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姫神幻想伝奇  作者: セリ
48/53

11 月と星と白夜と  ②

 

 加奈は純白の椿を一輪胸に抱き、川面に突き出た岩場に一人寂しく座っていた。少女の気遣いが心を温めてくれたけれど、一人でいるのは怖ろしい。一緒に行けばよかったかな、と後悔が心をよぎる。


 いつの間にか霧が晴れ、果てしない大河の遠方まで見渡せた。月光に照らされた空間には何もなく、舟や岸や人影はおろか、岩一つ見当たらない。


(まさか、一生このまま――――?)


 不安と恐怖にじわじわ浸食される彼女の耳に、波の音が聞こえた。上流に一艘の小舟が現れ、こちらに向かって流れて来る。じっと目を凝らし、はっとした。


 帆も櫓もない小舟に乗っているのは、焔氏ただ一人である。舟の中央に座った彼は加奈には目もくれず、斜め下方を一心に見つめている。舟は岩場をかすめ、川に運ばれるように下流に向かって流れ、やがて見えなくなった。


 大河を下れば転生すると誰かが言っていたけれど――――。焔氏は人としてやり直すことにしたんだろうかと思っていると、別の舟が出現した。今度の舟には、2人乗っている。


「あっ……!」


 加奈は、並んで座る灰悠と鈴姫を見つめた。灰悠の腕が鈴姫の腰を抱き寄せ、2人ともまっすぐ前を見ている。


(何もかも忘れて出会った時、おまえに心惹かれるか、それとも守礼の面影を追い求めるか。わたしの本当の気持ちが判るはずだ……)


(君が幸せになってくれれば、俺はそれでいい……)


 小舟が岩場の横を通った時、2人の心の声が聞こえ、加奈は思わず叫んだ。


「灰悠さん! 鈴姫!」


 2人は加奈に気づくことなく川下へと消えて行き、転生する人にわたしは見えないんだと彼女はがっかりした。


 人は転生する。何度でも。鈴姫と灰悠には幸せになって欲しい。でも、キクリはどうなるの? 多くの人を死に至らせた鈴姫のそばには灰悠がいて、多くの人を助けようとしたキクリが一人傷つき涙を流すの? 何となく釈然としない。


 長い間鈴姫を想いつづけた灰悠を責めたくないけれど。鈴姫も、可哀相な人ではあるけれど。幼い頃から姫神として働き、世間を知らない彼女が真実を知った時の衝撃は計り知れない。


 シギの人々の多くが、鈴姫に関する陰口で楽しんでいたのは事実だ。鈴姫は、それが許せなかったのだろう。守礼や灰悠に裏切られたと思い込み、タリム族に攻め込まれ、誤解を解く機会がなかった。事情を知らないまま獣に喰い殺された人々はさぞ無念だっただろうけれど、誰もが少しずつ罪を犯し、誰もが被害者だ。


 心に罪と傷を持つ人々が大河の中州に集い、シギという国を造ったのだろうと加奈は思った。そして心に罪悪感と傷を持っているから、わたしはシギに引き寄せられたのだ。


(どうか神様、シギに行かせてください。友達に会わせてください)


 心から祈ると目の前に小さな鏡が現れ、加奈はぎょっとして腰を浮かせた。掌ほどの大きさで黄金色の縁を持つ鏡が、空中にぽつんと浮いている。


 鏡面に大きな一つ目が映り、小さくなって2つに増え、鼻と口とふっくらした輪郭が加わった。つぶらな瞳が驚いたように見開かれ、肩の上で黒っぽい髪が波打っている。鏡に映った7、8歳くらいの少年が、驚愕の表情で加奈を見つめた。


 鏡は現れた時と同じく唐突に消え、加奈は詰めていた息を吐き出した。何だったんだろう――――。『記憶の鏡』に似ていたけれど、映っていた少年は誰だろう。


 しばらしくして鏡は再び現れ、先ほどよりやや大人びた少年を映し出した。何かを懸命に訴える口元が目まぐるしく動くけれど、声が聞こえず何を言っているのか分らない。


「ごめんなさい。聞こえないの」


 加奈が言うと、少年は悲しい表情のまま鏡と共に消えた。その後少年と鏡は2度現れ、2度目に映し出された少年は涙ぐんでいた。どうしたんだろう。何か辛いことがあったんだろうか。加奈は、大人が子供に話しかけるように落ち着いた口調で言った。


「大丈夫。きっとうまくいくから。悪いことばかりが続くはずないよ。楽しいことが、きっとあるはずだから」


 思い切ってにっこり笑いかけると、少年は目を丸め、ゆっくりと笑顔になっていく。その微笑。ややふっくらした細面の顔立ち。切れ長の目。


「……守礼!」


 声に出した途端、守礼の面影を持つ少年は鏡と共に消え去った。風が吹き、無音の大河が彼女を包む。加奈は、胸ポケットから翡翠を取り出した。生者の国からシギへ、天上世界から大河へ、常に彼女と共に在った宝玉。不思議な石である。


 初めて会った時、守礼はわたしの強い思いに引かれて来たと言っていた。どうしてわたしの思いが分かったんだろう。もしかして――――もしかすると、この石が何かの役割を果たしているのでは。


 儚い望みを託し、加奈は石に願いを掛けた。迎えに来て、守礼……! しばしの間祈り、翡翠を胸ポケットに戻す。霧の立ち込める川面を見晴らし、微かな杉の香りを感じて周囲に視線を走らせた。


 濃い霧をかき分けるように、小舟がやって来る。中央に立つ1本の柱。仄かに光るランプ。銀の櫂を器用に操り、藍色の髪の青年が舟を進ませる。


「守礼、守礼!!」


 加奈は弾かれたように立ち上がり、岩場から一歩前に出て水音に足を止めた。靴が、半ばまで水に沈んでいる。水面を走ってここまでやって来たのに、今は水に沈んでしまう。


「加奈さん、じっとして。そこにいてください」


 守礼の声が川面に流れ、彼女は水際で待った。小舟が接岸され、守礼が青い裳をひるがえし、ひらりと飛び降りる。懐かしい姿を目にして、加奈の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「守礼……ありがとう……。一生一人なんじゃないかと思った……」


 両手で顔を覆う彼女の頭を、守礼はそっと肩に乗せ、優しく撫でた。


「一人じゃありませんよ。どこにいても、きっと私があなたを探し出しますから。遅くなって申し訳ありません。……無事でよかった」


 加奈の両肩を静かに押し、泣き顔をのぞき込む。白い椿に目を留め、彼はしみじみとした口調で言った。


「白椿の姫神は、やはりあなただったのですね」

「これは……違うんです。死者の国に行く女の子から、ユラから貰ったの」

「少し、話をしませんか?」


 加奈を座らせ、守礼は苔むした岩を持ち上げた。岩の下に穴があり、両手でそろそろと取り出したのは鏡である。

 

「記憶の鏡……?」

「ええ。ここは、私の秘密基地なのですよ」


 守礼の目が悪戯っぽく瞬く。隣に座った彼に、加奈は少女ユラとのいきさつを話した。


「そうだったのですか。しかしどんな理由で花を得たとしても、初めて『記憶の鏡』に映るあなたの姿を見た時から今まで、あなたが私の心の支えだったことに変わりはありません。不思議な衣装を着て、1輪の白椿を抱いたあなたに、子供の私は魅せられました。師が呆れるほど熱心に『記憶の鏡』と向き合い、毎日修行に明け暮れたものです。あなたに会いたい一心で」


 藍色の瞳が、加奈に降りて来る。優しく暖かく見つめられ、加奈は赤くなった。


「今の私があるのは、あなたのお蔭です。加奈さん、ありがとう」


 涙ぐんでいた少年は、もうどこにもいない。守礼には兄のような保護者のような温もりと、力強い雰囲気がある。彼の境遇を考えると辛いことが多かっただろうに、彼は克服したのだ。


「お役に立てて嬉しいです。でもわたし、ここに座っていただけで何もしていないから、ちょっと恥ずかしい。今のあなたがあるのは、あなた自身が努力したからだと思うの。わたしじゃなく、あなたが頑張って今のあなたを作り上げたのよ」


 言い切る加奈に、守礼の頬が柔らかく緩む。


「謙虚な人ですね。今でもわたしに力を及ぼすことができるのに。焔氏に仕えていた時、ここに来るのが唯一の楽しみでした。隠した鏡を使って、あなたに会えるから。これは、私の記憶です」


 彼が持ち上げた鏡に、加奈はドキリとした。紺のセーラー服。腕に抱いた1輪の白椿。大人びた微笑。まるで写真のように自分が映っている。わたしの写真を守礼が大切に持っていた――――そう思うと心臓がドキドキし、顔が熱くなった。


「ふ、不思議ですよね。あなたが子供の時、わたしはまだ生まれていないはずなのに」

「大河には、時間も理屈も存在しませんから。あるのはただ意志の力だけ。ここは会いたい人や会うべき人に、会いたい時に会える場所です」


 ユラと名乗った少女も、ずっと昔に亡くなったようだった。彼女とわたしは時を越え、会うべくして会ったのだろうか。守礼のために。


「そして、あなたにとって危険な場所です。今のところ、あなたから命の光は出ていないようですが」

「そう言えば……」


 さっき靴を水に浸けてしまった時、命の光は出て来なかった。加奈は身を乗り出し、水に指を浸した。守礼が息を呑み、やや乱暴に彼女の手首をつかむ。


「あなたという人は。少しは私の言葉を聞いてください」

「ごめんなさい。でも命の光が……。わたし……死んでしまったの?」


 水に濡れた指先から、命の光は現れない。青ざめた加奈を見つめ、守礼は首を小さく横に振る。


「ここは、さまざまな時間と法則が交差する場所です。命の光が出ないからと言って、死者とは限りません。しかしそうですね、指先をほんの少し切ってみては? 生者は血を流し、死者は血を持たない」

「切って頂けますか? あ、いけない。忘れるところだった」


 加奈は指を差し出そうとし、すぐに引っ込めた。野原で血をまき散らさない。他の男性に血をあげない。烏流との約束がある。


 ここで指を切っても約束を破ることにはならないとも思ったが、そんな気にはなれなかった。血を流す必要があるなら、その役目は烏流にしてほしい。


「烏流と約束したんです」

「ああ、あれですか」


 守礼の優美な顔に、珍しく怒りが走る。


「あんな約束をあなたにさせる資格は、彼にはありませんよ。彼だけでなく、誰にもない。あなたの血はあなたのもので、烏流に遠慮することはないんです」


 でも烏流は、わたしとの約束を守ってくれた。それどころか命を賭けて、わたし達を守ってくれた。やはり血に関する役割は、烏流に果たしてほしい。


 川面で満月が揺らめき、きらめく波から小さな丸い光が浮き上がる。光はあっという間に無数の集団となり、輝く金紗を織り上げた。柔らかくうねりながら加奈を包み込み、彼女の中に溶け入るように消えていく。


「新しい命の光が、あなたに共鳴したようですね。どうやらあなたは、生者のようですよ」

「本当ですか……?」


 驚きに目を見開く加奈を、守礼が微笑みながら眺めている。


「小さな命は、赤ん坊のようなものです。親のそばで経験を積み、段階を踏んで進化します。あなたの中にある無数の命は、あなたを親に選び、あなたのために肉体を形作っています。どうか大切にしてください。あなたの命たちを」


「命の光には意思があって、わたしを信頼してくれているということ? だのにわたし、むやみやたらに使いまくってた……」


 戦いに必要だったから、と言えば言い訳になる。命の光に意思があるとは思わず、武器として冷酷に放出してしまったのだ。


「わたしから出た命は、どうなるの? 死ぬの?」

「いいえ。命は、永遠と言っていいくらい長く生きつづけます。やがて天上のどこかにある『黒の渦』と呼ばれる場所で終焉を迎え、再生され、『白の渦』から新しい命となって出て来るそうです。すべての命は進化を目ざし、長い道のりを歩いていくのです。ですから、加奈さん……」


 守礼は彼女に向き直り、真剣な表情を浮かべる。


「あなたはシギに行きたいと願った。その強い願いが、翡翠を通して私に届きました。でもシギにいれば、あなたはいつか命の光をすべて失ってしまうでしょう。体内に命の光を持つことができるのは、生者だけです」

「わたしが死ぬということ……?」


 うなずく守礼を見上げ、加奈は青くなった。仲間と一緒にいたいのに――――。守礼たちは死者だから、一緒にはいられないの?


 でも――――でも、みんな生きてる。守礼も烏流もキクリも、みんな生者と変わらない。わたしは、守礼たちと同じ者になりたい。


「駄目ですよ」


 意を決して見上げた加奈の心を読んだように、守礼が言う。


「あなたの体内にある小さな命の光に対し、あなたは責任があります。あなたを信頼して集った命を、行き場のない境遇に落とすつもりですか?」


 そんな――――ひどい。唇を噛む加奈を見つめ、彼の口調が優しくなった。


「どうか、あなたの人生を全うしてください。いつかあなたが人生を終え、シギに戻って来る日を私たちは待っています」

「……シギの人たちと暮らせないの?」

「暮らせますよ。あなたが一生を生き抜いたら。シギは無くなりませんし、私たちは何処にも行きません」


 守礼の言っていることは正しいと、加奈は思った。小さな命は、何かを求めて地球という惑星の底に下りてきたのだろう。でも、したい事を我慢して、すべき事を優先させるなんて――――それがいい事とは、どうしても思えない。


 守礼の声が優しければ優しいほど、彼が正しければ正しいほど、加奈は追い詰められた。





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