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姫神幻想伝奇  作者: セリ
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2  骨のしもべ  ①



 白夜を思わせる藍色の夜空に、無数のダイヤを散りばめたような満天の星が輝き、丸い月が煌々と大地を照らしている。


 黒々とした森に挟まれた山道は明るく、加奈の前に2人、後ろに3人の男たちが歩く。隣にいる守礼を見上げると、長身の青年は夜空に似た瞳を彼女に向けた。


「どうしてわたしなんですか?」

「たまたま……でしょうか」


 加奈は唇を噛んだ。たまたま馬鹿な子が引っ掛かったのだ。口惜しくて怖ろしくて、涙がこぼれそうだ。でも聞かなければ。自分がこれからどうなるのか、どんなに怖ろしくても聞かなければ。


「わたしはどうなるの? 骨のしもべって何?」

焔氏えんし様のしもべの事です。……ちょっとした儀式を伴いますが」

「儀式って?」


 彼は視線を彼女の足もとに落とし、ふっと微かな息を吐き出した。しんと静まり返った山中に、山道を登る男たちの足音と呼吸音が響く。この人たちは生きているんだろうかと、加奈は目だけを動かして周囲を見回した。


 ここは、どういう世界なんだろう。死後の世界ではないのだろうか。生死の境の国と守礼は言ったけれど……。質問を続けようとした彼女は、前方に白い光を見つけ口を閉ざした。


 山道を登りきったところで樹林が開け、下方の景色が一望に見える。積み木を重ねたような大小さまざまな建物が、白く輝きながら盆地全体に広がっている。


「シギの都、キシルラです。キシルラとはキ・シル・ラ――――黒曜石の反対の都、つまり白曜石の都を意味しています」


 建物は角ばった石を積み上げて造られ、石の一つ一つが煌めいている。黒曜石のように、白曜石もまた宝石なんだろうかと加奈は頭の片隅で考えた。


「シギという国名はシュルギという言葉から派生し、輝く国という意味合いがあります。遥かな昔遠い海の彼方からこの地にやって来た祖先が、山肌にむき出しになった白曜石の輝きに感銘を受け、国名としたと伝えられています。彼らは白曜石を切り出してこの都を築き、その後大陸から渡って来た様々な種族が加わり、現在のシギ族となりました」


「そう……」


 加奈が頬をぷっと膨らませて生返事をすると、守礼の目が面白そうに瞬く。微かに笑ったように見え、何が可笑しいんだろうと彼女はむっとした。呑気にわけの分からない歴史なんか聞くより、自分がどうなるかを知りたいのに。


「……長い間シギ族がシギ国を治めていたのですが、ある日大陸からタリム族がやって来たのです。現在シギを治めるのはタリム族ですが、本当の支配者は別にいると考えた方がいいでしょう」


「別……? 焔氏とかいう人とは違うの?」


 守礼は謎めいた微笑が浮かべ、口を閉ざした。まただ――。話したいことだけを話し、こちらの質問にはまったく答えてくれない。加奈の苛立ちが募っていく。


 観光に来たみたいに尋ねてもいない都の説明をする守礼の態度も口調も、これまでと少しも変わらず丁重だ。他の男たちには鋭い言葉で命令するのに、女の子には親切にする主義なんだろうか。


 親切にするなら、わたしを連れ戻してほしい。それが出来ないなら、せめて明確な説明が欲しい。わたしをどうするつもりなのか、骨のしもべとは何なのか。


 聞いた後、泣き叫ばない保証はないけれど。わたしを大人しくさせておく為に何も言わないのかもしれない。骨のしもべって、それほどひどい待遇なのかも。


 骨――――嫌な響きだ。


 山道を下り、加奈はシギの都キシルラに入った。道は白曜石ではない普通の石が敷き詰められ、建物は例外なく白曜石で出来ている。白曜石の表面はざらざらして、細かい粒子の一粒一粒が月光と星明りに煌めいている。


 大通りらしい広い道を歩くと、夜だというのに道行く人々が多く、誰もが加奈に注目した。


 殆どの人は中東系を思わせる彫りの深い顔立ちで、守礼の衣服に似た長い貫頭衣を着て腰に帯を巻いている。その上にマントのような獣皮をまとう者や、加奈を囲む男たちのように布を巻きつけただけの者もいる。


 セーラー服がよほど珍しいんだろうと彼女はうつむき、急ぎ足で歩いた。


 大通りの先に、ひときわ大きな純白の建物がある。5階建てで上の階にいくほど造りが小さく、大きさの違う箱を5つ重ねたような形である。周囲を石垣が囲み、正面に獅子を刻んだ門がある。


「王宮です」


 守礼が静かに言い、加奈は獅子の門をくぐった。建物の中は壁も床も天井も煌めく白曜石で覆われ、天井近くに作られた細長い窓から光が差している。5人の男たちは1階に残り、加奈は守礼に連れられ階段をのぼった。5階まで上がると大きな木の扉があり、そばに立っていた男が扉を開く。


 くすんだ黒灰色のガラス窓の近くに立つ人物がいた。かなりの長身である。くるぶしまである赤紫の衣をゆったりとまとい、白い帯の先を長く垂らしている。


 真紅の髪が波のようにうねりながら腰まで流れ落ち、細身の妖艶な姿は紅い唇と相まって、美しく女性的だ。だが全身から滲み出る残忍さと獰猛さが、獣を思わせる。女性なのか男性なのか、にわかには判別できないその人物は、灰色の冷徹な目で加奈の全身を一瞥した。


「生者か」


 低い声で言い、赤紫の衣を翻して加奈に近づく。長く伸びた爪先で彼女の顎をつかみ、瞠目する彼女の顔を右に傾け左に戻した。


「面白い。他国の生者は初めてだ。よくやった、守礼」

「畏れ多いお言葉です、焔氏様」

「焔氏……?」


 焔氏があでやかな仕草で衣の裾を引き、部屋を横切り長椅子に腰かけるのを加奈は目で追った。

 テーブル、椅子、櫃、長椅子、ランプ――――繊細で不気味な彫り物の施された青銅の家具が、薄暗い部屋を黄金色に染めている。甘い香りがむっとするほど濃く立ち込め、加奈は顔をしかめた。


「あなたがこの国の王? わたしをどうするつもりですか?」

「守礼から聞いていないのか」

「聞いてません」


 何度も尋ねたのに教えてくれなかったのよ、と唇を噛む。


「教えてやれ。自分がどんな死を迎え、どうなるのか。詳しく話してやるといい」


 焔氏の美しい顔に残虐な薄笑いが浮かび、加奈はぞっとした。

 

「しもべは封じられます。――――骨に」


 背後から守礼の声が忍び寄り、凍りついたまま振り返る。守礼の感情を押し殺した声が、淡々と彼女の未来を語った。


「生きたまま、骨一本だけが残るまで焼かれ、魂はその骨に封じられます。骨と魂は焔氏様の物となり、永遠に焔氏様にお仕えする事になります」


「守礼のようにな」


 嘲るような含み笑いが、加奈の耳をかすめる。


「娘よ。おまえは運がいい。今夜、骨のしもべを作る儀式が行われる。とくと見るがいいぞ、おのれの運命を」 


 生きたまま焼かれ――――骨に封じられる? 加奈は唇を震わせた。あまりに話が突拍子もなくて、現実感がない。ただ冷たいものが腹部と咽喉を行き来し、いても立ってもいられない。


 再び守礼に連れられ王宮の外に出た彼女は、人の流れに沿って歩いた。人々が皆同じ方向に歩き、夜なのに往来が多いのは儀式のせいなのかと思う。


「本当なんですか? あなたが骨のしもべって……」

「本当です」


 守礼は、静かに答えた。整った顔には苦悩も哀しみもなく、冷然としている。自分の不幸を何とも思っていないのかと、彼女は信じられない思いで彼を見上げた。藍色の目が彼女に降り、落ち着きはらった声が響く。 


「儀式を見て衝撃を受けると思いますが、声を立てないでください。焔氏様は、妨げられる事を嫌います」

「どうしても見なければいけないの?」

「はい。命令ですから」


 誰かが焼かれる――――生きたまま。でも守礼は確か、シギは自分の死を認められない者の国だと言っていた。ということは――――。


「この国の人たちは、死者なの?」

「そうです。誰もそれを認めようとはしませんが」


 死者が焼かれるということか。加奈はいつか見た地獄絵図を思い出し、怖気を奮った。


「あなたは? 自分を死者だと認めてるの?」

「心の奥底では認めていないのでしょうね。だから、この国にいるのでしょう」


 視線を前に戻した彼の横顔からは、何の感情もうかがえない。この人は何も考えず運命を受け入れ日々を送っているのだろうかと、加奈は首をかしげる。


 一度だけ目にした守礼の厳しい顔を、彼女は思い出した。小舟を追う動物霊に向けた、あの表情――――。鋭く険しく戦闘的だった。あんな表情ができるなら、この人にも何らかの感情があるはず。


 冷ややかとも言える態度の奥に、もしかすると猛々しい何かが秘められているかもと思いながら彼の横顔を見つめたが、やはり何も感じ取れなかった。ややあって、守礼の視線が彼女に戻って来る。


「シギの先祖が海の彼方に住んでいた頃、大きな戦争があったのです。先祖は焦土となった故国を船で脱出し、偉大なる女神官の導きにより、この地にやって来ました。途中幾度となく訪れた苦難と困難を乗り越えられたのは、女神官の預言があったからです。旅の終わりに、白く輝く恵みの地に到着すると。預言は成就され、女神官はキシルラで寿命を終えました。以来シギの最高神官は女性と決められ、『姫神』と呼ばれています」


 それが何……? 加奈は、ふつふつと湧き上がる苛立ちと怒りを懸命に抑えた。歴史なんかが、今目の前にある苦境の何に役立つと言うのだろう。だが守礼は真剣な視線を彼女に注いでいる。


「あの……」


 最も大切なことを聞かなければと、加奈はごくりと唾を呑み込んだ。


「ここから――シギから脱出するには、どうすればいいの?」

「それを、わたしにお尋ねになるのですか」


 彼の瞳が瞬き、加奈は咽喉を詰まらせた。何て馬鹿な質問をしたんだろう。送って差し上げます、なんて彼が言うわけないのに。わたしを捕えた張本人が、助けてくれるわけないのに。


 でも溺れる者は藁にだってすがる。彼女は必死に彼を見つめ、彼は穏やかな目で見つめ返した。


「信じて頂けるなら、正直に答えましょう。シギから出るには舟を使うしか方法がありません。シギにある舟は一艘のみ、あなたが乗って来られたあの舟だけです。舟を操れる者は、シギの中ではわたしだけ。かなりの技量を要しますから、あなたに操れるかどうかは疑問です」

「そうでしょうね……」


 加奈は肩を落とし、守礼が持っていた銀色の櫂を思い浮かべた。細い棒のような櫂1本で舟を操るなんて、かなりの技術が必要だろう。舟を漕いだことのない自分に出来るとは思えない。


 大河は果てしなく広く感じられ、水面は暗く底が見えず、何が潜んでいるかも分からない。元の世界に戻るには、どちらの方角に向かえはいいのか。どう考えても自分一人の力で脱出するなんて、無理だ。


 加奈が顔を上げると、彼女を見つめていたらしい彼は目を逸らす。この人は助けてくれないだろうか――――。虫のいい言葉を呑み込み、彼女は守礼に促され、広場に入って行った。


 太い石の列柱に沿って進むと半円形の舞台があり、多くの人々が舞台前の地面に腰をおろしている。生気を抜かれたように青ざめ、力なく土を見つめる人がいる一方で、期待と興奮に目をぎらぎらさせて舞台を見つめる人もいる。


 守礼に手招きされ、加奈は一番前の列の端に座った。舞台と観客の様子がよく見える場所である。舞台脇に、膝を抱えて座る少女がいる。


 自分と同じぐらいの年齢の少女――――。

 もしかして、あの少女が犠牲になるのだろうかと、加奈の顔が青ざめた。



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