「まあ、そうだったんですね。ありがとうロザミィ。マサキさまのためを想って言っていた自分が恥ずかしいわ」
「…………」
「…………」
顔に笑みを浮かべ、近距離で見つめ合う――というか睨み合うロザミィさんとキエルさん。
そんなふたりの前で、俺は深いため息をひとつ。
「はぁ……。『恋』って、なんなんですかねぇ……」
瞬間、ものすげぇ速さでふたりが俺を振り向き、目を見開いて驚愕したように顔を歪める。
美人で可愛い普段のふたりからは、想像もできないようなものすげぇ顔をしていた。
「ま、マサキ……い、いまなんて言ったの?」
「マサキさま…………なんておっしゃいました?」
あれ? 俺そんなおかしいこと言ったかな?
確認を求められたのなら、それに応じるのが良いおっさんてもんだ。
俺は声のボリュームを少しだけあげ、同じ言葉を口にする。
「ロザミィさん、キエルさん……『恋』ってなんなんでしょう?」
三十路街道を突っ走らせてもらってるおっさんの口から、まさか『恋』という単語が出てくるとは思わなかったんだろう。
再びふたりがものすげぇ顔をする。
おっさんが「恋」って言うだけで、パワーワードになるんだな。
こんな中学生みたいなことを訊いちゃうのは、やっぱりドロシーさんの言葉が絶好調に脳内リフレインしているからだ。
ひとがひとに恋をするなんてのは当たり前なことだ。
バットしかし、貴族であるドロシーさんにはそんな恋の自由すら赦されていないという。
自分の心を殺し、親が決めた相手のところへと嫁がないといけないのだ。
恋すら赦されず、自由に恋愛するなんて以ての外。
結婚相手は親が決める。
貴族であるドロシーさんにとって、『恋』っていったいなんなんだろう?
そんな疑問をロザミィさんとキエルさんのふたりにぶつけてみたわけなんだけど、おやおやどうしたことか。
ふたりはものすげぇ顔をしたままフリーズしているぞ。
「マサキ……」
「マサキさま……」
絞り出すような声。
おっさんが『恋』とか言っちゃったもんだから、ドン引きしちゃったのかも知れないな。
「な、なんでもないです。忘れてください!」
急に恥ずかしくなって両手をぶんぶん振る。
だけど――
「こ、ここここ――恋!? ここ、恋ですってぇ!?」
「マサキさまはその…………ままま、まさか――いいい、いま、こ、恋をしている――」
そのときだった。
「おーーーーーっほっほっほ! わたくしがまいりましたわぁっ!」
入口の扉が音を立てて開かれ、お嬢様がお出ましになられた。
そう。ドロシーさんのご登場だ。
ドロシーさんはギルドをきょろきょろと見回し、俺を見つけた瞬間満面の笑みを浮かべた。
「あらぁマサキさん、こちらにいらしたんですのねぇ。わたくし捜してしまいましたわぁ」
今日のドロシーさんは昨日のドレス姿と違って、手、足、腰、胸部と、要所を赤く染めた防具で守り、腰にはレイピアを差している冒険者スタイル。
その圧倒的な個性を除けば、冒険者ギルドにいてもおかしくない格好だった。
「あはは、こんにちはドロシーさん」
「…………ごきげんよう、マサキさん」
俺の顔を見た途端、ドロシーさんが恥ずかしそうに目を逸らす。
「どうしたんですドロシーさん、なんか俺を捜してたって言ってましたけど?」
「その……マサキさんにひと言謝りたくて……」
「謝る? なにをです?」
ドロシーさんが謝ることなんてあっただろうか?
あ、ひょっとして昨日の太っちょおじさんの件かな?
「マサキさん、その……き、昨日は胸をお借りして申し訳ありませんでしたわぁ」
「なーんだ、そんなこと――」
「「胸ぇ!?」」
ロザミィさんキエルさんの声がキレイに重なる。
「わたくしったらマサキさんの前で泣いてしまい……」
「「泣いたっ!?」」
またふたりの声が重なる。
「あんなにも恥ずかしいこと、わたくし初めてでしたのよぉ?」
「「はじめて!? 恥ずかしいことぉっ!?!?」」
またまた重なるふたりの声。
ロザミィさんキエルさんのふたりは、抱き合ったままなぜか固まってしまっている。
「もうっ、なんですのこの騒がしいふたりは?」
ドロシーさんが、ロザミィさんとキエルさんをキッと睨みつける。
俺と会話しにきたのに、意味が分からない合いの手を入れられてちょっぴり怒っているんだろう。
「貴方たち、少し静かにしていただけませんことぉ? 騒がしい女性は殿方に嫌われましてよぉ」
いっつも大音声で登場するドロシーさんから、信じられない言葉が出てきたぞ。
レイピアの他にも、ブーメラン使いの素質があるのかもしれない。
「……なんですってぇ」
最初に反応したのはロザミィさんだった。
ロザミィさんは左手を腰にあて、空いてる右手でドロシーさんに指を突きつける。
「急に出てきて、あなた誰よ?」
「あらぁ、わたくしを知らないのぉ?」
「あなたなんて知らないわよ」
「ふぅん。なら教えてさしあげますわぁ」
ドロシーさんは自分の豊かな胸元に手をあて、続ける。
「わたくしの名はドロシー・ロナ・チャイルド。ズェーダを治める領主カロッゾの一人娘ですわぁ」
「領主の……じゃあ、あなたが噂の――」
さすがにギルドで有名になりつつある、ドロシーさんの噂ぐらいは耳にしたことがあったんだろう。
ロザミィさんが驚いた顔をする。
「その様子だと、わたくしの名を耳にしたことぐらいはあるようですわねぇ。クスクスクス……そうですわぁ。別に自慢するつもりはないんですがぁ、わたくしは『領主の娘』。すなわち貴族なんですわぁ!」
十分に自慢している。
昨日、ドロシーさんから「貴族に生まれたくなかった云々」と想いを吐露され、いまさっきまで悩みに悩みまくってた俺はいったいどうすればいいんだろうね。
「そしてぇ!」
ドロシーさんが俺の腕に自分の腕を回す。
「マサキさんと背中を支え合う『仲間』でもあるのよぉ」
瞬間、ロザミィさんとキエルさんの顔が凍りついた。
「へぇぇ……マサキの仲間なんだ?」
「そうですわぁ。わたくしはマサキさんと冒険者パーティ『黄昏の薔薇』を結成しましたのよぉ!」
「……マサキさま、いつパーティをお組みになったんですか?」
なんか勝手にパーティ名が決まっているんですけど。
不思議だなー。
「ちょっとマサキ! 説明しなさいよ!」
「マサキさま! わたし聞いてませんよ!」
うん、だって俺も聞いてないからね。
ドロシーさんは猪突猛進型。
短い付き合いだけど、それだけはしっている。
一度こうと決めたら全力投球するおひとなのだ。
場は混沌としつつある。
高笑いがデフォルトのドロシーさんに、興奮して声のボリュームがバカになってるロザミィさんとキエルさん。
そりゃー周囲の視線を集めちゃいますよね。
ギルドにいる冒険者ほぼ全ての視線が集まり、固唾を飲んで事の成り行きを見守っている。
誰かたっけてー。
「マサキ!」
「マサキさま!」
なんだろう、この浮気した男のような状況は。
俺がいったいなにをしたっていうんだ。
いやいや、ダメだぞ俺。
考えることを止めるな。
この状況を丸く収めてこそ、俺が理想とするかっちょいいナイスミドルに近づくってもんだ。
「え、えーっとですね。まずは俺の話を――」
「マサキはいつパーティを組んだのっ?」
「ハッ!? まさかさっきマサキさまが『恋』とおっしゃっていたのは……」
中島……俺ダメだったよ。
俺は俺が理想とするナイスミドルになれそうにない。
思わず心が折れかける。
「もうよろしいかしらぁ。わたくしはマサキさんの『仲間』として、『今後』のことを話合わなくてはなりませんのぉ。さ、マサキさん、あちらのテーブルに移動しましょう」
ドロシーさんが俺の右手を掴み、テーブルを移動しようとして――
「ちょっと待ちなさいよ」
ロザミィさんに反対側の手を掴まれた。
「……なんで部外者の貴女がわたくしの『仲間』であるマサキさんの手を掴んでいるのかしらぁ?」
「……あなたがマサキとパーティを組んだことはわかったわ。でもね、」
ロザミィさんはそう言うと、すっと目を細める。
「あなたがマサキの仲間にふさわしいか、見極めさせてもらうわよ」
強い口調のロザミィさん。
その隣では、キエルさんがこくこくと頷いていた。
「見極めるですってぇ? 部外者の貴女がぁ?」
「ぶ、部外者じゃないわよ! あたしはマサキと一緒に何度もクエストをした『仲間』なのよ!」
「わ、わたしもマサキさまと一緒にクエストをしたことがあります! わたしもマサキさまの『仲間』です!」
ドロシーさんが俺をチラ見して、いまの話は本当かとばかりに小首を傾げる。
「え、ええ。こちらにいるロザミィさんはぺーぺーだった俺に『冒険者』の在り方を教えてくれた先輩で、ロザミィさんが所属している『ハウンドドッグ』のみなさんとご一緒させてもらったりしてます」
そうロザミィさんのことを紹介してから、次はキエルさん。
「そしてお隣のキエルさんは、俺が精霊魔法を教わっている先生でもあります」
「……ふぅん、そうでしたのぉ」
どこかつまらなそうなドロシーさん。
代わりに、ロザミィさんのテンションが上がっていく。
「そうよ! あたしはマサキの先輩なの。だからあなたがマサキの仲間だと主張するのなら、本当にマサキの仲間としてふさわしいか試させてもらうわ!」
謎の超理論がここにあった。
「……それでぇ、どうやってわたくしを試すのかしらぁ?」
「簡単よ。ここにいる4人で……」
「……4人でぇ?」
聞き返してくるドロシーさんに、ロザミィさんは不敵な笑みを浮かべてこう言ってきた。
「クエストを受けましょ」
普通のおっさん6巻が昨日発売されましたー。
書店などで見かけたときはお手にとってペラペラとページをめくって挿絵を眺めたり、ついでにレジに持っていったりしてくれると嬉しいです。




