第27話 記憶の彼方
朝ベッドで目覚めると、なにやら隣にひとのヌクモリティを感じるじゃーありませんか。
「…………え?」
頭から毛布をかぶっていて誰かはわからない。
もぞもぞと動いたかと思えば、俺の胸にぽふんと頭が乗っかる。
「ちょっ、ちょっと待って! えっ? なにこれ? なんでこーなってんのっ!?」
昨夜の記憶はだいぶ怪しくなっている。
一度記憶を整理してみよう。
「たしか昨日は……」
ヌイグルミの輸送依頼を達成し、その打ち上げを酒場で開催。
依頼主であるアンディさんの奢りということもあり、みんな(特にライラさん)が自由にお酒を楽しんでいた。
うん、ここまではOK。
一軒目でさんざん「うぇーい」したあと、次の店に移動。
話の流れでみんなに『ジャンケン』を教えたら、
「この遊びはすぐ決着がつくのがいいね」
とライラさんが言い、
「せっかくだ、負けた奴が杯を飲み干そうじゃないか」
と続け、そして――
「さあ、もう一勝負といこうじゃないか」
地獄がはじまった。
真っ先にキエルさんが、次にロザミィさんが、俺と僅差でアンディさんがぶっ倒れるなか、飲みはじめたときと変わらず平然としているライラさん。
トイレで幾度目かのマーライオンになったあと、みんなで肩を貸し合いながら宿屋に戻ったのが俺の持てる記憶の全てだ。
そこから先は……なにも、なにも憶えていない。
「うぅ……ん」
毛布にくるまった誰かさんが呻る。
「…………」
これは……まさかアレだろうか?
あの伝説の『朝チュン』というやつだろうか?
となればこの毛布にくるまってるのはいったい誰なんだ?
俺の理性は記憶と共にどこかへ行ってしまっとでもいうのだろうか?
動揺する俺の前で毛布がもぞもぞと動く。
俺は恐るおそる毛布を掴み、意を決してぺろんとめくった。
毛布にくるまってたのは――
「なっ!? そ、そんな――」
「うぅ~……むにゃむにゃ……」
「アンディさんっ!?」
そう、毛布からこんにちはしてきたのはアンディさんだった。
窓から差し込む光がまぶしいのか、枕に顔をうずめている。
なぜアンディさんが俺のベッドに?
というかアンディさんは、ここプリーデンの街に自宅を持ってるはずなのに……。
ひとまず俺はベッドから降りる。
服を確認。ちゃんと着ている。上も下も昨夜のままだ。
一方でアンディさんはパンイチ。下着姿ですぴすぴ寝息を立てている。
「これはひょっとして……」
姉さん事件です。
愚弟は生命のバトンタッチをするために生まれてきた存在の一個として、犯してはいけない過ちを犯してしまったのかもしれません。
俺が後悔と絶望のずんどこに堕ちようとした、その時だった。
「マサキ、起きてるかい?」
ノックもせずに扉が開かれ、ライラさんが部屋に入ってきた。
「ら、ライラさんっ、こここ、これはですね、そのっ、なんと申しましょうか……」
「よかった、起きてたかい。ちょっと来ておくれ」
ライラさんはベッドで寝息を立てているアンディさんを見ても、まるで気にしていないご様子。
見て見ぬふりをしてくれているのか、はたまたそっち方面に理解があるのか、ちらりと一瞥しただけで何もつっこんでこない。
「来てって? え、この状況でですか……と、というかどちらへ?」
「アタイらの部屋だよ」
「ライラさんたちの部屋にですか? いや、行くのは構わないんですけど……男の俺がいっても大丈夫なんですかねー?」
「なに言ってんのさ、アタイらは仲間じゃないか。仲間の部屋に入るのは当たり前のことだろ?」
「あ、はい」
ライラさんは男性と女性の線引きが緩いのか、宿屋で部屋を借りるとき、俺もみんなと同じ部屋にしようとしたのだ(あとから理由を訊いたら費用を抑えるのが目的だった)。
ロザミィさんと一緒に大反対したことにより俺だけ別の部屋にしてもらえたけれど、同じ部屋だったらこの大事件を回避できていたかもしれない。悔いが残る。
「いま行きます」
「すまないね。実はロザミィとキエルが二日酔いで酷いんだ。前にロザミィが『マサキはリフレッシュが使える』って言ってたのを思い出してね。悪いけどふたりにかけてやってくれないかい?」
「あー、そんなことですか。お安い御用ですよ」
俺はライラさんと並んで廊下を歩く。
パンイチアンディさんは取りあえず放置だ。
「二日酔いでリフレッシュ使うなんて、こんなバカバカしい話もないけどね」
「えー、そうですか? 二日酔いになったときって、この世の終わりかと思うぐらい辛いじゃないですか。魔法で治せるんならちゃっちゃっと治していいと思うんですけどねー」
「ふふ、リフレッシュは上位の回復魔法なんだよ? マサキのいまの言葉を神官連中が聞いたら怒り狂うだろうね」
「……自重します」
「いいさ。それよりアンディにはリフレッシュかけたのかい? 昨日は酔いつぶれたマサキとアンディをベッドまで運ぶの大変だったからねぇ。アンディはゲロまみれになるしさ」
「へ? じゃあアンディさんがパンイ――下着姿だったのは?」
「アタイがひん剥いてやったんだよ。宿のベッドを汚すわけにはいかないだろ?」
その話を聞いた瞬間、俺は両膝を床につけ、両腕を目いっぱい伸ばして叫ぶ。
「ヨッシャーッ!!」
事件は起きていなかった。
俺は生命と言う名のバトンを誤ったところにタッチしていなかったんだ。
「ど、どうしたんだいマサキ? 急に大きな声出して――」
「ライラさん!」
「な、なんだいっ?」
「昨夜はありがとうございました! 俺……俺っ、間違っちゃいなかった! 間違ってなかったんです!!」
「あ、ああそうかい。よ、よかった……ね?」
急にハイテンションになった俺に戸惑うライラさん。
俺は「よっしゃぁ!」と何度も喜びを噛みしめながら、ライラさんたちのお部屋――通称、禁断の女子部屋へとやってきた。
「ロザミィ、キエル、マサキを連れてきた。入るよ」
女の子のお部屋っていつ以来だろう? ちょっと緊張するな。
あ、でもここは宿屋だから緊張なんてする必要は――。
そんな俺のささやかな葛藤は、ライラさんが扉を開けた瞬間どこかへと吹き飛んでいった。
「こ、これは……」
脱ぎ散らかした服。
マーライオンが現れたと思しき場所を拭き取った痕跡。
たぷたぷと水音が聞こえてくる木桶。
「おうしっと」
「酷いもんだろ? 早いとこ頼むよ」
女子部屋の実状を見て心配する俺に、ライラさんが肩をすくめる。
「わかりました」
まずは近いベッドで青い顔をしているキエルさんから。
「キエルさん、大丈夫ですか? いまリフレッシュかけますからね」
「…………」
返事はなかった。
「リフレッシュ」
俺の魔法を受けてキエルさんの体が輝く。
「う……あ……マサキ……さま?」
薄く目を開けるキエルさんの上体を抱き起し、水のはいったコップを口に近づける。
「キエルさん、水です。飲んでください」
「……んく……んく……んく」
マーライオンになりすぎると脱水症状起こしたりするからね。
木桶から水音も聞こえるし、水分補給は必須だ。
俺はキエルさんをライラさんに預け、続いてロザミィさんのベッドに向かう。
同じように上体を起こそうとして――予想外のことが起きた。
「んなっ!? ちょ――ちょっとライラさーん!」
「ん? どうしたんだいマサキ?」
「ろざ、ロザミィさんが服――服着てないです!! どうしたらいいですかっ!?」
ロザミィさんは服どころか、下着すらつけていなかったのだ。
パンイチのアンディさんよりもなお身に着けている衣類が少ない。というかない。
産まれたばかりの赤さんと同じスタイルだ。
「ああ、『苦しい苦しい』言ってたから脱がしてやったんだよ。気にしなくていいよ」
「いやっ、気にしますって! 俺もロザミィさんも気にしますって!! てか、そもそも下まで脱がす必要ないでしょっ?」
「ふふ、マサキへのお礼だよ」
ロザミィさんはぐったりしていて意識がない。
これで意識があったら、ドえらいことになってたと思う。
「しかたないね。リフレッシュだけ頼むよ。水はアタイが飲ませるからさ」
「は、はい」
このあと、リフレッシュによりロザミィさんが完全復活。意識の覚醒。
なにも身に着けてない自分の姿を見て、俺にぽいぽいと物を投げつけてくるのだった。
「ロザミィさんひどいですよ……。まさか謎の水音が響き渡る木桶まで投げつけてくるなんて……」
「ごめん! ホントごめんなさい!」
「あはははは、あんなに慌てるロザミィはアタイも初めて見たよ」
「大丈夫ですかマサキさま? 店主に頼んでもう一度お湯を用意してもらいましょうか?」
昨夜はマーライオンになって帰ってきたかと思えば、こんどは部屋がキラキラとエフェクトがかかった液体だらけ。
怒れる宿屋の店主に、俺たちは部屋を追い出されてしまった。
「んー、このあとどうしましょうか? 別の宿探します?」
リフレッシュを受けて復活したアンディさんは、俺の貸した服を着てシュタイナー商会へと戻っていった。
ヌイグルミの商談がまとまり次第、俺に報酬を支払ってくれることになっている。
つまり、アンディさんがヌイグルミを売らない限り、俺はこの街プリーデンを離れられないのだ。
「そうだね、宿は必要だ。アタイらの悪評が広まる前にさっさと次の宿を決めちまおうか」
「悪評って……ね、姉さんがいけないんだからねっ。姉さんがあたしたちにあんなに飲ませなければ……」
「ロザミィに同意します。マサキさまの前であんな醜態……わたしの汚点です」
「ふふふ、なら酒に強くなるこったね。さ、宿を探すよ」
ロザミィさんとキエルさんの不満をさらりと受け流し、歩きはじめるライラさん。
ひょっとして逃げたのかな?
「ライラさん、宿を取ったあとはどうします? 商談が纏まるまで観光でもしましょうか?」
「なに言ってるのさマサキ、アタイらは冒険者だよ?」
「は、はぁ」
「ならやることはひとつに決まってるじゃないか」
「……と言うと?」
訊き返す俺に向かって、ライラさんがにやりと笑う。
「ギルドで依頼を探すんだよ」
「……わーお」
ご心配をおかけしました。




