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姫神幻想伝奇  作者: セリ
42/53

10 決戦  ①

 

 キシルラは、石を積み上げた城壁に囲まれている。あまたの敵を阻み傷だらけとなった石壁に沿って小川が流れ、瓜や豆の生る畑地が彼方の森までつづく。


「無駄なことを……」


 あぜ道に一人立ち、鈴姫は呟いた。死者に食事は必要ない。飲食は生きていた頃の習慣の名残り、死者にとって単なる嗜好でしかない。それでも目の前の風景は懐かしく、彼女は遠くまで目を馳せた。


 焔氏の中にいた時、彼の声が聞こえ何をしているのかは分かったが、景色を見ることは出来なかった。こうして外に出てみると、目と体のありがたさが良く分かる。


 郷愁を断ち切るように目を閉じ、肩と手の力を抜いた。上半身がゆらゆらと揺れ、足はしっかりと大地を踏みしめている。意識を下降させる時、地に足をつけておくことが大事だ。意識の片隅に置かれた体の感覚は命綱、戻る際の道しるべとなる。


 広大な海を思い浮かべ、彼女は意識の底へと下った。月光に照らされた仄明るい海面から、漆黒の海中を深く沈んでいく。危険ではあるけれど、物心ついた時から数えきれないほど通った道である。闇を照らすランプとも言うべき『記憶の鏡』が無いことも、彼女を呼び戻す介添え役の神官がいないことも、不安とは思わなかった。


 やがて海底に達した彼女を、星々の煌めきが包んだ。人の意識の奥底は天空に通じていると、『記憶の鏡』に納められた先人の記憶が語っている。


 宇宙を漂い、周囲の光景を目ではなく意識で見ている。この感覚は本物なのか、それとも自己暗示によって作り出された幻なのか、彼女には判らない。確かなことは、この場所までくれば望みが叶えられるということ。


「我に力を与えよ」


 声を使わずに、言霊を吐き出した。


「大地に眠るすべての悪しき思念を我に委ねよ。獣杯に代わる力を我に与えよ」


 星が瞬き、流れていく。星ではなく命の光なのだろうと、頭の片隅で考えた。この場所は光の世界に通じ、ここからならば至福の故郷に戻れるかもしれない。そんな思いに、恨みと踏みつけられた誇りが覆いかぶさる。


「死ね。みんな死ね。蓮婆たちを逃したのは失敗であった。これ以上誰も光にはせぬ。みな闇の世界で朽ち果てよ。一人残らず惨めな滅びの道を行け」


 湧き上がる怒りを呪いの言葉に乗せ、瞼を開いた彼女は大地に立っていた。畑地に濃く立ち込めたもやが地面に溶け入り、何かを引きずり出す。ずるっ。ずるっ。頭部が見え、見開かれた白い眼球が現れ、ぐっしょりと濡れそぼった蛇眼の全身が宙に浮く。


 蛇眼は苦しそうにもがき、声をあげようとし、さらに苦しんだ。黒い靄が縄となり、首に食い込んでいる。縄は両手両足にも絡みつき、先端が大地につながっている。彼が苦しみもがくたびに大地から薄黒い靄が立ち昇り、獣へと変貌する。


「いつまでも隠れていられると思うな。新しい獣を呼べ、タリムの呪術師よ。わたしのために」


 鈴姫の高笑いが、城壁の内側で響き渡る人々の絶叫に重なった。







 アシブの住人が、タリム兵に武器を提供している。焔氏の目を盗み蓮婆が隠していた武器は大半が銅剣で、槍や弓矢、銅の鎖帷子もある。兵士たちは喜んで受け取り、その様子を遠目に眺めながらキクリは迷っていた。


 休む間もなくタリム部隊はキシルラに向け出発し、加奈や守礼も同行する。龍宮の住人たちはアシブに残ることを決め、キクリが加奈たちと行動を共にするなら、祖父とは別行動を取ることになる。


 両親を早く亡くした自分を、祖父が育ててくれた。今まで一緒に生きて来て、ここで別れたら永遠に会えなくなるかもしれない。溜め息をつくキクリに、タルモイは穏やかな笑みを向けた。


「わしらに構わず信じる道を行け、キクリ。道はいずれ一つになる。脇道は無数にあれど先では一つ。それに皆を光の世界に送り届けたら、わしもキシルラに行くつもりだ」

「ほんと?」


 嬉しそうに目を輝かせるキクリとは裏腹に、龍宮の住人たちは不満そうである。


「一緒に行かないのか、タルモイ」

「行きたくとも行けんのだ。わしのここに……」


 タルモイは、胸に手を置いた。


「重いものがある。わしは飛べそうにない」

「心残りなんか無視すればいい。蓮婆を見ろ。責任も人情もかなぐり捨てて、まっ先に飛んで行ってしまった。善人ばかりが至福の世界に行くわけじゃないことが、よくわかる」

「そう簡単にはいかんよ」


 苦笑を浮かべ、タルモイはキクリをまっすぐに見る。


「キシルラで会おう、キクリ。無理をするんじゃないぞ」

「うん。約束だよ」


 加奈、守礼、烏流、黄櫨、緑青、キクリがタリム部隊に同行することになり、老亥から隊長を決めるようにと言われ、黄櫨を選んだ。


「笑うなよ。狐になるぞ」


 緑青にきつく言われ、黄櫨は慌てて満足そうな笑みを引っ込める。

 女たちが兵士に茎茶を振る舞い、睡蓮が黄櫨に茶器を手渡した。黄櫨は2本の戦斧を背負い、腰に短剣と2本の長剣を下げ、豪胆な戦士といった風情である。


「無茶しないでね、黄櫨。薬草を持ってアシブの男たちを連れて、わたしも後から行くから」

「おう」


 無愛想に答える黄櫨と笑顔の睡蓮を、緑青が目を丸めて見ていた。

 同じ頃、加奈は神殿最上階にいた。金柑の木の下にある水鉢に睡蓮から貰った革袋を浸け、水を汲む。指先から小さな光が3つ飛び出し、水面を舞った。


(命の光――――)


 自分の体内から出て来たものなのに、自分のものとは思えない神秘の光。伸びた爪や髪を切るようなものかなと最初は思ったけれど、見ていると厳かで不思議な気持ちになる。


 わたしの体はわたしの物ではなく、この小さな命たちの物かもしれない。無数の命が集まって作り上げた体に、わたしは間借りして住み、船頭の役割を果たしている。小さな命たちが、どんな体験をし何を学びどこへ進むのか、船頭のわたしの采配にかかっている。そっと手を伸ばし、光を掌に乗せた。


「おちびちゃん。いつかは人間になるのかな。そのための修行中? どうしてわたしを選んだの? 問答無用で、わたしを押しつけられた? 後悔してる?」


 大した船頭じゃないけれど……責任あるかも。そんな事をぼんやりと考えながら、水を革袋の半分まで入れ巾着状の口を締める。洩れていないか確かめ、首に掛けた。老亥と並んで神殿入り口から出て来た守礼が革袋に目を留め、彼女に歩み寄って来る。


「加奈さん……そんな事をしてはいけない。あなたの命にかかわるかも知れないんですよ」

「これはお守りなんです。わたしには短剣があるし、カラスや守礼たちがいてくれるから使うことはないと思うけど、持ってると安心するの」


 守礼は困ったように首をかしげ、加奈の耳に老亥の苦りきった声が飛び込んだ。


「守礼、加奈。あれを見ろ」


 老亥が指さすキシルラの方角に、煙が上がっている。守礼の声が一段低くなった。


烽火のろしですか」

「いや、違う。皇氏さまに何かあれば烽火を上げるよう言っておいたが、あれは煙だ。キシルラが燃えている。急ぐぞ」


 3人は石段を駆け下り、部隊は急ぎ都に向け出発した。総勢30人余り。最悪の場合、この人数でシギに棲息するすべての獣と闘うことになる。勝てるだろうか――――。胃のあたりがひやりと冷たくなり、加奈は外套の前を閉じた。


 タリム兵が二列縦隊で山道を行き、その後ろを黄櫨と緑青を先頭に加奈たちが歩く。老亥が後ろに下がり、守礼の隣に立った。


「話のつづきを聞かせてほしい。獣杯の獣を解き放ったのが鈴姫だというのは、本当なのか」

「……はい」


 痛む心を抑えるように、守礼は長い指を胸に添えた。


「あの朝……私と灰悠は厩舎にいました。奇妙な生き物が飛んでいるという声が聞こえ、神殿を見上げると……獣杯の獣だと直感で悟り、神殿の宝物庫に向かったのです。獣杯は鈴姫によって持ち出されたと聞き、鈴姫の部屋へ。その頃には放たれた獣はおびただしい数にのぼり、鈴姫は……」


 藍色の瞳が暗く陰り、優美な顔が青ざめる。声が途切れ、大きく吸いこんだ息が苦しい言葉を伴って吐き出された。


「鈴姫は獣に囲まれ、最も巨大なものの口の中へ……『みんな死んでしまえばいい』と言い残して。灰悠と他の者が獣に切りつけている間に、翡翠を取りはずしました。そうすれば獣が獣杯から出られないことは、聞き知っていましたから。鈴姫の部屋に2枚あった『記憶の鏡』のうち1枚を大神官に渡すよう従者に託し、龍宮にある異界の扉の向こうに獣杯を隠すことを灰悠に頼み、私は『記憶の鏡』に意識を下ろしました。時間がなく、真っ先に知った方法を試すしかなかった。自身の内に獣を取り込む方法を。しかしすべての獣を取り込むことはできず、その結果シギは……」


 守礼は目を伏せ、老亥が言葉を継ぐ。


「……滅びたか。仮にわしらが死者だとして、何故この地に追いやられたのだろう。この地に来た者と来なかった者の差異は、何だと思う?」

「残した思いの強さ、でしょうか」


 死の間際、思いが残らない者はいないだろうと加奈は思った。誰もが何らかの思いを抱えて逝く。大河を渡る間に思いは捨てられ、身軽になった者は光となって空を飛び、さほど身軽でない者は死者の国で暮らす。そういう仕組みになっているなら、死者の国にすら行けなかったシギの住人は、相当重いものを抱えていることになる。


「悪意の強さだろう。そいつが持ってる悪意と同じだけ獣がとり憑き、獣憑きはどの世界でも丁重にお断りされて、ここに住むしかなくなったというわけだ。悪意が悪意を呼んだ、まさに自業自得だな」


 加奈の後ろで烏流が言い放ち、緑青が振り返って笑った。


「なるほど。烏流が悪意について語ると、ものすごーく説得力と信憑性があるよ」

「烏流はたくさんのカラスを持ってるけど、悪意だらけとは思えないよ?」


 加奈は首をかしげ、烏流は片頬を上げて悪鬼のような笑みを作る。


「俺には悪意しかないけど?」

「命がけで、わたし達を助けてくれたのに?」

「焔氏の獣を内側から叩っ切ろうとして、ちょっと失敗しただけさ。おまえらを助けたんじゃない」


 加奈は、まじまじと彼を見た。人助けはしていないと言い張り、感謝すると怒り、カラスのヒナを見捨てられない烏流。変わった人だと思うし狂った部分もあるけれど、悪意は感じられない。獣のはずなのにわたしを守り、びわの実を差し出すと喜んで食べてくれたカラスも。


「素直じゃないなあ。愛する人たちを守るため命を賭けました、守りきれて幸せ一杯です、僕はほんとはいい奴ですって認めればいいのに。ほら正直に言えよ、仲間みんなが大好きだって」

「ふざけんなっ」


 烏流と愛――?! これほど似合わない組み合わせはない。怒りにむき出した片方の犬歯が吸血鬼のように鋭く尖り、彼をより凶悪に見せている。そっぽを向いた頬がほんのり赤らんで見え、加奈は見間違いだろうかと何度も見直した。烏流の顔が赤い。照れてるの? 烏流が――――照れてる。


「烏流って……」


 可愛いっっ! 彼女を見る烏流の目が怒ったように細められ、加奈は言いかけた言葉を慌てて呑み込んだ。




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