第19話 ドロシーの理由
「あの紅い薔薇をご覧になって。あの薔薇はわたくしが苗から育てましたのよぉ」
「おおー。どーりでひときわ美しく咲いているわけですね。赤いドレスに身を包んだドロシーさんみたいですよ」
「そんな……マサキさんたらぁ……」
背後からメイドさん(×3)と婆やさんの視線をビンビンに感じたまま、お茶会はすすむ。
ドロシーさんは薔薇がお好きみたいで、一度薔薇の話をはじめたら止まらなかった。
薔薇大好き勢。
これが噂に聞く薔薇族ってやつか。
「この屋敷にきたのは半年前なのですが、当時は花どころか何もない殺風景な場所でしたのよぉ」
「へええ。その殺風景な場所をここまで薔薇で埋め尽くすのは大変だったでしょうね」
「ええ、とても」
しみじみといった感じで頷くドロシーさん。
きっと薔薇を育てるあれやこれやを思い返しているんだろう。
ベランダ栽培で薬草を育ててる俺には、その気持ちが痛いほどわかるぜ。
「ドロシーさんはがんばり屋さんですね。俺、ドロシーさんのそーゆーとこ尊敬しちゃいます」
「マサキさんにそう言っていただけるなんて…………う、嬉しいですわぁ」
がんばりを褒めらえて恥ずかしかったのか、ドロシーさんがごにょごにょと小声で言う。
「あ、そーいえば、」
「?」
会話がひと段落したところで、俺は前から疑問に思っていたことをドロシーさんに訊いてみることにした。
「ドロシーさんはなんで冒険者になろうと思ったんですか?」
そんな俺のストレートな質問に息をのんだのは、なぜか背後に立つ婆やさんだった。
「お客様、ドロシーお嬢様にそのようなこと――」
「いいのよ婆や」
「しかし……」
「マサキさんはわたくしの大切な『仲間』ですの。仲間であるマサキさんには、わたくしのことを少しでも多く知ってもらいたいのですわぁ」
「……失礼いたしました」
婆やさんがドロシーさんに頭をさげる。
俺ってばやっちまったのかも。
どうやら訊いちゃいけないことを訊いてしまったみたいだ。
「すみませんドロシーさん。なんか失礼なことを訊いてしまったみたいで……」
俺が謝罪すると、ドロシーさんはなんでもないとばかりに首を横に振る。
「いいんですの」
「ただの好奇心ですんで、ムリして話さなくても――」
「いいえ、聞いてください」
「でも……」
「マサキさんにはわたくしのことを知ってもらいたいんですわぁ」
「…………わかりました」
強い決意の光を宿した瞳。
そんな瞳で見つめられてしまっては、もう否とは言えない。
俺はドロシーさんの覚悟に向き合うため居住まいを正し、正面から見つめ返す。
そして、ドロシーさんは語りはじめた。
なぜ冒険者になったのかを。
「わたくしのお父様は次男ですの。それなのにお爺様から分割した領地を頂き、国王から爵位も頂戴しましたわぁ」
「なんと、次男なのに凄いですね。えーっと、これって珍しいことですよね?」
異世界の貴族事情に疎い俺は、話を合わせつつも確認を怠らない。
「ええ。世襲制の貴族である以上、本来なら爵位とすべての領地をシャリア伯父様が継ぐはずでしたのぉ。ですが、お父様は他のご兄弟の中でも群を抜いて優秀でしたから、お爺様はお父様にも領地をお与えになったんですの。もっとも、シャリア伯父様はずいぶんと反対されていたようですけれどぉ」
「なるほど。埋もれさせておくには惜しい人材だったわけですね。ドロシーさんのお話から、お父様は表舞台でこそ輝く方と感じました」
なんかムロンさんもそれっぽいこと言ってたな。
元々の領主が愛する次男坊さんのために領地を分割して、ズェーダとその周辺を譲り渡したって。
その譲り受けた次男坊さんこそが、ドロシーさんのパパさんなわけか。
「そうですわね。お父様が領地と爵位を頂き、名実ともにこの国の『貴族』となったことはとても喜ばしいことですわぁ。でも…………」
ドロシーさんの表情に悩ましい影が落ちる。
「お父様が爵位を得たことによって……わたくしは自由に恋ができなくなってしまったんですわ」
「……恋、ですか?」
「ええ。わたくしのような貴族の娘は……政治の道具でしかないんですわ」
「……え? それって――」
「マサキさん、わたくしはお父様の……そしてチャイルド家の益となる殿方の下へ嫁ぎ……いずれ世継ぎとなる子を産むことになるんですのよ」
ドロシーさんが困ったように笑う。
いつの間にか、語尾は伸びなくなっていた。
「……わたくし、小さなころから冒険譚が大好きでしたの。勇者が仲間と共に魔獣を討ち取る物語や、小国を救う英雄の物語。毎晩婆やに冒険譚を読んでもらっては、いつかわたくしもと胸をときめかせていましたの」
「…………」
「わたくしももう17になります。いつ婚約者が決まってもおかしくない歳ですわ。だからそれまでの残されたわずかな間を……たとえほんの少しの間だけでも、幼き日から夢見ていた『冒険者』となって『仲間』と一緒に外の世界を見て回りたかったんですの。だからマサキさん、」
ドロシーさんが俺を真っすぐに見つめてくる。
そして――
「わたくしを『仲間』と呼んでくれて、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げてきた。
貴族であるドロシーさんが、メイドさんや婆やさんの目の前でだ。
ドロシーさんが冒険者になった理由。
それは、残された時間を『本当の自分』として過ごすためのものだったのか。
ずっと『仲間』という言葉に強いこだわりを示していたのも、貴族ではない自分を晒せる相手、本当の意味で信頼できる相手という意味だったんだ。
ドロシーさんが冒険者エンジョイ勢と思い込んでいた自分を、全力でぶん殴ってやりたいぜ。
「頭を上げてください、ドロシーさん」
俺はドロシーさんの手を取り、顔を上げさせる。
「俺のほうこそ、そんな貴重な時間を俺なんかの『仲間』として使ってくれてありがとうございます」
「マサキさん……」
いま俺に出来ること。
それは、ドロシーさんの『仲間』であり続けることに違いない。
「俺でよければ、これからもドロシーさんの仲間でいさせてくれますか?」
瞬間、ドロシーさんの目に涙が溢れてきた。
「……わた、わたくしのほうこそ……最後までマサキさんの仲間でいてもいいんですの?」
俺は頷き、答える。
「もちろんですよ。俺たちはずっと仲間です。いつか離れ離れになっちゃうときがきても、それでもずっとずっと仲間です」
「マサキさん……うぅ……わたくし、わたくし……まだ結婚なんかしたくないです……」
「……はい」
「もっと……もっと……世界をこの目で見て回りたい……」
「……はい」
「ずっとマサキさんと冒険をして……いつかわたくしも冒険譚に出てくる勇者のように活躍したかったですわ……」
ドロシーさんの剣の腕はかなりのものだった。
いつか物語の主役になろうと、必死になって努力していたに違いない。
「……こんな気持ちになるなら……貴族になんて生まれなければよかった……」
「……はい」
美しい薔薇が咲き誇る中庭で、ドロシーさんは俺の胸に縋り、いつまでも涙を流し続けていた。
◇◆◇◆◇
「俺、そろそろ行きますね」
そう言ったのは、ドロシーさんが泣き止んでしばらくしてから。
「そ、そうですわねぇ」
ドロシーさんも人前で泣いちゃったのが、いまになって恥ずかしくなったのか、顔を逸らして目元をハンカチーフで拭う。
かくて、お茶会はこれでお開きとなった。
「使用人に命じて馬車でお送りさせますわぁ」
「そんな、ひとりで帰れるから大丈夫ですよ」
豪華な馬車で送られたらみんなビックリしちゃう。
そう思ってお断りしたんだけど――
「お客様、この近辺には衛兵が見回りをしておりますので、失礼ながら平民であるお客様が歩かれると行き違いが起きるかも知れません」
領主の屋敷があるこのあたりは、ズェーダのなかでも極めてセキュリティレベルが高い地域だ。
そんななか冒険者の俺がぷらりと歩いていたら、職質からの収監プレイになってしまう可能性がある、と婆やさんはおっしゃっているのだ。
「ですので、私共がお送りいたします」
「あ、はい。お願いします」
俺は発言を翻し、送ってもらうことにした。
ある程度送ってもらって、そこから歩いて帰ればいいだけだしね。
「マサキさん、表までお見送りしますわぁ」
涙を拭きとったドロシーさんがにこりと微笑む。
「ありがとうございます」
ドロシーさんと肩を並べて廊下を進み、やたらと広い玄関ホールに出たときのことだった。
「貴様! 兄である私の言うことが聞けぬと申すのかっ!?」
「兄上……これは父上が決めたことではないですか」
「黙れ! 現当主は私だ!」
「それを言うのなら、私も陛下より爵位を頂戴しました。兄上は父上だけではなく、陛下のご意思をも無みするとおっしゃるのですか?」
「ぐぬぬぬぬ……弟のくせに生意気なことを……」
玄関扉の前で中年男性が2名、なにやら言い争いをしているじゃありませんか。
「……お父様。それにシャリア伯父様まで」
隣のドロシーさんが呟く。
玄関ホールで声を張り上げマウスバトルしてるあのおじさまたちが、ドロシーさんのパパさんと伯父さんなわけか。
大声で怒鳴り散らしてる太っちょなおじさんと、引き締まった体のナイスミドル。
どっちがドロシーさんのパパさんかは、一目瞭然だった。
おじさま2名によるマウスバトルは続く。
「カロッゾ! 私は貴様に領主としての器があるとは思えん!」
ふとっちょおじさんがナイスミドルに指を突きつける。
やっぱりあのナイスミドルがドロシーさんのパパさんだったか。
「確かにそうかもしれません。しかし、領地と爵位を与えられた以上、身を粉にして陛下と領民のために働くつもりです」
「貴様が失態を侵せば兄である私にも被害が及び、チャイルド家の名が失墜する可能性がある。そうなる前に爵位を返上し、領地を私に譲り渡すのだ!」
「ですから、それは出来ませんと何度も言っているではありませんか」
「弟の分際でぇ…………このっ!!」
ふとっちょおじさんが、ドロシーさんのパパさんに掴みかかろうとしたタイミングで――
「あらぁ、シャリア伯父様いらしてたんですのねぇ」
カツカツとヒールを鳴らしたドロシーさんがおじさまたちの前へと進み出ていった。
「ドロシー……」
パパさんがどこか安堵したようにドロシーさんの名を呼び、
「……チッ」
ふとっちょおじさんは嫌悪感を隠そうともしないで舌打ちする。
「お父様、それにシャリア伯父様、お客様の前で大きな声を出すのは品がなくってよぉ」
「む、客だと?」
パパさんの視線が俺を捉える。
「ええ、わたくしの友人でマサキさんといいますのぉ」
「た、たた、ただいまご紹介にあずかりました、近江正樹といいます! おじゃましてます!」
ズェーダの領主であるパパさんにどんな挨拶をしたらいいのかわからなかったので、とりあえず頭を下げておいた。
「そうか。ふむ。娘が世話になっているようだな」
「いえいえ、ドロシーさんのお世話になっているのは俺――じゃなくて、僕のほうです!」
「あらぁ、そんなことありませんわぁ。お父様、わたくしマサキさんに命を救われたんですのよぉ」
「ほう……」
パパさんが感心したような顔をする。
「うおっほん!!」
そんななか、大きな咳払いがひとつ。
咳払いの主はふとっちょおじさん。
「カロッゾ、私の忠告をよくよく考えることだな。それとドロシー、」
「なんでしょう、シャリア伯父様?」
「友人はよく選んだ方がよいぞ。貴様もチャイルド家の者なのだ。貴様の恥は当主である私の恥でもあるのだからな」
んー、俺のせいでドロシーさんが嫌味を言われてしまった。
軽く後悔していると、
「あらぁ、わたくしの当主はお父様でしてよぉ?」
ドロシーさんったら、小ばかにするような口調で言い返したじゃありませんか。
これにはふとっちょおじさんもご立腹。
「ふんっ! いまはな。チャイルド家の正当な当主はこの私だ。この私なのだ! カロッゾ、それにドロシー、」
ふとっちょおじさんは、嫉妬と増悪が入り混じった相貌をパパさんとドロシーさんに向け、続ける。
「貴様たちがなにかひとつでも『失態』を侵せば、先代も国王もお気づきになるだろうさ。カロッゾ、貴様に領主としての資格はないとな。……ふんっ。帰るぞ」
言いたい放題言ったあと、ふとっちょおじさんはそう言い残し、部下を引き連れて屋敷から出て行った。
やや気まずい沈黙が場を満たす。
「マサキさん……その、お見苦しいところをお見せしてしまいましたわぁ」
「ドロシーの言う通りだ。マサキ君、客人である君に不快な思いをさせて申し訳なかった」
親子そろって謝罪の言葉を述べられ、俺はわたわたと手を振る。
「いえいえそんな。ぜんぜん気にしてませんよ!」
「ですがぁ……」
「あはは、ホントですって。俺はなんとも思ってないんで、ドロシーさんも気に病まないでください。ね?」
「……マサキさんがそうおっしゃるなら……わかりましたわぁ」
ドロシーさんが安堵したような笑みを浮かべる。
「それじゃ、俺帰りますね」
「ええ。それじゃマサキさん……ま、またギルドで」
「はい。またギルドで!」
こうして、俺はハイパー豪華な馬車に乗って家路へと着くのでした。




