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姫神幻想伝奇  作者: セリ
52/53

12 還る処  ①

 

 機械音に混じり、「加奈、加奈」と呼ぶ声がする。加奈は身じろぎし、重い瞼を開いた。光が刃のように目を貫き、視界に白いもやがかかる。何度も瞬きする加奈の目に、祖母の顔がぼやけて映った。


「ああ、気がついたか。よかった……」


 どさりと腰を落とす音がして、祖母の顔が見えなくなった。首を巡らそうとしたが、動かない。白い天井と照明が眩しく、眼球だけを動かし左右を見ると、腕に何本ものチューブがつながり、そばで機械が微かに唸っている。ここは病室で自分はベッドに横たわり、祖母が何度も押しているのはナースコールだろうとぼんやり考えた。


「お祖母ちゃん」と呼びかけたが、しゃがれ声しが出て来ない。口もとを何かが覆っているせいで、酸素マスクかなと重い腕を持ち上げ、彼女は驚愕した。痩せ細った青黒い腕――――これが、わたしの腕? 


 医師がやって来て、今朝彼女が舟石様の祠の前で倒れていたこと、隣町にあるこの総合病院に運ばれたことを話してくれた。手当てがあと少し遅かったら死んでいたかも知れない、でももう大丈夫ですよと言われ、加奈は目を丸めた。


 事情はよく呑み込めないけれど、とりあえず生きているらしい。志希村と日本とお祖母ちゃんも、ちゃんと存在する。他に尋ねなければならないことは――――。痛む頭を働かせている間に医師は病室を出て行き、祖母が口を開く。


「夕べはあんなに元気だったのに、何があった? 朝起きてみるとおまえの姿はないし、村中を探したが見つからなかった。どこに行っていたんだい?」


 加奈は、返事に困った。シギ――――そう、シギに行っていた。でもその話は後にしよう。……夕べ? 朝起きてみると? 確認するように、おそるおそる尋ねてみる。


「きのうの夜……一緒にご飯……食べた?」

「ああ、食べたとも。いつも通り布団に入って、朝になるとおまえがいなくなってて、もしや舟石様にお参りにでも行ったかと思ったが、祠にはいなかった。妙な話だよ。近所の人や寺で宿泊してる学者さんたち――――知ってるかな、化石を掘りに来てる大学の先生と学生が村の寺に泊っているんだが、みんなが手分けして探してくれて、大学の先生が祠の前で倒れてるおまえを見つけたんだ。祠なら、まっ先に探したが……どこにいたんだい?」

「……祠」


 加奈が躊躇しながら答えると、祖母は目を剥いた。


「そこまでモーロクしてしてないよ。しかし、うむむ、加奈に気づかないほどボケたのか……」


 声が先細りになっていく祖母に、加奈は心の中で御免なさいと詫びた。落ち着いたら、ちゃんと話すから。今は、順序立ててきちんと話せる自信がない。

 

「……わたし……死にかけたの?」

「それが、信じられない話さ。ひどい過労と栄養失調、低体温で瀕死の状態だと言われたよ。夕べは寒かったから低体温は理解できるとしても、栄養失調って……。制服はもう何年も着たみたいにボロボロだし」


 祖母の視線をたどり、加奈は懸命に首を動かした。制服がハンガーに掛けられ、窓辺に吊るされている。ところどころ生地が破れ、泥まみれである。わたし、こんなのを着ていたの……? 


 唖然とし、「あっ、胸……ポケット」と呻いた。祖母がポケットから翡翠を取り出し、「ガラス玉かい?」と聞く。彼女はうなずき、心の中で再び詫びた。


 日を追うごとに体力は回復したけれど、シギでの出来事を祖母に話す機会は訪れなかった。いきなり話したら、頭がおかしくなったと思われるだろう。彼女自身、頭の整理がついていなかったせいもある。シギには長い間いたと思うのに、こちらの世界ではたった一晩が過ぎただけだった。


 菜の花の季節が終わり病院の庭で桜が咲き始め、病室の窓辺に座って風に散る薄桃色の花びらを眺めながら、加奈は遠いシギに思いを馳せた。


 過労と栄養失調――――シギにいたせいじゃないと思いたい。きっと命の光を使い過ぎたからだ。腕を見下ろすと少しふっくらとして、生きていると実感する。命の光は見えないけれど、わたしの中に在る。わたしを助け、支え、生かしてくれている。小さな命の光のためにも決して無茶や無理はするまい、体を大切にしようと思う。


 約1ヶ月の入院の後、加奈は退院し、懐かしい祖母の家に戻った。食卓に座った彼女の前に、祖母が小さな紙包みを置く。


「おまえの両親の遺品を整理していたら、出て来てね。加奈宛てのカードが付いてるから、プレゼントだと思うんだよ」

「開けてみるね」


 両親からのプレゼント――――。加奈は、ドキドキしながらピンクのリボンをほどいた。子犬柄の包装紙をはずし、箱の蓋を開ける。中に収まっていたのは、水色の携帯電話である。


「ケータイ……」


 はっと息を呑み、彼女は母親と喧嘩したことを思い出した。高校生にもなってケータイを持っていないのは自分くらいのものだ、友達はみんな持ってる、どうしてウチは買ってくれないの? まくし立てる加奈に、母は毅然として言い放った。高校生にケータイは必要ない、大学生になったらアルバイトして買いなさい、我が家はそういう教育方針なの!


 喧嘩の後、しばらく母と口をきかなかった事が悔やまれる。メッセージ・カードを開いてみると、「貴女を大人と信じています。上手に使ってね」と母の字で書かれ、父の字で「無駄遣いしたら没収」と記されていた。


 カードを持つ加奈の手が震え、涙がぽたりと落ちる。事故の日の朝、両親が言い残した「いい話」とはこの事だったのだ。『記憶の鏡』の中で父が、大河で母が耳に触れていたのは、プレゼントを受け取ってねと言いたかったに違いない。


 幻ではなかったんだと、加奈はぽろぽろ泣いた。両親はわたしを心配し、会いに来てくれたんだ。鏡の中の父は心配そうな顔だったし、母は大河で迷っていたわたしを守礼のもとへ連れて行ってくれた。ありがとう――――。心の中で何度もつぶやいた。ありがとう――――。


「……遺品の整理、お祖母ちゃんに任せてしまってごめん」


 涙をぬぐいながら言うと、祖母はにっこりした。両親の物は、引っ越しのダンボール箱に詰め込まれたままになっている。


「いいんだよ。悲しくて見る気になれないのはお互い様だ。でも、そろそろ心の整理をつけなきゃと思ってね。まだ全部の箱は開けてないから、手伝っておくれ」


 加奈は、笑顔でうなずいた。





 桜の季節が終わり、志希村はシロツメグサに覆われた。次の休みの日に四つ葉のクローバーを探してみようかなと考えながら、加奈は隣町に向かうバスに乗った。1ヶ月ぶりの登校で、医師の指示で午前中の授業だけ受けて帰ることになっている。


 バスから見える景色に、彼女は見覚えがあると思った。通学路なのだから見覚えがあるのは当然だが、それ以上に強い既視感がある。峠を通り過ぎた時、一瞬だけ見えた光景が彼女の記憶を刺激した。この景色――――。


 次の停留所で慌ててバスを降り、舗装された道路を峠に向かって戻った。急カーブから見える眼下の風景――――キシルラ。あの白曜石の都とは似ても似つかないビルや広告看板が溢れているけれど、街を見下ろす角度や盆地の広がり方、山の形がキシルラにそっくりだ。


 高校のカバンを肩に掛け、制服を着たまま、彼女は街に向かう道とは逆方向を歩いた。キシルラから峠を通り、守礼の舟が泊っていた岸辺に至る道を思い浮かべながら、山道を下る。そろそろ砂浜が見える頃だと思った時、木々の合間から川が見えた。


 砂浜はどこにもないけれど、切り立った崖の下を悠々と川が流れている。石段を見つけて川岸まで下り、水に指先を浸けてみた。命の光は現れず、ひやりと冷たい水が心地いい。


 再びバスに乗って学校に着くと、とっくに授業は始まっていた。午前中の授業が終わり、家に帰るつもりでバス停に立つ。何気なく眺めていた行き先案内に「鍾乳洞」の文字を見つけ、はっとした。入院していた病院と高校のある町がキシルラだとしたら、鍾乳洞はもしかしたら――――。


 まさかと思いながら、加奈は鍾乳洞を通るバスに乗り込んだ。国道の両脇には飲食店やビルが立ち並び、キシルラの面影は皆無である。山道を登り始めると途中に崖があり、カラスの絨毯から落ちた場所に似ているなと思う。


 鍾乳洞は、険しく細い山道を登った先にあった。彼女の目に山奥の道はどれも同じに見えるけれど、道幅と生い茂る樹木の雰囲気、垂れ込める樹陰が龍宮に至る道を彷彿とさせる。


 息を切らせて頂上まで登ると、鍾乳洞の入り口が目の前に現れた。縄が張られ、「立ち入り禁止」の札が下がっている。加奈は周囲を見回し、深呼吸した。


 地形が龍宮と同じだ。背の高い木々に囲まれ、地面に草がまばらに生えている所も似ている。岩が崩れ落ちた跡があり、龍宮よりも入り口が大きいが、その先の小さな岩の連なり方は龍宮のものだ。もっと先には開けた場所や緑青と2人で隠れた岩場があり、ヒカリゴケが生えていてと思い出しながら、上を見上げた。あの辺りに焔氏の鷲が1羽とまっていたなと入り口の上を見つめ、加奈は涙ぐんだ。


(龍宮だ――――)


 確証はない。だが確信に近い直感が彼女を支配する。何とか中に入れないかと張られた縄を揺すっていると、鍾乳洞から作業服姿の男が2人出て来た。


「すみません。中には入れませんよ。……あれ? もしかして先生が助けた女の子?」


 両手に荷物を下げた若い男性が言い、懐中電灯を手にした40代ぐらいの男性が加奈をじっと見る。


「そういえば似ているな。藤崎加奈さん?」

「あ、はい。そうです」

「ああ、やっぱり。元気になったんですね。よかった」


 年配の男性が温厚そうに笑い、加奈は目を見張った。寺に泊っている大学の先生が自分を見つけてくれて、家に戻ったら祖母と一緒に寺までお礼に行くことになっている。この人がその先生――? 加奈は、慌てて頭を下げた。


「あの、その節はお世話になって……お礼が遅くなってすみません。ありがとうございました」

「いいんですよ。大したことじゃない。ここにはどうして? 鍾乳洞の見学?」

「はい」

「そうか。見せて差し上げたいが……」


 年配の男性は鍾乳洞の入り口を振り返り、加奈に視線を戻す。


「中で落盤があってね。補修工事が始まったんだよ」

「そうなんですか……」


 がっかりした加奈に、男性は車で志希村まで戻るから一緒にどうかと声をかけた。


 彼は東京にある大学の講師で、考古学を専門にしていると言う。若い男性は彼の助手で、駐車場にいたもう一人の若い男性は、考古学ゼミに所属する大学生ですと照れながら自己紹介してくれた。


 トラックの荷台に先生と助手に挟まれて座り、加奈は爽やかな風に吹かれて村に向かった。化石を掘りに来られたんですかと加奈が尋ねると、先生は楽しそうに笑う。


「化石かあ。化石も出ればありがたいけどね。本当に欲しいのは、土器かな。志希村の鍾乳洞から土器が出たと聞いて東京から飛んで来たが、残念なことに消えてしまったんだよ」

「消えた……?」


 先生は荷物の中からスケッチブックを取り出し、加奈に広げて見せた。A4サイズ大の白い画用紙一面に、土器の精緻な鉛筆画が描かれている。一目見るなり、加奈の表情がこわばった。


(獣杯……!!)


 全部で4枚の鉛筆描画があり、どれも獣杯にそっくりで、翡翠を取り出した後の小さな穴まで詳細に描き込まれている。これが獣杯だとしたら、どうして鍾乳洞にあったの……? 


「素晴らしい土器ですね。ちょっと質素な感じですけど」

「シュメールでは、粗製土器が主流だったからね。他の文明のような華やかな土器は、少なかったんだよ」

「シュメール?」


 不思議そうな加奈に、若い助手が説明役を買って出た。


「かつてメソポタミアで繁栄した文明のことですよ。紀元前2千年頃、バビロニアがシュメールを滅ぼした時、主だったシュメール人と王族は二手に分かれて東進したというのが先生の持論なんだ。船で海を渡り東を目ざした一派は、日本にたどり着いて国を築き、陸路を東に進んだ一派は、中国大陸を経て日本にやって来た。日本が、シュメール文明の最終地だったというわけ。太古の昔、人は現代の僕らには想像もできないほど大胆に交流し、人の移動に従って文明もドラマティックに伝播した。そして日本は、世界の文明の礎であるシュメール文明を受け継いでいる。どう、壮大でロマンティックな話でしょう?」

「え、ええ」


 加奈の脳裏で、同じ「白く輝く東の地」の伝説を持つタリム族とシギ族が浮かぶ。


「この土器がそのシュメールの物だと、どうして判るんですか?」

「楔形文字が刻まれていたんだ。ほら、この部分」


 先生はスケッチブックをめくり、杯の底を描いた描画を指し示す。


「冥界の獣が汝の敵を滅ぼすであろう、とシュメール語で書かれてる」

「獣……」

「これが世に出ていれば、歴史の教科書は変わっただろうに。うまくいかないものだよ」


「消えたというのは……盗難か何かですか?」

「それがねえ。真夏のホラーなんだよ」

「ホラー?! 先生が居眠りしている間に、大事な出土品を女に盗まれただけじゃないですか」


 助手が鋭く指摘し、加奈は目を見開いた。


「犯人は女なんですか」

「先生が言うには、目の前に女の手が現れて土器を持って行ってしまったそうです。大事な土器が盗まれるのを、先生は寝ぼけ眼で見ていたんですよ。手じゃなくて、顔をしっかり見ていれば良かったのに」

「そうだよなあ」


 先生は困ったように髪をかきむしり、加奈は狼狽した。犯人は女。女の手――――まさか、わたしの? でも龍宮は、時を越えた遥か彼方にあるし。もしかして獣杯を隠した異界というのは、現代のこと?


「しかしまあ、土器はあるべき場所に戻ったんじゃないかという気がするよ」

「欲がないですねえ。あれがシュメールの物だと証明できれば、学会の鼻をあかす事ができるのに」


「学会かあ。もういいよ。志希村近辺に目星をつけて知り合いを作って、東京から飛んで来てスケッチをして。精一杯の事はできたと、自分で自分を褒めておくよ」

「自分を褒める……?」


 先生の言葉に、加奈ははっとした。


「常に自分を褒めて伸ばすというのが、先生の口癖なんです。自分以外の大勢の賞賛と拍手を得られれば、そっちの方がいいと思うんですけどねえ」


 もう手に負えないとばかりに首を振る助手を見て、先生は苦笑した。陽に焼けた顔。目尻のしわが好人物そうで、加奈に向けた目が生き生きとしている。


 先生はタルモイさんに似ていると、加奈は思った。顔立ちは違うけれど、温かみのある雰囲気が似ている。助手の若い男性にも親しみを感じるし、トラックを運転している小太りの大学生は、龍宮にいた中年女性に顔も体型もそっくりだ。


 不思議な気持ちで先生と助手の顔を見ているうちに、トラックは志希村に入った。鍾乳洞から村に至る道は、龍宮からアシブへの距離とほぼ同じに感じられる。志希村の集落が見え始めると、胸の中でモヤモヤしたものが渦を巻き、加奈は思わず声をあげた。


「ここで降ります! すみません。寄りたい所があって。ありがとうございました。後ほど祖母と一緒に、改めてお礼に伺います」


 加奈は丁寧に礼を言い、車から降りた。なだらかな丘を越え、小川のせせらぎを左手に見ながら集落に入る道は、大昔から変わっていないのかもしれない。


 もしも志希村がアシブなら、神殿はあの辺りかなと見当をつけて見ると寺と墓地で、志希村の中心には墓地があると言った祖母の言葉を思い出す。集落入り口と墓地の位置から石舟の泉があった方角を測り、歩き出した。


 山道を登った先にあるのは、何度も通った舟石様の祠である。大昔は水が湧き出ていたんだろうかと周辺を歩き、小さなお地蔵様を見つけた。かなり古い物のようで、目鼻立ちがはっきりしない。ピンクの帽子をかぶり、お供え物が置かれている。


 お地蔵様についてはお祖母ちゃんに聞いてみようと思い、山道を墓地に向かって戻った。神殿裏から厩までの道筋をたどると、祖母の家の前に出る。


 灰悠さんが亡くなったのはこの辺りだろうと思った場所に、桔梗の間があった。釘の打たれていない引き戸を開け、中に足を踏み入れると、厚いカーテンの隙間から光が差し込んでいる。以前感じたような暗く重々しい気配は、まったく無い。


 ここにいた化け物は皆、灰悠さんが連れて行ったんだ――――。加奈は肩からカバンを下ろして正座し、両手を畳に付け頭を下げた。


「灰悠さん。お疲れ様で御座いました」


 言葉を発すると、すべてが終わった気がした。「加奈かい?」と声がして足音が聞こえ、祖母が部屋に入って来る。


「化け物がいなくなったよ」


 加奈が言うと祖母は怪訝な顔をし、


「そう言えば……何となく空気が澄んでるような」


 と鼻をひくひくさせた。






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