第38話 逃亡の果て
盟主の雄叫びを聞き、俺は反射的に部屋の入口をふり返る。
まだこの部屋までは来ていない。
でも、すぐそこまで来ている気配を感じた。
「マサキ! 早くのぼるんだよ!」
天井の裂け目から顔を覗かせたライラさんが、叫ぶ。
「わ、わかりました!」
俺はロープに手をかけ、ふり返る。
「さあキエルさん、一緒にのぼりますよ」
「え? ですが――」
「いまは順番にのぼる余裕ありません。俺に掴まっててください」
「……わかりました」
キエルさんはそう言い、俺の首に腕をまわした。
「しっかり掴まっててくださいよ」
「は、はい!」
「おにーさん急ぐにゃ」
「いまのぼります!」
そう言い、ロープをのぼりはじめようとして――
ぷつん。
目の前でロープが半ばから切れた。
後ろからくるくると回りながら飛んできた大剣により、斬られてしまったのだ。
「うそぉ!?」
「マサキ!!」
俺とライラさんの叫びが重なる。
そしてなにやら背後に気配を感じ、振り返れば――
『グルルルルルゥゥゥ……』
血のように赤い双眸を持った盟主とバッチリ目が合ってしまった。
さっきの大剣は盟主が投げたんだろう。
投擲したポーズを維持したまま、こちらを睨んでいた。
『ワォォォォオオオオオオンンッッッ!!!』
盟主が雄叫びをあげた。
その背後には、多くのコボルトたちが控えているじゃありませんか。
「圧倒的ピーンチッ!!」
「マサキ! クソっ、いまアタイが――」
「ダメだライラ! 死にに行くだけだぞ!!」
裂け目から飛び降りようとするライラさんを、ドッカーさんが引き留める。
「放しとくれよドッカー! アタイの仲間が――マサキとキエルがっ」
「いいや放すもんか。放すもんかよ」
「姉さん堪えて。お願いよ!」
「ロザミィ……まさかアンタまでマサキを見捨てるっていうのかい?」
「っ……」
裂け目越しにロザミィさんと視線がぶつかった。
俺は「大丈夫です」と呟き、頷いて見せる。
「ロザミィさんとドッカーさんは、そのままライラさんを掴んでてください! いいですか? 絶対に放しちゃダメですからね!」
「マサキ! 馬鹿を言うんじゃないよ!」
ライラさんが悲痛な叫びをあげ、ふたりの手を振り払おうと暴れる。
「俺たちのことは気にしなくて大丈夫です」
「マサキの兄さん……」
「マサキ……」
ふたりが俺を見つめる。
ライラさんは不安そうな顔で。
ドッカーさんはどこか悟ったような顔で。
「外で合流しましょう! ドッカーさん、酒場で奢ってもらうの楽しみにしてますからね!」
キメ顔をつくってそう言うと、次に俺は入口に手のひらを向ける。
「サンダーストーム!!」
雷撃を内包した竜巻が入口付近に巻き起こり、コボルトたちをビリビリさせてやった。
盟主はちょっと怯んだだけだったけど、いまはそれで十分だ。
「強行突破しますよキエルさん!」
「マサキさ――きゃあ」
俺は自分にハイブーストをかけ、キエルさんをおんぶしたままビリビリいってるコボルトの群れに突っ込む。
「どけどけどけ! どけどけどけ! ジャマだジャマだ! ひき殺されてぇのかバカヤロこのヤロめっ!」
文字通りコボルトを蹴散らし、通路に飛び出る。
右の通路にはコボルトが団体さんで待ち構えていて、左の通路は空いていた。
迷わず左に進む。
『ワオオオォォォンッ!!』
盟主コボルトがひと吠えすると、ビリビリの解けたコボルトたちが牙を剥いて追いかけはじめた。
もちろん、指揮している盟主コボルトも追ってきている。
なんか今日は逃げてばっかだぜ。
「マサキさま、どうかわたしのお願いを訊いてくれますか?」
「なんですキエルさん?」
「……わたしが囮になります。その間に逃げてください」
「そんなのは却下です」
「そんな!? でもマサキさま、このままでは……。お願いです。わたしの話を聞いて――」
「でももヘチマもありません。俺とキエルさんはふたりで逃げますし、ふたりで外に出るんです。これはもう決定事項なんです」
「へ、ヘチマ……?」
「それにソシエちゃんはどうするんですか? 俺、ソシエちゃんが泣くところなんかもう見たくありませんよ」
俺の言葉にキエルさんが黙り込む。
妹のソシエちゃんのことを思いだしているのかもしれない。
「ですがマサキさま……逃げ切れますか?」
キエルさんはおぶさったまま後ろを振り返る。
俺も背後をチラ見してみると、それはそれは大軍団なコボルトたちが追い立ててくるじゃありませんか。
「……逃げ切ってみせますよ」
静かに言い、石畳を蹴る脚に力を込める。
ハイブーストで強化済みの俺の走るスピードは、けっこー速い。
少しずつだけどコボルトたちを引き離しつつある。
「マサキさま、コボルトたちとの間に距離が空いてきました」
「このまま諦めて帰ってくれると、すげぇ嬉しいんですけどねー」
「……この遺跡がコボルトたちの住処ですので、難しいと思います……」
「ですよねー」
そう。いま俺がいるこのダンジョンは、コボルトたちの住処なんだ。
これだけの数が生息しているとなると、どこかに必ず――
「マサキさまっ!?」
キエルさんが悲鳴にに似た声をあげた。
通路を自由気ままに駆け抜け行きついた、ドーム状の広い空間。
『グルルルゥゥゥ』
『ワオオオォォォン!!』
『ワオン! ワオンッ!!』
そこには、無数のコボルトたちが待ち構えていた。
「まさか追い立てられていたのか?」
「はい。おそらくは」
「まいったね、こりゃ」
直径15メートルほどの広い空間にはコボルトがいっぱい。
この空間こそが、コボルトたちの寝床だったんだ。
そして盟主率いるコボルトたちは、意図を持ってこの場所まで俺たちを追い立てていたということか。
なんだい、コボルトも賢いじゃんね。
「マサキさま……」
キエルさんの体が、声が震えている。
『グルルルルルゥゥ……』
後ろからは、盟主コボルトが舌なめずりしながらじりじりと近づいてくる。
「……マサキさま、おろしてください。月の森のエルフとして最期まで誇り高く戦い、散っていきたいのです」
「ダメです。この数ですよ? 戦わなくたって結果は目に見えてます。それに――」
俺は一度言葉を区切り、空間全体を見回してからにニヤリと笑う。
「コボルトは俺たちを追い詰めたつもりでしょうけど、この場所まで来たかったのは、なにもコボルトだけじゃありません。俺だって『ここ』を探していたんですよ」
「どういう……意味ですか?」
「コボルトの寝床を探していたってことです」
「……?」
俺の言葉の意図が見えず、キエルさんがきょとんとする。
いまの説明でわかれってほうがムリだよね。
俺がたははと笑っていると、
『ワオオオォォォンッ!!』
盟主コボルトが大きく吠え、コボルトたちが一斉に襲いかかってきた。
「マサキさま! き、来ました!!」
「みたいですねー」
それに構わず、俺はキエルさんをおんぶしたまま――
「そんじゃ、行きますよー」
「えぇ!? い、『行く』ってどちらに――」
とりあえず錦糸町の自宅に帰ることにした。
普通のおっさん四巻の発売が決まりました。
これも読んでくださっている皆様のおかげです。
ありがとうございます。




