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姫神幻想伝奇  作者: セリ
45/53

10 決戦  ④

 

 走りながら、加奈は首に掛けた革袋の口紐をゆるめ、手を突き入れた。振りまかれた水から小さな無数の光が飛び出し、彼女の全身を包み込む。


「加奈! やめろっ!!」


 緑青が追いかけようとし、兵士に羽交い絞めにされ止められた。薄い膜を破り、無我夢中で球体に飛び込んだ加奈に、獣の群れが怒涛の如く押し寄せる。


 生臭い臭いが立ち込め、黒い獣に囲まれた彼女は足を竦ませた。一呑みにしようと大きく開かれた口蓋。鋭い牙。閃光が走り、獣が一瞬のうちに塵となる。彼女を包む光が、飛びかかって来る獣を一気に消滅させた。


 背後で兵士たちの怒声が聞こえ、振り返ると破れた膜から獣が飛び出している。

 部隊が獣に襲われる――――! 一瞬迷ったけれど、外に飛び出す獣の数はさほど多くないように見え、守礼たちを助けるのが先だと思った。


「守礼! 烏流! 灰悠さんっ!」


 獣の真っ只中を突っ切り、全力で駆けた。足がガクガク震えていることも不安と恐怖で頭が爆発しそうになっていることも、周囲にはおびただしい数の獣がいることも無視し、必死に守礼たちを探した。


「痛っ!」


 見下ろすと足を包んでいた光が薄くなり、足首に獣が噛みついている。慌てて水を振って獣を払いのけ、痛みに顔をしかめながら前に進んだ。


 消滅させる獣の数が多ければ多いほど、光は早く消えてしまうらしい。走りながら絶えず水を振りまき、光が途絶えないよう気を配りつつ、とてつもない恐怖に苛まれた。


 隙あらば襲おうと、獣が飛び回っている。うっかりしていると喰いつかれる。光が突然消えてしまったら―――水が無くなってしまったら――――。


(光の雨よ、降って! お願い、助けて!)


 すがりつく思いで祈り、やがて見えて来たもの――――それは想像を絶する光景だった。


 最初に目に入ったのは、群がる獣の間から飛び出した灰色の尻尾である。光に覆われた手で獣を消し去ると、大きさから考えて熊の胴体らしい肉の塊が現れた。頭部と四肢はなく、噛み砕かれ剥き出しになった肉がわずかに痙攣している。


「き、き、きゃあああああ――っ!」


 加奈は叫び、目を逸らした。嘔吐を催し、両手で口を押える。荒く短い呼吸を繰り返しながら、牙羅がらが烏流に首を切り落とされた時のことを懸命に思い出し、時間が経てば熊の頭と手足は戻って来るだろうかと考えた。


 横目で見やると、熊の胴体が消えていく。きっとどこかに頭があり、そこで再生されるに違いないと再び駆け出した。


 目まぐるしく飛び跳ねる金茶色の三つ編みを見つけ、「烏流!」と呼びかける。烏流は片腕と片足を喰いちぎられ、体中に噛みついた獣を引きずりながら、一本足・隻腕で戦っていた。


「馬鹿! 来るな!」


 加奈に目をくれた僅かな隙を突き、獣が烏流の首に牙を埋める。ううっと呻く烏流に加奈が飛びつくや、パチパチッと火花がはぜるような音がし、彼に群がっていた獣が弾け飛んだ。


「守礼は?!」


 驚きに見開かれた琥珀の目が背後に流され、加奈は縦一直線の棒に目を留めた。棒の中央で布きれがヒラヒラと揺れ、よく見ると人の衣服である。


 蛇眼――――! 棒に見えた物は3本の縄でつなぎ止められ、半ばどろりと溶けた蛇眼の体だった。縄の1本が蛇眼の首を締め上げながら球体の天井まで伸び、残り2本がそれざれ片腕と片足首に巻きつき地面に突き刺さっている。


 蛇眼の見開かれた目から白い眼球が飛び出し、縦横に走る赤い血管が浮いて見えた。大きく開けた口から舌を突き出し、咽喉の奥でうめいている。


「きゃあああああ――――っっ!!」


 加奈は声を限りに叫び、両手で口を押え、いやいやをするように首を激しく振った。叫んでる場合じゃない。みんなを助けなければ。それにむやみに叫んだりしたら、緑青たちが心配して飛び込んで来るかもしれない。


 知らず知らずのうちに、両目から涙が伝っていた。足の震えと涙が止まらない。すぐそばで、烏流が懸命に獣と戦っている。しっかりしなければと自分を叱り、蛇眼に向かって進んだ。


 狼の下半身が倒れ伏し、無数の獣に喰いつかれている。長い尻尾をしならせ獣を追い払っているが、敵の数が多過ぎて追いつかない。上半身は蛇眼の足もとにあり、鋭い歯で蛇眼の左足首に巻きついた縄を噛み切ろうとしている。


 蛇眼の右足首に食い込んだ縄には、熊の頭が噛みついていた。首から下がうっすらとぼやけ、再生されつつある胴体に数匹の獣が群がっている。仲間の無残な姿に加奈は拳を口に押し込み、必死に悲鳴を止めた。


(縄を切るのよ!)


 自分に命令し、言うことを聞かない足を懸命に動かす。震える手を蛇眼に伸ばすと、白い眼球がくるりと半転し、赤い血管ごと彼女に向けられた。


「ひゃ、ひゃあっ、ひゃっ」


 加奈は泣きながら、蛇眼の咽喉に絡みつく縄を握った。光り輝く彼女の指先が触れるや火花が飛び散り、硬質の縄が黒い粘液となって地面に落ちる。くの字に曲がった蛇眼の体から飛びのき、狼の上半身を覆う獣を、手を振って消滅させた。


「加奈さん……危険なことを」


 つぶやく狼の姿が、青年の上半身へと変わっていく。衣服に包まれた下半身が薄ぼんやりと現れ、守礼は縄を手で引きちぎろうとした。加奈の目の前を銀色の刃が走り、切り裂かれた獣の合間に、隻腕の烏流が両足を踏みしめて立っている。


「加奈、縄が先だ! 獣は俺が殺る」

「うん」

 

 守礼が握っていた縄を黒い粘液に変え、加奈は熊の頭部に駆け寄った。胴体に喰いつく獣を追い払い、縄を溶かす。すべての戒めを解かれた蛇眼の体が大地に立ち、足先から順に地面に沈んだ。


「蛇眼が地面の下に行ってしまう。どうすればいいの?」

「彼はもはや冥界の者。『闇の穴』から在るべき場所に帰らせましょう」


 守礼が答え、加奈は足もとに目をやった。『闇の穴』――――穴はどこにも見えないけれど、蛇眼の消え行く大地がそう呼ばれる場所なのだろう。


 蛇眼の体がどろどろと溶け、風が吹き始めた。風はさらに強まり、黒い靄と獣が『闇の穴』に向かって流れていく。通常の状態に戻った『闇の穴』が、蛇眼と彼が汲み上げた獣を吸い込んでいるんだと思った瞬間、黒いものが彼女に飛びついた。


「きゃあっ」

「熊、人の姿に戻れ。その姿では重過ぎる」


 烏流が片手で彼女を抱き寄せ、片手で守礼と灰悠の手を取り、自分の足を握らせた。素早く腰をおろし、膝の上に加奈を座らせる。烏流に力一杯抱きしめられ、加奈はもがきながら彼の背中を叩いた。


「何するのよっ」

「こうしないと穴に吸い込まれる。獣なんだよ、俺たちは」

「そうよ、あなたはケダモノよっ……えっ? 吸い込まれる……?」


 加奈は首を巡らせ、ようやく状況を理解した。灰悠が烏流の足を握り、『闇の穴』に吸い込まれまいと必死に踏みとどまっている。


 守礼は風に煽られ『闇の穴』に引き寄せられそうになりながら、反対側の足をつかんでいる。黒い獣たちのような『ケモノ度』の高いものは速く、烏流や守礼や灰悠のように度数の低いものはゆっくりと吸い寄せられ、限りなくゼロに近いわたしは影響を受けないのだろう。


 わたしにつかまっていることで、守礼たちが『闇の穴』にとらわれずに済むなら、じっとしているしかない。烏流に抱きしめられていると、次第に周囲の音が聞こえなくなって来た。烏流の体が熱い。彼の胸からわたしの胸に、心臓の音が伝わってくる。ドキドキと高鳴っているのは、わたしの心臓? 


「これが命の光か。きれいだな」


 烏流が腕をゆるめ、彼女を包む光に手を触れた。小さな光は烏流の掌で跳ね、まるで遊んでいるかのようだ。


「あ、あなたは獣なのに、消えない」


 加奈がしどろもどろになって言うと、烏流はにやりと微笑した。


「おまえから見れば、獣じゃないんだろ。『闇の穴』は俺を獣と見なしているようだが」

「烏流、加奈さんを離しなさい!」


 守礼が、人の姿でありながら長く伸びた尻尾で獣を退け、珍しく怒っている。


「離したら最後、おまえも俺も冥界行きだ」

「私が、加奈さんとあなたを捕まえています」

「断る。あんたは獣を追い払うことに専念しろよ。……一度、こうしたいと思っていたんだ。おまえって柔らかいんだな。甘くて美味しそうないい匂いがする」


 烏流に見下ろされ、加奈は硬直した。きらめく琥珀の瞳と美しい顔が目の前にあり、彼に抱き寄せられ、膝の上に座らされている。ようやく理性を取り戻した加奈は、この状況にどう対応すればいいんだろうかと考えた。思いっきり叫ぶか、引っぱたくか、大人しくじっとしているか。


「可愛くて役に立つ女の子だなあ。重しにもなるし」


 重し……? 重しって何よ? ものすごく体重が重いみたいな言い方。決定。引っぱたく。後で。烏流を睨み上げると、肩から灰悠がひょっこり顔を出した。


「あなたのお蔭で助かった。……ありがとう、加奈」

「どういたしまして」


 風が弱くなり、遠くで雄叫びが聞こえた。今や少なくなった獣を切り倒しながら、兵士たちが駆けて来る。「加奈ー! 加奈ー!」と呼ぶ緑青の声が次第に近くなり、烏流は加奈を抱いたまま立ち上がった。


「楽しい時間はあっと言う間に終わる。……大丈夫か」


 加奈の視界がぐらりと揺れ、倒れそうになった彼女を烏流が支えた。


「うん。平気」


 戦っている最中は夢中で気づかなかったけれど、悪寒がひどくなっている。眩暈と吐き気もあり、気分が悪い。少しも平気ではないが、ここで弱音を吐くわけにはいかない。


「加奈さん。二度と命の光を使わないでください。水袋をお預かりします」


 加奈は、首に掛かった革袋を手で押さえた。水は、半分以下に減ってしまっている。


「大丈夫だから、心配しないで」

「おまえ一人くらい守ってやるよ。だから水は使うな」


 烏流がぶっきら棒に言い、片手で彼女を支えながら、「親玉のお出ましだ」と険しい目を都に向けた。彼の視線の先にはキシルラの城壁と、月光に輝く白曜石の建物群がある。藍色の空を区切るように建物の上部が並び、その間を縫うように黒い靄が立ちのぼった。


 靄はあっと言う間に獣へと姿を変え、加奈は息を呑んだ。巨大な龍を中央に、獣が横並びになって押し寄せて来る。球体が消え、ほっとする間もなく、またもや膨大な数の獣――――。


 今度こそ――――今度こそ、光の雨よ降れ。お願い、助けて。心から祈りながら、加奈は獣の大軍を見つめた。




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