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姫神幻想伝奇  作者: セリ
39/53

9  扉は開かれる  ①

 

 緑青は元厩舎だった納屋に足を踏み入れ、こじんまりとした空間を見回した。


 板を組み合わせた素朴な建物内に、様々な物が不規則に置かれている。布、古着、編みかご、陶器類、工具、資材などなど。睡蓮が奥から手押し車を引き出し、「これなんかどう?」と尋ねた。


「充分だよ。神殿の壁の補修はいずれやるとして、まずは散乱した瓦礫を片付けないとね。ありがとう、睡蓮。助かった」

「どういたしまして。案山子ギルを一まとめにして貰えたら、後で回収するわ」

「そうする」

「ああ……おほん」


 背後で不気味な声がし、緑青と睡蓮は同時に振り返った。月光を背に黒く光る体が、入り口を塞ぐように立っている。

 

「取り込み中、すまん。話し合いがあるから広場に集まれと、タルモイが言っている」

「べつに取り込んでねーよ」


 緑青が口を尖らせて言い、睡蓮は長い前髪を撫でつけた。


「何の話し合いか想像がつくから、わたしは行かないわ。誰かが神殿に残らないと」

「見張りはタリムの兵士がやる。老亥は、話し合いに立ち会うようだが」

「じゃ、僕は行くから。連絡ご苦労だったな、タリムの黄櫨」

「まだ怒っているのか。俺は謝っただろう」


 黄櫨は口を引き結び、緑青は目を吊り上げて大柄な若者を睨み上げた。


「謝って済むなら、長老も族長もいらないんだよ」

「長老も族長も、とっくに死んじまったが?」

「そこに注目するのか! 長老と族長がそんなに大事なら、立派な墓でも建ててやれ」

「墓? 何でいきなり墓参りの話になるんだ」

「こっちが聞きたいよっ」


 手押し車を音高く納屋の扉にぶつけ、緑青は出て行った。睡蓮がふうっと溜め息をつき、黄櫨を見上げる。


「何が原因か知らないけど、時間を置いてみたら? 落ち着いたら仲直りも出来るんじゃない?」

「ああ……そうする。用事は俺がやるから、広場に行け。タルモイが君を探している」

「行かない。あの人たち、シギを見捨てて行くつもりなのよ」


 黄櫨に背を向け、睡蓮は棚に積まれた布を一枚一枚めくり、包帯になりそうな物を引っ張り出した。


「うむ。もう一度光を呼んでどうのこうのと言っていたが。そう簡単に呼べるものではないだろうに」

「アシブの住人に、シギを見捨てるつもりかあるかどうか尋ねる気よ。そんな風だから、気力に欠けると言われるのよ」

「気力に欠ける……? 龍宮の住人がか?」


「焔氏に火刑にされ、火傷を残した者はそう言われてるわ。気力ある者に火傷なんか残らない。堂々と焔氏に立ち向かい、多くは骨に閉じ込められたけど、火傷の残らなかった者は尊敬に値すると言われているわ。あの人たちがしっかりしてくれないと、わたしまで悪く言われて迷惑なのよ」

「誰が悪く言うんだ。アシブの住人か? アシブの住人は、火刑にされていないだろう」


 黄櫨に背中を見せたまま、睡蓮はうなずく。


「伯母さまが守ったから……」

「火刑を逃れた者が、火刑に耐えた者をそしるのは許されん。火傷の残っていない娘たちは、焔氏の後宮で暮らしている。後宮に入るということは、つまり、そういうことだ。それが悪いとは思わんが、睡蓮にしろキクリにしろ、後宮入りを拒否する気持ちが火傷となって現れたのだ。火傷は焔氏に徹底抗戦するという決意の印、不屈の戦士だけに与えられた勲章だ」

「勲章ですって……?」


 睡蓮は振り向き、薄く笑った。


「焔氏の言いなりになんか、なりたくなかったわよ。後宮なんか絶対に嫌だった。でも今では後悔してる。鏡を見ないようにしてるけど、アシブの住人の顔を見ていると、自分の顔がどれほど醜いか思い知らされるもの。火傷のせいで片目が見えないし……」


「目はともかく、君は美人だぞ。言いたい奴には言わせておけ。俺は同じシギ族として、君を誇りに思う。勲章を髪で隠すことなどない。堂々と見せればいい」


 武骨な手つきで、黄櫨は睡蓮の前髪を払いのけた。潰れた片目と引きつれた火傷の跡があらわになり、睡蓮は火傷のない方の横顔を黄櫨に向けた。


「まっすぐ前を見ろ。そう、そのまま。君は昔から美人だったが、今では美人戦士だ。火あぶりにされて苦しかっただろうに、よくぞ心根を保った。くじけてもおかしくない状況で、男でも難しいことだ。立派だぞ、睡蓮」


 睡蓮は両手で顔を覆い、ガタンと棚にもたれかかった。積み上げられた布が弾みで落ち、彼女の足もとに折り重なる。


「……女を口説くのが上手いねえ」

「くど……、俺はただ、本心を言ったまで。ちょ……」


 睡蓮は、泣いていた。顔を覆った両手で声を押し殺し、すすり泣いている。黄櫨は一瞬茫然とし、髪をくしゃくしゃにかき上げた。


「すまん。悪いことを言ってしまったんだな。しかし君が立派だというのは本当……」


 いきなり睡蓮に抱きつかれ、彼は言葉を呑んだ。妙齢の娘が自分にしがみつき、胸に顔を押し当てて泣いている。前代未聞の奇跡に見舞われた彼は、どうしていいのか分からなくなり、混乱した頭の中で考えた。


 髪を撫でたり肩を叩いたりした方がいいのか――――いや、弱みにつけ込んで触ったと思われ、悲鳴を上げられるかもしれん。言葉をかけた方がいいかな――――何を言えばいいんだ、気の利いた台詞は一つも知らないぞ。


 黄櫨は、睡蓮の体に触れないよう両手をまっすぐ上にあげた。何か言おうと口を縦にし横にし結局何も言えず、彼女が泣きやむまで立ち尽くしていた。







 尋ねたいことを残したまま、加奈は守礼と一緒に神殿の正面に向かう。守礼の何かを考え込んでいるような厳しい横顔を見上げ、開きかけた口を閉じた。


 神殿前に広がる敷地に、大勢の人々がつめかけている。タルモイが石段を数段上がり、人々を見下ろした。


「睡蓮がまだだが、先に始めよう」


 聴衆は静まり返り、咳払い一つ聞こえない。タリム兵の姿も見え、皆一様に真剣な面持ちで老人を見上げている。


「人の世界は夢幻だ。いずれわしらは目覚め、故郷へ――光の世界へと戻っていく。先だっての体験で命の光の力を借りれば、より容易に戻れることが判った。知っての通り、命の光を呼ぶ術は難しい。呼ぶことの出来た神官は、遥か昔にさかのぼる。しかし、わしはもう一度やってみようと思う。その前に皆の再考をうながしたい。今すぐ戻りたい者、まだ戻りたくない者、迷っている者、それぞれ事情があるだろう。皆の意見が聞きたい」


「今すぐ戻るということは、シギを見捨てて行くということだろう。龍宮の者の言いそうなことだ」


 アシブの住人から侮蔑の声があがり、焼け焦げた体の男が反論した。


「見捨てられないとか悔いが残るとか、そんな事を言っている間はいつまで経っても戻れないんだぞ」

「あたしは、まだ戻らないよ。龍宮の者だのアシブの者だの、そんな区別はやめようよ」


 石段の下で、キクリが言う。怒号が飛び交う中、守礼が人々の間をすり抜け石段をのぼった。タルモイに耳打ちし、うなずく老人の横に立って静かに口を開く。


「道は一つではありません。あと2つ、大河を渡り階層世界へ行く道と、大河を下り生者の国に転生する道が開かれています。階層世界は、一言で言うと美しい。下層界はシギに似た夜の世界、上層界に行くにつれ明るくなり、おそらく最上界では太陽が燦々と照りつけているでしょう。頂きが見えないほど高い山の表面に人々が暮らす各界が造られ、まるで空中に浮かぶ都市が整然と並んでいるかのようです。その光景を岸辺から見ましたが、上陸することは出来ませんでした。上陸するには、ある条件を満たさなければなりません。自分を死者と認めること――――。美しい階層世界は、死者の国です」


 人々の間から失望の溜め息が洩れ、守礼は顔色一つ変えずに話を続けた。


「大河には無数の渡し船と渡し守が存在し、そのうちの一人が転生する方法を教えてくれました。大河を下りきること。そのための舟が、死者の国にはあるそうです。いずれにしても、自分は死んだと認めなければならない。真実に目を開きさえすれば、扉は開かれます。どうか扉を開き、新しい道に進んでください」


「俺は、死んでいない!」


 アシブの男が怒鳴り、同調する声がそこかしこから上がる。加奈は、両手を固く握りしめた。


「いいえ! あなた方は死んでいます。獣に殺されたり、戦死したり。認めてください。そうしないとずっとシギに縛りつけられて、獣に襲われ続けることになります!」


「生者の国の娘さん、何を根拠にそんな事を言うの? あたし達は生きた人間だよ」

「血が出ないだろ? 死なない、眠らない。今のシギは、みんなの記憶が作り出した国だ。その証拠に、僕の家は無かった。空き地になってた。僕の家族は皆死んでしまったから、家の外観や内装を思い出す者がいなかったんだろう。ちなみに黄櫨の家も無かった」


 緑青が真面目な顔つきで言い、「神の手違いさ」と声が飛ぶ。キクリとは反対側の石段下に立っていた老亥が、「一言いいかな」と片手を上げた。


「興味深い、いい話を聞かせてもらった。シギの方々に感謝する。いつかわしもいずれかの道を選択し、その時はシギの方々に教えを乞おう。が、今はまだその時ではないと考えている。選択肢は、もう一つある。シギに残る道だ。今この時にもキシルラは、獣どもに襲われているやもしれん。タリムの部隊はキシルラに戻るが、アシブからも兵士を募りたい。シギ族、タリム族の分け隔てはせぬと約束する。出来るだけ多くの者が、我らと共に戦ってくれることを望む」


「シギの部隊を、あなたが率いるということ?」


 緑青が尋ね、老亥はしわ深い顔に温厚そうな笑みを浮かべた。


「君が部隊長を務めてもかまわんよ」

「え、いや、それ……まずい」


 口ごもる緑青を見て、ほっとした笑い声がさざ波のように広がっていく。


「シギ族の隊長を立ててくれて構わない。協力し合って作戦を遂行し、キシルラを守ることが大事だ」

「話を戻すようで申し訳ないが、タルモイはともかく、守礼の話を信じていいものかどうか。守礼は獣を放ち俺たちを窮地に陥れた張本人で、焔氏にすり寄り特権を得ていた卑怯者だろう。涼しい顔して、この場にいるのが信じられん」


 アシブの住人から「そうだ、そうだ」と声があがり、タルモイが手を上げて制した。


「獣を放ったのは、守礼ではない。ならば誰かと問われたら分からぬとしか答えようがないが、守礼が獣杯を使う術を会得していないことは、神官なら誰もが知っている事実だ」


「タルモイ族長は龍宮にいた時から、守礼は誰かをかばっているのではないかと言っていた。獣杯を使うには、長年の訓練と高度な能力がいるらしい。守礼は、獣杯に関する専門の訓練を受けたのか」

「……いいえ」


 龍宮の男の問いかけに守礼が答え、守礼の声に覆いかぶさるように女性の声が響く。


「アシブ神殿でも噂があったよ。獣を放ったのは、鈴姫さまじゃないかって。だって獣杯を管理してたのは鈴姫さまだったから。穢れある娘を姫神にしたから天神がお怒りになり、獣を放ったんじゃないかって話もあった」

「姫神さまが、わしらに害をなすはずがない。いい加減なことを言うな!」


 声を荒げるアシブの住人を、女性はきっと睨みつけた。


「あたしは、子供の頃からアシブ神殿で働いてるんだよ。一般の民に知らせてはならない秘密や口止めされた秘め事が、神殿には沢山あったのさ。タルモイは元神官だから、守礼と鈴姫が生まれながらに穢れを持ってることは知ってるよね?」

「穢れだって……?!」


 人々は顔を見合わせ、様々な反応を見せた。驚愕する者、目配せし合う者、馬鹿馬鹿しいと首を振る者。


「そういう噂は耳にしたけど、あたしは信じなかったよ。穢れを持つ者は神官になれないし、まして姫神さまに選ばれるわけがない」

 

「その信頼を逆手にとったのさ。反対する神官もいたのに、族長とキシルラ大神官がねじ伏せた。穢れある者を獣杯のそばに置いてはならないと蓮婆が抗議したけど、黙殺された上、蓮婆はアシブから追い出された。その結果がこれさ」


 加奈は、ふつふつと湧き上がる怒りを抑えた。両親が道徳に反していたら、その子供には生まれながらの穢れがある……? 子供に罪はないじゃない。もしもパパとママが結婚してなくて不倫関係だったら、わたしは穢れてることになるの? そんなのひどい。


 もう一つ別の気になる言葉が脳裏を巡った。獣を放ったのは鈴姫……? 守礼は鈴姫をかばって、自分がやったと嘘を言ったんだろうか。


 女性は胸を反らして人々を見渡し、守礼に目を留めた。


「本当のことを話したらどう、守礼?」

「何をです? 神官と族長の権威に関わる問題を、このような場で議論するつもりはありません」

「守礼の言う通りだ。つまらん噂話で皆を混乱させるのは、やめておけ」


 タルモイに睨まれ、女性は怒りの形相で口をつぐんだ。どよめきが走り、人々が左右に分かれて道を開ける。その先に大柄な若者と小柄な少女が立ち、加奈は目を見開いた。


(鈴姫……!)


 鈴姫と灰悠が、石段に向かってゆっくりと歩いて来る。人々の間に、喜びと疑いの入り混じった微妙な空気が走った。




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