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姫神幻想伝奇  作者: セリ
9/53

3  姫神の里  ②

 

 老婆は犬の歯を連ねた首飾りをかけ、眼光鋭く威厳がある。


「祝福をありがとう、蓮婆れんば。僕らは生者の国にいた。彼女は、加奈。僕と黄櫨が仕える、生者の国の姫君だ」


 蓮婆に頭のてっぺんから足先までじろりと見られ、加奈はばつが悪くなった。姫君だなんて……。緑青を見ると、話を合わせてと言いたげに片目をつぶっている。


「加奈と言います。よろしくお願いします」


 頭を下げる加奈に、蓮婆は重々しくうなずく。そばで見る蓮婆の肌はつややかで、老婆というほど高齢ではなさそうだ。白い歯の首飾りが不気味で、加奈は思わず目を伏せた。


「わしは蓮婆、アシブの呪術師じゃ。で、おまえ達。生者の国からここまで、どうやって来たのじゃ。舟か? わしらも川を渡れるか? 生者の国に戻れるか?」


「泳いで来た」


 気がすすまない様子で、黄櫨が答える。


「もう一度泳いで渡れるかどうかは、分からん。皆が渡れるかどうかも分からん。渡れたとして、どうするつもりだ」


「守礼のせいで我らは神々の怒りを買い、シギは生者の国から弾き出されてしまった。願わくば守礼とタリムに鉄槌を下し、堂々と生者の国に戻りたい。アシブには、石工も大工もおる。もう一度シギの国を造ることもできよう」


「ちょっと待って。生者の国に戻るって……僕ら、生きてると思う? 僕は自分が死んだ時のことを、はっきりと覚えてるよ。辛くて悲しかったけど、今なら堂々と話せる。どんな奴にどこを切られ、どんな風に心臓をぐさりとやられたか」


「夢を見たんじゃ」

「夢……?」


 緑青は呆気にとられ、まじまじと蓮婆を見つめた。


「そう、おまえは闘い疲れ眠りに落ち、夢を見た。その間に獣が放たれ敵を喰らい、あろうことか味方のシギ族まで喰らった。多くの味方が、獣に喰い殺された」


「僕の家族は? 黄櫨の親兄弟は?」


「皆、死んだ。獣に喰い殺された。墓はないぞ。神は死者の魂と遺体を生者の国に残し、生き残った者とシギの大地をこの地に移された。生き残った者には獣が憑依しておったから、生者の国に置いておくことは出来んかったのじゃろう」


「同じ獣でありながら、人間に憑依する奴と殺す奴がいるのか」

「知恵の差さ」


 蓮婆は、黄櫨に向き直る。


「殺してしまえば食欲は満たされるが、それっきり。憑依すれば様々な欲望が満たされ、他の人間を喰うこともできる。焔氏に憑依した獣はシギを蹂躙し、やりたい放題で楽しんでおる」


「守礼は何をしたんですか? 彼のせいで獣が放たれたと聞きましたけど……」


 恐る恐る加奈が尋ねると、蓮婆は低く唸った。


「あ奴めは、獣杯に封じられておった獣どもを解き放った。タリム族を滅ぼす為にやったと、本人の口から聞いた。しかし獣は、タリムとシギの区別などつけはせん。見境なく人間を殺すことは、神に仕える身ならば知っておったはず。守礼が獣杯の封印を解いたのは、断じてシギの為などではない。おのれの為じゃ。獣杯に封印された獣どもと通じ、地位と引き換えにシギを売ったのじゃ」


「だが守礼は骨のしもべなのだろう? 牢の番人が言っていた。焔氏は逆らう者を片っ端から火刑にしたが、守礼がまっ先にやられたと。地位を得ても骨に封じられたのでは、割が合わないのではないか?」


「シギ族に復讐する為なら、焔氏のしもべになることぐらい何ともなかったのじゃろう。あ奴は卑しい出自じゃから」


「守礼が捨て子だったことを言っているのか。捨て子を拾い育てた姫神は立派だと、俺の家族は言っていたが」


 瞠目する黄櫨から目を逸らし、蓮婆は嘆息を漏らす。


「赤子の守礼には、悪しき霊気があった。わしは守礼を神殿で育てることに反対したのに、李姫りき――鈴姫りんきの母親は聞き入れなかった。今さら言ってもせん無いが、李姫は守礼を手元に置くべきではなかった。あ奴を獣杯から遠ざけておくべきじゃった」


「守礼の復讐の理由って、それ? 捨て子だったから差別されて、シギ族を恨んでたって言うの?」


 緑青は、緑の目を見開いた。


「神殿の中での暮らしは、おまえ達には分かるまい。神官の息子たちが神殿で寝起きしながら学び、口やかましく怒りっぽい李姫に多くの神官が辟易しておった。出自は卑しいが頭脳明晰で優秀な守礼に、有力神官の出来の悪い息子たちがどんな気持ちを抱いたか。自分たちには厳しい李姫が、守礼にだけは甘い。それを神官たちがどう思ったか。姫神に逆らえないならば、矛先は守礼に向く。あ奴は口数の少ない奴じゃったから口にはせなんだが、神殿での暮らしは鬱々として心を病ませるものであったろう。復讐を誓ってもおかしくはない」


 復讐――――。


 加奈は、次々と現れる衝撃の数々に翻弄されていた。守礼は冷淡で何を考えているのか分からない人だけど、あの優美で神秘的な風情から痛ましい過去は伺えない。復讐のために獣を解き放つ――――。焔氏に忠実そうには見えるけれど、復讐を望む人には見えなかった。


「ところで僕ら、焔氏に追われてるんだけど」


 さりげなく切り出した緑青を、蓮婆が横目で睨む。


「そうじゃろうと思った。お前たちを匿うことはできん。そんな事をすれば、アシブの誰かが火刑になる。これ以上犠牲者を出さん為にも、お前たちには出て行ってもらわねばならん」


「これ以上って……誰か火刑になったの?」


 蓮婆の視線が緑青から背後に流れ、加奈ははっと息を呑んだ。老婆の背後に立つ睡蓮が身じろぎし、髪に隠されていない片方の目を緑青に向ける。


「シギの若い娘は全員、火刑になったわ。骨のしもべになるために。元の姿に戻った娘は王宮で焔氏に仕え、戻らなかった娘は龍宮に幽閉された。どちらでもない中途半端な私は、アシブに帰されたわ」


「間者としてな。おまえ達から聞いた話を、睡蓮は焔氏に報告せねばならん。おまえ達がアシブに逃げ込んだことは、鷲の目を通して焔氏は知っておるはずじゃ。おまえ達は隙を見て逃亡したということにするゆえ、神殿の地下通路から逃げろ」


 足もとを見下ろしていた黄櫨が、目を上げた。


「どこに逃げろと言うんだ。シギの周囲はどうなっている」


「シギは大河に囲まれた中州じゃ。焔氏の手から逃れるには、大河を越え国外に出るしかない。泳いで来たのならば、おまえ達だけでも泳いで他国へ行け」


「守礼の舟以外に、舟はないんですか?」


 消えていく希望にしがみつく思いで、加奈は尋ねた。


「ない。おまえ達が舟に乗って来たのではないかと、期待したんじゃが」

「守礼の舟に乗れば、河を渡れますか?」

「あの舟は、守礼以外の誰にも操れんよ」


 蓮婆は目を閉じ、首を振る。絶望感が咽喉を塞ぎ、加奈の呼吸を妨げた。


「どうして……?」


「それが、あやつの身につけた呪術だからだ。神殿に仕える神官は、様々な呪術を学ぶ。守礼が選んだのは『冥界下り』の術で、その初歩の一つとして『川渡り』がある。意識をおのれの奥深くに下降させ、川に至り舟に乗る。舟を操り冥界土へ渡り、永遠の命を得るまでのすべての過程が『記憶の鏡』に収められておる。守礼は『記憶の鏡』を使い、川渡りまでは身につけた。その術を学んだ者は、今のシギにはあやつ以外におらん」


「蛇眼は、焔氏に抵抗する者が蓮婆と手を結んでると言ったんだけど。焔氏をやっつけて、シギを取り戻すことは出来ないのかな」


 緑青が、真剣な眼差しを蓮婆に向ける。


「蛇眼に会ったのか。奴の言うことなど信じるな。わしであれシギ族の誰かであれ、タリムなんぞと手は組まん。ひとつ頼みがある。もしも逃げ出せなかった時は、龍宮へ行ってもらいたい。龍宮に隠されている獣杯を探してほしい」


「獣杯が、なぜ龍宮にあるんだ」        

「灰悠が死ぬ直前、龍宮に隠したと言い残した」


 床につけていた杖を持ち上げ、蓮婆はゆっくりと祭壇の前を歩く。


「これはわしの想像じゃが、灰悠は獣の流出を止めようとしたのではなかろうか。実際、獣杯から水のように溢れ出していた獣が、ある時を境にぴたりと止まった。灰悠は何らかの手段を使って獣の流出を止め、獣どもの手に渡らぬよう獣杯を龍宮に隠したのではあるまいか」


「その時、鈴姫はどこにいたの? 獣杯を守るのは姫神の役目だろ?」


 緑青が尋ねた。


「鈴姫は獣に喰い殺された。見た者がおる」

「その獣杯を、何に使うのですか?」


 足を止めた蓮婆が、じっと加奈を見つめる。


「なぜこの国に来たかは聞くまい。大方、守礼にたぶらかされたのであろう。一から説明する時間はないゆえ、結論だけ言う。獣杯から出た獣を、獣杯に戻すためじゃ」


「そんなことが出来るの? 出来るなら、なぜ他の神官たちはやらなかったの」


 驚く緑青に、蓮婆はにやりと笑ってみせた。


「わし以外には出来んことさ。獣杯を探し、持ち帰ってくれ。獣杯さえあれば、獣どもに勝てる」

 

 緑青と黄櫨は、困惑の表情で顔を見合わせた。


              



 蓮婆から借りた青銅の剣を腰に吊るし、背負い袋を背負い、黄櫨と緑青は部屋を出ようとしている。加奈は、長さ30cmほどの短剣の鞘に革ひもを結び腰に巻き、何気なく目を上げた。祭壇に置かれた神鏡がおぼろに光り、黒っぽい人間の頭部が見える。


 誰かが、鏡の中からこちらを見ている。ひっと叫び声をあげそうになり、その顔に見覚えがある気がして、彼女は目を凝らした。


「……パパ?」


 懐かしい父親の顔が、心配そうに見ている。耳を押さえ、何かを伝えようとしている。加奈は息を呑み、祭壇に駆け寄った。


「パパ!!」

「何をするんじゃ」


 蓮婆が止めるのも聞かず、彼女は古びた青銅製の鏡を手に取った。掌にすっぽり収まった丸い鏡。磨かれた表面をのぞき込むと、彼女自身の顔が映る。


「見えない。確かにパパだったのに……」

「それは、『記憶の鏡』じゃ」


 蓮婆は眉をひそめ、加奈は手中の鏡を見下ろした。


「これが……?」


「過去の神官たちの記憶が秘められておる。優れた神官のみが記憶に触れ、その偉大な知識を身につけることができる。時に、鏡近くにおる者の記憶を映し出すこともある」


 わたしが見たのは、わたし自身の記憶だったのだろうか。諦めきれない思いで見入る鏡に別の手が伸び、神鏡は睡蓮の手から祭壇へと戻っていく。


「記憶を映すだけなんですか? たとえば亡くなった人が現れるとか、そういう事はありませんか?」


「鏡にあるのは記憶のみ。触れた者の記憶を映すことはあっても、死者を呼び出す力は鏡にはない。シギの優れた神官あるいは呪術師は、先人の記憶から力を引き出し行使する。かつては3枚あったのじゃがな。今は1枚しか残っておらん」


 つまり――わたしが見たものは、単なる過去の記憶ということなのか。加奈は、哀しく肩を落とした。






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