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姫神幻想伝奇  作者: セリ
41/53

9  扉は開かれる  ③

 

 華奢な身体を折り腹部を押さえ、手の甲を唇に付け背を反らし、鈴姫は狂ったように笑い続けた。


「あははははは、何と愚かな。蛇眼を味方に引き入れ獣杯を使わせれば、わたしに勝てたものを。みすみす勝機を捨ててしまうとは」

「蛇眼が、我らに与するとは思えない」


 守礼が、冷ややかに言い放つ。


「彼の味方は彼のみ。獣を増やせなくなりましたね、鈴姫。あなたと蛇眼を捕え、獣を消滅させればシギに平和が訪れる」

「その前におまえ達は死ぬ。シギに存在する獣は、すべてわたしのもの。心卑しいクズどもめ、獣の餌となれ。みな死んでしまえ!」

 

 鈴姫の体から、黒いもやが一気に噴き出した。靄は彼女の周囲で後光のようにうごめき、獣に変化して人々に襲いかかる。広場にいた住人たちは悲鳴をあげ、先を争って逃げ出した。


 鈴姫の豹変ぶりに加奈は立ち竦み、手探りで短剣を抜いた。加奈を守ろうとカラスの群れが突入し、瞬時に狼に変貌した守礼が長い尾で獣を薙ぎ倒す。


「恵朴に何を吹き込まれたのです?」


 狼の言葉に、鈴姫の美しい唇が歪んだ笑みを形作った。


「昔から政治優先だったな、親愛なる守礼兄さま。実の妹よりも、おまえは政治を優先させた」

「そういうことですか。誤解だと言っても、聞き入れて貰えないのでしょうね」

「醜い者どもと共に死ね!」


 みんな死んでしまえばいい――――。それが鈴姫の最期の言葉だったのだろうと加奈は思った。焔氏の獣から聞こえた声は、鈴姫のものだった。でもどうして? 何が彼女にそれほどの憎しみを抱かせたの? 考える余裕もなく獣が飛びかかって来て、全力で短剣を振り切った。


 ずぶりと刃が獣の肉に食い込む手応え。最初は硬く、奥にいくほど柔らかく、最後は靄となって霧散する獣の感触にもすっかり慣れた。カラスの群れが加奈を取り囲んで獣を阻み、青い狼が縦横に駆ける。


「一か所に固まれ! 武器を持った者を外側に、持たない者を内側に! 獣を輪の中に入れるな!」


 老亥が大声で命じ、キクリとタリム部隊が人々を囲んだ。その前方――――最前線に黄櫨が立つ。諸刃の戦斧を操り細い剣で獣を突き、彼の周囲でみるみる獣の残骸が積み重なった。


 黄櫨は闘いながら、視界の隅に緑青を捉えた。緑青もまた人々に迫る獣を少しでも減らそうと、最前線で闘っている。長剣で獣を切り裁く緑青の足から小さな子猫が飛び出し、毛を逆立てて敵を威嚇した。


「僕の戦士たち! 行け!」


 みいみいみいみいみい。後から後から黒一色の子猫が現れ、鳴きながらハイエナに似た獣に向かって突進する。小さな手足を全力で動かす姿は可愛いが、心もとない。獣の足に飛びついた子猫が数匹、しがみついたままずるずると落ち、黄櫨は慌てて緑青に駆け寄った。


「緑青! あの猫、歯は生えているのか?」

「少し」

「爪は?」

「少し」

「それでは戦えないだろう」

「戦場に慣れてこそ一人前の戦士と言える……うわあっ!」


 緑青は叫び、剣を振りかざして駆け出した。ハイエナが大きな口を開け、子猫を一飲みにしようとしている。


「喰うなっ、僕の猫を喰うなっ。退却! 総員退却! 戻って来いっ」

「みい――――っっっ」


 血相を変えて駆け戻る子猫の群れに、ハイエナが突っ込んだ。激怒した緑青がハイエナを叩っ切り、黒い靄に変える。振り返った彼の正面で、別の獣が巨大な口を開けて待っていた。


「わ、わあああっっ!!」


 素早く剣を振る緑青の眼前で獣は真っ二つに切り裂かれ、漂いのぼる靄の向こうで黄櫨が渋面を作っている。緑青は、困った顔でニッと笑った。


「ありがとう。うしろを任せられるのは、やっぱりおまえしかいない」


 黄櫨が、ニタリと笑い返す。背中合わせになって闘い始めた2人に、鷲の大軍が雨霰の如く降り落ちた。人々の絶叫が響き渡るなか、狼が鷲を叩き落とし、武器を持つ者たちが止めを刺す。熊が獣を弾き飛ばしながら、鈴姫に近づいた。


「……やめてくれ。……たのむ」

「無駄だ。みな死ねばいい。……おまえもな」  

 

 鈴姫の血のように紅い唇から嘲笑がほとばしり、彼女の体から絶えることなく黒い靄が吹き出した。

 加奈は肩で息をしながら、両手で短剣を握りしめた。腕が鉛のように重く、青銅の剣を振り上げられなくなって来ている。あとどれほどもつのか。これ以上戦闘が続いたら、もしかしたらわたし――――死ぬかも。


 恐怖が腹の底から冷気を伴って這い上り、歯をカタカタ震わせた。死にたくない――――まだ死にたくない。奥歯を噛みしめ懸命に剣を振る彼女の覚束ない剣技を助けるように、カラスが奮闘し力尽きて地面に落ちる。


(ごめんなさい……)


 獣に喰われるカラスを見るのは辛い。頑張らなければと自分を叱咤する加奈の耳に、追い打ちをかけるような言葉が飛び込んだ。


「龍だ!」


 神殿の上に龍の巨大な頭部、次いでうろこに覆われた胴体と黒い足が現れる。龍は神殿を一跨ぎし、地響きを立てて地面に降り立った。


「今度は龍かっ!」


 人々の声には、絶望感が滲んでいる。狼と熊が龍に飛びかかろうとし、ふいに動きを止めた。龍の胸から細い刃が突き出し、月光を受け煌めいたかと思うと、黒い躯体を縦一文字に切り裂いた。薄黒い靄が立ち昇り、中央に黒く霞む人影が見える。


 天に向けられた、剣の如く鋭い10本の爪。凶暴な琥珀の瞳。金茶色の三つ編みを背に流した美少年が、極悪な面相で鈴姫を睨みつけている。


「よくも俺を閉じ込めてくれたな、小娘。礼はするぜ」


(う……りゅ……)


 驚愕と歓喜がない交ぜになった叫びを、加奈は懸命に押しとどめた。烏流は加奈をちらっと見て、視線を空に向ける。

 

「カラスども、龍を喰え――――っ」


 彼の一声で森がざわめき、枝々からカラスの群れが一斉に飛び立った。元の姿に戻ろうとする龍に殺到し、のたうって暴れる肉をついばみ、剥ぎ取り、呑み込む。


 10本の爪を目まぐるしく操り、烏流は瞬く間に獣の群れを切り捨てた。素早い動きで取って返し、鈴姫に飛びかかる。長く鋭い爪の先に飛び込んだのは、熊である。爪の先端が熊の咽喉に突き刺さり、止まった。


「熊! ……何の真似だっ!」

「鈴姫に……手を出すな」


 熊の低い声が大地を這い、獣の残骸が風に煽られ鈴姫へと戻っていく。残酷なほど美しい姫神は、冷たい視線を熊に向けるや一点の光となり、黒い靄ともども消え失せた。「キシルラで待っているぞ」と言い残して。


「消えた……」


 静寂のなか丹念に周囲を見回す人々の間から、歓喜の声があがる。黒い靄はどこにも見えず、タリム兵と肩を叩き合って喜ぶ人々を尻目に、加奈は烏流に駆け寄った。


「烏流! お帰りなさいっ」


 肩に飛びつき、軽く2度ぽんぽんと叩くうちに加奈の目から涙が溢れ、烏流が不思議そうにのぞき込む。


「……泣いてるのか?」

「だって嬉しいじゃない。二度と会えないと思ってたから……また会えて嬉しい」


 加奈をじっと見つめる烏流の頬に、緑青の拳がめり込んだ。


「……てっ。何しやがるっ」

「僕を泣かせた罰だ」

「泣いた? おまえが?」

「緑青はぽろぽろ泣きながら、烏流はきっと帰って来るって言ってたよ」


 加奈が涙を拭いながら言うと、烏流の目が呆れたように天を向く。守礼の拳が腹部に送り込まれ、彼は呻いた。


「つっ、今度はあんたか!」

「獣の口から早く出ろと言ったのに。二度とあんな思いは御免です」

「わかったよ。次はどいつだ」


 駆け寄って来る黄櫨とキクリに険悪な視線が向けられ、2人は揃って両手を上げた。


「喧嘩を売るつもりはないよ。獣に喰われて戻って来るとは。あんた、見かけによらず凄い奴だな」

「ふん」

「蓮婆たちと一緒に光の世界に戻ったと思ったぞ」


 黄櫨が言い、烏流の顔が真面目なものに変わる。


「ああ……あれな。人の形をした光が空へ上がって行ったが、俺の体は重くて駄目だった。重い原因は、こいつらなんだが……」


 烏流の手に、小さなカラスのヒナが2羽握られている。翼を丸めたヒナはまだ飛べないようで、烏流の手の中でピイピイ鳴いている。


「放り出しても良かったんだが。……何となくな」


 何となく――――放り出せなかった。小さなヒナを見捨てられなかった。烏流らしいなあと思いながら、加奈は外套の留め金に手を置いた。


「外套、返さなきゃ」

「着ていろ。剣を振り回すところを見たが、下手くそで見ていられなかった」

「え……」


 精一杯頑張ったのに――――。カチンと来ないではなかったが、さっきから風邪をひいたように悪寒がして、外套の温もりが有り難い。それにカラスが守ってくれなければ、きっと獣に食べられていただろう。烏流の申し出を快く受けることにした。


「うん、ありがとう」

「……おまえ、熊か?」


 烏流の視線が加奈から灰悠に移り、守礼が沈んだ声で答える。


「灰悠。鈴姫の……私の妹の婚約者です」

「あんたの妹? 婚約者だと? それで俺の邪魔をしたのか。あの女可愛さに!」


 烏流の声音が不穏なものに変わり、灰悠はかすれた声を押し出した。


「鈴姫は……俺が殺す」

「何言ってんの。あんたにそんな事が出来るわけないだろ」

「誰も手を……出すな」


 仰天したキクリの腕を振り切り、灰悠の顔が悲しげに歪んだ。体の輪郭がぼやけたかと思うと、小さな光となって飛び上がる。蛍に似た光は、キシルラに向かって飛翔した。


「キシルラで待つ――――鈴姫の言葉を額面通りに受け取るなら、キシルラは今頃獣の都になっているでしょう。その場合、少ない人数で奪還できるかどうか」

「やるしかないだろ。獣どもを叩っ切るのも楽しいぜ。血が飛ばないのは残念だが」

「灰悠を説得して」

 

 キクリが、守礼の腕をつかむ。


「鈴姫を手にかけたら、あいつはきっと傷つく。鈴姫は、あたしが殺る。だから……」

「鈴姫を他の者に殺されたら、灰悠はもっと傷つきます」


 守礼の言葉に、キクリは黙り込んだ。




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