第4話 不運と踊っちまった男 その3
安物のマウスピースを噛みしめる。
「がんばれよ、近江」
そう言って俺の肩を叩く中島の視線は、カッキーに固定されたままだ。
カーン。
闘いのはじまりを告げるゴングが鳴った。
俺はファイティングポーズを取り、鶴田選手と向き合う。
「ッ!?」
するとどうだ?
『おおーっと! 鶴田選手ノーガードです! ノーガードで近江選手を挑発しております!!』
実況のジャスト肉さんが言うように、鶴田選手は両腕をダラリと下げ、顎を突き出して打って来いアピールしてきたじゃありませんか。
向こうからしてみたら、おっさんサラリーマンである俺との試合なんか前座も前座。
メインイベントである竹丸先輩との試合に向けた、ザコ戦でしかないのだ。
『鶴田選手! 近江選手に打って来いとばかりにジャスチャーしています! 解説の谷山さん、これはどういうことでしょう?』
『近江選手は素人ですからねぇ。どんなパンチを打ってきても避ける自信があるんだと思いますよ。鶴田選手は2階級制覇した元世界チャンピオンですから』
『なるほど! しかしながらこれはある意味、近江選手にとって唯一のチャンスかもしれませんね!』
『はい。私もそう思います』
実況席に座るおふたりは、観客席と番組をご視聴のみなさまを盛り上げようと頑張っている。
番組的には、俺がKOされるのが既定路線なんだろな。
しかーし。控室にいる武丸先輩は、M・K・5状態。
鶴田選手の命を守護るためには、俺があえて空気を読まない行動をしなくてはならないのだ。
とか考えていたら、
『近江選手、なかなか手を出しません!』
『鶴田選手を警戒しているんだと思いますよ。彼は普通のサラリーマンだそうですからねぇ』
実況と解説のおふたりに早く攻めろと暗に言われてしまった。
鶴田選手もずっとノーガード。
俺は緊張をほぐすために一度「すー……はぁ」と深呼吸。
よし。だいぶ緊張がほぐれてきたぞ。
観客席にいる会社のみなさまの姿も、電光掲示板に表示されている試合時間もバッチリ見える。視野が広がった証拠だ。
緊張さえほぐれてしまえば、眼の前にいる鶴田選手に意識を向けるだけ。
鶴田選手が数多くボクシングの試合をこなしているのなら、こっちは異世界で命がけの戦いを積み重ねてきたんだ。
よーし。いっくぞー。
俺は左足で一歩踏み込むと同時に、ミャーちゃんとの特訓を思いだしながら左ジャブを放つ。
バゴンッッッ!!
およそジャブとは思えない音が後楽園ホールに響き渡る。
俺の左ジャブをまともに受けた鶴田選手はリングと水平に吹っ飛んでいき、ロープをばいんとたわませ――
ぱたり。
そのまま倒れてしまった。
しばしの静寂。
やがて、
「あはははははっ」
「ちょっと飛びすぎー。なにあれマジうけるー」
「鶴田って、ホント大げさにやるの好きだよなー」
後楽園ホールを苦笑交じりの笑い声が包み込んだ。
みんないまリングで起こった出来事が、鶴田選手の演出と受け止めたようだ。
「近江選手、ニュートラルコーナーへ! ワーン! ツー! スリー!!」
レフェリーがカウントをはじめる。
俺はニュートラルコーナーへ移動し、中島を見やる。
中島の視線はいまもカッキーに釘付けだった。
『鶴田選手がまるでワイヤーアクションのように殴り飛ばされてしまいました! 谷山さん、これはいったい?』
『はっはっは。鶴田選手は現役時代からファンサービスを忘れないプロ意識の高い選手でしたからねぇ。この試合を盛り上げようとしてくれているんだと思いますよ』
『なるほど! さすが元世界チャンピオン! さすが鶴田選手!! これが浪速のロッキーだっ!!』
実況席のジャスト肉さんと谷山さんも演出だと思っているみたいだな。
だが、これが演出じゃないことを、俺と鶴田選手だけが知っている。
左の拳に残る、確かな手ごたえ。
軽く打ったつもりだったけど、普段から異世界で超怖いモンスターを相手にしているからか、ちょっこす加減を間違ってしまったようだ。
「う……あ……」
リングに倒れ込んでいた鶴田選手が、もぞもぞと動く。
両膝と両腕をリングにつけ、なんとか立ち上がろうと上体を起こし、
「「「――ッ!?」」」
『『――ッ!?』』
誰もが驚きのあまり言葉を失った。
「……あ……くっ……」
なぜなら、鶴田選手がめっちゃ鼻血を流していたからだ。
しかも、生まれたてどころか瀕死の老ヤギのようにぷるぷると全身が震えていらっしゃる。
やり過ぎた。
そう反省する俺の目の前で、鶴田選手がぷるぷるフラフラしながらも立ち上がる。
もはや瀕死。もう一発パンチしただけで倒せそうだ。
「ふぁっ、ファイッ!!」
カウントを止めたレフェリーが、試合を再開させた。
「兄ちゃん攻めろ! ローブローだ! 下からパンチ打って倒したれ!! 一回倒せばレフェリーがTKO勝ちにしてくれるんや!! いいなっ? ローブローやぞ!!」
赤コーナーから声があがった。
見れば、鶴田選手のセコンドについた鶴田選手の弟さんが顔を真っ赤にし、声を張り上げている。
とても生放送とは思えない、ダーティーな指示じゃないですか。
と、そこで俺は見てしまったのだ。
鶴田選手のセコンドについた弟さんの、ずっと後ろ。
後楽園ホールの会場を抜けた、通路の向こうから金色のリーゼントがこんばんは。
「ふぁけふぁるしぇんふぁい……(マウスピースのせいでうまく喋れない)」
控室にいるはずの武丸先輩が、なぜここに……。
いいや、それよりも重要なのは武丸先輩がなぜか肩にバールのようなものを担いでいることだ。
間違いない……。武丸先輩はここで殺る気だ。
プロレスみたく乱入?
それともリングを降りた直後に襲撃?
どちらにせよ鶴田選手の生命と、武丸先輩の社会的地位が危うくなってしまう。
どうする?
どうすれば俺は鶴田選手を守護れる?
悩む間に鶴田選手が俺にパンチを連打してくるが、俺はその尽くを見もしないで躱してみせる。
なんか観客席からどよめきが聞こえるけど、いまはそれどころじゃない。
こちとら鶴田選手の命が懸かっているんだ。
悩みぬいた末に出した結論。
それは、俺が鶴田選手を倒し担架で運ばせることだった。
いかに武丸先輩でも、担架で運ばれる負傷者を襲うほど根性がネジ曲がってないはず。
むしろ、「俺の分までよくやった」と俺のことを褒めてくれるかもしれない。
おっけー。これでいこう。
武丸先輩が殺っちゃう前に、俺がやっちゃおう。
俺はマウスピースを吐き出し、右こぶしを握り締める。
そして――
「ギャラクティカO・BA・KEッ!!」
必殺パンチがさく裂した。
ギャラクティカOBAKEを喰らった鶴田選手は、リングから後楽園ホールの天井に向かって打ち上げられ…………そのまま帰らぬ人となった(リングアウト的な意味で)。
俺は担架で運ばれていく鶴田選手を見送りながら、後でヒールしてあげようと心に誓うのでした。
◇◆◇◆◇
試合終了直後は、いろいろと大変だった。
観客と実況のおふたりが黙り込む中、鶴田選手のセコンドについていた弟さんが、
「兄ちゃんがあんなおっさんに負けるわけあらへん! こんなんぜったいズルや! 卑怯な手を使うたに違いあらへん!」
と叫べば、同じくセコンドについていた鶴田選手のパパさんにも、
「そうやそうや! インチキやっ! レフェリーそいつのグローブ調べや! きっと石ころぎょうさん詰め込んどるで!」
とか言いがかりをつけられてしまう。
即座にレフェリーと番組のディレクターさんが俺のグローブをチェックしにやってきた。もちろん、ズルなんかしていない。
仮にズルがあるとすれば、それは俺自身が神さまからチート能力を得ているぐらいだ。
当然グローブに細工なんかなかった。
このグローブは番組側が用意したんだから当然だ。
意外な結末にがっかりする大多数の観客(たぶん視聴者も)と、
「近江先輩すんごーい!!」
「よくやった近江! 賞金でなにか買ってくれ!」
「いっせんまん! いっせんまんんんんっ!!」
大盛り上がりな会社のみなさまと、
「え? 近江もう試合終わったの? あ、ならさ、カッキーと一緒に写真撮ってもらおうよ!」
最後まで一度も試合を見ていなかった中島が見守る中、
『こ、近江選手に賞金の一千万円が授与されます』
滝河クリスティーヌさんから直々に『1000万円』と書かれた大きなボードを渡され、俺は無事に賞金を手にすることができたのだった。
ちなみに、リングサイドに座るプロデューサーさんは、顔を真赤にしてずっと俺のことを睨んでいましたとさ。
めでたし、めでたし。




