第3話 不運と踊っちまった男 その2
遅くなってすみません!
俺は、荒ぶる武丸先輩をなだめながら控室へと戻ってきた。
「ごぉあああああ! 殺すぜェッ!! 破壊わしてやるよ!?」
控室に戻ってきても、武丸先輩は絶賛荒ぶり中。
おかげで天光寺ウルフさんが怯えてしまっているぞ。
隅っこで気配を消し、小さくなっている。
ホント同室でごめんなさい。
「まーまー、落ち着いてくださいよ武丸先輩」
「近江ぇ……」
「それにほらっ、いっちゃん最初に闘うのは俺なんですよ? 俺がバッコーンってやっつけちゃうかもしれないじゃないですか?」
「…………」
俺の言葉を聞いて、武丸先輩が「にたぁ」と笑う。
「くくく…。オメーからそんな“言葉”が聞けるとはなぁ。嬉しーぜ? “近江”よぅ。オメーが鶴田を破壊わしてくれたらよぉ……嬉しくて“この疼き”は止まるだろーよ」
「でしょ? 武丸先輩のそのう、う、疼き? それが止まるように俺がんばりますんで、応援しててください!」
「おう。あのクソ野郎を“冥府”に送っちまえ!!」
「おっす!」
◇◆◇◆◇
武丸先輩はなんとか落ち着いてくれた。
いまは椅子にどかっと腰を下ろし、ペットボトルのお茶(スタッフさんが用意してくれていた)を飲んでいる。
俺ももうすぐ試合かと思うと、緊張から喉が渇いちゃうんだよね。
ドリンクに手を伸ばしかけたところで、
「近江さん、第一試合は19時半スタートになります。それまでにウォーミングアップお願いしますね」
ひょっこり顔を出した、ADさんがそう言ってきた。
指定された時間まで、あと1時間ほど。
「は、はい」
返事をし、慌てて準備をはじめる。
下着の上から、男の大切な部分を守るファールカップ(これもスタッフさんが用意してくれた)を装備し、ジャージに着替え、感触をつかむためmamazonで購入したボクシングシューズを履く。
これでウオーミングアップの準備は万端。
俺はまず軽く汗をかくため、縄跳びをぴょんぴょこ15分。
体が温まったところで柔軟を10分。
そして試合で使う16オンスのグローブをはめ、シャドーボクシングをはじめた。
バンテージはなし。代わりに軍手をつけている。
「む~……。グローブが大きすぎてやりにくいな。これは慣れるのに時間がかかりそうだぞ」
放送中の『事故』を防ぐため、グローブはサイズの大きいものを使用することになっていた。
はじめてグローブをハメてみたけれど、プロボクサーが試合で使うグローブの倍ぐらい大きくて、これがどーにも振りづらい。
「くそ、はやく慣れないと」
刻一刻と試合の時間が近づいてくる。
体も緊張でどんどん強張っていく。
ミャーちゃんとの特訓も、緊張のせいで記憶から飛んでしまっているみたいだ。
いかんいかん。武丸先輩の前にまず俺が落ち着いて――
「近江さん時間です! 誘導するんで僕についてきてください」
深呼吸しようとしたタイミングで、ADさんが俺を呼びにやってきた。
「あ、あの、ちょっ、もう少しだけ時間を――」
「もう放送はじまっちゃってるんで、急いでください」
しょせんは悲しき前座。
噛ませドッグの扱いなんて雑なもんだよね。
かくて、俺は大きなグローブに慣れる間もなく、鶴田選手と拳で語り合う場所――リングへと向かうのでした。
◇◆◇◆◇
頭部を守るヘッドギアをつけて、通路で入場曲がかかるのを待っていると、
「安心しろ近江。僕がお前の勇姿をしっかりと胸に刻みつけておくからな」
そう言って、俺の肩を親友の中島が叩いてきた。
鶴田選手と試合をすることを知った中島は、俺のセコンドに志願し、わざわざ上京までしてきてくれたのだ。
「近江が殺されそうになったらちゃんとタオルを投げ込んであげるから、大船に乗ったつもりで散ってきていいからな」
とびきりの笑顔で中島が言ってくる。
「いやいや、俺べつに散るつもりはないからさ。てか、勝つつもりだし」
「おお! 言うじゃないか近江」
「やっぱ戦うからには、勝つつもりでいかないとね」
「かっこいいこと言っちゃって、このー。おカネに目がくらんだからとはいえ、僕はそんな近江を心から尊敬するよ」
中島が肘で俺をぐりぐりしてくる。
「あ、そうだ。万が一にも賞金の1000万円もらえたらさ、僕になんか奢ってくれよ?」
「あはは。しょうがないなー中島は。おっし! なら祝勝会は奮発しちゃおうか。中島の行きたいお店連れてってあげるよ」
「やったー! いよっ! 太っ腹! 未来のボクシングチャンプ!!」
そんな感じでじゃれ合っていると、タキシードに蝶ネクタイをキメたおじさまが、マイクロフォン片手にリングへとあがり、
『レディース、アーンド、ジェントルメェーーーンッ!』
と声を張り上げる。
あのおじさまはリングアナウンサー。となると、俺の入場はもうすぐだ。
リングアナウンサーのおじさまは、あれやこれやと言い、会場を暖める。
そして――
『1000万への最初の挑戦者、近江正樹選手の入場です!!』
ついに俺の名が呼ばれた。
指定した曲がかかり、リングを嵐が吹き荒れるジャングルに見立てた歌が流れはじめる。
虎だ。俺は虎になるのだ。
「いこう、近江」
中島がそっと俺の背を押す。
その左目には、なぜか黒い眼帯がつけられている。
「ああ、いこう」
俺は頷き、リングに向かってゆっくりと歩きはじめる。
「近江せんぱぁーい! がんばってくださーい!!」
観客席から、会社の後輩である未来ちゃんが声援を送ってきた。
「がんばれよ近江!」
「1ラウンドで倒されるなよ。せめて2ラウンドまで粘れ!」
「近江くんファイトだ―!!」
「いっせんまん! いっせんまん獲ってきてぇぇぇぇ!!」
観客席の一部が会社の仲間たちで埋まっている。
休日なのにわざわざ応援しに来てくれたのだ。
中島が先にリングに登り、俺がくぐれるようロープを持ち上げる(ドヤ顔だった)。
生中継のカメラが俺に集中する中、バリバリに緊張した顔でリングイン。
会場中から、暖かい拍手によって迎えられた。
ひとしきり拍手を頂戴したところで、一度照明が落ち、
「続きましてぇー。フェザー級、ライト級の二階級制覇を果たした、ボクシング元世界チャンピオンッ! 鶴田浩一選手の入場です!!」
どっかーん!
音と煙と光を伴った派手な演出がなされ、洋楽が流れはじめる。
「しゃらぁぁぁっ!!」
奇声があがった。
スモークの向こう側から、鶴田選手がこんちわ。
不敵な笑みを浮かべながらリングに登り、両手を振り回して観客席を盛り上げる。
四方から色とりどりの紙テープが飛び交い、リングはちょっとしたパーティ会場みたくなった。
「両選手前へ」
レフェリーに呼ばれ、俺は鶴田選手と向き合う。
「ボコボコにしたるからな」
とのお言葉を頂戴し、すげーメンチを切られてしまう。
「あはは、お、お手柔らかに――」
愛想笑いを浮かべ、鶴田選手にそう言いかけたところで、俺は違和感に襲われた。
あれ? なんか鶴田選手のヘッドギア、俺のより守られてる面積が多くない?
そうなのだ。
俺のつけているヘッドギアが顔面フルオープンなのに対し、鶴田選手のヘッドギアはちゃんと目の下の頬までガッチリと守られているタイプだった。
スタッフさんが用意したのじゃなくて、自前で持ってきたのかな?
そう自分を納得させていると、
「クリーンなファイトを心がけるように。いいね? よし、最後にグローブを合わせて」
レフェリーがそう声をかけきた。
「あ、はい」
俺は両手のグローブを前に出し、鶴田選手のグローブとこっつんこ。
そのタイミングで、俺は決定的な事実に気づいてしまったのだった。
鶴田選手のグローブ、俺のより小さいんですけど……。
一瞬、目の錯覚かなって思ったけど、そんなことはない。
鶴田選手のグローブは、俺が付けているグローブよりも一回り以上小さかったのだ。
リングサイドにいるプロデューサーをチラ見する。
にやりと、笑ったような気がした。
そうか……。これが『テレビの演出』ってやつなんだな。
こんなん最初から1000万円渡す気ないってことじゃんね。
胸に小さなしこりを抱えながら、中島が待つ青コーナーに戻る。
「……近江、気づいたか?」
「中島……。お前も気づいちゃったか」
「もちろんだよ。気づかないほうがどうかしてる」
「だよな」
俺の言葉に頷いた中島は、そのまま顔を耳元へと近づけてきた。
「見てみろよ近江、リングサイドが芸能人だらけだぞ。僕、芸能人はじめて見たよ~」
「…………」
「あ、そこ。右側の3番目。僕の好きなカッキーだよカッキー。いまやってるドラマにでてるあのカッキーだよ!」
「うん、わかったわかった。嬉しいのはわかったけど、頼むから試合中は俺を見ててくれよな」
「生で見るとテレビなんかよりぜんぜん可愛いな~」
「…………」
ひとりで闘おう。
俺はそう決意し、ゴングが鳴るのを待つのだった。
本日、書籍版『普通のおっさん5巻』の発売日です。
まるまる書き下ろしですので、本屋さんで見かけた時はお手にとってもらえると嬉しいです。




