2 骨のしもべ ②
舞台中央に立つ青銅の柱の周囲に薪が並べられ、舞台脇の少女が膝に顔をうずめた。
「こんな儀式、やめようと言う人はいないんですか?」
声を震わせる加奈に、深い藍色の瞳が向けられる。守礼の美しい顔に何かの感情が走った気がして、加奈ははっとした。憐み――――それとも哀しみ? 見間違いだったかのように感情を消し去り、彼は淡々と言葉を綴る。
「過去にはいました。全員、骨のしもべ以下の存在になりましたが」
「以下? しもべの下があるんですか?」
「しもべは、焔氏様のお召しがなければ骨の外に出られません。焔氏様に逆らえば永遠に骨に閉じ込められたまま、闇の中で退化することになるのです」
「退化……って?」
「人は小さな存在から大いなる存在へと変わっていくものですが、その逆をたどる者がいるという意味です」
「よく分からないわ。分かるように説明してください」
守礼はじっと彼女を見て、首を振る。
「あなたは一度にすべてを知ろうとし過ぎる。今は、儀式がどういうものなのかを知るにとどめた方がいい。でないと心が持ちませんよ」
すべて知りたいと思うのは当然だろうと、加奈は守礼を睨んだ。すべて知った後、発狂するかもしれないけれど。
人々がどよめき、広場に焔氏が現れた。裾を引く真紅の長衣をまとった妖艶な姿で階段を上り、集まった数百人の人々を威丈高く見下ろす。紅蓮の髪が月光に照り映え、乾いた砂のような灰色の瞳が人々を見据えた。
「焔氏様――――」
人々が半円形の舞台の下で平伏する様を、加奈は茫然と見つめた。吟唱が始まり、革の兜をかぶった兵士が舞台脇にいた少女を立たせる。焔氏は青銅の柱の前で両手を高々と掲げ、わずかに唇を動かした。
柱の上部に鎖がつながれ、先端の輪が少女の首にかけられる。薪の上に立つ蒼顔の少女は手足を自由に動かせるけれど、逃げ出すことはおろか、しゃがむ事すらできない。
油を含んだ薪が一気に燃え上がり、炎が少女の褐色の肌を撫でた。叫び声が広場にこだまし、守礼が加奈の口を塞ぐ。絶叫が自分の咽喉からほとばしっていることに、加奈は気づいていなかった。
「声を出してはいけない。あなたが罰を受けることになる。人の姿でいたいなら、口を閉ざしなさい」
くぐもった加奈の叫びが、守礼の手の中で止まった。舞台上では、血の色をした猛炎を浴びた少女がもがいている。耳を押さえ目を閉じても少女の叫び声が脳裏に響き、煙の臭いが鼻に入って来る。守礼が、加奈の耳元で囁いた。
「彼女の名は、キクリ。シギ族の娘で骨のしもべです」
まぶたを開いた加奈の口元から手を離し、彼は続けた。
「彼女は一度焼かれている。これが二度目です。こちらを見てはいけない。前を向いて。薄目を開け、地面を見ていればいい。顔を前に向けてさえいれば、何を見ているかまでは舞台の上からは分からない」
「どうして二度もこんな目に……」
彼に言われた通り、彼女は視線だけを下に落とした。視界の上部に、舞台の袖に立ち観客を見渡す焔氏の姿が映る。炭のように黒く変わっていく少女よりも、人々の反応に関心を持っているかのようだ。
「一度目は、しもべを作るため。二度目は……遊び」
「遊び?!」
守礼に驚きの目を向け、たしなめるような彼の顔を見て、慌てて顔を前に戻す。
「シギは閉ざされた国ですから、焔氏様は退屈しておられるのです。人の魂を骨に封印できるほどの力をお持ちですが、シギの外に出ることが出来ない」
「あなたのあの舟に乗って行けばいいんじゃないですか?」
彼に合わせ、彼女は周囲に聞こえないよう声をひそめた。
「何度か試してみましたが。岸から漕ぎ出したと思ったら、いつの間にか岸辺に戻っておられるのです」
だからこんな事をするの――――? 退屈しのぎに人を苦しめる――――?
焔氏だけでなく、シギの人々すべてがこの世界につながれているように思えた。閉ざされたこの国で、何度も焼かれる。逃れることの出来ない呪われた世界で、苦痛を繰り返す。
ここは、地獄だ。炎に支配された炎熱地獄だ。わたしは地獄に来てしまったのだ。
少女の絶叫が響き渡り、めらめらと燃える体が動かなくなった。
(わたしも、あんな目に合うの?)
加奈の目から、はらはらと涙が伝い落ちる。哀れな少女は明日の自分だ。恐怖心に責め苛まれ、涙が止まらない。目の前に布が差し出され、守礼が感情の読み取れない目で彼女を見ていた。
「……ありがとう。わたしを助けてあげようという気持ちはある?」
「ありません。私は焔氏様の忠実な家来ですから」
即答だった。布に伸ばしかけた手を止め、加奈は唇を震わせた。
守礼に連れられ王宮に戻り、彼女は地下牢に連れて行かれた。階段を降り切った場所に松明が1本置かれ、その先は真っ暗闇である。牢番に小突かれながら通路を進み、左右に3つずつ合計6つある牢屋の中で、最も入り口から遠い牢に彼女は押し込まれた。
木の格子戸に鍵が掛けられ、牢番が立ち去ると石に覆われた牢屋内に闇が訪れる。石の床は冷たく不潔そうな臭いがして座る気になれず、闇の中を歩き回る勇気もなく、彼女はしゃがみ両手で顔を覆った。
浅はかな自分を呪い、守礼の神秘的な姿を思い出しては罵声を浴びせる。そんな事を繰り返しているうちに咳払いが聞こえ、彼女ははっとした。斜め向かいの牢で明かりが灯り、黒ずんだ台座に小さな松明を置く手が見える。
「あんた、生者の国の者だろ。そんな匂いがする」
しゃがれた男の声が聞こえ、彼女は格子戸に近づいた。
「……明かりがあるの? こちらの部屋にもありますか?」
「牢番に贈り物をすれば貰えるよ。質問に答えたから、貸しひとつだ」
「貸し……」
声をたどって視線を向けたが、小さな灯り以外は何も見えない。声の様子から、男は高齢だろうと思われた。
「生者の国の話を聞かせてくれ。守礼が時々死者を連れて来て、あちらの世界の話は耳にするが、生者の国の者に会うのは初めてだ」
「何が聞きたいの?」
「まずは、馬だ。タリム族にとって馬は大切だが、死に絶えてしまった。生者の国で馬は元気か?」
「元気よ。人を乗せたり競争したり、馬車を牽いたりしてる」
「馬車とは何だ」
加奈が説明すると、男は嬉しそうに笑った。
「そうか。馬はいいものだ。もう一度乗ってみたいものだ」
「貸しは払ったから、今度はわたしが尋ねてもいいですか? 焔氏はこの国から出られないのに、守礼が出られるのはなぜ? 何か秘訣があるの?」
男は暫し口を閉ざし、やがて低い声を響かせた。
「……焔氏はタリム族の族長だ。彼は獣に憑依されることで、大いなる呪力を得た」
「彼?! 焔氏は男性なの……?」
腰まで伸びた長い真紅の髪と、口紅を使っているに違いない紅い唇を思い出し、加奈は目を見開く。男は愉快そうに笑った。
「そうとも、男には見えんよな。獣に憑依されてから、焔氏は変わった。……さっきの質問だが。おそらくタリムとシギの呪力は、質が違うのだろう。焔氏と守礼の呪力の違い、と言うべきか」
「守礼は、シギ族なの?」
男が、くっくと笑う。
「貸しは無くなったな。だが答えてやろう。守礼はシギ族の孤児だったらしい。姫神に拾われ、神殿で育てられた。シギがタリムに攻め滅ぼされた時、守礼はシギを裏切り、焔氏に取り入ったのさ。いや、焔氏の中の獣に取り入ったのかな。お嬢ちゃん、気をつけな。ここは人間の国じゃないんだ。獣の国さ。あんたは焔氏に燃やされるだろうが、その前に獣どもに喰われるかもしれんぞ」
男がいるらしい牢の格子戸から、黒い靄が漂い出た。靄はライオンに似た化け物に変わり、ひたひたと石の通路を歩く。加奈が小さく叫び後ずさると、化け物は煙のように消えた。
「心配いらんよ。わしの中の獣は、わしが支配しておる。だがこの国には、獣に支配された者がおってな……」
男の言葉は、突然止まった。沈黙が降り、静寂の向こうで何かの倒れる音が響く。加奈はびくりとし、音のする方に目を向けた。
人の駆け寄る足音が聞こえ、松明の灯りに2人の若者の姿が照らされる。仏教国の僧侶のような巻き衣をまとった2人は、川岸にいた2人の若者だと気づき、加奈は目を丸めた。
「助けに来たよ、加奈。待っててね、すぐに出してあげるからね」
黒髪の若者が言い、ガチャガチャ音を立てて鍵と格闘する。どうしてわたしの名前を知っているんだろうと、彼女が訝しげに2人を見ていると、金髪の若者が口元を引きつらせて笑った。
不気味な笑顔――――というより頑張って笑顔を作っていると言った方が相応しい。その笑顔に見覚えがあり、加奈は口をぽかんと開けた。
「まさか……シーザー?」
「当たりだ」
狐のシーザーは堂々とした体躯の若者となり、筋肉の発達した腕を組んで立っている。肩まで伸びた金髪はふさふさして、黒い目が知的だ。
「僕はココアだよ。さ、加奈。出ておいで」
黒髪の小柄な若者は澄んだ緑色の目を瞬かせ、人懐こい笑顔で格子戸を開けた。