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姫神幻想伝奇  作者: セリ
8/53

3  姫神の里  ①


 

 加奈と緑青ろくしょう黄櫨こうろが山道を急いでいた頃、キシルラ王宮の一室で、焔氏えんしは不愉快な報告の数々を受けていた。


 紫の長衣をまとい黄金の長椅子の背に片腕をかけ、長い真紅の髪を片側に垂らしている。一見優雅に見えるが長い爪で椅子を叩き、目は鋭くテーブルの隅を睨んでいる。


(キクリが龍宮に移った――――)


 骨のしもべは何度焼かれても、黒焦げの体から元の姿に戻る。戻れないのは心の弱い者だけで、そういう者はキシルラからほど近い山間の、龍宮と呼ばれる鍾乳洞に送られ隔離される。キクリはお気に入りの少女の一人だったから、焔氏は不機嫌になった。


(失望させおって――――)


 強い者を力でねじ伏せることにこそ歓びがある。キクリは勝気な少女で、楽しませてくれるものと彼は期待していたのである。燃え盛る炎の中で、痛みと苦しみに歪んだ彼女の愛らしい顔は彼に一瞬の満足感を与えたが、それだけだった。


 苦痛に耐えながら1枚ずつ服を脱ぐように誇りと矜持を手放し、凛としていたいと歯を食いしばりながら理性と羞恥心を失っていく。そして最後には、無駄と知りながらも這いつくばり、助けてください何でもしますと泣き叫ぶ。強く誇り高い者が屈服し、奴隷へと変わっていく過程を見るのが楽しいというのに、あれほど簡単に膝を折られては楽しめない。


 焔氏の脳裏にたった一人、炎の中で燃えながら眉一つ動かさなかった男の姿が浮かんだ。守礼――――おのれの肉が燃える中、挑むような目を彼に向け、最期まで倣岸と立っていた男。守礼が炭から元の体に戻り、床に額をつけ忠誠を誓った時、焔氏は眩暈がするほどの歓喜を覚えた。


 これほどの男が、私のものになる――――。


 ぞくぞくするような愉悦が背筋を這い上がり、所有する歓びに心が震えた。その後守礼は従順なしもべとなり命令に黙々と従っているが、ごく稀に垣間見せる苦悩の表情が、焔氏の残忍な嗜好を満足させている。


 もう一度焼いてみたいものだと、彼は窓辺に立つ守礼に視線を馳せた。いつ頃がいいだろうか。


 しかし、シギの外に出られるのは彼一人。守礼はあの不可思議な舟に乗り、死者だけでなく鉱石や繊維、食材を持ち帰る。シギ国内では手に入らない物資が、調達できなくなっても困る。


「青い狼が黄櫨と緑青を逃がしたと言うのか」


 焔氏は目の前の椅子に悠然と座る叔父、東胡とうこに視線を移した。東胡は、蛇眼の年の離れた弟に当たる。蛇眼に似たがっしりとした体を椅子にもたせ、血色のいい角張った顔の中で、奥まった小さな目が不安そうに揺れている。


「川辺の牢番は、そう言っている。見たこともない青い狼が自分を襲い、牢の鎖を噛み切ったと」

「守礼は、鎖の劣化ではないかと言う。この違いは何だ」


 焔氏の怒気を含んだ声にも表情を変えず、守礼は立ったまま静かに答えた。


「青い狼につきましては、東胡様同様、早急に調査すべきだと思います。ただシギに焔氏様の知らない獣がいるとは考えづらく、他の原因を探りましたところ川辺では金属の腐食が早く、あの牢屋も錆びついていたことが判りました。そうなると牢番が虚偽の報告をしたことになりますが……」


「職務怠慢を隠すために嘘をついたか。囚人に関しては、蛇眼の管轄だったな。今では奴自身が囚人だが。蛇眼が牢屋の腐食を見逃したとしたら、理由は何だ。奴の獣は銅を食っているのか?」


 焔氏の唸るような声が、静かな部屋に響く。蛇眼は、反乱を起こそうとしたと疑われ収容されている。東胡は口元を引き締め、守礼が東胡に「いいでしょうか」と断った上で口を開いた。


「かねてより、蛇眼様から多くの銅を持ち帰るよう命じられておりました。銅は豊富にあるはずですから、鎖や格子ではなく他の物を作ろうとした可能性について、調べる必要があるかもしれません」


「他の物とは?」

「武器だ。謀反を起こすには大量の武器が必要だ。蛇眼は、武器を密造していたと思われる」


 東胡が言い、焔氏の顔から笑みが消えた。血みどろの権力闘争をする血族のさがは、焔氏自分が一番よく知っている。父親の弟2人と謀り、父親を殺してシギ王の地位についたのだから。


「証拠を探せ。見つかりしだい蛇眼は火刑に処す」


 言いながら蛇眼がひれ伏す様を思い浮かべ、焔氏はにやりとする。叔父の大きな態度は、以前から鼻についていた。獣が憑いた者は焼かない主義だが、裏切った者がどうなるか、同族へのいい見せしめになるだろう。


「……わかった。俺が探す」


 東胡は、椅子の背にゆったりともたれかかった。体格の良さと相まり貫禄があるように見えるが、指先が震えている。


「逃げた3人だが。黄櫨と緑青に憑いている獣は、獣杯じゅうはいのものではない。よって黄櫨と緑青は火刑の後、骨のしもべとする。あの娘だが」


 焔氏の紅い上唇がめくれ、妖しい笑みを形作る。


「美しい娘だ。さぞ楽しませてくれることだろう。追っ手は放ったのだろうな」

烏流うりゅうをやりました」


 冷たい顔を微塵も動かさず、守礼は答えた。




  


 

 森は深々として苔の香りに満ち、加奈は山道を登りながら鳥のさえずりと水の流れ落ちる音に耳を傾けた。木々の合間に滝が見え、滑らかな岩肌を清水がつたい、白糸を並べたように滝つぼに落ちていく。


「もうすぐアシブに着くよ」


 緑青が、懐かしそうに目を細める。


 森を抜けると、野花が咲き乱れる草原に出た。山間の里は峻厳な山々と緑野に囲まれ、木材を組み合わせた家が同心円状に広がっている。円の中心にそびえ立つ巨大な建物の威容に加奈は足を止め、目を見開いた。


「あれは家? とても大きい……」

「アシブ神殿だ」


 加奈の視線をたどり、黄櫨が誇らしげに答えた。


 末広がりという形と、白曜石を積み重ねた5階建てである点でキシルラ王宮に似ているが、アシブ神殿の正面外壁には1階と5階を直線で結ぶ長い石段が付いている。


 集落の周囲には畑が広がり、夜だというのにしゃがんで農作業をしていた老人が立ち上がった。


「何と! 黄櫨と緑青ではないか。生きておったか。おお……」


 近くにいた数人が駆けつけ、2人の若者の生還を喜んだ。


「心配したぞ。戻って来んかった兵士も多いが、よく戻って来た。無事で何よりじゃ」

「今、息子を蓮婆様のもとに走らせた。早く行くといいぞ。おまえ達が生きていると知ったら、蓮婆様もお喜びになるだろう」


 黄櫨の肩を嬉しそうに叩き緑青の髪をくしゃくしゃにする人々に、2人は喜びだけではない複雑な表情を浮かべている。加奈たちがアシブの集落に足を踏み入れると、どの家からも笑顔の人々が飛び出して来て、若者の帰還を祝福した。


 皆、くるぶしまである大きな一枚布を体に巻き、肩の部分には別の布を巻いている。頭からすっぽり布をかぶった人もいて、加奈の目には中近東やインドの古い衣裳に見える。


「今までどこにいたんだ? 川に邪魔されて戻れなかったのか?」

「こんな美人を連れ帰るとは。どっちの嫁さんだ?」


「美人はアタリだけど、嫁さんはハズレ。あのさ……隣国のジンビやギラはどうなった? 周辺国にも獣がいるの?」


 緑青が困った顔つきで尋ねた。


「隣国はない。シギだけが大地ごと吹き飛ばされたんだ」

「吹き飛ばされた……?」


「守礼のせいだ。あいつのせいで獣が放たれた。神は大地を守るため、穢れたシギだけを切り離し、大河の中州に置かれた」

「大地を置いた……守礼のせいって?」


 緑青の問いかけに人々は黙り込み、互いに顔を見合わせている。


「ここで多くを語ることは出来ん。焔氏の目と呼ばれる鷲が、そこら中で目を光らせている。まさかと思うがおまえ達、焔氏の怒りを買ってはいまいな」


「それは……」


 緑青は口ごもり、助けを求めるように横目で黄櫨を見た。黄櫨はどうしようもないと言いたげに肩をすくめ、一点に目を留め激しく瞬きする。


「……おまえ、まさか智照か? 死んだはずだろう、俺より先に」


 智照と呼ばれた若者は、突然皆の注目を浴びて頭を掻き、照れたように笑った。


「死んでなかったんだよ。あの後、息を吹き返して治療を受けて、ようやく動けるようになったところだ」

「戦乱のさなかで治療師の数も少なかったし、時間を掛けて見られなかったんだろうな。誤診や、実は生きていたって者はごろごろいるよ」


 人々は屈託のない笑顔でうなずき合い、緑青は「そういうことか、助かってよかったな」と喜び、黄櫨は奇妙な顔で智照を見ている。加奈は笑おうとしたが、背筋がぞくりとして笑えなかった。

 

 その間も一行は計画的に作られたらしい真っ直ぐな道を進み、神殿の正面まで来た。神殿は藁で作られた案山子に囲まれ、石段の下に他の人々とは雰囲気の異なる若い女性が立っている。


 大きな一枚布を体に巻きつけているのは同じだが、右肩だけを出し宝石のピンで留め、頭や首、手首を金銀や豪華な装飾品で飾っている。後ろ髪を結い上げ、垂らした前髪で顔の半分を隠しているさまは異様である。


 髪の間から茶色く引きつれた皮膚が垣間見え、加奈ははっとした。火傷――――顔の半分に火傷を負い、髪で隠している。


睡蓮すいれんなの? ……久しぶり」

「お帰りなさい」


 緑青の挨拶を睡蓮はにこりともせず硬い口調で返し、さっと加奈の全身に目を走らせた。


「蓮婆様は神殿にお住まいです。ご案内します。他の皆さまはお帰りください。ご苦労さまでした」


 素っ気ない睡蓮の背中を見ながら、ところどころ欠けた白い石段をのぼり、最上階まで来ると石畳の庭が広がっていた。植物を植えた鉢が所狭しと並べられ、金柑の木の下にひときわ大きな鉢が置かれている。水琴窟の手水鉢に似た陶器になみなみと湛えられているのは、水である。


 月光と星明りに照らされた水面から煌めく光の粒子が立ち昇り、加奈ははっと足を止めた。鉢の上で舞う小さな無数の光は、守礼と一緒に見た命の雨を思い出させる。


「加奈、どうしたの?」


 神殿入り口に立つ緑青が、振り返った。


「ううん、何でもない」


 加奈が答え、鉢に視線を戻すと光の粒子は消えていた。鉢の周囲には、金柑の葉陰があるばかりである。あの光は何だったんだろう――――。


 神殿の中は彼女が想像していたよりも明るく、明り取り窓から差し込む光が、朱砂で描かれた赤い聖樹の壁画を照らしていた。1本の樹木に2匹の蛇が螺旋を描いて巻きつき、聖樹は壁一面に枝を広げ、生い茂った葉の下で人や動物が宴を楽しんでいる。


 神殿の最奥には祭壇があり、木像と丸い神鏡が置かれ、長い玉杖を持った白髪の老婆が脇に立っていた。


「伯母さま。黄櫨と緑青が、お客人を連れて戻られました」


 睡蓮が言い、老婆の背後に回る。


「よく戻った。まずは祝福を」


 老婆は木製の玉杖を加奈たちの頭上にかざし、犬の頭をかたどった杖の頭部を大きく振った。黄櫨と緑青は木像の前で頭を垂れ、鼻先に手を置く。それがシギ流の礼拝なのだろうと、加奈は2人をちらちら見ながら真似をした。


「おまえ達、今までどこにおったのじゃ。連れておる娘は誰じゃ」


 礼拝が終わるなり、老婆の声が飛んだ。




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